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「僕の事はしばらく、高梨じゃなくて尚って呼んで。ずっと、でもいいけど。苗字だと変でしょ?」
言われてみてたしかにその通りだと思った。しかし、それは顔合わせのときだけでいい話ではないだろうか。
会社で名前で呼ぶにはハードルが高い。
「え、ちょっと、それは。当日にそう呼ぶから」
「ボロが出るよ。由寿さんって嘘が下手だし。でも、僕だって、遠藤さんじゃなくて由寿さんって呼んでるから別にいいんじゃない」
嘘が下手なのはその通りだから、悲しいけれど否定は出来ない。
だけど、私の名前を勝手に呼んでいるのは高梨だ。
「それは、勝手にそっちが」
「たかな」
「尚って言ってよ」
眼鏡のレンズ越しの隔たりがあるけれど、彼の目はそれを望むように熱く、胸の鼓動が早くなっていく。
熱が出たように頬がやけに熱くなる。
言いたくない。言ったら何かが壊れそうな気がする。
「言って」
真剣な目に促されて、熱に浮かされたように私は口を開く。
「尚……くん」
熱望されて、断る勇気なんてない。言い訳になるのかもしれないけれど、正己のような有無を言わさない口調ではないのに、力のある言葉。
言ったと同時に何か大切なものが崩れていくような気がする。
私は彼との関係が深くなるのが怖い。
正己に手酷くフラれたり、罵られるよりも。ずっと。
高梨に惹かれている。ずっと前から。
「なんか、重たいボディーブローくらったみたいな気分。大丈夫。当日は僕に任せて。お店の予約もしておくから」
「う、うん」
私は高梨に全てを任せることにした。結果がどうであれ、受け入れるつもりだ。
「大丈夫。僕に任せて、不安かもしれないけどゆっくり休んで」
高梨はそう言って、車に戻って行った。
部屋の中に戻ると、私は今日1日の事を思い返していた。
高梨は私の事をまだ好きだと思う。
「どうしたら良いんだろう」
悩まなくても本当は答えが決まっている。
ただ、気持ちの切り替えが上手に出来ないだけで、私は前に進むのが恐いのだ。
もう少し、見つめ直す時間が欲しい。
高梨の部屋の痕跡を洗い流すように、シャワーを浴びても気は晴れなかった。
そして、約束の日は鬱屈とした暗い空をしていた。
高梨とは駅前で待ち合わせだったのに、部屋に迎えに来た時は面食らってしまったけれど。
そのせいで、11時に駅に着いてしまった。
正己達は11時半に自動改札口の前で待ち合わせなので、まだ時間がある。
「由寿。こっち、人が多いから気を付けて」
『恋人役の練習』と称して、高梨はちゃっかり私の事を呼び捨てで呼ぶようになった。
たぶん、今回の件が終わっても続きそうな気がする。止めてもきっと直さないだろう。
私は今の友達のままでいたいけれど、高梨はそれを許さない。このまま関係は進んでいくような気がする。
高梨の部屋で過ごすのが心地いいのと同じように、ズブズブとぬるま湯に飲み込まれていくように。
「ほら、手を繋いで。あと少しで改札口だから」
そう言って、了解すら取らずに私の手を掴む始末だ。
歩くスピードを私に合わせられると、必然的に恋人同士が仲良く歩いているように見えてしまうから不思議だ。
待ち合わせの改札口は程なくしてついた。しかし、手を緩める様子はない。
正己達が来る時間は11時半だ。それを考えると、まだ十数分ほど時間がある。
「お店はどこにしたの?」
無言は耐えられなくて、私は任せきりにして、気になっていた事を確認した。
「駅前の大通だと混むし、騒がしいから静かな所にしたよ」
車がなくても生活が出来る程度の都会に住んでいると、遊ぶところは必然的に駅前になってしまう。
しかし、駅前は土日は混み合っていて、ゆっくりと顔を合わせて話すのは難しい。
食事をするとしたら、高梨と一緒に行ったお店が真っ先に浮かぶ。
「前のお店?」
「同じところだと、飽きるかなと思って別のところ」
どこにしたのだろう?そう考えて良いところは思い浮かばない。
そういえば、距離を置くまではいつも高梨の車に乗って、私達は出かけていた。
「友達」という言葉にどれだけ甘えていたのだろう。彼が思い詰めた表情で「好きだ」と言った時、私は怖かった。
普段の彼とは違う激しい一面を見た気がする。私の何も全てが飲み込まれそうな恐怖。
正己を理由に自分には言い聞かせていたけれど、また距離を縮めると引力のように強く彼に惹かれていく。
きっと、意識しなければ考えもしなかっただろう。
「そうなんだ」
今は考えないようにして、目の前の事に集中しよう。
そつなく何でもこなす高梨に任せれば、不安になる必要はないだろう。
むしろ心配する方が失礼かもしれない。
「落ち着いた喫茶店だよ」
それなら、安心できる。
「そうなんだ」
「別の機会にまた行こうか?」
高梨は、悪戯っぽく笑った。ちゃっかりとまた約束を取り付けるあたりが、人付き合いの上手さを感じさせられる。
私は彼の強引さを感じさせない、ものの薦め方が好きだ。
なぜ、彼は私にこんなにも構うのだろう。
それが、ずっと不思議だった。魅力的な女性は他にも沢山いるのに。
言われてみてたしかにその通りだと思った。しかし、それは顔合わせのときだけでいい話ではないだろうか。
会社で名前で呼ぶにはハードルが高い。
「え、ちょっと、それは。当日にそう呼ぶから」
「ボロが出るよ。由寿さんって嘘が下手だし。でも、僕だって、遠藤さんじゃなくて由寿さんって呼んでるから別にいいんじゃない」
嘘が下手なのはその通りだから、悲しいけれど否定は出来ない。
だけど、私の名前を勝手に呼んでいるのは高梨だ。
「それは、勝手にそっちが」
「たかな」
「尚って言ってよ」
眼鏡のレンズ越しの隔たりがあるけれど、彼の目はそれを望むように熱く、胸の鼓動が早くなっていく。
熱が出たように頬がやけに熱くなる。
言いたくない。言ったら何かが壊れそうな気がする。
「言って」
真剣な目に促されて、熱に浮かされたように私は口を開く。
「尚……くん」
熱望されて、断る勇気なんてない。言い訳になるのかもしれないけれど、正己のような有無を言わさない口調ではないのに、力のある言葉。
言ったと同時に何か大切なものが崩れていくような気がする。
私は彼との関係が深くなるのが怖い。
正己に手酷くフラれたり、罵られるよりも。ずっと。
高梨に惹かれている。ずっと前から。
「なんか、重たいボディーブローくらったみたいな気分。大丈夫。当日は僕に任せて。お店の予約もしておくから」
「う、うん」
私は高梨に全てを任せることにした。結果がどうであれ、受け入れるつもりだ。
「大丈夫。僕に任せて、不安かもしれないけどゆっくり休んで」
高梨はそう言って、車に戻って行った。
部屋の中に戻ると、私は今日1日の事を思い返していた。
高梨は私の事をまだ好きだと思う。
「どうしたら良いんだろう」
悩まなくても本当は答えが決まっている。
ただ、気持ちの切り替えが上手に出来ないだけで、私は前に進むのが恐いのだ。
もう少し、見つめ直す時間が欲しい。
高梨の部屋の痕跡を洗い流すように、シャワーを浴びても気は晴れなかった。
そして、約束の日は鬱屈とした暗い空をしていた。
高梨とは駅前で待ち合わせだったのに、部屋に迎えに来た時は面食らってしまったけれど。
そのせいで、11時に駅に着いてしまった。
正己達は11時半に自動改札口の前で待ち合わせなので、まだ時間がある。
「由寿。こっち、人が多いから気を付けて」
『恋人役の練習』と称して、高梨はちゃっかり私の事を呼び捨てで呼ぶようになった。
たぶん、今回の件が終わっても続きそうな気がする。止めてもきっと直さないだろう。
私は今の友達のままでいたいけれど、高梨はそれを許さない。このまま関係は進んでいくような気がする。
高梨の部屋で過ごすのが心地いいのと同じように、ズブズブとぬるま湯に飲み込まれていくように。
「ほら、手を繋いで。あと少しで改札口だから」
そう言って、了解すら取らずに私の手を掴む始末だ。
歩くスピードを私に合わせられると、必然的に恋人同士が仲良く歩いているように見えてしまうから不思議だ。
待ち合わせの改札口は程なくしてついた。しかし、手を緩める様子はない。
正己達が来る時間は11時半だ。それを考えると、まだ十数分ほど時間がある。
「お店はどこにしたの?」
無言は耐えられなくて、私は任せきりにして、気になっていた事を確認した。
「駅前の大通だと混むし、騒がしいから静かな所にしたよ」
車がなくても生活が出来る程度の都会に住んでいると、遊ぶところは必然的に駅前になってしまう。
しかし、駅前は土日は混み合っていて、ゆっくりと顔を合わせて話すのは難しい。
食事をするとしたら、高梨と一緒に行ったお店が真っ先に浮かぶ。
「前のお店?」
「同じところだと、飽きるかなと思って別のところ」
どこにしたのだろう?そう考えて良いところは思い浮かばない。
そういえば、距離を置くまではいつも高梨の車に乗って、私達は出かけていた。
「友達」という言葉にどれだけ甘えていたのだろう。彼が思い詰めた表情で「好きだ」と言った時、私は怖かった。
普段の彼とは違う激しい一面を見た気がする。私の何も全てが飲み込まれそうな恐怖。
正己を理由に自分には言い聞かせていたけれど、また距離を縮めると引力のように強く彼に惹かれていく。
きっと、意識しなければ考えもしなかっただろう。
「そうなんだ」
今は考えないようにして、目の前の事に集中しよう。
そつなく何でもこなす高梨に任せれば、不安になる必要はないだろう。
むしろ心配する方が失礼かもしれない。
「落ち着いた喫茶店だよ」
それなら、安心できる。
「そうなんだ」
「別の機会にまた行こうか?」
高梨は、悪戯っぽく笑った。ちゃっかりとまた約束を取り付けるあたりが、人付き合いの上手さを感じさせられる。
私は彼の強引さを感じさせない、ものの薦め方が好きだ。
なぜ、彼は私にこんなにも構うのだろう。
それが、ずっと不思議だった。魅力的な女性は他にも沢山いるのに。
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