芋虫(完結)

毛蟹葵葉

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 進藤も私と同じように思ったらしい。
 噂や二人で一緒にいるところを見かけて、私は付き合っているのだろうと思っていた。

「その理由で付き合っていたって言い切れるのか?俺は付き合っていないと言い切れるよ」

 水津はキスをしたことを肯定も否定もしなかったけれど、付き合っている事だけはハッキリと否定した。

「何言ってるの、水津さん?」

 今まで付き合っていると思っていた進藤は、それを受け入れられない様子だ。

「君は人の話を全く聞かない。何を言っても無駄だった。だから、適当に話を合わせていたのはあるよ。俺は本社に戻るから大きな害はないって思ったから」

 あと2年すれば彼は本社に戻る。その期間だけ我慢すれば関わらなくなると思って適当にあしらっていたようだ。

「そんな」

 進藤は嫌だと頭を振るが、水津はそんな事など気にせず話し出す。

「話し半分で聞いてた。ちゃんと聞くのが苦痛だったから。でも、休日に会わないのが凛子さんのせいだと妄想するとは思いもしなかったよ」

 水津は、信じられない。と、ため息混じりだ。

「いや、まさかね。脅されてるからって、俺が凛子さんと関係を持つわけないだろう?その証拠がスマホにあるなんてよくそんな事を考え付くね」

 事実をねじ曲げて噂を流すような進藤の話に付き合うのは苦痛だったのかもしれない。だから言葉のやり取りも適当になったのだろう。
 だが、と、私は思う。
 本当に水津は進藤の話し半分で聞いていたのだろうか?と、こうなるように唆したのではないのか。と。
 なぜなら、水津は最初から私の事を嫌っていた。今は態度を軟化してくれたけれど、あれほど悪意を向けてきたのに、そう簡単に人は変わらない。

「水津さんが確かにそう言ったから、だから助けようと思って……」

 進藤は純粋に水津を助けたい一心でこんな事をしでかしたのだろう。
 でも、それが彼女の妄想なのか真実なのか私にはわからない。判断しようにも双方の言い分が信用ならないから。

「俺がそんな事を確かに言ったの?君の話を適当に返事をして聞いてたけど、そんな問題になることを言い出すわけがないだろう」

 私は水津なら確かにこんな大事にせずに問題を上手に解決しそうな気がした。

「あっ………」

 進藤は何かに気がついたように目を見開いて呟いた。
 恐らく水津は私のスマホに弱味があるとは進藤に一言も言わなかったのだろう。

 しかし、そう思わせる方法はいくらでもある。

 進藤との関係を肯定も否定もしなかった彼なら、上手にそう思わせるように誘導することは容易いはずだ。

「コピー室で誘惑されたのは事実無根だ。凛子さんにも失礼じゃないか」

 水津は改めて私が彼を誘惑したことを否定した。

「でも、どれだけ否定しても、他に当事者がいても凛子さんにとって不名誉な噂を流してくれたみたいだけどね」

 水津は進藤ともう一人の女子社員をギロリと睨み付けた。恐らく彼女が噂を広めた張本人なのだろう。

「あ、私は進藤さんが彼氏の水津さんを主任に誘惑されたって相談されただけで、スマホに弱味があるからそれに応じるしかないって話してたから、スマホを手に入れればいいって言っただけです」

 彼女は普段とは別人の水津に明らかに怯えたように、言葉に詰まりながら言い訳を始めた。

「だから、凛子さんを叩いてでも取り上げろって、唆したの?もしかして、後から俺が口裏を合わせてくれるから大丈夫だと思ったのか?」
 
 口ぶりから水津は今回の件は直接的には関わっていないようだ。
 だが、水津が間接的にそうなるように仕向ける事はいくらでも出来る。

「私、そんな事しろなんて言ってません」

「君だって凛子を押して倒したよな?君たちのしたことは犯罪だ」

 静かに責めるように水津は言うが『君達が勝手に勘違いしてやったことだ。俺には関係ない』と、言ってるように私には聞こえた。
 確かに、客観的に見れば彼女達がしたことは窃盗と暴行だ。

「そんなつもりなくて」

 女子社員はさらに言い訳をしようと唇を開いた。

「もう、話さなくていい。どうせ言い訳でしょ。あと、変な噂を流しても君達に不都合になるだけだよ。早く俺と凛子の前から消えろ」

 水津は信じられないくらい冷たい口調で女子社員に念押しすると彼女は『ひっ……』と悲鳴を上げてこの場から走って逃げていった。

「す、水津さん」

 進藤は相変わらず水津にすがるような視線を向けている。

「君と付き合うつもりなんてない。って、何度か言ったはずだ。勝手に噂を流して、今度は大切な凛子を傷つけて」

 水津の言葉には静かな怒りと、明らかな軽蔑が込められていた。

「……」

 進藤はその言葉を息を飲んで聞くだけだ。

「俺からしたら君に強迫されたようなもんだよ。何も悪くない凛子に怪我をさせて」

 水津の唇から出続けたのは彼女を安心させるような甘く優しいものは一切なく、冷たく責め立てるものだった。
 だけど水津は知らない。私には進藤が水津を『誘惑』するような人間だと思われる過去があった。
 実際にそれは真っ赤な嘘でも噂が流された段階で、一部の人間にはそれが事実だと認識される事も知っている。

「騙されないでください。この女は悪女なんです。知っているんですから、3年前のこと」

「何を言ってるの?」

「3年前に婚約者が居るのに浮気したような女なんですよ。そんな人の言うこと事を信じるんですか?」

 やはり、進藤も私の過去を知っていたようだ。

「この女の吐いた嘘のせいで、同期の人たちがどんな目に遭ったのか知っていますか?騙されないで!」

この噂で彼の中で『救いのない人間』に思われるのだろう。

 私はそんな事をぼんやりと考えていた。
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