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到着

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「お迎えは二日後です。ごゆっくり」
「お、お世話に、なっ」
 船長が私に苦笑いで声をかけ、島に近付く嵐から逃げるように船はどんどん小さくなっていった。
 私はというと吐き気という荒れ狂う嵐の中を体感しているようだ。

「大丈夫ですか?お部屋で休みましょう」
 朔也は私を落ち着かせようと、ゆっくりと背中を撫で始めた。気遣う純粋な善意に心が温かくなってくるようだ。久しぶりに人に触れられた感触に、どことなく気持ちは落ち着いてきた。
「は、うっ」
 私は呻き声を上げ吐き気に耐えながら、自己嫌悪に陥る。
 船の上は恐ろしく揺れて何度も吐き。周りの人にかなり迷惑をかけたと思う。誰一人迷惑そうな顔はせず慣れたことのように対応されたが、恥ずかしかった。
 道の駅にから見たときは波の強さはわからなかったが、いざ船に乗ると海は荒れていて。島について地上を歩いているというのに、眩暈がまだ続く。
 酩酊感と二日酔いを同時に味わっているようだ。
「ぐっ、うっ」
 船の上での繰り返しの嘔吐に、朔也は意外にも優しく接してくれた。こういう時、本性というものは出てくる物で、その人柄がうかがえる。
 島に着いてから立つことも出来ず、座り込む私を見て、彼は何一つ悪くないのに申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「その様子だと一人じゃ歩けませんね。ほら、僕にもたれてください。」
 様子を見ようと私の顔をのぞきこまれると、込み上げてきた物の臭いを気にしてしまう。何度も吐いた手前。本当に今更なのだが。
 綺麗な人の前で自分の汚ならしい姿を見られるのはあまりにも嫌だった。
「あ、でも、また吐いて、うっ」
 無理に離れようと顔をそらすとまた込み上げてきた。
「着替えればいいだけですから気にしないでください」
 口調は淡々としているが、そっと背中を撫で続ける手つきは優しくて安心する。
 一息をつきながら、目を閉じると吐き気が少しだけ良くなったような気がした。
「っう。ありがとうございます」
 こらえながらお礼を言うと彼は少しだけ驚いた顔をした。
「あの何か?」
「いえ、何も。お部屋に案内しますね。お食事の時間まで休んでいてください」
 あちらの方に挨拶をせずにズカズカと家に入ってもいいのだろうか?と、私は不安になった。
 普通なら「お邪魔します」と挨拶をして人の家に入るものだ。
「あ、でも」
「無理をされて体調を崩すのはいけませんから。このまま屋敷に入っても大丈夫です。立てますか?」
 そう言って腰に華奢だが男性的な腕が巻き付くと、心臓が早く脈打つ音が聞こえてきそうだ。こうなってしまうのは、きっと、彼が綺麗だから。
「っ」
 あまりに近い距離に私は息を飲んだ。朔也の肌は白く滑らかで、整った顔立ちは石膏像のように美術品じみていた。
 こんなにも綺麗な人に傅かれる日が来るなんて夢にも思わなかった。しかし、優越感など全くなく、申し訳なさと卑屈な気分しかない。
「っ、はい。立ちます」
 なんとか、自力で立ち上がろうとするが。
「あっ」
 バランスを崩し朔也に抱きついてしまう。倒れてしまいそうで、胸にしがみつくとうっすらと筋肉のついた身体つきだという事がわかる。
「な、鳴海さま?」
 戸惑うような朔也の声に私は正気に戻った。
 なんて、恥ずかしいことをしているのだ。顔が熱くなるのがわかる。
「あ、ご、ごめんなさ」
 慌てて身体を離そうと胸に手を着くと、彼はなぜか私を抱き締めた。
「このまま、僕から離れても同じことだと思います。無理しないで、落ち着くまでこのままでも大丈夫ですから」
 そう言ってまたゆっくり私の背中を撫でてくれた。
 私は彼の心臓の音を聴きながら、目を閉じ眩暈が収まるのを待った。


「この部屋を使ってもいいんですか?」
眩暈が落ち着くのを待って部屋に案内されて、ポカンと口を開けてしまった。
「狭くて不都合ですか?」
 朔也は不安げにこちらを見るが、貧乏人がこんなに大きな部屋で不都合を感じるわけがない。
 広すぎて落ち着かないくらいだ。
「いえ、そんな事ありません。とても広いです」
「それならいいのですが。お部屋には浴室もお手洗いもありますからご自由にどうぞ。あと、この島はスマートフォンなどは圏外になりますから。屋式内はご自由に歩き回ってもらっても構いません」
「は、はい」
 朔也はそう言い残して部屋から出ていった。

 私はベッドの上にちょこんと座った。まだ、微かにあった吐き気は部屋を見て緊張で一気に収まった。
「はあ、どうしたらいいの」

「手持ち無沙汰だな。本当にどうしよう。誰ともまだちゃんと挨拶もしていないし」
 与一やその他の親族の顔や名前すら私は知らないのだ。
「大丈夫かな。本当に」
 時間を潰そうとして鞄の中にあるスマートフォンを取ろうとして、圏外だと言われた事を思い出してやめた。
 船に乗ったり、船酔いで足止めを食らったが時刻はまだ4時だ。
「本当に何もすることがないわ」
 目を閉じると、普段の疲れが一気に出たのか眠たくなっていく。


「お母さん!」
「ごめんね。守ってあげられなくて」

 今でも死に際に心苦しそうに謝る母親の姿が目に焼き付いて離れない。
  私が看護師になろうと決意した日は母親が亡くなった日。少しでも終末期の患者が心穏やかに生活できるように手伝いがしたい。そんな家族に寄り添える仕事がしたかった。
 あの時、誰でもいいから支えてほしかった。一人で母親と一緒に居たら不安で、何度も心がおしつぶれそうだった。
 自分みたいに不安な人が少しでも減り、かけがえのない家族との時間を、心穏やかに過ごせる手伝いが私はしたかった。
 けれど、現実はそう簡単ではなかった。資格の違いで私は、大きな病院では働く事が出来なかった。どれだけ知識を詰め込んでもそうだ。
 それに、収入が少なくて上の看護学校に行くための学費を簡単に賄う事も出来ない。
 遺産を貰おうなんて浅ましい限りだが、今回はチャンスなのかもしれない。自分の夢を叶えるためにも。これできっと、縁が切れるだろう父親を知るためにも。

 もう、父親の幻想に憧れて苦しむ必要なんてない。
 結局、自分の夢を叶えられるのは自分だけで、私は一人で生きて行くにはもっと強くならないといけないんだ。

「ああ、夢か」

 母親が出てくる夢を久しぶりに見た気がする。

「お母さん。大丈夫。大丈夫だよ。きっと、私は生きていけるから。一人でも。苦しくても」

 私は自分に言い聞かせる。あれから、親身になってくれた人なんて居なかった。そしてこれからもそう。
 誰一人私を心配なんてしてくれない。
 これからどうなるか予想もつかないが、母親が息を引き取る直前に「守れなくてごめんね」と言ったのはこの事なのだろう。ずっと、与一の愛人の子供として、私が矢面に立たされる事を恐らく憂いていたのだ。
 私の事を一番愛してくれたのはこれから先も後も母親しかいない。


 私は知らない間に出ていた涙を拭った。
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