芋虫(完結)

毛蟹葵葉

文字の大きさ
上 下
22 / 70

22

しおりを挟む
 食事は帰り道で適当に済ませて水津の部屋に着くと、何かするという気力はほとんどなくてダラダラとリビングのソファに寝そべる。

「凛子、だらけすぎ」

「いいのよ。お風呂はもう入ったんだから、このまま眠ったって問題ないわよ。歯磨きもしたからいつ眠っても大丈夫」

 呆れた水津の言葉に私は謎の反論をする。人の部屋だということをすでに忘れて、だらけきっているのはどうかと思うのだけれど。

「こういう時は、リラックスしてるっていうのよ」

 たった今思いついた言い訳を口にすると、水津はクスリと笑った。
 水津は私の足元に座ると、大きな手で私の膝小僧を撫でた。羽根が触れるような優しい手つきだ。その手は少しずつ体の中心に向かっていく。
 恋人同士の甘やかな時間を共有しているような気分にさせられる。しかし、彼とはあれから一度も肉体関係はない。プラトニックな体の触れ合いはとても心地よくて、私はそれを逃げずに受け入れる。
 このまま、ベッドに入って水津に抱きしめられて一夜を過ごすのだろう。そう思うと胸の奥がじんわりと温かくなるような気がした。

 静寂は優しく私たちを包んだ。

「ねえ、そろそろ……」

 「眠ろうか」と、私が言いかけたところで邪魔するように。ヴーッ、ヴーッ、と、音を立てて水津のスマートフォンが揺れた。
 今日で何度目だろうか。いや、最近では彼の部屋にいると必ず着信があるのだ。見て見ぬ振りをしてきたけれど。
 しかし、彼はそれに出ようともしない。
 水津はスマホを取りに行って名前を確認して大きくため息をついた。きっと、同じ相手なのだろう。
 スマホはモーター音をさせながら規則的に揺れて。出ろ!と訴えかけているようだ。

「出ていいよ?気になるなら部屋から出るし……」

 スッ、と、気持ちが冷めたような気がした。期待が消えたようなそんな気分だ。
 私は水津から離れるようにソファから立ち上がると、引き止めるように腕を掴まれた。

 水津はもどかしそうな顔をしていた。

「いいんだ。出なくても」

「ごめん。私の方がそういうの放って置く君にいい気分がしない。相手は誰か知らないけど、話さないといけない相手なら電話に出て」

 私が言えた義理ではないけれど、ようやくそれだけ口にすることができた。

「そう、ですね」

 水津は苦しそうな顔をして笑う。相手は進藤なのだろう。私は本能的にそれを察した。

「すぐに答えが出せない事なら仕方ないと思うよ。なんで喧嘩してるのか知らないけど。一時的に逃げるのはいいと思うよ。でも、いつかはちゃんと向き合わないと」

 想いが釣り合わない事はいくらでもある。しかし、水津も彼女を好きなのだろう。だからこそ、困り苦しんでいるのかもしれない。
 だけど、逃げていてもどうにもならないのだ。私は一時的な逃げ場にはなるかもしれない。だけど。それだけだ。

「そう、だね。今まで放っておいた事が廻り巡って来てるんだ。ちゃんと決着をつけないといけないんだよね。やっぱり」
「……」
「なんでだろう。一緒に居たときはとても好きだったよ。でも、離れたらそうでもないって思えてきて、別れ話が拗れてて、いや、別れたけど向こうがまだ連絡してきて」
「うん……」

 水津なりに複雑な事情があのだろ。苦しむのはきっと、まだ想いがあるから……。
 本当は別れたい。と、彼は思っていないのかもしれない。

「出なよ、席外すから」
「いや、いいよ。俺が離れるから」

「わかった。あの、今から帰るよ。ゆっくり話した方がいいと思うし部屋に呼んだら?私なんかよりもそっちを優先させて」

「………。凛子より優先させることなんてないよ」

「いいのよ。ちゃんと話し合って。私の事はいいから」

 私は水津の手をゆっくりと外して、荷物をまとめるつもりで離れた。

「……とにかく出ます。帰らないで、お願いだから」

 水津は懇願するようにそう言って、部屋から出て行った。

「私って最低」

 割り切った関係なのに罪悪感が芽生えている。仕事のためになんでもするつもりでいたのに、いざ相手を知ると苦しくなってきた。
 むしゃくしゃした気分でソファに横になると、瞼が重たくなってきた。


『凛子?寝ちゃったの?』

 水津の声が聞こえる。ちゃんと返事をしなきゃいけない。


 眠ってないよ……。
 そうは言いつつも、本当は私の意識には霞がかかりぼんやりとしている。

『参ったなぁ、せっかくずっと一緒に居られると思ったのに』

 眠ってないからね。

『あと2年したら俺、戻るのに』

 そうだったね。寂しいな。君といるの楽しいよ。本当だよ。

 私は水津と共有する時間が楽しくなっていた。確かに痛め付けられた事はあったけれど、途方に暮れるくらい退屈な時の時間の潰し方を彼は教えてくれた。
きっと、一人になっても大丈夫な気がする。

『あぁ、泣かないでよ。ちゃんと逢いに行くから』

 うふふ。ありがとう。嘘でも嬉しい。泣いてないよ。むこうに戻ったら私の事は忘れてね。

『いや、忘れないよ。逢いに行くし。俺の事忘れないでよ』

 忘れないよ。忘れないから。

『酷い事してごめんね。もし、俺がまた』

 気にしてないよ。慣れてるから。どうでもいいことだと思えばなんともない。
 私の事は忘れられて思い出さなくてもいいから。
戻ったら二度と逢うこともないよ。
 私は、絶対に忘れるから。大丈夫だよ。

『酷いな、そんな事泣きながら言うことじゃないよ』


 泣いてないよ。大丈夫。ひとりでも。きっと。
 ぎゅむっと何か温かくて大きな物に包まれて私は安心して眠りについた。

 水津と離れる事が少しだけ寂しく感じるようになっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R15】アリア・ルージュの妄信

皐月うしこ
ミステリー
その日、白濁の中で少女は死んだ。 異質な匂いに包まれて、全身を粘着質な白い液体に覆われて、乱れた着衣が物語る悲惨な光景を何と表現すればいいのだろう。世界は日常に溢れている。何気ない会話、変わらない秒針、規則正しく進む人波。それでもここに、雲が形を変えるように、ガラスが粉々に砕けるように、一輪の花が小さな種を産んだ。

私の中の深い闇

けいこ
ミステリー
私の容姿は醜い。 でも、あなたを好きになってしまった。 だから、私は綺麗になる。 邪魔な人間は排除しなきゃ。

復讐の旋律

北川 悠
ミステリー
 昨年、特別賞を頂きました【嗜食】は現在、非公開とさせていただいておりますが、改稿を加え、近いうち再搭載させていただきますので、よろしくお願いします。  復讐の旋律 あらすじ    田代香苗の目の前で、彼女の元恋人で無職のチンピラ、入谷健吾が無残に殺されるという事件が起きる。犯人からの通報によって田代は保護され、警察病院に入院した。  県警本部の北川警部が率いるチームが、その事件を担当するが、圧力がかかって捜査本部は解散。そんな時、川島という医師が、田代香苗の元同級生である三枝京子を連れて、面会にやってくる。  事件に進展がないまま、時が過ぎていくが、ある暴力団組長からホワイト興産という、謎の団体の噂を聞く。犯人は誰なのか? ホワイト興産とははたして何者なのか?  まあ、なんというか古典的な復讐ミステリーです…… よかったら読んでみてください。  

そして何も言わなくなった【改稿版】

浦登みっひ
ミステリー
 高校生活最後の夏休み。女子高生の仄香は、思い出作りのため、父が所有する別荘に親しい友人たちを招いた。  沖縄のさらに南、太平洋上に浮かぶ乙軒島。スマートフォンすら使えない絶海の孤島で楽しく過ごす仄香たちだったが、三日目の朝、友人の一人が死体となって発見され、その遺体には悍ましい凌辱の痕跡が残されていた。突然の悲劇に驚く仄香たち。しかし、それは後に続く惨劇の序章にすぎなかった。 原案:あっきコタロウ氏 ※以前公開していた同名作品のトリック等の変更、加筆修正を行った改稿版になります。

アナグラム

七海美桜
ミステリー
26歳で警視になった一条櫻子は、大阪の曽根崎警察署に新たに設立された「特別心理犯罪課」の課長として警視庁から転属してくる。彼女の目的は、関西に秘かに収監されている犯罪者「桐生蒼馬」に会う為だった。櫻子と蒼馬に隠された秘密、彼の助言により難解な事件を解決する。櫻子を助ける蒼馬の狙いとは? ※この作品はフィクションであり、登場する地名や団体や組織、全て事実とは異なる事をご理解よろしくお願いします。また、犯罪の内容がショッキングな場合があります。セルフレイティングに気を付けて下さい。 イラスト:カリカリ様 背景:由羅様(pixiv)

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

幸福物質の瞬間

伽藍堂益太
ミステリー
念動力を使うことのできる高校生、高石祐介は日常的に気に食わない人間を殺してきた。 高校一年の春、電車でいちゃもんをつけてきた妊婦を殺し、高校二年の夏休み、塾の担任である墨田直基を殺した後から、不可解なことが起き始める。

時の呪縛

葉羽
ミステリー
山間の孤立した村にある古びた時計塔。かつてこの村は繁栄していたが、失踪事件が連続して発生したことで、村人たちは恐れを抱き、時計塔は放置されたままとなった。17歳の天才高校生・神藤葉羽は、友人に誘われてこの村を訪れることになる。そこで彼は、幼馴染の望月彩由美と共に、村の秘密に迫ることになる。 葉羽と彩由美は、失踪事件に関する不気味な噂を耳にし、時計塔に隠された真実を解明しようとする。しかし、時計塔の内部には、過去の記憶を呼び起こす仕掛けが待ち受けていた。彼らは、時間が歪み、過去の失踪者たちの幻影に直面する中で、次第に自らの心の奥底に潜む恐怖と向き合わせることになる。 果たして、彼らは村の呪いを解き明かし、失踪事件の真相に辿り着けるのか?そして、彼らの友情と恋心は試される。緊迫感あふれる謎解きと心理的恐怖が交錯する本格推理小説。

処理中です...