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嵐の夜

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「お待たせしました。夜まで見に行けなくて申し訳ありません」

 どのくらい時間が経ったのだろうか。いつの間にか朔也がドア越しに声をかけてきた。
 時計を見ると9時を5分ほど過ぎており、私は一日中モヤモヤと考え続けていた事になる。
 朔也は申し訳なさそうに言うけれど、短時間ではあるが何度も私の様子を見に来てくれていた。
 ほとんど話すことは出来なかったが、かなり無理をさせているような気がする。
「いえ、何度もお食事を持ってきてくれて、ありがとうございます」
 彼には感謝しかない。何度か声をかけてくれなかったらきっと、気でも狂っていたと思う。
 それくらい、いつ誰かにここから連れ出されて、海に放り投げられないか、殺されないか不安で仕方なかった。
 この状況がより朔也の存在を私のなかで大きくさせた。
「お食事は食べられたようで良かったです」
 朔也の声はいつもよりも無防備だ。そこには、少しだけ疲労の色が伺えた。朝からの事を考えてみれば当然だ。その上、私や麗美のために時間を割いているのだ。
 きっと、今夜は廊下で彼は寝るだろう。
 そう考えてしまうと、少しでも休んで欲しい。ただでさえ疲れているのに、このままだと彼は倒れてしまう。
 私は何も手伝うことすらできないのだ。きっと、誰一人朔也の手伝いなんてしていない気がした。
「あの、廊下で番をするのも申し訳ないので部屋に入りませんか?」
 思わず口から出てしまった言葉の大胆さに、自分には恥じらいというものがないのかと頬が熱くなってきた。
 幸い朔也には見られない状況だが、ドア越しでも戸惑っているのが空気でわかる。
 こんな事を言ってしまうのはきっと、心細くて少しだけ朔也の側に居たいからだ。
「そのようなわけにはいきません」
 私の申し出に朔也はやはり固辞した。
「そうですか、しかし、床は固いですし、それに、しっかりと見張っていてくれたほうが彼らにとっては安心ではありませんか?」
「……。確かにそうですね。では少しだけ」
 私の無理矢理の誘いに渋々だが、部屋の中に入ってきてくれた。
 朔也の顔色はとても悪い。
「あの、お茶を何か飲みますか?」
 朔也に確認する前にケトルにミネラルウォーターを入れて沸騰させる。
「紅茶かコーヒーくらいしか淹れられませんが」
「ありがとうございます」
「あの、座ってください」
 呆気に取られたようにお礼を言う朔也をソファに座るように促す。
「はあ」
 朔也はソファに腰をかけると、小さくため息をつきぼんやりと天井を見上げていた。本当にお疲れの様子だ。
 その負担の理由が私であるとわかっているから、何でもいいから彼にしてあげたかった。
「お客様にこんなことをさせてしまって、申し訳ありません」
「気にしないでください。私よりもお茶を入れるのが上手な方に振る舞うのは、緊張しますけど」
「色々と見苦しいところを見せてしまって申し訳ありません。ここから出られたら、僕がお茶をご馳走しますね」
 朔也は、朝の取り乱したことを言っているのか私に謝ってくる。
「おきになさらず。私は大丈夫ですから。朔也さんのおかげで怪我ひとつありませんし」
 もしも、朔也が居なかったら間違いなく屋敷から追い出されていただろう。
 それを考えると彼は命の恩人のようなものだ。
「与一様がなぜあのような事に……」
 朔也は小さく呟いて頭を抱えた。
「そうですね」
 あの孫達の秘密が気になるがとてもではないが、他人の家庭に首を突っ込むのは憚られる。
 それに、朔也を目の前にして嫌われるかもしれないと考えると、とてもではないが聞けない。
 この一日で私の考えはすっかり別のものになっていた。それだけ、孤独というものは人を変えるのだ。
「少しだけ聞いてもらってもいいですか?」
 どんな話なのだろう?
「はい」
「今回の事です。与一様は自分の先が長くないことをわかっておりました。ですから、今後の事を話すために鳴海様を呼びました」
「ご自分の身体の事をわかってらっしゃっていたんですね」
 そうか、やはり与一はわかっていて私を呼び出したのか。
「はい。僕はですから貴女を守らなくてはならない」
「なぜ?」
 これが与一が関わる最後の仕事かもしれないが、なぜ私を守らなくてはならないのだろう?
「与一様はなに不自由なく育ててくれました。僕は本来なら隠される存在の人間でした」
 それは、朔也が誰かの愛人の子供という事なのだろうか?でも、だから私に罪悪感を感じる必要などないはずだ。
「彼は日陰者の僕や母親に手を差し向けてくれました。それはきっと、鳴海様が本来なら手にする物だったと思うのです。だからこそ申し訳ないと思っておりました」
 今にも泣き出しそうに私を見る。それは、初めて感情をむき出しにして見せてくれたように思えた。
 他人行儀だった朔也が本音を出してくれたようで、少しだけ嬉しかった。
「私は別にいいんです。それに、父親が与一さんとは限らないですよ」
 結局、母親の過去を私は何一つ知らないのだ。
「確かにそうかもしれません。しかし、与一様は真海様をとても、愛しておられました。自分の子供でなかったとしても貴女の事を愛していたと思いますよ」
「……なんだか信じられませんね」
 とてもではないが、信じられない。だったら、なぜ私を早く連れてこなかったのだろう。
 恨んでいるわけではないが、なんだかそれがしっくり来ないのだ。
「そうかもしれませんね。今の貴女はちょうど与一様と真海様が出会った時と同じ年なのです。だから呼び出したのかもしれません」
「そうなんですね」
 死が近くなって亡くなった母を懐かしむために私を呼び出したのかもしれない。もし、そうなら与一はとても身勝手だ。
「僕は与一様の使用人です。亡くなるまで付き添うつもりでした」
 しかし、私がそんな事を思っても朔也はそうとは思っていないだろう。
 彼の思いを察すると胸が苦しくなった。予想よりもずっと早い死と彼が殺された事。それをすぐに受け入れるのは難しい。
 私はまだ、少しだけ母親との別れを覚悟する時間はあった。
 このまま彼は潰れたりしないだろうか?

「僕に出来ることは一つだけです。最後まで仕事を全うする事です」

 それは、まるで決意するようだった。

「ですから、僕は自分の命に代えてでも貴女を守り抜きます」

 その一言にまた私の胸は締め付けられた。
 もしかしたら、もうこの想いは植物の蔓のように心に絡み付き逃げられないのかもしれない。

「そろそろ眠りませんか?」
 私は考えるのをやめようと彼に声をかける。
「そうでしたね」
 もう、時計は夜の12時を過ぎていた。
 彼は明日も忙しいはずだ。それを考えると夜更かしをさせるのは申し訳ない。
 与一の事は引っ掛かる部分があるけれど、それは彼にわかるはずもないだろう。
 私はそう結論付けた。
「あの、私はソファに寝るので、朔也さんはベッドに」
「いけません。そのような事!」
「でも」
「この島での仕事が、僕にとって使用人としての最後の仕事です。出来れば全うさせてください」
 朔也がそう言うのなら従うしかない。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」

 私たちはそれぞれ寝床についた。

 バケツをひっくり返したような土砂降りの音が聞こえる。

 電気を消しに行こうとする。朔也の後ろ姿はシャツのせいか、ぼんやりと発光するようで私はあの時の夜顔にそっくりだと思った。
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