夢巡

茶竹抹茶竹

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9章『The Collapse』

30話「或る中心」

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 夢の世界と意識が接続する。

 夜の景色が目に映る。現実世界では今は日中だ、普段見る光景とは真逆であった。

 新宿駅前は、いつもより人の数こそ少ないものの、その喧騒は決して衰えていなかった。

 馬鹿騒ぎして踊る集団が道の真ん中を占拠し手持ち花火が飛び交う。光線のような照明が雲のない夜空を裂き無数の色彩が景色に滲んでいた。拍のずれた陽気な音楽が鳴り響き狂乱した男女が痴戯を繰り広げる。

 夜の風景は人をより開放的にするらしい。私は目を背け、騒動を避けるようにして進みながら葉久慈氏の姿を探す。

 一際大きな轟音、空に打ち上げ花火が上がり雷鳴を呼び起こす。

 空はあっという間に曇天へと変わる。薄汚れた綿のような分厚い雲が空を黒く染める。雲の合間からは雷光が覗き、突然地表へと落ちた。轟音を合図に激しい雨が突然降り出す。落雷は続く。その奇妙な点に私は気が付いた。

 連続発生した雷光はたえず同じ場所に落ちている。何らかの意図を感じる特異な自然現象。

 悪夢だ。

 雷の落ちている場所は、当初葉久磁氏や音津氏との合流地点として候補にあった区立公園だ。

 公園から人の気配は消えており、雷が落ちる度に周囲の空気が震える。公園の中央にあったのは磔にあった男。雷は彼目掛けて落ちている。髪も服も焦げ肌は煤けているが数度の落雷が直撃しても絶命する様子はない。もがき苦しんでいるが夢から醒める様子もない。

 これが彼の悪夢のようだ。

 気付くと、私の横に少女がいた。

 その横顔に私はやはり覚えがある気がした。思い出せない封じ込めた記憶の中、少女と会った覚えがある。少女は突然視線を別の方向へと向けて呟く。

「なんか変」

 街全体から昂った喧噪が響いている。人の叫び声が幾つも重なっているが、悲鳴とは違う勝鬨のような声の波。それはもはや地鳴りと呼んで差し支えない程のものに増大していく。

 喧騒を割って一際大きな奇声があがった。それに呼応して人々の雄叫びが続く、まるで獣の群れのようだ。

 今まで街中で騒いでいた彼等は何かに急かされたような必死の形相で私達の方へと向かって走ってきている。足よりも先に手が前に出て何かに掴みかかろうとしている不格好な走り方だった。

「みんなおかしな夢を見てる」

 ゾンビ映画さながらの光景。気を違えた人々が一斉に押し寄せてくる様子に、私はリュックから取り出した短機関銃を構える。彼等の多すぎる数に装弾数を気にかける。

 これだけの数の人間が常軌を逸脱している。悪夢が連鎖した可能性が高い。

「止めなくちゃ」

 少女はその言葉と共に今までよりも遥かに鋭く薄い刃のような水を撃ち出す。

 それは難なく人の身体を引きちぎった。切り裂かれた身体が勢いよく宙で踊る。肉体が千切れて血が噴き出す。だが、その悲惨な光景を前にしても人の群れは勢いを止めない。少女の刃によって次々と切り裂かれていってもその群れは躊躇うことなく私達の方へと向かってくる。刃に切り裂かれ転がった死体の肉片を踏みつぶし、脇目も振らず。私達は完全に包囲されつつあった。

 私が引き金に指をかけると少女が言った。

「この人たちは無理矢理起こすの?」

「状況が状況だ」

「あたしは悪夢をぜんぶ止める。おねえさんみたいに、えこひいきはしないよ」

「これだけの数を相手に対話を持ちかけるのは不可能だ。強引に夢から醒ますほかない」

 引き金を引く。少女の水の刃を避けて突っ込んでくる先陣を撃ちぬいた。崩れ落ちたその身体は後続の人の群れに踏み潰されていく。そのことを気にも留めない。ただ彼らはこちらへと迫ってくるばかりだ。手を伸ばし爪を立て顔を引きつらせて。

 一方で撃たれた人々が地面から起き上がり始めていた。負傷した箇所を気にも留めず、痛みを忘却した様子で再び向かってくる。心臓を確実に撃ち抜いても仰け反るばかりで絶命しない。頭か心臓を撃ち抜いて倒れた人々も徐々に起き上がり始めていた。夢から醒める様子はない。再び私達へ向けて襲い掛かってくる。

 夢の中での衝撃によって覚醒を促す、その前提を覆すような彼ら。ゾンビ映画さながらの悪夢であるが、彼らが己を死を知らぬ亡者であると思い込んでいるというのだろうか。だとすれば、どう止めれば良い。

「まさか本当に死の概念を超越したとでも」

「この人達、空っぽだよ」

 私の思考を遮って少女が私の袖を引いた。何か気が付いた様子であった。

 空っぽという言葉の意味を考える。

 撃たれても死なない、目覚めることのない人々。痛みも負傷も死も知らない姿に私は合点がいく。彼らが集まってきている目的は私達ではない。

「事象の原因は絶えず中心に存在する」

 私は振り返り磔の男へと銃口を向けた。

 襲い来る彼らは悪夢を見ているのではなく、磔の男が見ている悪夢によって事象化された悪夢そのものなのだ。

 彼らの存在こそが磔の男が生み出した悪夢の光景。落雷と狂った人々のどちらもが磔の男に起因している。彼を覚醒させる、私はそう決断し引き金にかけた指に力を込める。

「やめてくれ。これは俺の償いなんだ」

 彼の口から漏れたのは懇願だった。雷鳴轟く中、僅かな空白の中で聞こえた彼の言葉。今にも泣きだしそうな表情を浮かべ悲嘆に沈んでいくような。磔のまま必死に訴える彼の姿に困惑する。

「何を言っているのですか」

「俺は此処で裁かれなければならない。罰を受けなければならない」

「私達が巻き込まれる理由はありません。それにこれがあなたを救う助けになるとはとても思えない」

「これで救われると頭の中であいつが言うんだ」

「頭の中?」

 その言葉に引っ掛かりを覚えたが時間はない、手早く彼の胸元を撃ち抜く。身体を激しく痙攣させ仰け反らせ血飛沫が噴き出す。その顔からは生気が消え、その身体は跡形もなく消滅していく。

 しかし、周囲の暴徒は消えなかった。

 暴走した事象の残滓がそのまま存在し続けている。彼らは残り火のようなものだ。じきに消える筈だがその時間を稼ぐのが難しい程に処理が追い付かなかった。目の前に迫った手を躱し、その頭を撃ち抜く。

「彼らは悪夢を見ている人じゃない、事象として止めるしかないがこれ以上は無理だ。夢から醒めるしかない。私は一人でも覚醒出来る。まずは君の目を醒まさせる」

「私は夢から離れられないから」

「どういう意味?」

「でも。逃げるのは賛成」

「また、世界の裏側に逃げ込むつもり?」
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