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第一部 記憶喪失と竜の子
疑い深い少年と宝石
しおりを挟むいつ組み付いて来てもおかしくないほど俺を疑いの眼差しで見続けている少年。
対照的に、糸目の女性はとぼけたように笑い掛け、
「財布を持っていなかった……と。あら、それは大変でしたね。おいくら必要なのですか?」
「お恥ずかしながら。飲食代で20000と、あと……」
「そんなにですか? まぁまぁ。どうぞお持ちになってくださいなマグ先生」
俺が答えると早速自分の財布を手渡してくれた。布を掛けたシンプルな白い長財布だ。
「ビアフランカ先生。見知らぬ人にお金を貸すんですか?!」
間に入る当たり前の突っ込み。そういえば常識人なアプス君が俺たちの隣には居たのだった。
「いいえアプス。見知らぬ人ではなくてマグ先生でしょう? 駄目ですよ。折角お戻りになった先生にそんな態度をとっては」
ビアフランカはおっとりとした口調で言い返す。この人は天然なのか惚けているのか。
協力的にしてくれるのは助かるのだけれど、それを普通の反応をする普通の少年が許してはくれない。
「何言ってるんですか先生。マグ先生は亡くなったんでしょう? この男が先生なわけ……」
「私には彼がマグ先生にしか見えませんが……そうですね。納得がいかないのであれば、アプス。貴方が彼に付いて一緒にスーを迎えに行きますか?」
小さく困ったように首を傾け俺に合図するビアフランカ。俺もごく自然体を装って苦笑いを返す。
アプスはビアフランカに肩を撫でられて俺に一歩近づくと、
「わかりました。僕が同行させて頂きます。不審な行動をしたら問答無用で貴方を斬りますから覚悟してください」
そう言って真っ直ぐに俺を見上げた。彼も彼なりに頑固者という性格が全面に押し出された真面目な台詞だ。
どこか抜けたような雰囲気を持つスーやビアフランカよりも、しっかりとした緊張感を持って接してくる彼こそが一番一般的と言える思考を持っているのを感じた。
彼のそんな性格は俺がこの世界にとってイレギュラーだという感覚や、マグという人物がこの世にはもういないのが正しい認識なのだということを思い出させてくれた。
もし、彼がいなかったら女性たちのペースに危うく飲み込まれてしまいそうだ。
「ああ。よろしくね」
俺が相槌を打つとアプスはすぐに踵を返した。
「シグマさんの店ですか?」
「知ってるのか?」
「港では有名な高級料理店ですよ。この辺りでその金額ってことはそこくらいしか考えられませんので」
俺のことを半信半疑しているからだろう。敬語がどこかぎこちない。
「どうして財布も持たずに店に入ったんです?」
「それが……」
「アプス。あまりマグ先生を困らせてはなりませんよ」
小さく手を振って二人を見送るビアフランカの言葉に短い会釈をし、彼女を後に歩き出す。
早速彼女の言葉を聞いていなかったように、続けてアプスは俺に問いを投げる。
「店に入るまでのことを覚えていなくて、気付いたら店でスーと一緒に座ってて……」
「はぁ」
正直に答えたところで余計に怪しまれるのはわかっているが、本当のことを言うしかない。
自分が何者かわからないが、体だけが彼らの知る者だなどと言ってしまったら、彼の剣に即座に真っ二つにされる可能性だってある。
スーとの会話とは違う。真面目なアプスを刺激するようなことを言わないよう気を付けなくては。
「全然答えになってませんよ。そういうところがお人好しというか……おおかた、ストランジェットにねだられて良いものを食べさせてあげたかった。とか言うんでしょう?」
「はは。まぁ、そんなところかな……」
彼が認識しているマグとストランジェットとの関係も悪くないものらしい。
勝手な想像をし、呆れたような息を吐いて前を歩くアプスに俺も合わせて軽く笑い頭を掻く。
「あいつばっかり贔屓するのはやめてくださいよ、先生。僕だって……」
振り返らずに注意めいた言葉を投げ掛け、彼は途中でハッとなった。
「……まぁ、僕は貴方がマグ先生だなんて信じてませんけど」
そして、言い換える。
さては俺のことを「先生」と呼んでしまったことを気にしたな。
彼は常識的で生真面目ではあるが、歳相応の子供だったようだ。
その言動に俺の表情が綻んだことに気付いたのか、俯いたかと思えば彼の先を行く歩幅が狭く速くなった。図星だと肯定するように足音が石畳の上に響く。
***
「……ここですね」
「ああ」
出発するときはそこまで余裕がなくよく見ていなかったが、海辺の三階建てカフェレストランという呼称だけでもお洒落だったんだな。と、俺とアプスの前に建つシグマの店の外観を見直し俺は改めてそう思った。
白い砂浜に浮き立つような、更に白い外壁が太陽の光と海の飛沫の色を反射してキラキラと輝いて見える。
階ごとに開いた窓から純白のテーブルクロスがはためいており、スタッフが優雅な客人たちをこれまた優雅にもてなしている。
なるほど確かに高級そうだ。
この様子を外から見ていたら最初から店には入らなかっただろう。「誰か俺とスーの服装を見て止めてくれたらよかったのに……」と俺はひとりごちた。
そういえば、アプスは心なしか俺たちよりも良い服を着ている気がする。
女神の風貌を持つビアフランカでさえ法衣として形容する他ない服装だったし、スーにいたっては尻尾や羽根の自由のために布の面積が常人より格段小さい。
それに対してアプスは裏がついてしっかりとした裾の短いベストをシャツの上から羽織っており、背中の剣もまるで新品のように綺麗だ。もしかしたら彼は俺たちよりもちょっと良い家庭で暮らしているのかもしれない。
上品な金の手すりを視線で交互に追ってから順番に真っ直ぐな柱をなぞり、俺がスーと食事をした三階のテラス席を見上げると、
「おーい! 先生ー! あれっ、あっくんも一緒に来たの~?」
白い細長いものが視界の先でたなびいた。スーの髪だ。
「スー、よかった。無事だったんだな!」
「ストランジェット! 君はまた勝手な行動をして!」
にっこり笑顔で手を振り上げる少女に、男二人は下から同時に声を掛けた。
見慣れた顔が戻ってきたことに安堵したのだろう、スーはぴょこぴょこと小動物のように身軽な動きですぐに俺たちのいる一階まで階段を駆け降りる。
「待ってたよー! 先生!」
そして、一目散に俺に飛び付いた。
無邪気なハグを繰り返す彼女の顔が勢いよく近づけられ、受け止めながら竜角の先が顔に触れる冷たい感触をかわした。
「危なっ……ところで、その格好は?」
「えへへ。似合う? シグマさんの奥さんに頂いたの」
スーが楽しそうに尾を揺らしてスカートをつまむと、アプスが俺の隣で反射的に顔を背けたのがわかった。
(年頃の真面目な男の子くんめ)
スーは俺と出会った時の薄着ではなく、この店の制服に身を包んでいた。
ベルベットのカーテンが背景に似合う欧風の高級な布をふんだんに使用した従業員服。シグマや他のスタッフが着ていたものと同じ材質なのだろう。
「先生たち早かったねぇ。ボク、待ってる間にお手伝いしようと思って着替えさせてもらったんだ」
「へぇ。よく似合ってるな」
「それはいいけど、君はその格好で学校に戻るつもりか?」
「えー、だめなの? あっくんのケチー。鬼の風紀委員長ー」
「なっ、僕は鬼なんかじゃなくて当たり前のことを……!」
ウェイトレス姿のスーが得意気にくるりと回る。背面は羽根を出すための切り込みが入っているためか、後ろを見ればやっぱり薄着にはかわりなかった。
何でも真面目に受け取ってしまうアプスと、からかい上手なスーの言い争いが始まる。
まぁまぁ。と二人を止めていると、店の奥から店主が現れた。
「お戻りですか、教諭」
「はい。お待たせしてすみません」
相変わらず毛づやの良い犬耳をピンと立てて落ち着いた声で話すシグマに、俺はビアフランカから預かった財布を彼に見せる。
「なんだかスーのこと、逆に面倒をみて頂いてしまったみたいで」
「いえいえ。私の見立てが当たったようで、こちらこそ良かったです」
しかし、シグマは俺から金を受け取らず、自身の後ろポケットからハンカチを取り出して中にくるまっていた物を俺に見せた。
そこには彼の大きな手の平に乗り切らないほど大量に、ハンカチが無ければこぼれ落ちてしまいそうな小さな色とりどりの宝石があった。
見立てが、とは服のことを言っているのかと思ったが、なるほど。
スーはこれほどの大口の客をこの短時間で獲得したというのか。
「それ、20000と……」
「それ以上ですよ。時価もありますが40000は越えてます。よろしければ、もう少し何かお飲みになって行きませんか?」
「い、いえ……結構です。お店の為に使ってください」
まさか法外なことをさせたのではあるまいな。別れる前に獣の目で笑ったような気がしたのはこれを見込んでだったのか。
スーのほうを見ると、こちらのやり取りに気付いたらしく顔を赤くした。
どうやら後でしっかり取り調べをする必要がありそうだ。
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