芋虫(完結)

毛蟹葵葉

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「送ろうか?」
「大丈夫。帰れるわ」

 帰り際、柴多にそう言われて私はやんわりとそれを断る。とにかく彼と離れたかった。

「少し寒いわね」

 11月の夜は薄手のジャケットを羽織っているとはいえ少し寒い。けれど、冬の訪れを感じさせる夜風は、ひんやりとしていて心地いい。

「腐らないことよね。地道に仕事をこなしていく……、それしか出来ないんだもの」

 出世ができなくても、後輩にきっと先を越されても、地べたに這いつくばっても、私に出来ることはそれしかない。
 そう考えていると、いつのまにかアパートに着いていた。

「あれ?」

 自分の部屋のドアの前に人が立っていた。
 背の高さ的に男性だろう。彼は寒そうに身をすくめている。

「……え?」

 私は思わず腕時計で時間を確認する。時刻はまだ10時過ぎだ。彼が来るにはまだ早すぎる。
 しかし、顔を見るとやはり水津だ。

 なぜ、ここにいるのだろう?

 真っ先に思ったのはそれで、その直後に、待つにはあまりにも薄着の彼が心配になってしまった。

「す、水津くん!?なんでいるの?」
「来ちゃダメなんですか?」
「そんな事、言ってないわ」

 私は慌てて部屋のドアを開ける。水津は玄関に入ると、風を凌げたのに安堵したのか、小さく息を吐いた。

「あの人、アンタの何?」

 帰り際のやりとりを見ていたのか部屋に入るなりの質問に、私は少しだけ嫌な気分になる。今は、柴多の事は忘れたかった。

「同期。一緒に食事に行っただけよ」
「へぇ、アンタでも食事する人が居るんだ。セックスしか興味ないと思ってた」

 水津は片頬を歪めて笑った。馬鹿にするように。

「付き合いよ、ただの」
「付き合いね。どうせ、咥え込んできたんだろう?」

 私を侮辱する言葉に、頭に血がカッと昇った。

「死んでも嫌よ!」

 反射的に出た言葉に、私は思わず自分の口を押さえた。
 感情のコントロールがうまくできない。柴多が本社に行くと聞いた事で気持ちが揺らいでいる。
 過去に迫られた事のある水津なら、私の事をそう思っても仕方のないのに……。
 これは、完全に八つ当たりだ。ごめんなさい。と、私は謝ろうと思った。それなのに。

「本当に?」

 水津の伺うような目に、私は居心地が悪くなる。
そのおかげでいくらか冷静になれた。

「嘘じゃないわ。彼の事が好きじゃないの」

「そう、なんだ」

 「嫌い」と言えば理由を聞かれそうで、私は言葉を濁した。そして、話を変えるつもりで水津を通り過ぎて部屋の中に入る。

「寒かったでしょ?玄関に立ってないで座ったら?」

「あ、はい」

 水津は言われるままに、部屋の中に入ってきた。
 そして、私はあることに気がつく。彼は着替えないまま部屋に来たようだ。
 薄手のスーツのまま待っていたのかと察すると、私は慌ててお風呂の準備をした。
 どのくらい待っていたのかわからないけれど、風邪を引いたら可哀想だと思ったからだ。
 シャワーを浴びてベッドに向かうと、先にお風呂に入った水津が考え込んでいるような表情で座っていた。
 バスタオルを腰に巻きつけているので、身体の線がよくわかる。無駄な贅肉のない引き締まった体。端正な顔立ちをしている彼は、ひとつの絵画のように綺麗だ。
 彼は本来なら私が触れるべきではない存在。進藤のような綺麗で可愛い子が彼の側にはよく似合う。
 コピー室での二人を思い出して、もう二度とここには来ないだろうと私は思っていた。

「遅かったね」

 水津からはいつもの険が取り払われていて私は戸惑った。

「ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。来て」

 その言葉と共に水津は私をベッドへと引き寄せた。
予想外のことを私は驚いて身体を強張らせた。

「っ、何?」

 強く抱きしめられて、首筋には湿り気を帯びた熱い呼気が散った。
 濡れた唇が私の首筋に当てられて、強く吸い寄せられて驚いて身を捩る。

「っつ!」

「口にキスはしないから」

 水津は、私の体から何かを探すような手付きで触れ、熱く湿り気を帯びた唇が再び首筋に触れた時、怖くなった。
 彼が何を考えているのかわからなくて。

「なんでこんな事をするの?」

「別に、たまにはいいじゃない」

 恐怖から出た問いかけに、水津はクスリと笑った。

「今まで通りでいいから、やめて」

 優しく触られるのが怖い。手酷く抱かれた方が、まだ、彼が私に向ける憎悪をはっきりと感じられるから良かった。

「もう、あんな事はしない」

 水津はふざけた様子もなく真剣な様子でそう返すと、また、私の体を撫で始めた。
 いつのまにか私の身体を包むバスタオルは取り払われていた。

「嫌なの、私、こんな事……、やめて。本当に、嫌なの」

 水津の熱い手が壊れそうな物を触れるように、舌がまるで蝶が花の蜜に触手を伸ばすように胸や耳を舐める。

「やだ、やめて。いやだ……」

 居た堪れない。今までの行為は俯瞰して見る事ができた。
 これは、水津への罪滅ぼしのための行為で、シーツに首を垂れて彼に心の中で謝り続けて許しを乞うているつもりでいられた。
 痛みだけが私を罰してくれるのだと、思っていた。
 それなのに、水津は、まるで大切な物に触れるような優しい手で私の身体の中を暴くのだ。

「嫌だ、嫌」

 うわ言のように何度も拒絶したのに、彼はそれを止める事はなかった。
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