夢巡

茶竹抹茶竹

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3章『The Gun』

7話「奇跡を仕組む」

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 私は葉久慈氏に一つ依頼をした。

 現実世界で、この喫茶店の指定した席に座らせる。座席の裏には私が貼っておいたステッカーが存在し、それを確認させる。

 奇妙で特異な経験は強烈な記憶として彼女の脳に記録される。強烈な記憶は夢として再現が行われやすい。

 この喫茶店での体験と記憶を元に、睡眠中の脳は無意識で夢を描き出す。その光景は電子神経を介してネット上の夢の世界に集約される。

 その結果、彼女の無意識はこの場所に固定され、この場所の夢を見る。

 記憶の再現によって彼女の無意識は、この喫茶店へと引き寄せられると言ってもいい。夢の方向性を誘導したのだ。

 あとは夢の中で自由に振る舞える私がこの場所に迎えに来ればいい。

 私はそう説明をする。

「夢の世界の何処にいる可能性が高いのか、それが分かれば意図的に接触することが可能であり、護衛も可能です」

「であれば、私を狙った襲撃の可能性を肯定することになるのでは?」

「不可能ではありません。しかし夢の中で自由に意図的に振舞うのは難しい。夢とは不確実で、見ている本人であっても簡単に制御出来るものではないのです」

 この喫茶店の外観も内装も精密に再現されている。その根底にあるのは人々の見ている夢、そして記憶だ。

 だが、その精密で現実性のある光景にも非現実的な要素が混じる。

 人々が気付いていないだけでそこら中に奇妙な事象は転がっている。

 隣の席のテーブルにはナイフが幾つも並び何れもねじ曲がって螺旋状になっている。店内で焙煎された珈琲豆は虹色に光っている。入口近くに陣取った客はテーブルからはみ出しかねない程の大きさの珈琲カップに頭から突っ込んでいる。先ほど目撃した鶏卵からはヒヨコの群れが孵り喫茶店の店内に進入する。私達の席に注文を取りに来た店員は頭に猫を乗せているが気付く様子もない。その猫はヒヨコの群れを見つけて飛び出していった。

「人が時に夢に悩み苦しむのは、それが思い通りになるようなものではないからです。奇妙で不可思議な光景を前にしても人は夢を制御出来ません。夢の中で歯がゆい思いをした経験が一度や二度はある筈です」

「あなたは違うと?」

「私は夢を見ません。睡眠中においても意識を手放すことがないのです」

「夢を見ない?」

「この場にいる私という存在、思考、言葉、行動、それらに伴って引き起こされる事象の全て。これは夢であっても私の無意識が記憶の再現によって生み出した結果ではありません。私が想像した結果です。私は夢を制御している。正確に言うならば睡眠中であっても意識を保ち続け、生み出した想像と結果を夢としているわけです」

 この仮想世界において全ての事象は夢によって構築される。

 であるならば。夢の中で今が夢であると認識することが出来たならば、夢の中で強固な意志と想像力を保つことが出来たならば

 夢を見ることで仮想世界において自由な結果を出力できる。

「夢の中で自由に振る舞うこの技術を、私は明晰夢と呼んでいます」

 明晰夢とは本来、夢の中で今が夢だと気付き認識した状態のことを指す。

 私の持っている明晰夢という技術は見ている夢を支配、ひいては自らの無意識を制御するというものだ。

「つまり、夢の世界でどのような奇跡でも起こせるわけだな?」

「もちろん制限はありますが」

 注文した珈琲が運ばれてきて、私は一度言葉を止めた。

 カップもその中身も現実世界のそれと差はない。

 精密に再現された記憶だ。淹れた店主の記憶が確かなのだろう。店主が見ている夢の状況によっては、およそ人の飲み物ではない物が運ばれてきてもおかしくはない。店主が喫茶店の夢を見ていなければ、珈琲すら生まれてこない可能性もある。

 私は珈琲と共に運ばれてきたティースプーンを手に取った。それはまともに使えないくらいに捻じ曲がり折れている。

 人の無意識によって作られる夢の世界が、それでもある程度の秩序を保っているのは、人は無意識に現実的な光景を求めて景色を修正しようとするからだ。そういった揺らぎのような中で夢は作られる。このねじ曲がったスプーンのように、現実的に起こり得る事象の範疇の中で、現実ならば奇妙に映る光景が夢では容易に起こり得る。

 私の夢によって引き起こすことが可能なのはその境界線までだ。

 私は手の上でティースプーンを転がす。道具なしには曲げるのも難しいであろうスプーンは、まるで知恵の輪のように複雑な形状になり、機能を喪失した金属の塊となっている。

 私には元に戻せそうもない。私の夢はおよそ起こりない光景を否定する。私が突然常人離れした握力を発揮することは出来ない。

「私には、昨日のような巨大竜巻を発生させることが出来ません。人は夢の中で自由に振る舞えないが故に、時に現実に起こり得ないような光景、つまり悪夢を見ます。私は夢の中で自由に振る舞うことが出来るからこそ、現実を超越することが出来ません。現実世界で実現可能な事象を夢の中で正確に実行できるというのが私の明晰夢です」

 私の説明を聞いていた葉久慈氏が言う。

「夢は意図した通りにはならない。そう出来る人間がいたとしてもその存在は稀有。しかも悪夢は意図していない形で引き起こされる非現実的な光景だからこそ悪夢となり得る。悪夢を見ることが出来ても他者を意図的に巻き込むことはできない。つまり、そういうことだな?」

「そうです。電子神経があっても夢の本質は変わっていません。望んだ夢を意図的に、ましてや他人を巻き込むために悪夢を見るのは困難です」

「悪夢とはそこまで難しいものか?」

「悪夢を見ている人々は皆、錯乱状態に陥っています。人は夢を支配出来ません、悪夢であれば尚のこと。的確に狙って発生させることが出来るようなものではありません」

「仮に今この瞬間、この場所で、悪夢に巻き込まれたとしても?」
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