53 / 104
第一部 ご飯パトロン編
53. もう隠さなくていい
しおりを挟む
柘植野のもとに友人の結婚式の招待状が届いた。スーツを引っ張り出して確認すると、腹周りが少しキツくなっていた。
柴田さんの料理はおいしすぎるな、と柘植野は苦笑した。
ネクタイなんて久しく結んでいないので、練習のつもりで結び、鏡を見た。
「髪が……長いな……?」
糀谷に開けられたピアスホールを隠すため、柘植野は耳が隠れる長さまで髪を伸ばしている。レディースヘアのショートボブくらいの長さだ。
今までは気にしていなかったけれど、メンズスーツには合わない気がする。
思い切って、右の髪を耳にかけてみた。
柘植野には、動揺したときに耳たぶに爪を立てる癖があり、痛々しい傷が残っている。
でも、直視しても恐ろしくはなかった。
もう隠さなくていい。
だって僕は、あのひととはずうっと離れた人生を歩んでいくんだから。
耳たぶの傷を隠す化粧品はあるのか検索すると、コンシーラーというのがいいらしい。
おすすめのコンシーラーを教えてほしいとしほりに連絡して、美容院を予約した。
◇◇◇
思い切って髪を切った。柘植野はすぐに柴田に会いたくなって、連絡して大学に向かった。
柴田に指定された場所にはピアノサークルの会員が集まっていた。柘植野は距離を取って、柴田が抜けてくるのを待った。
背の高い柴田がこちらを向いて、ふっと顔を逸らして……もう一度バッと柘植野を見た。お手本のような二度見だ。
「柘植野さーん!」
大きな声で呼んで、駆け寄ってくる。ほかの会員がざわついているが、いいのだろうか。
「髪を切ったんですか!」
「ええ。どうでしょう」
特にこだわりもなく、長さを短くしただけのスタイルなのだが。
「とってもカッコいいです! でも、長いの触りたかったのに……。触っていいですか?」
「え? いいですけど……」
柴田の大きな手が、柘植野の猫っ毛をさらさらと撫でる。
ピアノサークルの集団から強い視線を感じて、柘植野はとても恥ずかしかった。
「お待たせしました。帰りましょ。夕ご飯は何にしようかな~」
「もうサークルはいいんですか?」
「いいんです。だべってただけだから」
柴田は大きな声で「お疲れさまでーす!」とサークルの面々に叫び、柘植野と歩き出した。
「あの……ラブレター、どうでした?」
88枚のラブレターを渡してから、柴田は何も言ってこない。
分量が分量だから読む気が起きなくても仕方ないけれど、せっかく書いたから読んでほしいのも事実だ。
「すっごいです! 『ラブ』の言葉がこんなにたくさん世界にはあって、それをぎゅっと集めておれだけが読めるようにしてくれてほんとに嬉しいです! もったいないから1日1枚読んでます!」
「ありがとう。1日1枚。なるほどね」
柘植野は可笑しくなって笑った。
「柴田さんは、クッキーとか1日1枚って決めて食べるタイプですよね」
「バレてましたか。柴田さんは付け合わせから食べて舌慣らしするタイプですよね」
「よく見てますね」
「好きなものは最後にとっておくタイプ」
「その通りです」
柘植野の胸はじんわりあたたかくなった。
僕たちはもうこんなにお互いのことを知っていて、これからもっと知ってゆくんだ。
「柘植野さん」
「なんですか?」
「手をつなぎませんか?」
緊張した顔でまっすぐ自分を見つめる柴田が愛しくて、すぐに大きな手を精一杯包んだ。
猛暑の日、恋人の手は気温よりも熱く火照っている。でも暑苦しいなんて思わなかった。
幸福の小さな泡がはじけるようで、ぱちぱちと恋心がくすぐられる。
「柴田さん。ちょっと大胆な手のつなぎ方をしてもいいですか」
「えっ!? いいです……」
柴田の表情は驚きと、疑問と、期待を素直に表現していて、柘植野はまたこの青年が愛しくなる。
手のひらを合わせて、指と指を絡める形にする。
「……大胆です、柘植野さん」
「気に入りましたか」
「とっても、気に入りました」
幸福な2人は、少しずつ身体を寄せ合った。
文学部棟の前を通りかかって、ふと思い出した。
「柴田さん、オープンキャンパスのときに会った『憧れの人』って、僕ですよ」
「えーっ!? ずっと前に出会ってたんですか!? それでとっくに再会してたんですか!? 確かにめっちゃイケメンでした!」
柴田は大きな声で言葉を重ねる。柘植野は楽しくなって、朗らかに笑った。
「じゃあ、柘植野さんは……おれの……う、運命の人ってことですか」
よく動く目が、おどおどと柘植野をうかがう。
「『運命』って考えるより、偶然が重なって結ばれた縁を、お互いの努力でここまでつないできた、って考える方が、僕は好きです」
柴田は泣き出しそうな笑顔で笑った。
ひまわりのように笑うって、こういうことだろうと柘植野は思った。
明るくてまぶしい、僕の恋人。
「柘植野さん、大好きです。最初っから大好きです」
「僕も、あなたが大好きですよ」
柴田は感激したのだろう、柘植野にぐいぐい身体を押し付けて歩く。
柘植野も嬉しかった。「憧れの人」なんて切り札を切るまでもなく、柴田さんが僕を選んでくれたことが。
これからは恋人つなぎで柴田さんと歩こう。
柴田さんが88枚のラブレターを読み終わるまで、ぼくたちは夕ご飯と言葉を交換して暮らそう。
交換を続けて、柴田さんが「もうお腹いっぱいです」と言う日が早く来ればいいと思う。
そのとき、僕の言葉でなみなみと満たされた柴田さんが、それでもまだ僕を選んでくれたらいいなと思う。そうであってほしいと思う。
きゅっと手を握られて、大柄な恋人を見上げる。照れた笑顔を交わす。
僕の願いは、きっと叶うだろうと、柘植野はその瞬間に思った。
柴田さんの料理はおいしすぎるな、と柘植野は苦笑した。
ネクタイなんて久しく結んでいないので、練習のつもりで結び、鏡を見た。
「髪が……長いな……?」
糀谷に開けられたピアスホールを隠すため、柘植野は耳が隠れる長さまで髪を伸ばしている。レディースヘアのショートボブくらいの長さだ。
今までは気にしていなかったけれど、メンズスーツには合わない気がする。
思い切って、右の髪を耳にかけてみた。
柘植野には、動揺したときに耳たぶに爪を立てる癖があり、痛々しい傷が残っている。
でも、直視しても恐ろしくはなかった。
もう隠さなくていい。
だって僕は、あのひととはずうっと離れた人生を歩んでいくんだから。
耳たぶの傷を隠す化粧品はあるのか検索すると、コンシーラーというのがいいらしい。
おすすめのコンシーラーを教えてほしいとしほりに連絡して、美容院を予約した。
◇◇◇
思い切って髪を切った。柘植野はすぐに柴田に会いたくなって、連絡して大学に向かった。
柴田に指定された場所にはピアノサークルの会員が集まっていた。柘植野は距離を取って、柴田が抜けてくるのを待った。
背の高い柴田がこちらを向いて、ふっと顔を逸らして……もう一度バッと柘植野を見た。お手本のような二度見だ。
「柘植野さーん!」
大きな声で呼んで、駆け寄ってくる。ほかの会員がざわついているが、いいのだろうか。
「髪を切ったんですか!」
「ええ。どうでしょう」
特にこだわりもなく、長さを短くしただけのスタイルなのだが。
「とってもカッコいいです! でも、長いの触りたかったのに……。触っていいですか?」
「え? いいですけど……」
柴田の大きな手が、柘植野の猫っ毛をさらさらと撫でる。
ピアノサークルの集団から強い視線を感じて、柘植野はとても恥ずかしかった。
「お待たせしました。帰りましょ。夕ご飯は何にしようかな~」
「もうサークルはいいんですか?」
「いいんです。だべってただけだから」
柴田は大きな声で「お疲れさまでーす!」とサークルの面々に叫び、柘植野と歩き出した。
「あの……ラブレター、どうでした?」
88枚のラブレターを渡してから、柴田は何も言ってこない。
分量が分量だから読む気が起きなくても仕方ないけれど、せっかく書いたから読んでほしいのも事実だ。
「すっごいです! 『ラブ』の言葉がこんなにたくさん世界にはあって、それをぎゅっと集めておれだけが読めるようにしてくれてほんとに嬉しいです! もったいないから1日1枚読んでます!」
「ありがとう。1日1枚。なるほどね」
柘植野は可笑しくなって笑った。
「柴田さんは、クッキーとか1日1枚って決めて食べるタイプですよね」
「バレてましたか。柴田さんは付け合わせから食べて舌慣らしするタイプですよね」
「よく見てますね」
「好きなものは最後にとっておくタイプ」
「その通りです」
柘植野の胸はじんわりあたたかくなった。
僕たちはもうこんなにお互いのことを知っていて、これからもっと知ってゆくんだ。
「柘植野さん」
「なんですか?」
「手をつなぎませんか?」
緊張した顔でまっすぐ自分を見つめる柴田が愛しくて、すぐに大きな手を精一杯包んだ。
猛暑の日、恋人の手は気温よりも熱く火照っている。でも暑苦しいなんて思わなかった。
幸福の小さな泡がはじけるようで、ぱちぱちと恋心がくすぐられる。
「柴田さん。ちょっと大胆な手のつなぎ方をしてもいいですか」
「えっ!? いいです……」
柴田の表情は驚きと、疑問と、期待を素直に表現していて、柘植野はまたこの青年が愛しくなる。
手のひらを合わせて、指と指を絡める形にする。
「……大胆です、柘植野さん」
「気に入りましたか」
「とっても、気に入りました」
幸福な2人は、少しずつ身体を寄せ合った。
文学部棟の前を通りかかって、ふと思い出した。
「柴田さん、オープンキャンパスのときに会った『憧れの人』って、僕ですよ」
「えーっ!? ずっと前に出会ってたんですか!? それでとっくに再会してたんですか!? 確かにめっちゃイケメンでした!」
柴田は大きな声で言葉を重ねる。柘植野は楽しくなって、朗らかに笑った。
「じゃあ、柘植野さんは……おれの……う、運命の人ってことですか」
よく動く目が、おどおどと柘植野をうかがう。
「『運命』って考えるより、偶然が重なって結ばれた縁を、お互いの努力でここまでつないできた、って考える方が、僕は好きです」
柴田は泣き出しそうな笑顔で笑った。
ひまわりのように笑うって、こういうことだろうと柘植野は思った。
明るくてまぶしい、僕の恋人。
「柘植野さん、大好きです。最初っから大好きです」
「僕も、あなたが大好きですよ」
柴田は感激したのだろう、柘植野にぐいぐい身体を押し付けて歩く。
柘植野も嬉しかった。「憧れの人」なんて切り札を切るまでもなく、柴田さんが僕を選んでくれたことが。
これからは恋人つなぎで柴田さんと歩こう。
柴田さんが88枚のラブレターを読み終わるまで、ぼくたちは夕ご飯と言葉を交換して暮らそう。
交換を続けて、柴田さんが「もうお腹いっぱいです」と言う日が早く来ればいいと思う。
そのとき、僕の言葉でなみなみと満たされた柴田さんが、それでもまだ僕を選んでくれたらいいなと思う。そうであってほしいと思う。
きゅっと手を握られて、大柄な恋人を見上げる。照れた笑顔を交わす。
僕の願いは、きっと叶うだろうと、柘植野はその瞬間に思った。
21
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。
キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成)
エロなし。騎士×妖精
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。
木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。
色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。
ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。
捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。
彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──?
いいねありがとうございます!励みになります。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
籠中の鳥と陽色の君〜訳アリ王子の婚約お試し期間〜
むらくも
BL
婚約話から逃げ続けていた氷の国のα王子グラキエは、成年を機に年貢の納め時を迎えていた。
令嬢から逃げたい一心で失言の常習犯が選んだのは、太陽の国のΩ王子ラズリウ。
同性ならば互いに別行動が可能だろうと見込んでの事だったけれど、どうにもそうはいかなくて……?
本当はもっと、近くに居たい。
自由で居たいα王子×従順に振る舞うΩ王子の両片想いBL。
なんか金髪超絶美形の御曹司を抱くことになったんだが
なずとず
BL
タイトル通りの軽いノリの話です
酔った勢いで知らないハーフと将来を約束してしまった勇気君視点のお話になります
攻
井之上 勇気
まだまだ若手のサラリーマン
元ヤンの過去を隠しているが、酒が入ると本性が出てしまうらしい
でも翌朝には完全に記憶がない
受
牧野・ハロルド・エリス
天才・イケメン・天然ボケなカタコトハーフの御曹司
金髪ロング、勇気より背が高い
勇気にベタ惚れの仔犬ちゃん
ユウキにオヨメサンにしてもらいたい
同作者作品の「一夜の関係」の登場人物も絡んできます
ドS皇子が婚約破棄までして歳上教師の俺に求愛してくる
Q.➽
BL
異世界の自分と入れ替わったら、元の世界の教え子の陰キャ生徒にそっくりなドS平凡皇子様に寵愛されてて、側妃どころか結婚まで迫られてるという状況だった事に涙目のイケメン教師の話。
主人公 桐原 七晴 (きりはら ななせ)
生徒 宇城 三環 (うじょう さわ)
※ 11話以降からの、逃亡した桐原側の話は(逃桐)と表記します。
宇城に関しては、元世界線側は現、と名前の前に表記して話を進めます。
※主人公は2人の桐原。同じ人間ですがパラレルワールド毎に性格は違います。
桐原は静、逃げた方の桐原は動、と思っていただけるとわかり易いかと存じます。
※シリアスではございません。
チャラ男会計目指しました
岬ゆづ
BL
編入試験の時に出会った、あの人のタイプの人になれるように…………
――――――それを目指して1年3ヶ月
英華学園に高等部から編入した齋木 葵《サイキ アオイ 》は念願のチャラ男会計になれた
意中の相手に好きになってもらうためにチャラ男会計を目指した素は真面目で素直な主人公が王道学園でがんばる話です。
※この小説はBL小説です。
苦手な方は見ないようにお願いします。
※コメントでの誹謗中傷はお控えください。
初執筆初投稿のため、至らない点が多いと思いますが、よろしくお願いします。
他サイトにも掲載しています。
αなのに、αの親友とできてしまった話。
おはぎ
BL
何となく気持ち悪さが続いた大学生の市ヶ谷 春。
嫌な予感を感じながらも、恐る恐る妊娠検査薬の表示を覗き込んだら、できてました。
魔が差して、1度寝ただけ、それだけだったはずの親友のα、葛城 海斗との間にできてしまっていたらしい。
だけれど、春はαだった。
オメガバースです。苦手な人は注意。
α×α
誤字脱字多いかと思われますが、すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる