夢巡

茶竹抹茶竹

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10章『The Hostility』

36話「祈りの境界」

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 人が誰しも抱えているものを私も同じく持っていた。麻木の言葉の意味を理解する。私もまた同じだったのだと。

「嗚呼、そうか。全部、私のか」

 私もまた同じだと、そう言いたいのか。私の深淵に眠るものは。

 私も麻木も誰もかも、みな同じだと、私もまたその範疇でしかないと。

 私も人であると。

 制服のリボンが気付かぬうちに胸元にあった。制御出来ない領域、誰もが持っている意識の深淵。私のこの姿もその顕現だ。

「私にその資格があるのか分かりません」

「みんな同じだよ」

 葉久慈氏が気配に気が付いて私の方へと振り返る。麻木が強く私の手を握った。

「古澄ちゃん、行こう」

 傍らの麻木の姿は気が付くと消えていた。

 リボンのついた制服も、この手の剣も、麻木の姿も、語る筈のない言葉も。

 全てそれは私の内にあったものだったのだ。

 葉久慈氏は剣を構えた私を見て嘲笑う。

「人の矛盾を認めて、それが人間性だと。君もそう謳うのか」

「人はその無意識を支配なんて出来ません」

「その選択は先人達と同じ轍を踏む。何度も繰り返してきた過ちを、私は変えてみせよう。真の清廉によってこそ正しい世界は形になる」

「人は、いえ。私達は無意識を支配なんてできません。それでも尚、正しく生きようとすることを選択していくだけです」

 私も同じだった。

 人の内面そのものを正すのは不可能で、ならばそれを求める権利など誰も持っていない。

 誰しもが己の無意識を制御出来ないことを認め、向き合っていくしかない。

「その矛盾と愚かしさは人であるが故の祈りだとでも」

「私達は信じていくしかないんです」

 終着点はまだ先で、途上の領域であがくしかないのだと。

 その綺麗言を振り払うように葉久慈氏から溢れ出した無数の刃が大きく踊る。その切っ先が私に向けて勢いよく飛んでくる。葉久慈氏は声を張り上げる。

「夢想家のようなことを言う!」

 きっとその言葉は正しい。存在する技術で為し得ることが可能ならば、それを否定し理想を語るのみは夢でしかない。

 だが。

「夢の中で夢を見て、それの何が悪いんですか!」

 私は怒鳴り返しながら勢いよく剣を振り下ろした。無数の刃をまとめて叩き切る。周囲の映像ごと引き裂いて葉久慈氏の刃が消し飛んだ。剣を振るった勢いで発生した衝撃波によって葉久慈氏の身体が吹き飛ぶ。

 だが、その身体は削れた側から再生していく。刃が現れて切っ先が私へと向く、死や負傷の概念を超越して、世界を巻き込んで、彼女の意識は誇大化し、何もかもを浸食し。物理的な事象を超越しながらその存在は私すら塗り潰そうとする。

 白く、白く、私を呑み込もうとする。その真っ白な世界の内で、私の深層から溢れ出すもの。

 私の足元から突如、飛び出した巨大な影。それは荒々しい龍の姿へと変容する。猛り吠えた顎と荒々しく鋭い牙が再生を続ける葉久磁氏の身体を勢いよく引きちぎる。

 振り下ろした剣が光の奔流となって、触れたそばから蒸発するように一瞬で消えていった。

 唐突に訪れた静寂。周囲の景色には切り傷と破損が残されており、これが現実世界ではなくデータによって表現された景色であると再認識する。

 床に伏していた少女が微かな呻き声とゆっくりと起き上がった。

 撃たれた身体から血は流れておらず、服に傷一つないが、少女から光の結晶が流れ出し空中に霧散していく。銃で撃たれた部分から身体が欠けていくようであった。動揺する私に向けて少女は笑みを浮かべた。

「私は平気。彼女を止めてくれてありがとう」

「夢から醒めただけだ、現実の彼女も止めないと」

「今は多重階層の夢の中だから、彼女は目覚めても何処までが夢か分からなくなる。彼女が手にした夢の世界のソースコードが偽物だと気が付くまでの間に、身を隠せるから」

「どこに隠すつもり?」

「それは秘密。君の為にも。全ての真実を知ることは必ずしも幸福とは限らないし、正しさが全ての人を救うとも限らない」

 少女が首を横に振る。今までよりも正確で聡明な言葉遣いであった。

 私は迷った末、質問を変える。

「聞きたいことがある」

「あまり時間がないけど、何の話をする?」

「何故こんな世界を作った。誰もが夢によって繋がる技術、人の無意識を表層化し干渉しあう世界。何の目的があったの?」

「人の心の深層に触れる方法を見つけた時、みんなが本心を隠して表層だけで触れ合っていることを知った。それが酷く息苦しそうだったから、みんなが互いの本心を確認できる場所を作りたかった」

「互いにそれを見せつけ合い共有する世界を実現させて、それが人の幸福になるとでも」

「人の心は誰にも制御できない。その無意識に触れることもみんな出来ない。でもいつか変わるかも。人が無意識を、その内面の全てを他者に見せる時代が来るのかも。その内に抱えるものが全て正しくなければならない日が来るかもしれない。その時、みんなはどうするのか見てみたかったし、確かめてみたかったんだ」

 まぁ、本当は私が寂しかっただけかも。少女はそう付け加えて笑った。その姿に一瞬、見た目とは不相応な憂いを帯びた表情が混じる。

 私の為ではないのか、という問いは伏せた。

 夢の世界では人の無意識が顕現する。彼らの暴走は電子神経によって誘導されたとしても、その原因は心の奥に本来持っていたものだった。

 互いの内面を明らかにしなければならない世界が訪れた時、それらは全て裁かれるべきものになるのだろうか。

 全てを白く塗り潰してしまうのだろうか。

 そんな世界を少女も、人々も望んでいるのだろうか。

「あたしは望んでいないよ。でもみんなは望んでいるかもしれない。表層の正しさや行いの正しさだけじゃなくて、その内面までもが全て正しくなければならない世界を」

 葉久慈氏が望んだのは誰もが正しく生きる世界であり、その為に彼女は人の無意識を支配しようとした。

 それは人の道理に反すると私は思った。だが、少女が言うように、いつか人は他者の内面にまで踏み込む時が来るのかもしれない。内面の在り方さえも審査される社会になるのかもしれない。

 人は無意識を支配できない、そして無意識は事象として表出し、人の表層へと影響する。

 だが、それを裁かれる世界が来るのかもしれない。

 葉久慈氏は言った。私と彼女の行為に線を引くことなど出来はしないと。

「覚えておいて。最初は誰だって祈りから始まっている。一線を越えない限り、君の行いを咎めたりしない。その先は知らないけれど」

 少女の姿はほぼ消えかかっていた。時間だと言う少女に私は疑問を口にする。

「この世界が多重構造であるなら、私も葉久慈氏と同じ事態に陥る可能性があるのでは。目を醒ました世界が現実かどうか判断出来るとは限らない」

「今、自分が見ているのは現実なのか確かめるためにはコツがあるんだよ」

「どんな?」

「それは教えない。自分で気がつけるかが大事だから。その行いに境界線を引くためにも、無意識に問いかけて抗い続けなくてはならない」

 気障な口調で少女はそう言って笑った。視界の全てが白く染まっていく。少女の輪郭も夢と現実の境界も見失ってしまうほどに。

「みんな同じ、いつだって矛盾を抱えてる」
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