夢巡

茶竹抹茶竹

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10章『The Hostility』

37話「人は夢を見る」

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 目が覚めた。

 ひどく永い夢を見ていた覚えがある。

 自宅の壁紙とは違う色の天井が見える。背に柔らかいベッドの感触がある。仰向けのまま、自分の身体が指の先まで動くことを確認していく。問題ないことを確認して身を起こす。

「麻木?」

 部屋の隅の椅子に腰かけて眠る麻木の姿があった。内装とベッドの造りから此処が病室であると気付く。恐らく、私が目覚めないことで病院に運ばれたのだろう。

 日付を確認する。私の記憶より一日が経過している。

 眠っている麻木に私は呼びかけた。その存在を確かめるように。私の声で麻木は目を醒ます。目を擦りながら私の方を見た。

「古澄ちゃん?」

「はい」

「良かったぁ……」

 泣き出しそうな表情で麻木は言った。

 私の覚醒を検知した医療用ベッドが通知を発信し、ベッドの脇から生えた機械の腕が私の診察を始める。モニターに映ったバイタルサインは、いずれも正常であると示されていた。

 数分後に医師が姿を現す。見覚えのある顔、私の担当医であった。

 此処は東京脳神経外科病院だ。

 私が睡眠状態から覚醒出来なくなったことで麻木が通報し、此処に搬送されたらしい。電子神経障害の可能性があった為に精密検査も行ったと医師から説明を受ける。

 私は正直に夢の中に潜り続けていたことを説明した。意図的により深い睡眠状態に落ちていたのだと。

 長い検査の中、私は事の次第を説明する。夢の世界の概要とそれを作り上げた少女についての話もした。その正体についての推測も合わせて話す。

 私の話を聞いていた担当医は暫く思案した後、ゆっくりと言葉を選びながら私に語った。

 その内容は私の推測を後押しするものであった。

「それで、古澄ちゃんは何を教えてもらったの」

 そう言って首を傾げる麻木を連れて、翌日、私は病院の敷地内のとある場所に向かった。担当医から特別に許可を得て足を踏み入れた区画は、夢の世界で少女と邂逅した座標位置の場所である。仮想世界では研究施設らしき建造物が存在したが、現実世界では様子が違った。

 存在したのは小さな慰霊碑であった。光沢をたたえた黒の大理石に文字が彫ってある。それを見て不思議そうな顔をする麻木に私は言う。

「現実世界を精密に模した仮想世界に私と葉久磁氏は誘引されました。その結果、私が訪れた座標は現実世界でも一致します」

「つまり、此処がその場所ってこと?」

「そうです。ここで相対しました」

 葉久磁氏が求め奪った座標情報の場所。少女が私達を待ち受けていた場所。

「それで、この場所に慰霊碑があることに何の意味があるの?」

「この病院で電子神経の臨床試験に参加したのは私だけではありません。その一人は幼い少女、難病で余命幾ばくかの患者がいました」

 それは私の記憶の通りであった。私が入院中に交流のあった少女、天音だ。夢の世界で出会った少女とよく似た外見をしていた。

 私の説明を聞いた麻木が怪訝そうな顔をする。

「死者の魂がネット上で生き続けているって言いたいの?」

「そう捉えることも可能な話ということです」

 死んだ天音が、仮想世界上で管理署となっていた。どう読み解いても不可解な話だ。麻木が慰霊碑の文字をなぞりながら言う。

「電子神経と脳を繋いだとしても、ネットに意識を潜り込ませたとしても、人は死んだらそれで終わり。意識も感情も結局は電気信号で、電子神経はそれを拾い上げているだけ。魂なんてものは存在しないし、それをデジタルなものに変換することだって出来ないよ」

 麻木の言葉は正しい。

 だが、あの世界で確かに少女は存在していた。夢を集約する仮想世界も確かに存在している。あれは夢であって夢ではない。この世界に確かに存在しているものだ。その管理者を名乗る少女が既に死亡した人間と似た姿であったのも事実だ。

「これは一つの仮説ですが」

 私はそう前置きして麻木に語る。

 あの夢の世界は無数の無意識と記憶と想像の混濁によって成立している。誰かが見た光景が再現され、他人の認識に干渉し事象として確立されていく。

 ならば、あの少女もまた、誰かの夢によって成立している存在なのかもしれない。

 生前の少女を知っている人間が少女の夢を見続け、それを目撃した誰かが、その事象を補完するような夢を見続ける。その連鎖によって、あの世界に魂のようなものを生み出した。誰かによって存在を補完され続け、存在し続ける想像の具現化。

 私の話を聞いていた麻木が口を挟む。

「その仮説には一つ問題があるよ。夢の世界を作り上げたのは、本当はあの少女でないと言うことになっちゃう。わざわざそんな嘘を吐いているのか、それともその設定を付与された存在なのかは分かんないけど」

「或いは誰かの夢が、夢の中であの世界を作り上げたのかもしれません」

「まさか。夢の世界は夢でも幻想でもないんだから。どこかの誰かが巨大なサーバーを維持して仮想世界を構築し続けなきゃ存続できない。それは幽霊じゃ無理だ」

「では、その仕掛け人を探しますか?」

「興味はあるけど、必要がなくなったのも正直なところ。ほら、バレちゃったから」

 麻木は苦笑いで言う。返答に迷っていると麻木は話題を変えた。

「あの世界を糾弾する権利もその気もないよ。あの世界が間違っているかどうか、それを判断するのはあたしじゃない」

「夢の世界での振る舞いという意味ですか」

「違うよ。管理者が他者の通信を侵害しているかどうかってこと。夢の世界でどう振る舞うか、そんなの今の法じゃ裁けない」

 あの少女と話したことの意味を、私は反芻していた。

 悪夢を止めるという行為は、結局は独り善がりな使命感であったとも言えるだろう。自分には出来るという全能感と特別な存在への渇望。私は持ち合わせていないと思い込んでいた不可視領域、そこに確かに存在した無意識の願望。

 誰かの為になっていたとしても、正しいことであると思っていても、それは呪いと紙一重でしかない。

 葉久慈氏の語る理想が正しくも狂気を孕んでいたように。あの夢の世界はそれを問い続ける場所であるのかもしれない。

 私のそんな思索を聞いてあの少女は笑うだろうか。

 件の葉久慈氏は昏睡状態に陥り入院中と報道されていた。未だ夢の世界に囚われ続けているのだろうか。だが、何れは目を醒ます。そうでなくとも、誰かが、それはまるで人の宿痾であるかのように同じことをするのだろう。

 少女の言葉を信じるならば、夢の世界のソースコードは今のうちに何処かに隠され、より堅牢で強固に守られている。

 だが、夢の世界を消すとは言わなかった。いや、仮に存在を消去されたとしても同質の何かが共同体の中で形成されていくのかもしれない。

 事象は他者の観測によって確定される、ならばその起源も事象の中心である必要はないのではないか。

 麻木は言う。この動乱を善悪で判断出来るものだろうかと。誰しもが無意識の内に求めているものではないのだろうかと。

「無意識の振る舞いを誰かが測るようになるのでしょうか」

「いつかはそうかもね」

「人々が葉久慈氏に賛同すると?」

「だって、綺麗で理路整然としていて間違いのない世界って魅力的じゃない?」

「そのような形の世界が正しいということですか?」

「まぁ、あたしは別に好きじゃないかな」

 手は届かずとも侵されていく不可視領域。

 それが司法によるものか、誰かの物差しによるものか。ネットによって造り上げられた緩やかな共同体と、それによって成り立つ共通の価値観が夢の世界の事象の様に形成されていく。そんな風に思える。

 人が無意識を制御出来ないのは、救いだろうか。それとも呪いだろうか。

 あの夢の世界のように互いの無意識を明らかにする世界となった時、無意識を裁く正しさは誰を救うのだろうか。

 人は夢を見る。

 奇天烈で非論理的で突拍子もない夢を。

 現実の法則を無視し、在り得ない妄想を具現化し、時に誰かを傷付け、時に誰かを救い、呪いにも祈りになるそれを、望まざるとも人は紡ぐ。

 それをいつか制御できる時が来るのかもしれない。全てが正しく整然とした形になる時が来るのかもしれない。

 今この瞬間よりも正しく完璧に無意識を制御できる時が来るのかもしれない。

 もしくはより深く、夢の世界ですら欺くほど深い場所にその本心を隠すことになるのかもしれない。

 ただそれは今ではない。

 私達はまだ、今が現実か夢なのかも分からないでいる。

「でも、あたしは今の世界嫌いじゃないよ」

 そう笑う麻木と共に私達は慰霊碑を後にした。

 退院を許されて自宅へと戻る。その途中、新宿の画材屋に私達は寄った。

 今や珍しい対面販売型の店舗で何も分からず苦労しながら幾つかの画材を買った。麻木は何も言わずに嬉しそうにしていた。

 自宅に戻ると配送業者のターンテーブルが二台自宅の前で待っていた。運搬用に機能を拡張した両脇には伸縮する腕が付いておりは新品のベッドを軽々と抱えている。

 麻木が唖然として私の方を振り返る。

「新しいベッドを注文したのですが、勝手をしました」

 私はそう説明するも麻木は事情を呑み込めない様子で困惑していた。

 ターンテーブルが寝室から二つのベッドを運び出し、そのスペースに新しいベッドを設置する。ダブルベッドが綺麗に収まった。

 急に恥ずかしくなった。心臓を掴まれているような制御出来ない感覚が私の中で暴れていて、鼓動が激しくなって体温が上がる。喉が渇いて唇が痺れる。

 私は麻木の目を見ることが出来ず、視線を外して言う。

「ベッド、大きいのを買いました。その……、二人で一緒に寝ることが出来る大きさの物を」

 私には分からない。

 麻木の言うようにこの世界の不完全さを楽しむ心意気は持ち合わせていない。

 だが、この奇天烈で混沌とした感情は嫌いではなかった。





【夢巡・完】

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