二度目の人生は魔王の嫁

七海あとり

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決裂

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「この鎖に繋がれている限り、僕は自由に動き回れない。貴方が王妃の元に通われる日々を、飼い猫のようにこの部屋で待ち続けるなんて到底僕には考えられない。ギルが妃を迎えるのは仕方ない事だと思うよ。妃との間に子を生す事も。...僕だって分かってはいるんだ。頭では分かっているのに、別の生き物のように感情が伴わない。存外僕も嫉妬深い人間のようだ」

 王命である限り側室になる事は免れない。それこそクロエの言ったように、籠の外に飛び立たない限り。ーー外の世界に発つ勇気は、カルミアには未だになかった。

「...側室になる事は受け入れる。でも僕にも温情が欲しい。せめて王妃よりも長くギルを独占していたい。ギルに会いに行くにはこの鎖が邪魔なんだよ」
 
 この鎖を外さないと、重たい鉄の塊を抜けられない。深い黄金色の輝きを放つ真鍮製の取っ手に手を伸ばしても、この鎖が邪魔をする。取っ手にすら触れる事が出来ない。ギルバートの元に足を運ぶためには、鎖を解く必要があった。

「...魔族のくせに」

それだけ呟き、ギルバートは声を押し殺して笑った。ギルバートにしては下卑た笑い方だ。伸びた前髪から覗く瞳は、氷のように冷たい。

「...ギル?」
 
ギルバートの突然の変化に、カルミアは胸のあたりがざわざわとした。不穏な空気が漂っている。まるでヨハンと密会を重ねているのが気付かれた時のような。
ギルバートはピタリと笑うのを止めた。次の瞬間、鼓膜を突き破る程の大きな声が響いた。

「外すわけないだろ!!!!」

空気がびりびりと揺れる。突然の怒鳴り声に、カルミアは肩を揺した。蜂蜜を垂らしたような瞳は、怯えでゆらゆら揺れている。
肩で息をしているギルバートは狂った獣のようだった。ギルバートはカルミアの肩を押し、ベッドの上に倒した。柔らかい毛布の感触がカルミアの背中を包む。

「っ」
「カルミアは知らないだろうな。俺がどれだけ君を愛しているか!カルミアが傍に居ないと、魂が裂かれたみたいになって、その白金の髪を撫でていないと俺は眠る事すらままならない。一目でもカルミアの姿を見た人間はズタズタにして殺してしまいたくなる!!足の腱を切り裂いて、永遠に部屋に閉じ込めてしまいたい!!」

カルミアは言葉を失った。ギルバートの愛があまりにも狂気に満ちていたから。ーーそしてギルバートが不安定な子供のように見えたから。
今にも泣き出しそうな双眼がカルミアを見下ろした。  

「この足枷を外したら、俺の手の届かない場所に行くんだろう!?ヨハンの時のように、俺の知らない場所で誰かと言葉を交わすんだろ!?」
「い、行かない。誰とも喋らないと約束する」
「...そんなの信じられるかよ」

ギルバートは黙らせるように、カルミアの口を強引に塞いだ。声変わりを過ぎたにしては高い少年のくぐもった声が漏れる。
ーーギルバートとキスをしたのはいつぶりだろう。
ギルバートと何度も体を重ねたせいで、彼の髪の先から足先まで覚えているこの体は勝手に幸福感に溢れていく。ねだるようにギルバートの服を掴んで、カルミアはハッとした。慌てて真っ赤な顔を背ける。

「駄目だ、ギル!!王女様がいるのに、僕にうつつを抜かしている場合なのかよ!ここに来ていると悟られたら、周りが煩いんだろ!!」

 ギルバートが動きがピタリと止む。
カルミアの肩に乗せていたギルバートの手に力が籠る。ギリギリと骨が軋み、
カルミアは痛みで顔を歪ませた。

「クロエに何を吹き込まれた?大人しく囲まれていた君が、突然そんな事を言うはずがない。おおよそ外に出る算段でも持ちかけられたか?」
「違う!!クロエは関係ない!!僕が勝手に考えたんだ!この部屋でギルを待ち続ける時間があまりにも辛かったから!」

その言葉に偽りはなかった。しかし我を失っているギルバートの耳には届かない。

「庇っても無駄だ。あいつは俺からカルミアを離したがっていたからな。あいつ以外誰がいるって言うんだよ。………明日から、クロエをカルミアの侍女から解任させる。代わりの者を用意しよう」
「ギルバート!!お願いだから、話を聞いてくれ!!!」

 カルミアの顔色が真っ青になる。まさかギルバートがここまで憤怒すると思ってなかった。甘かった。せいぜい強引に体の奥を暴かれるくらいだろうと思っていた。
ーー何故ギルバートはここまで怯えているのだろう。

 カルミアの心はギルバートに向いている。王女に取られたくないと思うくらいに、愛しているという自覚もある。
他人と目を合わせて、少し言葉を交わしたくらいで、ギルバートへの愛を無くす事なんてないのに。

(なんて自分は浅はかなんだろう。ただクロエに罪を被せたくなかっただけなのに。僕はギル自ら、この足枷を外させたかったんだ)

クロエの姿が陽炎のように、瞳の奥で揺れる。限界まで開かれた瞳に、透明の雫が溜まる。それはきらきらと輝きを纏って頬に伝った。今日何度目の涙だろう。
ギルバートは白い頬を濡らした涙を、指で拭った。怒りに支配されていた顔が、少し和らぐ。

「……クロエが妬ましいな。ここまでカルミアに想われて」
「ギルの事だって大切に思ってるよ!クロエと同じくらい。いや、それ以上に!!」
「……どうかな」
「何でだよ!!どうして信じてくれないんだよ!!」

カルミアは声を荒げた。普段のカルミアからは想像もつかないような声量だ。
ーー男娼時代、マナーや礼儀作法、立ち振る舞いを徹底的に叩き込まれた。特に厳しく教わったのは、話し方だった。
貴族は娼館には通わない、というのがこの国の常識だが、それはあくまで常識に過ぎない。カルミアの過ごした娼館にも、多くの貴族が通っていた。娯楽を求める者、性に奔放な者、まだ妾を迎えていない者。理由は様々だった。
貴族は通常の金額以上の財を絞り取れる客でもあり、館の主は何としてでも集めたい収益だった。
カルミアはいわば貴族向けの商品だった。無礼がないように。卑俗な振る舞いで、彼らの情慾が削がれないように。
厳しい指導の甲斐もあって、骨の髄まで染み付いたがそれが、ギルバートによって簡単に剥ぎ取られていく。

「……ふっ。う。ギルなんて、嫌いだ」

何よりもギルバートが自分の気持ちを疑っている事がカルミアは悲しかった。  

 次々と溢れる涙。小さな子供のように泣きじゃくるカルミアにギルバートは優しい眼差しを向けた。その目の奥には狂気が見え隠れしている。
大切な宝物を扱うかのごとく、カルミアの髪をゆっくりと撫でる。

「カルミアにいくら嫌われてもいい。でもカルミアがどんなに俺を嫌っても、君を手放すなんて絶対にない。君への愛を無くす事もね。婚礼式を迎えるまでの間は、以前のように頻繁に顔を出せないが、なるべくこうやって機会を見計らって会いに来る。カルミアが寂しくならないように」
「そうじゃない。そうじゃないよ、ギルバート。僕はただ……」

 言いかけた言葉をカルミアは飲み込んだ。ーー何を言ったって、どうせ彼の心には響かない。真っ暗な谷底に落ちたような気分だった。カルミアの瞳に宿っていた光が、一瞬にして消え去る。
そんなカルミアの心中を気にも留めず、ギルバートはカルミアの首元に顔を埋め、鬱血の痕を残した。くすぐったい感覚が、甘い疼きに変わる。

「っ今日は帰らないと駄目だろ」

カルミアは自分が出せる精一杯の力で、ギルバートの肩を押し返した。 しかしギルバートはびくりともしない。 
それからギルバートはカルミアの服に手を伸ばした。セーラーブラウスが捲られ、白い肌が露わになる。ギルバートはそこに手を忍ばせた。愛撫するように腹から胸に指が伝い、胸の飾りに触れる。

「っひっう」

目の前がちかちかとした。久しぶりの刺激だからだろうか。全身に媚薬を塗りたくっているように、快楽に支配される。カルミア自身も緩やかに立ち始めている。
おそらくギルバートはカルミアを組み敷こうとしている。そしてカルミアに教え込もうとしているのだ。カルミアの欲求を満たせるのは自分だけだという事を。

(嫌だ!!流されて堪るものか)

漆黒のドレスシャツから覗くギルバートの首元に、カルミアは噛みついた。カルミアが出来る唯一の抵抗だった。
舌上に鉄の味が広がる。頭上で声にならない声が聞こえた。
ギルバートは首元を押さえながら、ぎこちない笑みを浮かべた。

「...キスマークにしては随分と大胆だね」
「キスマークじゃない。さっさと僕の上から退いて。.今日はそんな気分じゃない」

 カルミアは顔を赤らめ、肩で息をしている。瞳は潤み、鮮血が滲んでいる唇は物欲しそうに艶めいていた。誘っているようにしか見えない。気分でない、というのは大嘘だろう。まるで説得力がないカルミアがギルバートは可愛くて仕方なかった。今すぐにでも熱い体内を、欲望のままに貪りつくしたい。体の底から湧きあがる衝動をギルバートは必死に押さえ込んだ。ーーあと少し。あと少しでカルミアの体も心も、俺の物になるんだから。

ギルバートは苦しそうな表情を浮かべて、情欲が淹れ混じった熱っぽい息を吐いた。カルミアの肩から手を退けたギルバートは、倒れ込むようにカルミアの隣に横たわる。ベッドがギシリと軋み、柔らかいマットが大きく沈んだ。
拘束が解けたカルミアはギルバートに背を向けた。話したくない。小さな背中はそう語っているようだった。

「...帰って」
「カルミアが寝たら帰るよ」
「知っての通り、僕は不眠症なんだよ。寝るのは朝方だろうね」
「じゃあそれまでここに居る」

ギルバートはカルミアを後ろから抱きしめた。ふわりとギルバートの香りが鼻を霞めて、頭がぼんやりとする。固い胸板の感触が背中に走る。シーツとは比べ物にならない程、温かい。うなじにかかる息がくすぐったくて、思わず身をよじる。するとギルバートは逃がさないとばかりに、カルミアの体を引き寄せた。

「...怒られても知らないよ」
「その時はその時だ」

ギルバートは頑固だから、一度言い出したことを曲げない。カルミアは小さく溜息をついて、赤く腫れた瞼を閉じた。視界が暗闇に包まれる。暫くして、徐々に意識が微睡み始めた。
目まぐるしく感情が変化したからだろうか。寝る前にホットミルクを飲んだからだろうか。ギルバートに抱きしめられているからだろうか。
普段よりも随分と早く、カルミアは意識を暗闇底に沈めた。
ーーその日、久しぶりに前世の夢を見た。
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