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なまえ
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「恵!」
背後からそう声をかけると、伏黒恵はほとんど反射のようにふりかえった。けれどふりかえりながら、同時に違和感をおぼえてもいるように虎杖悠仁にはみえた。
「……うわ、すげえかお」
虎杖の予想したとおり、ふりかえった伏黒は違和感にかおをしかめていた。たぶん、背後に五条がいるとおもって──そうしてふりかえりながら、声が五条のものではないと気がついたのだろう。あまりに伏黒のかおがけわしすぎて、こちらも眉間にしわがよる。不躾だとわかっていながらも、ついそのかおを指さしてしまった。
「……名前で呼ぶな」
「なんで?」
かおの筋肉をほぐすつもりなのか、ひたいに手をやりながら伏黒がためいきをつく。とがめられる理由がわからず、虎杖はきょとんとして首をかしげた。
「五条先生は、伏黒のこと名前で呼んでるじゃん」
「あのひとは……なんど言ってもやめないから」
「あー、そゆとこある」
五条はあれで意外に頑固だ。いちど彼のなかでさだまったルールは、よほどのことがないかぎり変更がなされない。
「なんで生徒のことしたの名前で呼ぶんだろうな。しかも呼びすて」
「……『教師』ってのはそういうもんだとおもってるんだろ。夜蛾学長があのひとのこと呼びすてるから」
「あー」
言われてみれば、学長は五条のことを「悟」と呼んでいたかもしれない。おもわず納得しかけるて、ぼんやりとした相槌とともに両手をあたまのうしろで組んだ。だが、すぐにおもいなす。
ほんとうだろうか? 虎杖だっていまの担任──つまり五条だ──には呼びすてにされているけれど、高専にはいるまでの学生生活で、教師が生徒のしたの名を呼びすてることが一般的ではないことくらいは学んできた。
もっとも、虎杖は五条悟の「これまで」をしらない。彼がどんな小学生で、どんな中学生で、そしてどんな高専生だったのかをしらないのだ。伏黒は虎杖よりもずいぶんと、「これまで」の五条悟にくわしいようだったから──伏黒が言うのならば、まちがいはないのかもしれない。
「釘崎にセクハラで訴えられなくてよかったよな」
そうつぶやいた虎杖のことばに、伏黒は心底同意してくれた。ふかくふかくうなずくさまが愉快で、しぜんとほおがゆるむ。釘崎なら初対面の成人男性にいきなり名前を呼びすてられて腹をたてることはおおいにありそうだが、
「まあ、釘崎がいいならいいんだろ」
それもそうだ、とこんどは虎杖のほうが納得する。彼女もまた、五条ほどではないが独自のルールでうごくきらいがある。ふだんはそれにさんざんふりまわされているだけに、釘崎が納得してればいいのだろうとすなおにおもえてしまった。
「あー、腹へった。な、なんか食いにいかね?」
「……いいけど」
ひょいと伏黒のかおをのぞきこむ。軽率にかけたさそいはあっさりとうけいれられて、ふたりはそれ以上なにも言わずに高専のそとへむかって歩きだした。そうして歩きながら虎杖はかんがえる。じぶんの腹をみたせるだけのがっつりしたメニューと、伏黒が食べきれるていどの軽食がどちらもある飲食店──さて、今日はどこにいこうか。
「恵」
五条にそう呼ばれるようになったのはいつのころからだったか。恵のなかに残っている五条との記憶では、たいがい五条は恵を呼びすてている。呼びすてられていない鮮明な記憶は、初対面のときのものくらいだ。
そう、はじめは恵を「伏黒恵君」と呼んでいた五条は、いつからから恵のことを呼びすてるようになった。
そもそも恵のしたの名を呼ぶ人間はおおくないが、五条にかぎって言えば、彼が恵をしたの名前で呼ぶのはしかたのないことではある。なにせ彼が面倒をみていたのは「伏黒恵」と「伏黒津美紀」のふたりだったのだ。区別をつけるために姓を呼ばないのはとうぜんだろう。だが、
はたしてじぶんたちはいつから呼びすてられるようになったか。恵はみずからの記憶のなかにもぐりこむように目をとじた。
記憶をさかのぼればさかのぼるほど、じぶんが五条になんども名前を呼ばれてきたことを自覚する。ふたりはしりあってからもながいし、関係の密度も濃いからとうぜんではあるのだが──あまりにも呼ばれすぎて、五条が恵を呼ぶときの声が鼓膜にこべりついているようだった。
「……あ、」
そうしておもいだした。五条がはじめて恵のことを呼びすてた瞬間を。
『きみたちのことは僕が買ったから』
ある日、津美紀と恵がとりのこされたアパートにやってきた五条は、姉弟のまえでそう高らかに宣言したのだった。
若干小学一年生のこどもにはなにがおきたのかなどまるでわからず、ただ数日前にもあらわれた白髪のあやしげな男がじぶんたちのあらたな保護者になったことだけを認識していた。いまならわかる。五条はあの日までに禪院の家から恵を完全にきりはなし、恵が呪術師となることを条件に高専からの資金援助をとりつけてきたのだ。そうして──
『とりあえずひっこしだね。このへん治安わるそうだし。いいアパート探しておいたから──……』
いくよ。津美紀、恵。
あの日、五条ははじめて津美紀と、そして恵を呼びすてた。
それはたぶん、五条がはじめて恵を彼の「生徒」として認識した瞬間だったのだ。
恵の認識するかぎり、いま現在恵のことを名前で呼びすてる人間はほんとうにすくない。五条と、あとは二年の先輩が何人か。去年までは義姉も恵を呼びすてていたが──彼女の声はもう記憶のなかでもおぼろげになりつつある。けれど。
五条がしたの名を呼びすてるのは、べつに恵にかぎった話ではない。
それが彼の主義であることはしっているし、五条の主義をかえさせることがかんたんではないこともしっている。かえさせたいとおもっているわけでもない。
なにもかも納得ずくなのに、胸にうずまく違和感がぬぐえない。不平等だ、とさけびたくなる。──そもそも人生に因果応報はなく、不平等なものだとわかっているのに。
そのとき、部屋のドアがひらく音がした。
「あれ、恵来てたの?」
聞きなれた声にはっとする。そうして同時に、恵はいまじぶんが五条の部屋にいることをおもいだした。──このところ、週末は寮ではなく五条の部屋ですごすことが習慣になりつつあった。
「……あ、すいません、連絡」
「ほんとだよー。恵が来てるなら僕もうちょっとはやく用事終わらせてきたのにさ」
「や、仕事は最後まできっちりやってください」
連絡もなしに、もらった合鍵でかってに部屋にはいりこんだことを責められているわけではないらしい。こどものように口をとがらせた五条にさめた返事をしながら、すわっていたソファからたちあがる。
「メシは?」
「……まだ」
「じゃ、なんか食いにいく?」
「すしがいいです」
「いいよー。きがえてくる」
ひらりと手をふった五条は、いちど寝室にすがたをけしたが、ほどなくしてもどってきた。とくにめずらしい服を着ているわけではないが、全身の総額がそれなりであることを恵だけはしっている。この男にとっては、こどもふたりをやしなうことなどたいした出費ではなかったのだろう。──たぶん、金よりも手間を捻出するのに苦労したはずだ。
五条にうながされるままに部屋をでる。駅前でタクシーをつかまえて乗りこむと、五条がふと口をひらいた。
「悠仁がしょげてたよ」
「……は?」
「恵って呼んだらいやなかおされたって」
「……アイツがそんなことでしょげるわけないでしょう」
言われてすぐに、昼間のことをおもいだした。なにをおもったのか、虎杖がとつぜん恵をしたの名前で呼んだのだ。
恵の反応をおもしろがっているのか、五条にはしばしばおおげさに話をするくせがあった。虎杖が恵の呼びかたになどこだわるわけがないの鼻でわらいとばす。五条はなにか言いたげにこちらを見つめてきたが、とくになにかを言うことはなかった。
タクシーが高速にすべりこむ。夜闇にうかぶ等間隔のランプに五条のほおがてらされて、ふだんよりも血色がよくみえた。五条の目にも恵がおなじようにうつっているのかもしれない。
「そんなに嫌い? その名前」
「女みたいな名前つけられてうれしいヤツのほうが変でしょ」
「……ふーん」
こうやって意味ありげな相槌をうつとき、五条の口角はいつもにやにやと締まりがない。
「じゃあ僕にも呼ばせなきゃいいじゃん」
「……は?」
* * *
それはあまりにもとつぜんの変化だった。
あの日──厳密にはあのタクシーでの会話の直後から、五条は恵を名前で呼ばなくなった。
週末をいっしょにすごしているあいだは、五条にありがちなわるふざけだろうとおもっていた。わざとらしい敬称をつけられては恵が複雑そうにかおをゆがめるのをおもしろがっているのだとおもっていた。
けれど、
「伏黒君!」
「……え?」
月曜。高専にでてくるなり、虎杖や釘崎のまえで五条ははっきりと恵をそう呼んだ。恵自身もおどろいたが、それ以上におどろいたのは虎杖と釘崎だろう。
「え、先生、なに、なんかあったの?」
「だって、彼が名前呼びすてにされたくないって言うから」
これでもかというほど目をみはって五条をみていたふたりの異様なかおが、こんどはそのまま恵にむく。
虎杖のほうがわずかに動揺がおおきいのは、先週の一件のせいだろう。恵が虎杖にしたの名を呼ばれたくないと言ったことがふたりの関係に影響しているのではないかと不安になっているのだ。
まったく影響していないとは言えないが、虎杖が心配するほどのことではないのに。この自由気ままな担任に、結果的に巻きこまれてしまった同級生に内心同情しながら、恵はいつもどおりの真顔をくずさないまま口をひらいた。
「五条先生がかってに遊んでるだけだ。あきたらもどるだろ」
たぶん。
冷静な判断のつもりのそのことばが、恵の願いだったと気づくのはしばらくあとになってからだった。
恵の予想に反して五条の「伏黒君」呼びはいつまでたってもなおらなかった。翌日も、翌々日も呼びかたはかわらず、ついには金曜の夕方をむかえてしまった。週の途中には、五条が生徒をかたっぱしから苗字で呼び、耐えかねた虎杖が泣いてすがって恵以外の呼びかたを戻させる事件さえおきたという。
恵は当日単独任務で高専をあけていた。あとから話を聞かされたときには、ついでに恵のぶんも戻してくれればよかったのに、とおもわないでもなかったが、なにせことの発端は恵にある。じぶんでおこした事件の後始末はじぶんがしなければならないのだろう。
(……そんなに気にくわなかったのかよ)
週末。いつもどおりに五条の部屋にむかう恵の足どりは重い。だが、ここで彼を放置してしまったら、関係はこじれにこじれて収集がつかなくなるだろう。五条と恵ふたりのあいだで完結する話ならほうっておくこともできたが、今回ばかりはそうもいかない。なにせ虎杖──をはじめとする高専の生徒を巻きこんでいるのだ。
「あ、おかえりー」
「……ただいま、」
恵をむかえる五条はけっして不機嫌ではなかった。それはこの一週間もおなじだった。あからさまにすねているわけではなく、ふだんとなんらかわらない態度のなかで呼びかただけがちがう。
もっとも恵はしっている。五条がめんどうなのは、わかりやすくすねているときよりも、いまのように一見ふだんとかわらない態度をとっているときのほうだということを。
「メシなんだけど、今日さしいれもらってさあ。それでいい?」
「……はい」
「じゃ、すわってなー」
ふたりきりになっても、五条はあくまで不機嫌を表明しようとはしなかった。ダイニングテーブルに腰をおろした恵は、しばらくのあいだ、だまって五条のせなかをながめていた。
「海外系のスーパーで買った総菜? らしいんだけどさー、量おおいんだよね。……悠仁たちにやったらたべるかな? ……いや、野薔薇料理とかしないか……?」
恵に背をむけたまま、五条がひとりで首をかしげている。五条の口からつむがれる同輩の名前に、恵はふといごこちのわるさをかんじた。
胸のあたりがおもたい。胃もたれのような、もっと締めつけられているような、ふしぎな不快感だった。
「……俺、」
「んー?」
テーブルに両手をついていきおいよくたちあがる。ふだんならどうしたどうしたとちかづいてくるはずの五条は、今日にかぎってこちらをふりむきさえしなかった。
「……風呂、はいってきます」
そう告げるやいなや、恵は五条に背をむけて足をふみだした。
「え、メシはー?」
「…………あと、で」
背後から声がかかったが、五条がこちらをふりむいたのかさえわからない。
けれど、わからないままでいいともおもっていた。もし五条がこちらをむきもせず、恵のようすがおかしいことを気にもかけてくれていないのだとすれば、恵はいよいよどうしたらいいのかがわからなくなってしまう。
廊下をつかつかと歩んでバスルームへとむかう。なんどとなく使ってきた風呂場がみょうにさむざむしくて、恵は服をぬぐなりみずからをだきしめてちいさくふるえた。湯をためる気にもなれず、あたまからあついシャワーを浴びる。どれだけお湯の温度をたかめても、冷静な思考はとりもどせそうになかった。
五条は確実におこっている。けれど、あやまろうにもなにをあやまればいいのかさえ恵にはわからない。ことの発端は虎杖が恵を名前で呼びたがったことで、いつのまにか話が五条にまでつたわって、女のような名前がいやなのだと言ったら五条からも名前で呼ばれなくなった。ふかしぎな話だ。恵はべつに、五条に呼ばれることをいやがったわけではないのに。
(っていうか、むしろ──)
かすれた声で恵を呼ぶ五条の声が脳裏にひびく。それはひとまえで恵に話しかけるときのそれでもなければ、任務の最中に真剣に語りかけるようなそれでもない。じぶんの名前を呼ぶ五条の声は何種類かあるが、いちばんはじめにおもいだすのはベッドのなかでのものだった。
呼ばれたい。五条に。かすれた余裕のない声で。恵を抱きつぶそうとぎらついた視線をこちらにむけておきながら、それでもなお恵をあまやかすようになんどもくりかえし名前を呼ぶ五条がむしょうに恋しかった。
いつのまにか口のなかにたまっていた唾液を飲みくだす。場所のせいか、ごくり、という音がふだん以上に反響して聞こえた、ような気がした。
決意をかためて、背中にまわした手をゆっくりとおろしてゆく。にくづきのうすい尻をかきわけて後孔にふれると、まだほぐされていないそこはかたく口をとじ、恵の侵入をうけいれようとはしなかった。
「……は、」
バスルームにあるものと言えば五条のシャンプーやボディーソープ、シェービングフォームていどで、どれもローションのかわりにはならない。恵は決意をかためて息をつめると、シャワーの水量をふやし、まだかたいそこにほとんどむりやり指をおしこんだ。
「ん゛ッ!」
もはや数えきれないほど五条をうけいれてきたそこは、むりにおしこめばさすがに恵の指一本くらいはかんたんに飲みこんでしまう。だが、だからと言って恵が苦痛をかんじないわけではない。ほんのわずかにある引きつれるような痛みと、それをこえる違和感。声をこらえる余裕などあるわけもなかった。
降りそそぐ水量をふやしておいたおかげで、どうがんばってもリビングには声がとどかないだろう。恵にとっては、それだけが唯一のすくいだった。
指をおしこんでも、とうぜんおしこんだ指だってただ濡れているだけだ。内壁をひっかいたところで、快感はあっても指をふくませる行為そのものが楽になるわけではない。
「ッ……う、ぁ、」
なまじからだが開発されているから、痛みと快感の両方をいっしょにひろってしまう。じぶんがふだんどれだけ五条にあまやかされているのかを、こんなところで実感させられた。
五条なら、こんなふうにむだに恵を痛めつけることはない。彼がそうするのは恵が痛みさえも快感にしてしまえるほどにとろけきったあとのことで……──指をうごかしながら、恵の意識は五条との夜に飛んでいた。五条の愛撫で、全身が脳内麻薬に犯されたようになって、とにかくあらゆる刺激を快感ととらえるようになってしまったとき。そんなときにだけ、五条は一見乱暴に、けれどきっと、ほんとうはとても慎重に恵を傷つける。
しんじられないほどおおきなキスマークをつけることや、からだのやわらかいぶぶんをかまれることくらいは日常茶飯事だった。首をしめられたこともあるし、痛いと言っているのにおくをがつがつと突きこまれることもある。いつだったか、セックスの最中に言いあらそいになったときには尻さえたたかれた。そのすべてを、恵のからだは快感としておぼえている。
いちど「そう」なってしまった恵のからだはもうだめで、五条にならなにをされてもきもちがいいのだ。もっと、と無意識のうちにねだって、翌朝になって鏡にうつったからだに血がにじんでいることに気づきあっけにとられたことはいちどやにどではない。
「ぁ♡ ご、じょうさ……ん゛ッ」
五条の記憶を呼びおこせば呼びおこすほど、五条が恵を呼ぶ声がこいしくなる。こいしくなるのにあたえられなくて、恵はシャワーの滝にうたれながら必死でひとり後孔をひろげつづけた。痛いのにきもちがよくて、きもちがいいのにくるしくて、くるしいのにほかに方法がおもいつかないからやめられなかった。
* * *
夕食をたべているあいだも、五条はついぞ恵の名前を呼ばなかった。なまじ態度はふだんとかわらないようにみえるからタチがわるい。食事をおえ、五条が風呂にはいり、ふたりしてリビングで時間をつぶす。五条は熱心にテレビをながめていたし、恵はもちこんだ本を読む──ふりをしながら、ぼんやりと風呂でのできごとをおもいだしていた。
じぶんでもどうしてあんなことをしてしまったのかわからない。わからないが、とにかく五条に抱かれる以外に解決策はないような気がしていた。ベッドのなかでなら、五条は恵を呼んでくれるかもしれない。あまいかんがえだとわかってはいても、ほかに解決策がうかばないのだ。
「ご、じょうさん」
「んー?」
ソファに寝ころがった五条の服のすそをひかえめに引く。しばらくテレビをむいたままだった五条は、やがて恵が二の句を告げないことに気づいてやっとこちらをむいた。
「……今日はもう、ね、ませんか、」
「……いいよ」
五条から視線をはずしてそう申しでる。それが恵からのせいいっぱいのさそいかたなのは、今日にかぎったことではない。恵が五条をほしがるときのくせなど、五条にはもうずいぶんとまえからしられていた。
ゆっくりとソファから身をおこす五条を、恵はどこかおどろきにも似たここちで見つめた。名前を呼ぶのを避けられているのだ。とうぜんセックスだって避けられるとばかりおもっていた。むしろ、こうしていっしょに夜をすごしていることさえ意外なのだ。あれだけつらいおもいをしてからだをひらいて、恥をすててさそっておきながら、どこかできっと断られるとおもいこんでいたことにいまさら気づく。
「ほら、行こ?」
五条が手をさしのべてくる。恵はその手をつかんでたちあがった。こども同士がそうするように、五条に手をひかれて寝室へむかう。抱いてもらえる。もしかしたら、名前だって呼んでもらえるかもしれない。ひらいたからだのおくが五条をもとめてぎゅうっ♡ と締まった。
ドアをあけた五条のあとにつづいて寝室に足をふみいれる。ベッドのわきでたちどまると、恵はおそるおそる身につけていたスウェットをぬいだ。
「……どしたの」
ベッドのふちに腰をおろした五条が、どことなくたのしげに問うてくる。わかっているくせに。ひとみをすがめてもこのおとなにはなんの効果もない。上半身だけはだかになって、恵はあらためて五条のまえにたった。肩に手をおき、あまえるようにおでこをすりよせる。五条の表情はかわらず、おもしろがるように恵を見つめていた。
「──……し、ましょう」
五条のつやめいたくちびるがうすくひらいて、すぐにとじる。「なにを?」と問おうとしてやめたのだとすぐにわかった。
「おいで」
恵のうなじに五条の手がまわされる。五条のからだがベッドにあおむけにたおれて、恵はそのうえに覆いかぶさるようにひきたおされた。たがいのくちびるがかさなる。舌をつきだしても、五条はそれを拒否しなかった。まねきいれられるようにくちびるがひらかれて、おなじようにかおをだした五条の舌がからんでくる。ん♡ とちいさな声が鼻からもれて、腰がわずかにゆれた。
* * *
「あっ♡ あ♡ …………ひッ、! う、ぁ♡」
五条の性器がゆっくりと恵のなかにおしこまれる。くるしいほどの圧迫感をこらえているだけのはずなのに、しぜんと鼻からはあまったれた音がぬけた。──けれど、みょうにさびしい。
両手でシーツをにぎりしめ、上体をふせたよつんばいの姿勢で、恵は背後から五条をうけいれていた。
五条のかおがみえない体位でつながるのは、べつにめずらしいことではない。恵のほうがどろどろにとろけたかおをみられたくなくて、うしろから犯されることをもとめることだってある。けれど、抱きあっている最中にいちども五条から名前を呼ばれないのははじめてだった。
「……あ、──は、ぁ……♡」
腹のなかがせまくなったぶん、いちどに吸える息の量がすくなくなっているような気がした。意識的に呼吸をすると、あいまあいまについあまい声がもれてしまう。ふだんであれば、五条がひっきりなしに名前を呼んでくれるからそこまで気にならないのに──今日にかぎっては、部屋にひびく声がじぶんのものばかりだから、どうしたって気になった。
女のようにとろけた、けれど女のそれではない、たしかにひくいじぶんの声。──ほんとうは、五条もこんな声、すきではないのかもしれない。名前を呼ばれないだけで、どんどんと自信がなくなってゆく。
「……ほら、おくとどいたよ」
「あッ♡」
ながい時間をかけて性器をおくまでとどかせた五条が、それを証明するかのようにこつん♡ とおくをつきあげる。またあまったれた声がもれて、恵はおもわず両手で口をおさえた。
すっかりやわらかくしてある後孔にとうぜん五条は気づいたようだったけれど、ことさらにからかわれるようなことはなかった。「そんなにほしかった?」とすこし、揶揄するような声色で問われただけで、恵がそれにうなずいたきりだ。ふだんならもっと、だらしのない声とやにさがったかおで、なんどもいかに後孔がほぐれているかをしつこく説明してくるのに。
ごくみじかい時間、五条はそのままうごかなかった。恵のからだが五条の性器になじむのをまっているのだ。まっているあいだも、五条はひとこともしゃべらない。
『恵、くるしくない?』
『さわっていい? 恵』
『やだって、恵がしたいって言ったんじゃん』
『ほら、まだ僕うごいてないのに恵がかってにうごいてる』
ふだんなら、恵がうるさいと怒りだすほどある呼びかけがひとつもない。しずかな寝室に、恵の鼻からぬける甘い音と、五条のあさい呼吸だけがひびいていた。両手で口をふさいだまま、恵はいつのまにかうえにかさねた手でしたの手をつよくにぎりしめていた。
「……うごくよ」
恵の姿勢をささえるために腰にそえられていた五条の手にちからがこもる。ずる……♡ と性器がひきぬかれて、いきおいのままにもういちど、いちばんおくをつきあげられた。
「あ゛ッ……♡」
恵のせなかがおおきくそる。しびれるような快感が尾てい骨のあたりからたちのぼってきて、腹のあたりでなにかがはじけた。
恵が達したことに気づいただろうに、五条の腰がまたひかれる。連続でおくをこつ♡ こつ♡ とつきあげられて、恵はそのたびにこまかく絶頂した。いつのまにか、手で口をふさぐことさえわすれていた。
「やっ♡ まっ、あッ♡ いま、いッ♡」
「しってる。でもすきでしょ、ずーっとイきっぱなし」
すきじゃない、と言いたいのに、五条は反論する余裕さえあたえてくれない。
恵にできることと言えばシーツをつかんでおそいくる快感にたえることだけだった。五条のおもうがままにゆさぶられて、全身を快感でうめつくされているのに、こころだけがどうしたってみたされない。
やがてつよすぎるほどのつきあげがやんだかとおもうと、腰をおさえていた五条のうでが恵の胸にまわってきた。背後からだきしめられて──いちばんおくの、それよりもさらにおくをむりやりひらかれるように、ぎゅうっ♡ と性器のさきをおしつけられる。こきざみにからだをゆさぶられて、つきあげられるのとはべつの快感がおそいきた。
「や、あ、あー……っ♡ あー、あぁ、ぁ♡」
「ここはじぶんじゃひらけないもんねえ」
なにを言われているのかさえ、一瞬わからなかった。じぶんで下準備をすませたことを揶揄されたのだと、数秒おくれて気がつく。からかわれているのだとわかっていても、五条が話しかけてくれたことさえうれしかった。──けれど、まだたりない。
胸にまわされた五条の手に、そっとてのひらをかさねた。すん、と鼻が鳴る。
「ご、じょうさ……ぁ、♡」
名前を呼んで、きちんと話をしたいのに、五条がうごきをとめないから発語もままならない。手にふれたくらいで制止をかけられる相手ではないことは、だれよりも恵がしっていた。
「ゃ♡ ごじょ、ぁ♡」
口をきこうとするたびにぐりゅ♡ とおくをおしこまれて、またあまい声がもれる。ちがうのに。きもちがよすぎるからやめろとか、イきすぎてくるしいとか、そんな理由で制止をかけているわけではないのに。そうしているあいだにもちいさな絶頂はなんども恵をおそって、だんだんとわけがわからなくなってくる。
「や♡ ……ぁ♡ やだ、ぁ……♡」
「……恵?」
──呼ばれた。
視界がなみだでぼやけはじめたのと、いぶかしげな五条が恵を呼んだのはほとんど同時だった。
ようやく名前を呼んでもらえた。聞きなれたひびきではない、むしろ違和感をあらわにした声なのに、それさえも全身にしみわたるようだった。にじみはじめていたなみだがいよいよひとみからこぼれて、ぽたり、とシーツにシミをつくる。
「や……、や、です……」
五条が違和感に腰をとめた隙をついて口をひらく。恵はもはや、じぶんがなにを言っているのかもほとんどわかっていなかった。それでも、いま言わなければ機会はにどとめぐってこないだろうという確信だけがあった。
「……なにが?」
五条がしずかに問う。わかっていていじわるをしているくせに。──ふだんならそう言いかえせるのに、ぐずぐずにとかされてしまったいまはそんなことも言えなかった。いまの恵にできるのは、ただ五条にすがりついてゆるしをこうことだけだ。
「……なまえ、……なんで、♡」
呼んでくれないんですか。
さいごまでことばにすることはできなかった。だが、幸か不幸かふたりのつきあいはながい。だから、たったこれだけでなにもかもがつたわってしまう。──いや、ほんとうはことばにせずともすべてがつたわっているのかもしれない。恵にはわからなかった。恵は五条についてまだわからないことがおおいのに、五条は恵をみすかしたような態度をくずさない。じぶんばかりが、五条においつけていないような気がする。
なんで、ともういちどくりかえした声はかすれてしまった。
「オマエがいやだって言ったんじゃん」
ふ、とはきだされた吐息はわずかに笑みをふくんでいた。もうそれだけで、ゆるされたここちになってしまう。──ゆるされたここちになるから、やっとすなおにものを言うことができる。なにもかもを受けいれてもらえるだろうという確信がなければ、こころのうちをあきらかにすることもできない。きっとそんな恵の性分も、五条はみすかしているのだろう。
「や、です……♡」
「うん」
「呼ばれない、ほうが、……いや、」
あたまもからだもぐずぐずにとろけているせいで、舌たらずなもの言いになる。あからさまに媚びているようでよくない、とおもうのに、鼻からはまたぐずるような鳴き声がもれ、腰は前後にゆれて五条をさそった。
「……僕だけ?」
「ん……♡」
そう、五条だけだ。
ほかにも恵のしたの名前を呼びすてる人間はいるけれど、こんなふうに、呼ばれないだけでさびしくて、つらくて、どうしようもなくみたされないここちになるのは、五条をおいてほかにはいない。
にぎりしめていたシーツをてばなし、上半身だけでふりかえる。至近距離にあった五条の肩におでこをこすりつけて、恵はその首にすがりついた。腹がねじれてさらにせまくなる。くるしい。けれど、さっきまでのこころのくるしさにくらべれば、からだのくるしさくらい、たいしたことではなかった。
ふうん、と五条が意味ありげにつぶやくのが聞こえてどきりとする。
「恵」
五条の片手が恵のせなかにはりついて、てのひらだけでからだをささえてくれる。恵がすがりついたせいでさらにちかづいた五条のくちびるが、ひと文字ずつきざむように恵を呼んだ。
「……! ──……~~~ッ♡♡」
もう、声にもならなかった。
うでと腹にしぜんとちからがこもって、全身で五条をだきしめる。恵がおおきく達していることに気づいたのか、五条が器用にも恵の姿勢をととのえてくれた。全身がようやく五条にむきなおって、恵はひらいていた脚さえも目のまえのからだにまきつけた。
じぶんのほうから距離をちぢめてしまったから、かえって五条を全身でかんじてしまう。ぬめる汗も、首すじからうっすらと香るにおいも、あがりきった熱も、──そしてもちろん、恵のなかではりつめた性器のかたちも。
「っ♡」
五条はうごいていないのに、内壁がかってに性器を締めつける。それだけで絶頂においうちがかかって、恵はまたびくびくとからだをふるわせた。そうしてからだがふるえると、たがいの皮膚がこすりあげられてまた快感になる。
「ぁ、♡ ……あ、ぅ♡」
「なーに、そんなによかった?」
「ッあ゛♡」
しばらく恵のようすをうかがっていた五条が、ふとからかうように、いちどだけおくをつきあげる。いまの恵にはつよすぎる刺激だった。おもわず、五条のくびにまわしていた手を離し、からだをおしかえそうとこころみる。だが、ちからのはいらないうででは、五条はぴくりともうごかなかった。
「恵、きもちいい?」
まただ。
名前を呼ばれるだけで、びくん♡ とおおきくからだがふるえる。じぶんのからだがとてつもなく卑猥ななにかになってしまったようでいやなのに、腰はかってにゆれてさらなる快感をもとめた。
「恵?」
五条にかおをのぞきこまれる。ひさしぶりに目と目があったような気がした。
もういい。──いまはもうこれ以上、名前を呼ばないで。そう言いたいのに、くちをひらくとあえぎしかでてこない。拒絶のつもりで首をふると、「きもちよくない?」と問いかけられるから、それにもやっぱり首をふるしかなかった。
「なーに、言ってくれないとわかんない。恵」
さっきまであんなに意固地になって恵の名前を呼ばなかったくせに。
すこし恵がすなおになっただけで、五条はしつこいほどに名前を呼んだ。「言ってくれないとわかんない」なんて言いながら、そのかおはたのしげに歪んでいる。──どうせ、なにもかもわかっているくせに。
「……ぃ、」
「ん?」
ひかえめに口をひらく。よほど恵から言わせたいのか、ことばを発する意思をみせると、五条はそれ以上恵の名前を呼ぶこともなく、へたに腰をうごかして快感をあたえるようなこともしなかった。
「……きもち、いいから。──っもう、……~~~ッ!?」
やめて。
そう告げるつもりだったのに。
さいごまで言わせてはもらえなかった。口角をもちあげくちびるをゆがめた五条が、いつのまにかつかんでいた恵の腰をむりやりにひきよせる。挿入がふかくなって、くぽ♡ とからだのおくがひらく音がした。
「ぁ゛ッ……♡♡」
五条の性器のさきが恵のなかに食いこんで、すぼまっていた結腸がひろがる。痛みと錯覚するほどのつよい快感に、恵はおおきく背をそらすことしかできなかった。なのに。
「恵」
「ひ……っ♡」
「恵」
「や、♡」
こんなときばかり、五条はねらったように耳もとでささやいてくる。名前を呼ばれるたびに恵の内壁はよろこんで五条を締めつけて、そのせいでほかでもない恵自身の快感が増した。
上半身だけをベッドにあずけ、腰からしたを五条のひざのうえにあずけたまま、恵はすきかってにゆさぶられつくした。いっそ完全に距離をとってくれればいいものを、腰を折ってかおを近づけ名前を呼ぶからタチがわるい。
「恵、……すきだよ」
「! ~~~ッ♡♡」
きわめつけだった。じわじわとあたえられつづけてきた快感、コップのふちのぎりぎりまで張っていた水面に、さいごの一滴がそそがれる。とっさにもういちどめのまえの首にすがっても、五条は拒否しなかった。
「あ、ぁ……♡」
ゆっくりと、とろけるようにやってきたほんとうにおおきな絶頂を、恵は五条にすがりついたままたえた。あいまに五条の性器がくぽ♡ くぽ♡ と前後しているような気がするが、それさえもたいした刺激ではなかった。
ながいながい絶頂のあいだ、五条がなんども名前を呼んでくれる。この一週間の空白をうめつくすかのように。恵、恵、とひくい声でなんどもくりかえされるじぶんの名前で鼓膜をゆらされるのがここちよくて、目がかってにほそくなる。
「──……だすよ、恵」
「ん……♡」
なんども呼ばれたのは、五条もまた限界がちかかったからなのか。恵がそう気づいたのは、腹のおくに体液をそそがれてはじめたあとだった。
* * *
目をさますと、窓のそとはすでにあかるくなりはじめていた。どうやらあのまま気をうしなうようにねむってしまったらしい。ぐしゃぐしゃになったシーツの肌ざわりがわるくて、のがれるようにベッドをおりる。のどがすっかりかすれてしまっていた。水を飲まなければ。
「……ん、恵、おきた……? ……おはよ」
できるだけしずかにおりたつもりだったが、五条をおこしてしまったらしい。背後から声をかけられて、恵ははっとして上半身だけでふりかえった。ほとんど全身でシーツにくるまった状態の五条が、鼻からうえだけをあらわにしてこちらをみている。
「どこいくの、恵」
「……水、飲みに」
答えながら、恵はひそかに感動してもいた。──五条が、まだ恵の名前を呼んでいる。水を飲みにいくとじぶんで申告したくせに、恵はこんどはからだごと百八十度ふりかえって五条のもとへと歩みよった。まだ完全には覚醒していないあお色のひとみが、ふしぎそうにこちらをみている。
「……なに? 恵」
「五条先生、」
そう声をかけはしたけれど、なにを言えばいいのかはわからなかった。欲望のままにうでをのばして、五条のからだにおおいかぶさる。なに? とやわらかな声色で疑問を呈しながらも、五条はしっかりと恵をだきとめてくれた。
「なに?」
「……なんでもないです」
なんでもない。何事もなかった。いつもとおなじように五条とセックスをして、たっぷり呼びかけられて、とろとろにきもたよくなって、いつもとおなじようにあけがたに目をさまして。──そうして恵が目をさましたことに気がついた五条が、いつもとおなじように恵の名前を呼んでくれる。なんでもないからこうしたくなったのだとは、結局さいごまで言えなかったけれど。
五条が伏黒にしかけていたいたずらがおわったことは、月曜になるなりまたたく間に高専生のあいだで共有された。月曜の朝いちばんに、五条が「悠仁、野薔薇、恵」とそれぞれの出席を──「いつも」とおなじようにしたの名前で──とった瞬間に、釘崎がスマートフォンをとりだしていた。たぶん、二年生に連絡をまわしたのだろう。
昼やすみには、連絡をうけた二年生がわざわざ教室までやってきて、五条がいないとしるなり落胆して帰っていった。彼らもよほど、ひさしぶりの「恵」呼びを確認したかったらしい。
「なかなおりしたの? 五条先生と」
ことの顛末が気になって、虎杖は伏黒にそう問いかけてみた。釘崎と三人で昼食をとり、教室にやってきた二年生のあしらいをおえて、午後の授業がはじまるまでのあいだをぼんやりと教室ですごしているさなかのことだった。
「べつにしてねえよ」
伏黒の返事はおどろくほどあっさりとしていた。いわく、そもそも五条がひとりでおもしろがっていただけらしい。「なかなおり」以前に、そもそもあれはケンカですらなかった──と、伏黒は主張した。
「よくわかんないけど、あのキショい呼びかたからもどったならいいんじゃない」
興味などまるでない、とでも言いたげな釘崎のさめた声に、つい虎杖もそうだな、と同意をしめしてしまった。虎杖自身は五条が生徒を苗字で呼ぶことを「キショい」とおもったことはないけれど、──はじめからおちついていた形にもどるのなら、それにこしたことはないだろう。
ふと、いたずらごころがかおをのぞかせたのは、そんなことをかんがえていたときだった。
無意識のうちに伏黒に視線がいく。
──もういちど聞いてみよう、とおもった。もういちど、じぶんも「恵」と呼んでもいいかどうか。
そもそも、五条と伏黒のトラブルの発端はじぶんだったのではないか。この一週間、虎杖はそんなことばかりをかんがえていた。
五条が伏黒を苗字で呼びはじめるほんのすこしまえ。虎杖は伏黒に、五条の呼びかたをまねてもいいかと聞いて断られ、あまつさえ断られたことを五条に報告してしまった。
『伏黒、俺には名前で呼ばれたくないみたい』
べつに告げ口のつもりはなかった。ただなんとなく五条とかおをあわせて、雑談として口にしただけだ。けれどなぜか、その翌週から、五条までもが伏黒を苗字で呼ぶようになった。
きっとなにかがあったのだとおもう。虎杖のしらないところで、五条と伏黒のあいだに。もともと口数のすくない伏黒から事実を聞きだすのはむずかしいだろう。五条も、ああみえてなにかと説明不足なきらいがある。
じぶんがひきおこしたかもしれない事件で、じぶんが蚊帳のそとになっている。そんな予感は、たしかに虎杖をあせらせた。──だから、
意をけっして、口をひらいた。
「なあ、やっぱ俺も、恵って──……」
「それはだめ」
おもっていたよりも即答だった。希望はあっさりと粉砕される──どころか、最後まで言わせてももらえず、おもわずがっくりと肩がおちる。
けれど。
──伏黒は、わらっていた。
このまえ、虎杖が彼のしたの名を呼んだときには、もっとけわしいかおをしていた。じぶんの名前そのものを忌避しているような、つよい拒絶をただよわせていた。
だが、いまの伏黒にはそれがない。むしろおだやかに笑んで、なのに虎杖の提案にはけんもほろろだ。
なにかがかわったのだろう。
「だめかあー」
「……っていうか、悟アレとおなじ呼びかたするほうがやじゃない?」
「言いかた!」
となりにいた釘崎が、むしろおかしいのは虎杖のほうだと言わんばかりにかおをゆがめた。担任教師を、それも「最強」の男を悟アレ呼ばわりとは。さすがに五条を援護してやりたくて反論をこころみるが、いまひとつ具体的な擁護がうかばない。
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