芋虫(完結)

毛蟹葵葉

文字の大きさ
上 下
50 / 70

50

しおりを挟む
 水津はどこか言いにくそうに私に聞いてきた。
 別に過去の男の事なんて彼には関係のないことで、そもそもそれを口にすることも憚られるが、答えてほしそうな視線に耐えられず私は仕方なく答えた。

「深い関係になる前に別れたのよ」

 私は言葉を濁して苦笑いした。
 水津に過去の男の話をするのは悪口を言っているようで嫌なものだ。けれど、どこにも連れていって貰ったことがなかったのは事実だ。こっそり他の女性と遊んでいたのも知っている。
 本当は気がついていた。私が都合のいい女だってことに、浮気しても結婚してしまえば何も言わないと澤田は思っていたのだろう。
 実際にその通りだ。浮気相手の彩那が妊娠したから私が捨てられてしまったけれど。
 もし、あの人と結婚していたら、何も知らないければ幸せで居られたかもしれない。どんなに酷い扱いをされても気がつかなかっただろう、私は澤田しか男を知らなかったから。
 あの件で人間不信に陥った。いい人が現れても、その人を心から信用なんて出来ないだろう。

「……」

 私は何も言えずに俯いた。言葉は喉に張り付いたまま出てこない。

「俺とは行きたくない?」

 沈黙を破ったのは水津でとても不安そうに私の方を見ている。
 私が水津と行きたくないと思ったのだろうか?
 彼は私の沈黙の意味をそんなふうにとったのかもしれない。

「そんな事ないわよ。水津くんといると楽しいの」

 私は昔の事で彼に不安な思いをさせたことを申し訳なく思った。

「じゃあ、行こうよ。楽しいよきっと、向こうに戻ったらしばらくは会えないし」

 そうだった。再来年の四月には彼はここには居ない。
 本社に戻れば彼はすぐに私の事を忘れるのだろう。若くて可愛い女の子に目移りするのかもしれない。いや絶対にその女の子に夢中になる。
 彼女だった進藤すら冷たく切り捨てた彼なら、私の事なんて二度と思い出す事なんてないだろう。
 だったら。楽しい泡沫の夢くらい見てもいいじゃないかと私は思った。どうせ、再来年の四月には捨てられる。
 破滅のオプションまでついてくるかもしれないけれど、だったらその時まで精々楽しめばいい。私の心には真っ黒な想いが広がった。

「うん」

 けれど、私はそれを隠してにっこりと微笑んだ。

「凛子はどんなアーティストが好きなの?」

「えっと」

 私達は好きなアーティストの話しで盛り上がった。
すごく楽しい。それなのに。今までの人生で楽しい計画を立ててそれが叶った事はあっただろうか。
 私はふとそんな事を考えていた。

「それじゃあ、おやすみなさい」

 水津との休日は楽しい物だったと思う。意味もなくショッピングモールに行ったり映画を観たりした。

「さようなら」

 水津は私の頬に口づけをして名残惜しそうに帰って行った。
 それを見送り。いつものように、水津に緑色の薔薇を渡された私は部屋に戻りベッドに潜り込んだ。
 途方もない寂しさが胸の中を埋め尽くしていく。水津は居心地が良くて遠くない未来に失うことがつらくて。
 だけど、それを私は納得している。情けなくすがり付くつもりも、醜く他の女に嫉妬するつもりもない。今この時だけ楽しめればいいだけ。と、そう自分に言い聞かせる。

「そうだわ。ライブのチケットを取っておこうかしら」

 沢山の思い出がほしくて、私は自分からライブのチケットを注文した。ゴールデンウィークだが、無理を言えば水津は付き合ってくれるだろう。

「断られても、一人でもいけるし」

 そう自分に言い聞かせる。そこに。

 プルルルル……。

 私のスマホが鳴り出した。手に取ると『非通知』と表示されている。この、電話は進藤からだと思うけれど、怖くていまだに出ることが出来なかった。たくさんの恨み言を言われるのが怖くて。
 柏木に相談しよう。私はそう思うと着信が切れるのを待った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R15】アリア・ルージュの妄信

皐月うしこ
ミステリー
その日、白濁の中で少女は死んだ。 異質な匂いに包まれて、全身を粘着質な白い液体に覆われて、乱れた着衣が物語る悲惨な光景を何と表現すればいいのだろう。世界は日常に溢れている。何気ない会話、変わらない秒針、規則正しく進む人波。それでもここに、雲が形を変えるように、ガラスが粉々に砕けるように、一輪の花が小さな種を産んだ。

私の中の深い闇

けいこ
ミステリー
私の容姿は醜い。 でも、あなたを好きになってしまった。 だから、私は綺麗になる。 邪魔な人間は排除しなきゃ。

復讐の旋律

北川 悠
ミステリー
 昨年、特別賞を頂きました【嗜食】は現在、非公開とさせていただいておりますが、改稿を加え、近いうち再搭載させていただきますので、よろしくお願いします。  復讐の旋律 あらすじ    田代香苗の目の前で、彼女の元恋人で無職のチンピラ、入谷健吾が無残に殺されるという事件が起きる。犯人からの通報によって田代は保護され、警察病院に入院した。  県警本部の北川警部が率いるチームが、その事件を担当するが、圧力がかかって捜査本部は解散。そんな時、川島という医師が、田代香苗の元同級生である三枝京子を連れて、面会にやってくる。  事件に進展がないまま、時が過ぎていくが、ある暴力団組長からホワイト興産という、謎の団体の噂を聞く。犯人は誰なのか? ホワイト興産とははたして何者なのか?  まあ、なんというか古典的な復讐ミステリーです…… よかったら読んでみてください。  

僕は警官。武器はコネ。【イラストつき】

本庄照
ミステリー
とある県警、情報課。庁舎の奥にひっそりと佇むその課の仕事は、他と一味違う。 その課に属する男たちの最大の武器は「コネ」。 大企業の御曹司、政治家の息子、元オリンピック選手、元子役、そして天才スリ……、 様々な武器を手に、彼らは特殊な事件を次々と片付けていく。 *各章の最初のページにイメージイラストを入れています! *カクヨムでは公開してるんですけど、こっちでも公開するかちょっと迷ってます……。

そして何も言わなくなった【改稿版】

浦登みっひ
ミステリー
 高校生活最後の夏休み。女子高生の仄香は、思い出作りのため、父が所有する別荘に親しい友人たちを招いた。  沖縄のさらに南、太平洋上に浮かぶ乙軒島。スマートフォンすら使えない絶海の孤島で楽しく過ごす仄香たちだったが、三日目の朝、友人の一人が死体となって発見され、その遺体には悍ましい凌辱の痕跡が残されていた。突然の悲劇に驚く仄香たち。しかし、それは後に続く惨劇の序章にすぎなかった。 原案:あっきコタロウ氏 ※以前公開していた同名作品のトリック等の変更、加筆修正を行った改稿版になります。

アナグラム

七海美桜
ミステリー
26歳で警視になった一条櫻子は、大阪の曽根崎警察署に新たに設立された「特別心理犯罪課」の課長として警視庁から転属してくる。彼女の目的は、関西に秘かに収監されている犯罪者「桐生蒼馬」に会う為だった。櫻子と蒼馬に隠された秘密、彼の助言により難解な事件を解決する。櫻子を助ける蒼馬の狙いとは? ※この作品はフィクションであり、登場する地名や団体や組織、全て事実とは異なる事をご理解よろしくお願いします。また、犯罪の内容がショッキングな場合があります。セルフレイティングに気を付けて下さい。 イラスト:カリカリ様 背景:由羅様(pixiv)

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

幸福物質の瞬間

伽藍堂益太
ミステリー
念動力を使うことのできる高校生、高石祐介は日常的に気に食わない人間を殺してきた。 高校一年の春、電車でいちゃもんをつけてきた妊婦を殺し、高校二年の夏休み、塾の担任である墨田直基を殺した後から、不可解なことが起き始める。

処理中です...