芋虫(完結)

毛蟹葵葉

文字の大きさ
上 下
31 / 70

31

しおりを挟む
 朝、起きたら水津は居なくなっていた。

「仕事、行きたくないわ」

 昨日あれだけの騒ぎを起こして仕事に行くのは気が滅入る。しかし、行かないといけない。
 はぁ、と、ため息をつきながら私は身支度を整えた。

「おはよう」

 職場に着くといつも私が一番乗りなのに、今日は珍しく柏木が先に来ていた。

「おはようございます。今日は大丈夫です?」

 昨日、送ると言ってくれたのに、私が断ったせいで心配で早くきたのだろう。迷惑をかけないようにしたのに、かえって彼に迷惑をかけてしまった。

「大丈夫」

 私はなるべく明るく返事をした。今日は忘れないように仕事に行く前に薬を飲んだ。だから、大丈夫なはずだ。

「それならいいですけど、困ったら言って下さいね」

 柏木は昨日のことを咎める様子もなくにっこりと笑った。
 できた部下というか、人間が出来ているというか、彼を見ていると自分の劣等感が刺激される。
 どれだけ努力しても、彼のようにはなれないのは分かっている。しかし、こんなふうになりたいと思ってしまう。

「ありがとう」

「進藤には近づかなくていいです。何かあったら僕が指示します。たぶん凛子さんの言うとこなんて無視しそうですから」

 柏木は言いずらそうに目を伏せながら言う。

「ありがとう」

 水津といい柏木といい。私に甘すぎると思う。
 本来なら私がすべき事を彼らにやらせているのだから。

「あんまり気にしないで、しょうがないじゃないですか。そういうことだってあるんですから。割りきらないと、ね?」

「そうだけどね」

「ほら、仕事頑張りましょ!」

 柏木は明るく言いながら私の肩をポンポンと叩いた。今日早く来たのはこれを伝えたかったなのだろう。
 出来た人は彼の事を言うんだろうなと改めて私は思った。見習わないといけない。

「おはようございます。あっ、水津さん!」

 進藤は、今日は一人で出社して水津のデスクにすぐに向かっていた。それから程なくして始業の時間になった。

「……」

 仕事を始めてしばらくすると視線を感じた。そちらに目線をやると進藤が物凄い形相で私を睨みつけていた。
 これで、何度目だろうか、私はうんざりとしていた。彼女のせいで色々と引っかき回されている。心も生活も。
 嫌な視線に耐えてようやく昼の休憩時間になった。

「水津さん、一緒に行きましょう?」

 聞こえてくるのは進藤の声。水津の腕に自分の腕を絡ませて、わざわざ私の目の前を横切っていく。
 その瞬間、目が合うと私にニヤリと目を細めて笑った。水津はこちらの方を見向きもしなかった。
 彼は進藤と話し合う。と、昨日話していた。付き合い続けるのか、別れるのか、どうするのか
 は教えてはくれなかった。もしかしたら、進藤と付き合い続けるのかもしれない。何も言わずにフェードアウトすれば私が察して何も言わないことをわかっていているから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

失った記憶が戻り、失ってからの記憶を失った私の話

本見りん
ミステリー
交通事故に遭った沙良が目を覚ますと、そこには婚約者の拓人が居た。 一年前の交通事故で沙良は記憶を失い、今は彼と結婚しているという。 しかし今の沙良にはこの一年の記憶がない。 そして、彼女が記憶を失う交通事故の前に見たものは……。 『○曜○イド劇場』風、ミステリーとサスペンスです。 最後のやり取りはお約束の断崖絶壁の海に行きたかったのですが、海の公園辺りになっています。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

そして誰かがいなくなった

八代 徹
ミステリー
ある満月の夜に、一人のメイドが姿を消した。 だが他のメイドたちは、もともとそんな人物はいなかったと主張する。 誰がいなくなったかも気づかぬまま、一人、また一人と彼女たちは姿を消し……。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

なにかと困る 磯貝プリント株式会社

霜月透子
ミステリー
下町の小規模企業、磯貝プリント株式会社。従業員80人くらい。社員20人、あとはバイトとパート。社長、専務など役員は主に身内という、アットホームな会社。基本平穏。たまに謎発生。そんなときはちょっとだけ困る。 20代若手社員・石井祐介と60代パート従業員・大塚幸枝のコンビが困りごとを解決していく、ささやかな日常ミステリー。(お仕事タグを付けたのにお仕事っぽさがなくてすみません……) 【第一章 また蓋がなくなりました】 最近、職場の給湯室で、容器の蓋という蓋がなくなるという。 【第二章 またネズミが鳴きました】 最近、社長室で決まった時間にネズミの鳴き声がするという。

豁サ逕コ縲(死町)season3・4・5

霜月麗華
ミステリー
高校1年生の主人公松原鉄次は竹尾遥、弘田早苗、そして凛と共に金沢へ、そして金沢ではとある事件が起きていた。更に、鉄次達が居ないクラスでも呪いの事件は起きていた。そして、、、過去のトラウマ、、、 3つのストーリーで構成される『死町』、彼らは立ち向かう。 全てに

処理中です...