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第9話 あなたはうつくしい人だから
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新年度に意気込んで買った日記帳は、ぽつぽつとしか埋まらない。でも、大学1年生の生活は、僕なりに楽しかった。
衣真くんとの勉強会は続けることにした。衣真くんと二人で出かけることもあった。一緒に衣真くんの眼鏡を選びに行った。ときどき2人でごはんを食べに行った。展覧会なんかにも一緒に行った。
僕と衣真くんは、友達としては上出来だった。問題は、僕が衣真くんをずっと好きなこと。
バイト代を貯めて、髪色を変え、ピアスを開けた。軟骨ピアスは痛かった。
鏡を覗いたとき、アッシュヘアのハーフアップに、耳にはピアスがバチバチ開いた塩顔イケメンが覗き返してきて、全然悪くないじゃんって思った。素直に嬉しかった。
派手な見た目になると、好意を寄せてくれる人が増えた。純粋に派手なファッションを好んでくれる人もいるけど、「派手なのに話してみると優しいギャップにやられた」という人がとても多かった。
僕は実際大人しくて真面目な文学青年なわけだし、僕の人格を見てくれる人たちの方が好きだった。
デートをするようになった。僕の中では「付き合わない」って結論が出てるデート。
相手が僕の気を引こうとしたり、そわそわした雰囲気になったり、好意のある目を向けられてくすぐったくなったり、帰り際にドギマギしながらさよならしたり、そういうこと全部が楽しかった。
僕はデートという行為に酔っていたし、自分がモテることに調子に乗っていた。
僕が考えてるのは「衣真くんだったらいいのにな」って、それだけだった。
ある夜、3年生の男の人とデートした。年上の人とデートしたことはあまりなくて——と言っても、僕は浪人しているから彼とは1歳しか変わらないんだけど——彼は僕よりずっと落ち着いていた。僕に向ける好意の視線が浮ついていなかった。これから僕をどう料理するか、決めているふうだった。つまり、僕は初めて手綱を握られていた。
「早暉くんって、呼んでいい? 綺麗な名前だから」
穏やかな声で言われた。彼——二階堂さんという——は落ち着いていた。僕が「NO」と言うとは少しも思っていないふうだった。実際僕は、彼の唇が発した「早暉くん」の響きにくらくらして、「いいです」と言うしかなかった。
初めてぐらついた。衣真くんじゃなくてもいいんじゃないかと思った。彼は素敵だった。彼も古着系の派手な格好をしているけれど、読書家で、英米文学を専攻していた。僕たちはよく似ていると思った。
「早暉くん、お酒はまだ飲めないんだっけ」
「そうですね。誕生日、12月なので」
「そっか。もう少し一緒にいたいのに」
こうやってストレートに言われたときの断り方を、僕は知らなかった。いつもだったら、相手は曖昧にこのあとの予定を訊ね、僕は相手の気持ちに気づかないフリをして「帰ろうか」と言う。いつもそうしていた。
「えっと……。2軒目行きましょうか? 僕はノンアル飲むので……」
「ぼくの家に来てよ」
彼の指先が、僕の指先に触れた。肌と肌が触れ合うと、あたたかいのだと知った。僕は彼の家に行ったら何が起きるのかを理解した。
「早暉くん、初めて?」
「……まあ、そうです」
「こんなにカッコいいのに。好きな人がいるんだね」
「……」
どうして僕の心を当てられるのか分からなかった。
「付き合おうなんて言わないよ。今日だけ、早暉くんを帰したくなくなっただけ」
そのとき僕は、キス以上のことを知らなかった。初めては衣真くんがいいと、ぼんやり思っていた。でも、快楽を知りたがる好奇心と、まっさらでいることに焦る気持ちが、僕に違う道を選ばせた。
「……僕は、どっちになるんですか、つまり——」
「早暉くんに抱かれたいな」
僕は衣真くんを抱きたいんだろうか、それとも抱かれたいんだろうか? 二階堂さんとのこれは、あくまで衣真くんと結ばれたときの予行演習で、それならば僕と衣真くんの関係に即していなければ……。
衣真くんに、肉欲なんてあるんだろうか。性の目つきで眺めていいんだろうか。
僕は好きな人があまりに綺麗で、泣きそうになった。
「早暉くん? 抱く方もできるよ」
「いや……僕が、抱く、方で……」
彼は目を細めて笑った。僕は彼に対して欲情を感じて、そのことに混乱した。
彼——二階堂さん——の部屋は本のにおいのするワンルームで、僕は初めて身体を繋げることを知った。
「はい、お水」
「ありがとうございます」
「好きな人とするときは、早暉くんが持ってきてあげるんだよ」
僕は真っ赤になって「はい」と呟いた。僕は初めてで、全然上手くできなかったし、二階堂さんを満足させられたか分からないし、事後の気も利かなかった。
「二階堂さん」
「ん?」
「もう一回」
「ん? そんなによかった?」
二階堂さんはけらけら笑った。
衣真くんが性を、セックスを、知っているなら——ここで僕は、岡部と内山さんを思い浮かべて、酸素を奪われたように苦しくなった——僕が1回しようと2回目をしようと、大した裏切りにはならない。
ただ、初めて知った快楽がもう一度欲しかった。
衣真くんとの勉強会は続けることにした。衣真くんと二人で出かけることもあった。一緒に衣真くんの眼鏡を選びに行った。ときどき2人でごはんを食べに行った。展覧会なんかにも一緒に行った。
僕と衣真くんは、友達としては上出来だった。問題は、僕が衣真くんをずっと好きなこと。
バイト代を貯めて、髪色を変え、ピアスを開けた。軟骨ピアスは痛かった。
鏡を覗いたとき、アッシュヘアのハーフアップに、耳にはピアスがバチバチ開いた塩顔イケメンが覗き返してきて、全然悪くないじゃんって思った。素直に嬉しかった。
派手な見た目になると、好意を寄せてくれる人が増えた。純粋に派手なファッションを好んでくれる人もいるけど、「派手なのに話してみると優しいギャップにやられた」という人がとても多かった。
僕は実際大人しくて真面目な文学青年なわけだし、僕の人格を見てくれる人たちの方が好きだった。
デートをするようになった。僕の中では「付き合わない」って結論が出てるデート。
相手が僕の気を引こうとしたり、そわそわした雰囲気になったり、好意のある目を向けられてくすぐったくなったり、帰り際にドギマギしながらさよならしたり、そういうこと全部が楽しかった。
僕はデートという行為に酔っていたし、自分がモテることに調子に乗っていた。
僕が考えてるのは「衣真くんだったらいいのにな」って、それだけだった。
ある夜、3年生の男の人とデートした。年上の人とデートしたことはあまりなくて——と言っても、僕は浪人しているから彼とは1歳しか変わらないんだけど——彼は僕よりずっと落ち着いていた。僕に向ける好意の視線が浮ついていなかった。これから僕をどう料理するか、決めているふうだった。つまり、僕は初めて手綱を握られていた。
「早暉くんって、呼んでいい? 綺麗な名前だから」
穏やかな声で言われた。彼——二階堂さんという——は落ち着いていた。僕が「NO」と言うとは少しも思っていないふうだった。実際僕は、彼の唇が発した「早暉くん」の響きにくらくらして、「いいです」と言うしかなかった。
初めてぐらついた。衣真くんじゃなくてもいいんじゃないかと思った。彼は素敵だった。彼も古着系の派手な格好をしているけれど、読書家で、英米文学を専攻していた。僕たちはよく似ていると思った。
「早暉くん、お酒はまだ飲めないんだっけ」
「そうですね。誕生日、12月なので」
「そっか。もう少し一緒にいたいのに」
こうやってストレートに言われたときの断り方を、僕は知らなかった。いつもだったら、相手は曖昧にこのあとの予定を訊ね、僕は相手の気持ちに気づかないフリをして「帰ろうか」と言う。いつもそうしていた。
「えっと……。2軒目行きましょうか? 僕はノンアル飲むので……」
「ぼくの家に来てよ」
彼の指先が、僕の指先に触れた。肌と肌が触れ合うと、あたたかいのだと知った。僕は彼の家に行ったら何が起きるのかを理解した。
「早暉くん、初めて?」
「……まあ、そうです」
「こんなにカッコいいのに。好きな人がいるんだね」
「……」
どうして僕の心を当てられるのか分からなかった。
「付き合おうなんて言わないよ。今日だけ、早暉くんを帰したくなくなっただけ」
そのとき僕は、キス以上のことを知らなかった。初めては衣真くんがいいと、ぼんやり思っていた。でも、快楽を知りたがる好奇心と、まっさらでいることに焦る気持ちが、僕に違う道を選ばせた。
「……僕は、どっちになるんですか、つまり——」
「早暉くんに抱かれたいな」
僕は衣真くんを抱きたいんだろうか、それとも抱かれたいんだろうか? 二階堂さんとのこれは、あくまで衣真くんと結ばれたときの予行演習で、それならば僕と衣真くんの関係に即していなければ……。
衣真くんに、肉欲なんてあるんだろうか。性の目つきで眺めていいんだろうか。
僕は好きな人があまりに綺麗で、泣きそうになった。
「早暉くん? 抱く方もできるよ」
「いや……僕が、抱く、方で……」
彼は目を細めて笑った。僕は彼に対して欲情を感じて、そのことに混乱した。
彼——二階堂さん——の部屋は本のにおいのするワンルームで、僕は初めて身体を繋げることを知った。
「はい、お水」
「ありがとうございます」
「好きな人とするときは、早暉くんが持ってきてあげるんだよ」
僕は真っ赤になって「はい」と呟いた。僕は初めてで、全然上手くできなかったし、二階堂さんを満足させられたか分からないし、事後の気も利かなかった。
「二階堂さん」
「ん?」
「もう一回」
「ん? そんなによかった?」
二階堂さんはけらけら笑った。
衣真くんが性を、セックスを、知っているなら——ここで僕は、岡部と内山さんを思い浮かべて、酸素を奪われたように苦しくなった——僕が1回しようと2回目をしようと、大した裏切りにはならない。
ただ、初めて知った快楽がもう一度欲しかった。
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