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第一部 ご飯パトロン編
38. 生まれて初めてみたいな間接キス
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柘植野はぱらぱらと席の埋まったカフェの1人席で、資料のファイルをめくり、小さくため息をついた。
目の前のパソコンの画面には、書きかけの小説が表示されているが——もちろんのぞき見防止シートを貼っている——昨日から少しも進んでいない。文末の「だ。」を「である。」に直しただけだ。
もう10分も考えているのにてんでダメだ。
暑い日なので、アイスコーヒーも飲み終わりそう。柘植野が諦めて席を立とうとしたとき。
「先にお席の確保をお願いしまーす」
「あ、分かりました」
店員が明るい声で言い、ハキハキと返事をしたその声に、柘植野は聞き覚えがあった。柴田の声だ。
柴田がきょろきょろと店内を見回しながらこちらへやってくる。
「柴田さん」
声をかけると、柴田はぱっと柘植野の方を見て目を丸くした。
「仕事がどん詰まりだから、少しお話ししませんか?」
「もちろんです!」
柴田の表情は明るく、後ろでぶんぶんと尻尾を振っているのが見えるようだった。
「お勉強のお邪魔じゃないですか?」
「いえ! 季節の新商品を飲みに来ただけなので!」
「それならぜひ。ありがとうございます」
柘植野はパソコンをコンセントから抜いてカバンにしまい、1人席を立った。そして柘植野と柴田で2人席を取り直した。
2人はレジに並び、柴田は季節の新商品を、柘植野はアイスコーヒーを注文した。
柘植野が「ご飯パトロンの視察」と無理やりの理屈をつけて、2人分を支払った。
ドリンクが出てくるのを待つ間に、柴田が腰を屈めて柘植野に話しかけた。
「最近、夕ご飯作る頻度が減っててすみません」
「いやいや。作れるときに作ればいいんですよ。アルバイトじゃなくて、パトロン契約なんだから」
柘植野がやわらかく微笑むと、柴田の頬が少し染まった。柴田と、すごく顔が近い。
「でも! おれ、柘植野さんのお手紙がないと生きていけないし!」
「え」
「あ、いや、大袈裟に言いました、すみません」
照れて頭をかくこのひとの「生きていけない」はきっと本心だ。
いいですよ。僕の手紙であなたが溺れるほどにファンレターを書きたい。
多すぎてファイリングし切れない、ってあなたが文句を言うくらいに。
そのうち、多すぎて段ボールに収まらない、って文句を言われるくらいに。
ああ、僕は、柴田さんとの将来をずっと先まで思い描いてしまうんだな。
柴田さんも、きっとそうだ。
柘植野は気恥ずかしく柴田を横目で見ながら、ドリンクを受け取って席に戻った。
「7月の期間限定は桃なんですね」
「桃好きなんですよね~。めっちゃおいしいです。飲みます?」
柴田は柘植野にストローを差し出した。柘植野は衝撃で固まった。
か……間接キスでは!? 一般論として、9歳下の人と間接キスしていいんだっけ!?
柘植野が固まってしまったので、柴田はハッと気づいて恥ずかしそうに目を伏せた。
「あの、すみません……」
「いや、いただきます……」
柘植野は桃味のシェークをストローで吸った。最初にバニラが香って、そのあとに思い切り桃が来る。
シェークに混ざった桃の果肉はツルツルと涼やかな食感で、しっとりとした噛みごたえが分かるほど粒が大きい。
飲み込んでからも、桃の華やかな香りが口の中だけではなく顔の周り全体に漂っているようだった。
「あ~! これはおいしい」
「ですよね!」
柴田はニコニコ顔に戻って、カップを受け取った。
「コーヒーも飲みますか?」
「コーヒー……。チャレンジしてもいいですか?」
「ああ、もちろん。ひと口飲んでみたらいいですよ」
柴田の唇がストローに触れる。柘植野はまじまじとその様子を見て、柴田の唇のやわらかさを想像してしまった。
「いやッ……!」
店内だから大声を出すのは思いとどまったが、柘植野はイケナイ妄想をしてしまった罪悪感で顔を覆った。
「柘植野さん……?」
「いや、なんでもない! ほんとに全然なんでもないんだけど! おいしかったですか?」
「うーん……大人の味でした」
申し訳なさそうに苦笑いして、柴田はグラスを返した。
「そっか。最初はそうですよね」
柘植野は「大人の味」という言葉で余計に柴田との年の差を意識した。
年下の人の身体に触れる想像をしてしまうなんて……。
恥ずかしくて情けなくて、アイスコーヒーをごくごく飲んだ。
浅煎りのコーヒーがうっすらと纏うフローラルの香りが、さっきの桃と重なって一層香り立つ。
甘酸っぱくてキラキラした香り。生まれて初めてみたいな間接キス、そのドキドキと呼応してるみたいだ。
気恥ずかしくて、柘植野は頬を染めた。
目の前のパソコンの画面には、書きかけの小説が表示されているが——もちろんのぞき見防止シートを貼っている——昨日から少しも進んでいない。文末の「だ。」を「である。」に直しただけだ。
もう10分も考えているのにてんでダメだ。
暑い日なので、アイスコーヒーも飲み終わりそう。柘植野が諦めて席を立とうとしたとき。
「先にお席の確保をお願いしまーす」
「あ、分かりました」
店員が明るい声で言い、ハキハキと返事をしたその声に、柘植野は聞き覚えがあった。柴田の声だ。
柴田がきょろきょろと店内を見回しながらこちらへやってくる。
「柴田さん」
声をかけると、柴田はぱっと柘植野の方を見て目を丸くした。
「仕事がどん詰まりだから、少しお話ししませんか?」
「もちろんです!」
柴田の表情は明るく、後ろでぶんぶんと尻尾を振っているのが見えるようだった。
「お勉強のお邪魔じゃないですか?」
「いえ! 季節の新商品を飲みに来ただけなので!」
「それならぜひ。ありがとうございます」
柘植野はパソコンをコンセントから抜いてカバンにしまい、1人席を立った。そして柘植野と柴田で2人席を取り直した。
2人はレジに並び、柴田は季節の新商品を、柘植野はアイスコーヒーを注文した。
柘植野が「ご飯パトロンの視察」と無理やりの理屈をつけて、2人分を支払った。
ドリンクが出てくるのを待つ間に、柴田が腰を屈めて柘植野に話しかけた。
「最近、夕ご飯作る頻度が減っててすみません」
「いやいや。作れるときに作ればいいんですよ。アルバイトじゃなくて、パトロン契約なんだから」
柘植野がやわらかく微笑むと、柴田の頬が少し染まった。柴田と、すごく顔が近い。
「でも! おれ、柘植野さんのお手紙がないと生きていけないし!」
「え」
「あ、いや、大袈裟に言いました、すみません」
照れて頭をかくこのひとの「生きていけない」はきっと本心だ。
いいですよ。僕の手紙であなたが溺れるほどにファンレターを書きたい。
多すぎてファイリングし切れない、ってあなたが文句を言うくらいに。
そのうち、多すぎて段ボールに収まらない、って文句を言われるくらいに。
ああ、僕は、柴田さんとの将来をずっと先まで思い描いてしまうんだな。
柴田さんも、きっとそうだ。
柘植野は気恥ずかしく柴田を横目で見ながら、ドリンクを受け取って席に戻った。
「7月の期間限定は桃なんですね」
「桃好きなんですよね~。めっちゃおいしいです。飲みます?」
柴田は柘植野にストローを差し出した。柘植野は衝撃で固まった。
か……間接キスでは!? 一般論として、9歳下の人と間接キスしていいんだっけ!?
柘植野が固まってしまったので、柴田はハッと気づいて恥ずかしそうに目を伏せた。
「あの、すみません……」
「いや、いただきます……」
柘植野は桃味のシェークをストローで吸った。最初にバニラが香って、そのあとに思い切り桃が来る。
シェークに混ざった桃の果肉はツルツルと涼やかな食感で、しっとりとした噛みごたえが分かるほど粒が大きい。
飲み込んでからも、桃の華やかな香りが口の中だけではなく顔の周り全体に漂っているようだった。
「あ~! これはおいしい」
「ですよね!」
柴田はニコニコ顔に戻って、カップを受け取った。
「コーヒーも飲みますか?」
「コーヒー……。チャレンジしてもいいですか?」
「ああ、もちろん。ひと口飲んでみたらいいですよ」
柴田の唇がストローに触れる。柘植野はまじまじとその様子を見て、柴田の唇のやわらかさを想像してしまった。
「いやッ……!」
店内だから大声を出すのは思いとどまったが、柘植野はイケナイ妄想をしてしまった罪悪感で顔を覆った。
「柘植野さん……?」
「いや、なんでもない! ほんとに全然なんでもないんだけど! おいしかったですか?」
「うーん……大人の味でした」
申し訳なさそうに苦笑いして、柴田はグラスを返した。
「そっか。最初はそうですよね」
柘植野は「大人の味」という言葉で余計に柴田との年の差を意識した。
年下の人の身体に触れる想像をしてしまうなんて……。
恥ずかしくて情けなくて、アイスコーヒーをごくごく飲んだ。
浅煎りのコーヒーがうっすらと纏うフローラルの香りが、さっきの桃と重なって一層香り立つ。
甘酸っぱくてキラキラした香り。生まれて初めてみたいな間接キス、そのドキドキと呼応してるみたいだ。
気恥ずかしくて、柘植野は頬を染めた。
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