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監禁

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***
 
「カルミア様、起きてください。朝ですよ」
 
カーテンが開く音がする。暗闇に覆われていた部屋に、柔らかな陽光が差し込む。
暗がりを照らす突然の光に、視界が真っ白に遮られる。眼底に痛みが生じるほど、眩しい。 カルミアは肌触りのいいシーツの上で小さく身動ぎ、ふかふかの布団を頭まですっぽり被った。
 
「…眩しい。カーテン閉めて」
「閉めません。閉めたらまたお眠りになられるでしょう?」
「だって眠いし」
「誰しも朝は眠いものです。起きて下さい、カルミア様。ギルバート様がもうすぐでいらっしゃいますよ。そのような隙だらけの姿をお見せになる気ですか?また襲われますよ」
 「…襲われる」
 
先日の光景がフラッシュバックする。
 
ランタンの暖かな明かりが灯る、就寝間際の部屋の中。膝まですっぽり収まるシャツ姿で、ベッドの上で寛ぎながら本を読んでいたカルミアは、誰にも邪魔されない一人の時間を堪能していた。ギルバートもクロエもいないこの時間は、世界から音が去ったかのように静かだ。紅茶を啜り、眠りに落ちるまで本を読む。プライベートの欠片もない日々の中で、この時間だけが唯一の癒しの時間だった。
 
『――カルミアー!』
 
しかし酒に酔ったギルバートが上機嫌で部屋に入ってきた事によって、安らぎの空間はガラガラと音を立てて崩れる。

(部屋に入る時はノックくらいしろよ。そもそも部屋に来る時は、クロエに一報しろとあれほど言ってるのに。この男は王太子という自覚がないのだろうか。現国王に口煩く言われるのは僕なんだぞ)
 
『何』
 
見向きもせず、冷たく突き放したように返事をする。早く部屋に帰れ、というオーラを全開だが、アルコールの匂いを体中に纏った鈍感な男は気にも留めない。
 
『急にカルミアに会いたくなった。寝るまで話をしよう』
『…せがまれても、今日はしないよ。昨日は一睡も出来なかったせいで、あんまり体調が優れないんだよ』
『カルミア。俺は別にしたくてここに来たわけじゃないよ。万年発情期でもあるまいし。ただお前の顔が一目見たくて…』
 
ギルバートはそう言いかけて止めた。何かがボトリと落ちる音と共に、ゴクリと生唾を飲む音が聞こえる。
 
『…ギル?』
 
急に静かになったギルバートを怪訝に思って顔を向ける。そこには石像のように固まっているギルバートがいた。彼の足元にはカルミアの大好物のチョコレートクッキーの袋が転がっている。彼の視線の先には、白シャツから覗くカルミアの細い足があった。
 
『…ギル?どうした?…て、うわ!』
 
彼はつかつかと無言で歩み寄って、ベッドで寛いでいるカルミアを押し倒した。抗議の声を上げようとする間もなく口を塞がれ、抵抗しようとする両手を押さえられる。何度も角度を変え、啄まれるようなキスに頭がくらくらする。
 
(やっぱり万年発情期男じゃんかよ!)
 
足をバタバタとさせて抵抗すると、唇をペロリと舐められた。背筋がぞわぞわして、体中の力が抜けていく。
人形のように大人しくなったカルミアの口内を、ギルバートの舌が蹂躙した。
酸欠で意識が飛びそうになると、やっと唇が離れる。
 
『何、するん、だよ。今日はしないって…』
 
肩で息をしながら、カルミアはジロリとギルバートを睨み付ける。髪に情熱的な赤を宿した長身の青年は、飢えた獣のようなギラギラとした眼差しで、カルミアを見下ろした。
 
『やっぱりする。気が変わった』
 
――その翌朝、カルミアは腰痛でベッドから出られなかった。
 
「……それは嫌だ」
「でしょう?それが嫌なら早く起きてくださいませ。身支度を整えて、朝食に致しましょう」
 
 もぞもぞと布団から顔を出す。
何度か瞬きを繰り返すと、徐々像が結ばれる。白々とした光の中には、ロング丈のメイド服を身に纏った細身の女中がいた。冷たさを感じさせる程整った顔立ちは、仮面のような無表情が張り付いている。後ろで一つに結わえた濃褐色の長い髪。鴉の濡れ場のような睫に覆われた黒真珠の瞳。
黒に近い色素をもつ彼女は、魔族と人間の愛の子だった。
彼女はクロエ・エーデルワイス。三年間傍に仕えている、僕の世話役だ。そして姉代わりでもある。
 
 気だるげに上体を起こすと、クロエは僅かに微笑んだ。
 
「…おはよう。クロエ」
「おはようございます、カルミア様。お加減は如何ですか?昨晩はごゆっくりお休みになられましたか?」
「まぁまぁかな。あんまり眠れなかったけど、少なくとも体は楽だよ。昨晩はギルが来なかったから」
 
寝不足で体はだるいが、腰は痛くない。
長年不眠に悩まされているカルミアの体は、体の調子が芳しくない日々が続いていた。睡眠は人の資本。長年満足な睡眠を摂れていないこの体に、不具合が出るのも仕方がない。
手足に重りがついているように体は重い。思考が遮られているようにぼんやりとして、疲れやすい。それに加えて腰痛なんてものもあったら、布団の中で一日を終える事になる。生活の質なんてあったものじゃない。
 
(…少しは僕の体の事を考えろよな、馬鹿)
 
シャツに隠れてない白い柔肌には、鬱血した小さな花が散らばっている。
カルミアは不思議で仕方なかった。
ギルバートは死にかけのカルミアを拾ってくれた命の恩人だ。それは素直に感謝している。ギルバートがいなかったら、カルミアは死んでいただろう。
しかしその後のカルミアの処遇はどうだろう。使用人にするでもなく、見たこともないような豪華な部屋を与えて、閉じ込め続けている。この部屋にふらっと現れては、体を重ねて。
ギルバートとの関係は、さながら相瀬を重ねている貴族の主人と娼婦のようだ。
 
(ギルバートにとって、僕はなんなのだろう)
 
 ペット?玩具?それとも――。
 
「――カルミア様。お着替えいたしましょう」
 
ぼんやりとしていると、クロエがフリルが存分にあしらわれたブラウスを広げて、金色の装飾が施された椅子の前で待ち構えていた。椅子の先には、人の背よりも遥かに大きな鏡がある。
 布団を剥いで、ベッドから降りる。寝間着を脱ぐと、クロエに背を向けた。袖に左腕を通し、続いて右腕も袖に通す。洗濯したてのパリっとした感触が肌を撫でる。
カルミアは前掛けのボタンを最後まで閉めて、クロエから受け取った漆黒のショートパンツに足を入れた。足首の鉄の鎖がジャラジャラと鳴る。ベッドの柵に繋がっているはずの鎖は、今はクロエによって外されている。
 
 グレンチェックのダブルベストを羽織り、絹の靴下を身につけたら着替えは終了だ。鏡には、人形のような少年が映っている。瞬きさえしなければ、ただの鑑賞物だ。
 
「さ、髪を梳かしましょう」
「寝癖ついてないけど」
「ついてなくても、ですよ。綺麗な髪にブラッシングは欠かせないものです。貴族のお嬢様方は、毎朝念入りに髪を梳かしているんですよ。だから鳥の濡れ羽のように美しいのです。かくいう私も、カルミア様のお傍が少しでも相応しくなるように、毎日努力しています。少しでも成果が表れているといいのですが」
「…クロエは僕を過大評価しすぎだよ」
 
鏡に映るクロエの髪は、艶やかだ。癖一つなく、糸のようにパラパラとしている。髪は女の命とも言うが、相当の努力を重ねているようだ。
 
(相応しいも何も、クロエは誰よりも綺麗な女の子じゃないか。この前も宮の警備にあたっていた騎士達が噂していたよ。歩いている様が百合のようだって)
 
「さぁ、カルミア様。座って下さい」
 
 クロエは誘導するように椅子を引いた。言われるがままに、ひんやりと冷たい椅子に腰を落とす。
クロエは胸元のポケットから獣毛のブラシを取り出し、慣れた手付きで光の束のような艶めいた髪にブラシを滑らせた。サラサラと髪の間を撫でるブラシの感触が心地いい。
 
「夕方からまた雪が降るそうですよ。夜はエストマリアの花を浮かべた湯を張りましょう。保温の効果があるそうですよ」
「…また降るんだ。ーーねぇクロエ、雪って冷たい?」
 
カルミアの視線は、大きな窓に向いている。
季節は雪が降り積もる冬。夜の間に降り続けた雪で、窓の外の景色は一面銀世界だ。この国、アーダルベルト王国は雪深い国と有名だ。
 
「ええ。冷たいですよ。触るとすぐに霜焼けになってしまいます」
「霜焼けってなに?」
「そうですね。手が赤くなって、じんじんと痒くなる現象と言えばよいでしょうか」
  「火傷みたいなもの?」
「火傷よりももっと軽い状態ですよ」
「へぇー」
 
火傷と何が違うんだろう、とカルミアは疑問を抱く。
 ――カルミアは、雪に触れた事すらなかった。十八年間、ほぼろくに外に出てないのだ。夏の地面が焦げ付くように熱い事も、冬の空気が凍てつくように寒い事も、彼は何も知らない。
 
「今度、ギルバート様に内緒でお庭を散策してみませんか?」
「クロエは命知らずだね」
「誰にも見つからない通り道があるのです。きっとあの道を知っている者は、この城の中で私しかいません」
「…僕のためにそこまでしてくれなくて大丈夫だよ、クロエ。ギルに見つかったら、君の身が危ないんだから」
「いいえ、いいえカルミア様」
 
鏡の中のクロエは、悔しそうに唇を噛んだ。ブラシを握る腕に力が籠る。
 
「むしろこんな事しか己は出来ないのです。もっと貴方様に世界を見せてあげたいのに。けれど私にはそれを叶えるだけの富も権力もありません」
 
カルミアに対するギルバートの執着心はとてつもなく強い。城で働いている者なら誰もが知っている程だ。ギルバートは、カルミアがこの部屋から出る事も、クロエ以外の者の目に映る事も酷く嫌がる。それは時に、父親である現国王陛下までもだ。
陛下との謁見の際も、カルミアの顔を誰からも見えないようにするために、長いローブを纏わせ、フードを目深に被らせる。国の王の前でフードを脱がないなんて無礼極まりない。裸で外に出ることに匹敵するほど失礼なことだ。
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