夢巡

茶竹抹茶竹

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8章『The Girl』

28話「記憶の蓋をこじ開けて」

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 揺り起こされた感覚で唐突に目が醒めた。明晰夢を利用して夢の中で自発的に覚醒するのとは違う。誰かに無理矢理覚醒させられた感覚があった。

 麻木が現実世界から起こした可能性があるが、それは緊急時の手段だ。私からの要請なしに取る行動とは思えない。

 ベッドの上で身を起こす。私より先に起きていた麻木と目が合う。

「古澄ちゃん、おはよう」

 声が少し上擦っていた。夢の内容に気後れを覚えているのだろうか。

 気がかりなことがあり私は麻木に問う。

「現実世界から、私のことを起こしました?」

「え……、ううん?」

 あの覚醒の仕方は明らかに外部刺激だった。私自身の意思ではなく、誰かに揺さぶり起こされたものだ。私達を狙った閃光榴弾から庇う形で覚醒させられたと私は考える。

 少女の口から夢の世界の管理者であるという証言が出た以上、疑うべきは彼女だ。

 私の明晰夢よりも直接的な形、死や衝撃といったものなしで他者を覚醒させることが可能であるかのかもしれない。

 夢の間際に聞こえた葉久慈氏の疑わしい言葉も気にかかるが、解せない点は他にもある。

 私の夢に関して言及した少女の意味深な言葉。

 私が夢を見ることが出来ないのを知っているのは一部の人間のみ、麻木を除けば担当の医師と電子神経技師だけだ。電子神経導入の年齢制限とその理由こそ広く知られてはいるが、それが私であることや無意識の喪失によって夢を見なくなったことは誰にも明かされていない。

 いや。

 そこで私の思考はふと止まる。頭の奥の方で何かがつっかえたような奇妙な感覚。何か思い出すべきことがある。その記憶を呼び起こそうとするも、記憶の置かれた場所には重たい蓋が被さっている。そこに存在していると分かっているのに思い起こすことが出来ないもどかしい感覚を私は初めて知った。

 埋めた記憶の詳細は思い出せないが、何の記憶を埋めたかは覚えている。

 その記憶と少女の言葉とを結びつけるのはあまりにも都合が良すぎる。しかし、確かめる必要もあった。

 私が麻木に呼びかけると緊張した面持ちで小さく頷く。

「何、古澄ちゃん?」

「私は出かけてきます。少女の身元に心当たりがありますので。それと麻木が昨晩見た悪夢は、第三者によって意図的に引き起こされた可能性はありますか」

「それは」

 麻木は私の問いに一瞬渋い表情を作った。

「……違和感はあったよ」

「解析出来ますか。バックグラウンドで何かを仕込まれた可能性があります。麻木が悪夢に巻き込まれたのは不運でしたが事態解明の手がかりになります」

 私の期待に反して麻木は固い表情のままだった。その意図を計りかねていると麻木に詰問される。

「ねぇ、古澄ちゃんはさ。あたしの悪夢を見て何か思わなかったの」

「何か、とは?」

「あたしの内面を見たでしょ」

「それは勿論」

「じゃあ何か思ったりしないの」

 麻木が私の前までやってきて、膝をついてベッドに乗り込んでくる。思いつめたような表情と雰囲気に気圧される。麻木が俯くとその長い髪がシーツの上に垂れて、か細く掠れた声が零れだす。

「あたしね、夢を見るのが怖くなったの。夢の世界で古澄ちゃんと会うのが怖かった」

「それは」

「あたしの無意識、あたしの内面、あたしが思ってること。古澄ちゃんが見たのが、あたしの抱えてる秘密の全部。知られたくない本当の気持ち。古澄ちゃんのことが好きになってから、自分の物にしたいって気持ちが抑えられなくなって、夢の中で抑えられなくなったらどうしようって」

 麻木がこんなにも必死で言葉を探し連ねる姿を私は初めて見た。麻木の手が私に縋るかのように伸びてきて、けれど届く前に何かを思巡した様子で、その手は止まる。

「だから古澄ちゃんとは一緒に夢に潜らないようにしてた。あの世界の仕組みを知って気持ちを隠す方法だって知りたかった、世界を作ったやつに文句だって言いたかった。あたしの気持ちを勝手に形にするなって」

「夢の中で麻木の無意識に触れはしました、ですが私達の関係が変わるわけでは……」

「その方がおかしいじゃん! 好きって言われて何も感じないの!? 嫌だとか怖いとか嬉しいとか、なんでもいいよ! 何も感じなかったの!?」

 組み伏せられんばかりの勢いで麻木は私に迫り大声を吐き出す。その勢いに私は困惑しながらも正直な言葉を選ぶ。

「麻木のことを嫌っているわけではないです、好いてもいます。ですが私には分かりません。普通の感覚を持っていたら分かることなのでしょうか」

「聞きたいのはそういうことじゃない」

 麻木は重たく言った。言葉に応えられないまま静寂が訪れる。会話はそこで途絶えたまま、麻木は部屋を出ていった。

 一瞬、意図せず言葉が詰まって麻木を引き留めることが出来なかった。

 部屋の中で一人、私は記憶を辿る。麻木と出会ってからの記憶全てをかき集める。

 いつからか、どうしてか。麻木は私のことを好きだという。

 言葉の意味は理解できる。その裏にどれほどの感情を抱えているのかも察することが出来る。

 夢の中で触れた麻木の悪夢が嘘偽りない彼女の本心であると知っている。正直驚きはした、けれど不快ではないと思った。麻木の放った、好きというその感情が只の親愛の意味でないことは私にもよく分かる。無数の物語の中で語られ尽くしたその感情、無数の物語の中でしか知らないその感情を向けられて、それで。

 私は何を感じればよいのだろうか。

 身体の中で小さな針が転がっていくような、痺れるような痛み。息苦しさを伴う焦燥の様な感情。初めて感じたこの感情が如何様な名前を持っているのか、私には分からない。

 これが言葉や文字や映像でしか知らない、恋慕を向けられた時の感情だというのだろうか。制御出来ない無意識の領域、新たに知覚したその場所の存在に私は恐れすら感じた。

 長い時間を共にしてきた麻木の事を嫌いなわけではない。その才能に妬いたことがあっても好いているのは間違いない。

 では、私の抱えた痛みのような感情が麻木の持っているものと同じ好きという感情なのだろうか。私以外の人々はとっくに知っているものなのだろうか。

 何も分からない。誰に届くわけでもないそんな独り言を吐き出して、私は気持ちを切り替える。

 今は、出来ることをすべきだ。

 向かうのは東京脳神経外科病院。電子神経が病院までの経路を算出し無人送迎車を呼ぶ。

 車窓から見える高層ビルの立ち並ぶ街並みを視界の隅に置き、古い記憶を掘り起こす。夢の世界のあの少女。私の素性を知っているかのような口ぶりで言ったあの言葉。

 一人だけ心当たりがあった。私が封印した記憶の中に、あの少女はいる。

 電子神経導入後の長期の入院生活の中で、私は電子神経を自分の身体の一部として扱えるほど適応し、日常生活が送れる程度には順調に回復した。

 その入院生活の中、出会った少女がいる。
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