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第二部 「優しいお正月」作戦編

14. てんこ盛りのお月見団子

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 月見バーガー……。月見バーガー……。
 柘植野はそればかり考えて、大量の新刊にサインをしていた。
 筆名が望月眞舟もちづき まふねだったのがわざわいして、柘植野は「望月見眞舟」という書き間違いを量産した。

「先生! お月見が楽しみなのはよく分かりましたけど! 子どもたちに向けて心を込めてサインしてください!」
「ハッ!!」

 谷口に叱咤されて、柘植野は反省した。

 そうだ。このサイン本は、僕が始めた物語を一緒に旅してくれる子どもたちの手に渡るものなんだ……!

「……お恥ずかしいばかりです」
「『旅の仲間』って、いつもおっしゃるじゃないですか」

 谷口が微笑む。
 柘植野が書いているのは、東洋風のファンタジー。香りが魔法の力を持つ世界で、苦しみ、もがき、泥臭く、それでも生きようと冒険に踏み出す主人公たちを描く大作だ。
 今柘植野がサインしているのは、シリーズ3作目。

 柘植野は読者を「旅の仲間」と呼ぶ。2冊も一緒に旅をしてくれた仲間に届けるサインなのに、僕は月見バーガーのことばかり……。

 深く反省した柘植野は、心を込めて残りのサインを終え、出版社のビルを出た。

 電車を乗り継いで池袋で降りる。
 トートバッグのポケットから、メモを取り出した。
 柴田の字のメモだ。一画一画は角ばっているのに、全体としては丸っこく、優しい字。
 柴田の性格が現れているようで、柘植野は柴田の字が大好きなのだ。愛しくなって、柘植野は小さく微笑んだ。

「さて、最初は……」

 メモは、各チェーン店の月見バーガーのリストになっている。
 柴田が食べたい順に並んでいるから、一番上の店から回らないといけない。

 柘植野は「売り切れ」にめげそうになりながら、なんとか3個の月見バーガーを手に入れた。

 帰宅して『買ってきましたよ』と柴田に連絡すると、すぐにドアベルが鳴った。

文渡あやとさんおかえりなさい。お仕事お疲れさま」
「ありがとう。……すごくたくさん作ったね?」

 柴田は、厚紙でできたお供え台を両手で持っている。その上には、大量のお月見団子が綺麗きれいな山になっている。

「お月見団子、好きなんだよねー」
「……月見バーガー3個もあるけど」
「3個もゲットしてくれたの! やったー!」

 柴田は問題なく全部食べるつもりのようだ。
 柘植野は安心して台ごと団子を受け取り、ローテーブルに乗せた。
 それから少し考えて、テーブルを窓辺に移動させた。

「いつもと場所が違う! 月見感あるね!」
「ここから月が見えるのは南中だから、真夜中だけどねぇ……」
「雰囲気は大事だから。バーガー半分ずつ食べよ」
「うん。あったかいうちに」

 2人はわくわくしながら3個のバーガーの包装を開けた。

「これ、すぐるさんが一番食べたがってたやつだよ。食べてみて」
「いい? ありがとう! いただきます!」

 柴田は大きなひと口でかぶりついた。

「どう?」
「おいひい……。文渡さんも食べてて」
「ありがとう。いただきます」

 柘植野は、照り焼き味が売りの月見バーガーを選んだ。
 バンズに焼き印が押されていて、テンションが上がる。

 ひと口目では、黄身に届かず白身だけが口に入った。だが、これがなかなかおいしい。
 淡白な白身に照り焼きソースがかかると、白身のツルツルとした食感を再発見して楽しめる。

 2口目で黄身に当たった。
 固めに焼かれた黄身がほろほろと崩れて、それから照り焼きソースが垂れて、口の中で混ざり合う。
 なかなか濃厚な味の卵で、照り焼きソースに負けていない。ここで柘植野はまた、黄身の味わいのよさを再発見した。

「おいしい~。優さんのは?」

 柴田はビーフと目玉焼きが重なったバーガーを食べている。

「めっちゃおいしい! 卵がいつもより存在感あるからさ、ビーフに負けてなくてガチンコ!って感じで、バランスいいんだよな」
「僕も照り焼きを食べて同じことを思った」
「ほんとに!? おれはもう半分食べたから、どうぞ」
「ありがとう。次のを食べてて」

 最後のバーガーは、ベーコンが挟まっている。
 先に食べた方がベーコンを引き抜いてしまいそうなので、包丁で半分に切った。

「じゃあ、いただきます」
「うん。せーので食べるの、嬉しいな」

 柴田が照れた顔で言った。2人はくすくす笑って、同時にバーガーにかぶりついた。

「おいひい~!!」
「うん。これはおいしい」

 ベーコンにはよく塩コショウを効かせてある。
 その尖った味を、ふんわりと甘みのあるバンズと、卵のまろやかな味わいが挟み込む。

「おいしかった~。文渡さん、買ってきてくれて本当にありがとう」
「いいえ。こちらこそ、お団子作ってくれてありがとう」
「どういたしまして! どんどん食べて~」

 柘植野は正直、「今からひたすらこの量のお団子を食べ続けるのか……」と思っていた。
 しかし1個口に入れて驚いた。

 市販のお月見団子とは違う。あんこが入っているわけではなく、丸めただけの素朴なお団子。
 その甘さが絶妙なのだ。
 甘みは確かにあるのだけれど、お菓子のように甘いか、と聞かれると一瞬迷う。それくらい甘さが控えめだ。

 普段食べているお菓子の甘さでもない気がする。もっと角が取れた、やわらかい甘みを感じた。

「優さん、すごくおいしい」
「気に入った? おれこのレシピが好きでさ。毎年お月見を楽しみにしてる。お団子目当てで」

 柴田がケラケラ笑う。

「前から作ってるレシピなの?」
「そう。死んじゃったおばあちゃんのレシピ」
「あ……」
「だいぶ前に亡くなったんだけど。てんさい糖を使ってるから、優しい甘さでしょ」
「ああ、そうなんだ。普段のお菓子と何か違うと思った」
「文渡さん、舌が肥えてきたね」
「……ふふ。誰のおかげだと思ってるの?」

 柘植野は急にたまらなく柴田が愛しくなって、抱きついた。柴田が笑う。

「なに? どんどん食べて」
「うん。どんどん食べられそう」

 柘植野の心は、じわじわとあたたかくなっていた。
 柴田が「おばあちゃん」と言うとき、家族の話で初めてやわらかい表情をしていた。
 柴田にも、優しい家族がいたんだと思うと、泣きそうになる。

 きっと、そのおばあちゃんが、優さんをこんなにまっすぐに育ててくれたんだ。
 僕がこんなに素敵な人と出会えたのは、おばあちゃんのおかげじゃないだろうか。

 やっぱり、柴田を実家に帰したくないと柘植野は思った。
 妹の冷淡で小馬鹿にした態度を目の当たりにして、柴田の実家に気に入られようという気持ちはすっかり冷めた。

 まだ南向きの窓から月は見えない。
 それに、お月見はお願い事をする行事でもない。
 それでも、柘植野は見えない月に祈った。

 どうか、僕が大好きな柴田さんを実家の人たちから引き離せますように。
 柴田さんの家族が、これ以上柴田さんを傷つけませんように。

「文渡さん、ぼーっとして、どうしたの」
「ああ……」
「ほら、あーん」

 柴田がお団子をひとつ取って、柘植野の口に入れた。
 2人は幸福に笑った。

「月、見えないね。お月見散歩に行きましょうよ」
「いいね! 少し涼しくなったし」

 お団子は2人のお腹にしっかり収まった。ごちそうさまをして、満月に秋の実りを感謝した。

「今日のお散歩は、優さんの行きたい方にずーっと歩いてみましょうよ」
「えーっ!? おれ、方向音痴だけど!?」
「なんとかなるから」

 柘植野は、夜の散歩に秘密の計画を隠している。
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