芋虫(完結)

毛蟹葵葉

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 次の日の朝、私より先に目を覚ました水津が朝食を用意してくれた。
 準備してもらって申し訳ないと思いつつ朝食を摂っていると、水津はソワソワとした様子で口を開いた。

「今日はどこか行きたいところある?」

 突然そう言われても思い浮かばない。
 水津がどこかに連れていくつもりなんだ。程度にしか考えていなかった。
 澤田と付き合っていた時はどうだったのだろう。
 行きたいところはちゃんと言っていたと思う。一度だけ「海を見に行きたい」と言ったことがある。しかし、「わがままを言うな」と切り捨てられてそういうことが何度もあって何も言えなくなった。
 何も言わなくなると「意志がないのか」と詰られた。

「わからないわ」

 本当に何も思い浮かばなくて私は途方に暮れてしまう。
 私は今まで何を楽しみに生きてきたのだろう。ふと、そんなことを考えてしまう。

「泊まるところが限られるけど、しようと思えば今から旅行もできるし。遠出したいなら行けるよ?ただの買い物でもいいし」

 水津はヘソを曲げた子供に言い聞かせる父親のように優しく根気よく色々な提案をしてくる。
 これが、彼の本来の優しさなのかもしれない。演技の可能性もあるけれど。
 私なんかに根気強く付き合ってくれなくていいのに。

「わからないの。何も思い浮かばなくて」

 ようやくそれだけ言うと、水津はなぜか悲しそうな顔をする。私に気にかける必要なんてないのに。

「ないなら俺は部屋に置く凛子の物を買いたいんだけど。これから行き来するだろうし、お気に入りの物があった方がいいと思うけどな。どう?」

 なぜ、私が今後も水津の部屋に泊まる事になっているのだろう?
 真っ先に思ったのはそれで、けれど、体の関係からの友人になるのなら、それもおかしなことではないのかもしれない。

「何かしたいことでもいいよ。夏ならコンサートに行きたいでも、話題のお店に並びたいとかでもいいよ」
「したいこと?」
「そう、何でもいいんだ」

 水津の瞳はとても優しく私を映していて、その言葉に嘘はなさそうだ。
 けれど、何も浮かばない。今したいことも、未来にしたいことも。

「何もないの」

 ようやくそれだけ言って水津の顔色を窺う。
 きっと、怒るだろう。と、思っていた。しかし、彼は困った顔をして「じゃあ、買い物に行こうか」とそれだけ言った。


「凛子、どの花瓶がいい?」

 ショッピングモールに着くと水津は、真っ先に雑貨店に私を連れて行った。
 なんでも、私の部屋に置く花瓶を買いたいそうだ。

「何で花瓶なの?部屋にあるじゃない」
「そうだけど、贈りたいんだよ」

 花瓶が増えても何も困ることなんてないけれど、自分で買えるのに買ってもらうのは申し訳ない気がした。

「自分で買えるから、大丈夫よ」

 断りを入れると、水津は私の肩をツンツンと突いた。

「あっ、ねえ。これを見て」

 水津が手に取ったのはガラス製の花瓶だ。藍に緑がかかった色の切り子ガラスだろうか。

「綺麗」

 私がそれを手に取るとひんやりと冷たい。つるりとした滑らかな感触が心地よい。
 しかし、ガラス製は衝撃に弱いのですぐに壊してしまいそうだ。

「買いましょう。買わせて」

 水津は、私の手の中にあった花瓶を取った。なかなかの金額でこれを出してもらうのは良心が痛む。

「でも、悪いわ」
「じゃあ、これは俺の物で、凛子の部屋に置いておくから使って」

 それは、実質あげたことになるんじゃないのか。

「だから買わせて。壊れたらまた一緒に見に行こう。怒りませんから」

 水津は私の懸念すらお見通しのようで、困ったように笑った。
 忘れかけていた胸の高鳴りを思い出すような気がして、私はそれを直視できなかった。

「……っ?」

 不意に、ピリピリ。と、ひりつくような視線を感じた。気を張っているせいなのかもしれない。しかし、悪意を向けられているような嫌な気分だ。

「どうしたの凛子?」

 私が突然押し黙ったせいで、水津は心配そうに顔色を伺う。

「何でもないわ」

 それだけ言うと、周囲を見回しその視線を探した。
しかし、見つかるはずもなく。胸の中で不安が渦巻いていく。

「変な凛子」

 水津はなにも気がつかないようで、「大丈夫?」と声をかけて、さりげない仕草で私を抱き寄せた。まるで、恋人同士みたいに。

「う、うん。大丈夫」

 それだけ言うと私は居心地が悪くて水津の腕から逃げた。
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