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与一の死

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「……眠れない」

 自分の家のベッドに比べると、遥かに寝心地のいいベッドで何度も寝返りを打つ。その度に身体が沼に飲み込まれるように沈んでいくような気分だ。
 部屋に響くのは強くなった雨風の音。目を閉じると、土砂降りの外で寝転がっているようだ。
「どうしよう」
 壁にかけてある時計は夜中の0時半を示していた。眠れないからといってスマホを触ろうにも圏外だ。
「はぁ、眠るんだ。眠るの」
 半ば強引に目を閉じると、少しずつ瞼が重たくなっていく。
 それにしても凄い雨だわ。いつになったら止むのかしら?
 少しだけ怖い。何もないといいけれど。


「鳴海様!」

 ドンドンと部屋のドアを叩く音が聞こえる。何だろう。何かあったのだろうか?
 嫌な予感がしながら、私はようやく眠りにつけそうだったのに、と残念な気持ちで起き上がる。
 無意識に時計を見ると4時だ。こんな時間に何事だろう?
 まだ言うことを聞かない身体を引きずるように歩き、ドアを開けると。
 血相を変えた朔也が立っていた。ただならぬ気配に私の不安は強くなっていく。
 

「良かった!無事で」

 朔也は安堵した様子で唐突に私の手をぎゅうっと握りしめた。
 あまりの突然さに驚きつつも、触れられた場所が発火したように熱く、広がっていくのを感じる。まるで心臓に向かう植物の蔦のように。
 私は、この気持ちは止められないのかもしれない。
 しかし、彼がこんなにも慌てて何かあったのだろうか?どこかの屋根が落ちたのだろうか?
「何か?」
「あ、あの、すみません。貴女にしか頼めない、事があります」
 朔也は自分を落ち着かせるように、大きく息を吸い込んだ。
「何かあったのですか?」
 私にしか出来ない事?とは一体どういう事なのだろうか?
 今の朔也はどう見てもおかしい。必死に取り繕っているようだが、気が動転しているように見える。
「……与一様が。恐らく、息を引き取っています」
「それはどういう」
 恐らく息を引き取っているとはどういう事なのだろうか?
「専門ではないので身体にさわるのは良くないと思いますので、と、とにかくご確認を」
 つまり、私に死亡確認をしてほしいという事なのだろうか?与一が亡くなった事以外、朔也の説明ではわからない。
 詳しく聞くのは与一の死亡確認をしてからの方がいいだろう。
「わかりました。あの、与一さんは末期癌ですよね?」
 キッチンでは聞けなかった事を私は躊躇いながら確認した。死因はそれということなのだろうか?
「はい、そうです。とにかく見てもらえますか?」
 しかし、癌で亡くなったにしても、気が急いている朔也の様子にはどこか違和感がある。
「わかりました。行きましょう」

「お祖父様……。お祖父様……。殺される。私は悪くない」

 与一の部屋の前に着くと、麗美はドアの横に自分の身体を抱くように床に座り込み、うわ言のように物騒な言葉を呟いていた。
 『殺される』とはどういうことだろうか?
「あの、朔也さん」
「は、はい」
 私が声をかけると、部屋の中の与一をぼんやりと見つめていた朔也は、上の空だったのか、ハッと気が付いたように返事をする。明らかにおかしい。
「鳴海様。確認をお願いします。僕は何をすれば……?」
 朔也は咄嗟の判断で私を起こしに来たようだ。しかし、やっていることはかなり後手に回っている気がする。しかし、私を起こしに来てくれるだけまだ良かったのかもしれない。
「警察に連絡はしましたか?」
「い、いえ。まだです」
「お願いします」
「わ、わかりました」
 朔也は慌てて駆け出していった。

「死にたくない。私は悪くない。だって……」

 麗美は怯えた様子でカタカタと身体が震えており、恐らく彼女が与一を一番最初に発見したのだろうか。しかし、二人の様子はどう見ても尋常ではない。嫌な予感がする。
「失礼します」
 私は決意をするように、誰ともなしに挨拶をして部屋に入った。
 彼は亡くなっているとハッキリと私は断定する。先程まであった『死臭』はもう彼から漂って居ないからだ。
 ガン特有の死臭は本人が亡くなるとその臭いが消えてしまうのだ。
 働いていた部署の影響で今まで亡くなった人と対面する事は母親以外になく。
 怖くて身体が震えるのがわかる。しかし、私はしなくてはいけない。
 震える手で与一のそっと手首に触れた。
「ない」
 脈はやはり触れない。身体はまだ温かく、死後硬直は始まっていないようだが。
 無駄だとわかっていても、大きな動脈のある首筋に触れる。
「……ない」
 やはり脈は触れない。
「えっ?」
 与一の首筋には手形の赤い斑点がある。
「これ、もしかして」
 死因は、ガンによる衰弱ではなくて誰かに首を絞められたから?
 朔也の麗美の取り乱し様はこのせいだったのか。
「嘘でしょう……?」
 あの船の中のように視界が揺らぐ。ふらついてガタンと背中に何かが当たる。突然の痛みに顔を歪めながら振り向く。
「これは持続注射の機械?抗ガン剤を使用していたの?栄養剤を使用していた?」
 今は、こんな情報を頭に入れてもなんの意味もない。そんな事よりも頭の中を整理しないといけない。与一は間違いなく誰かに殺されている。
 でも、誰に?
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