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第一部 ご飯パトロン編

4. 突然のおすそ分け

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 数日後の夜。

「ウワッ! アッツ!」

 薄い壁をへだてて、隣の部屋から柴田の大声が聞こえてきた。
 パソコンの前で頬杖をついていた柘植野は、何事だろうかと顔を上げた。

 柴田の足音はバタバタバタ……と遠ざかっていった……と思ったら玄関を開ける音がして、柘植野の部屋のドアベルが鳴った。

 柘植野が玄関を開けると、ミトンをはめた青年がグラタン皿を抱えて立っていた。

「あっこんばんは、グラタン作りすぎちゃって、アッツ!! ちょ、ちょっと一旦置かせてもらって……アツッ!! すみませんちょ、熱い!!」

 柴田は今すぐ灼熱しゃくねつのグラタン皿を手放したい様子だった。柘植野はついつい、流されるままに家に上げてしまった。
 玄関入って右手のコンロに皿を置かせる。

「すみません……百均で買ったミトンが薄くて……」
「ああ、そういうことありますよね……」
「そうそう、グラタン作りすぎちゃって、おすそ分けに来たんですけど、召し上がります?」
「おすそ分け!?」

 柘植野は久しぶりに聞いた単語に思わず声を上げた。

「え?」

 柴田は、柘植野の反応に目をぱちぱちとしばたかせて、首をかしげた。

「柴田さんはどちらのご出身なんですか?」
「群馬です。田舎の方です。それがどうかしましたか?」

 唐突に出身地の話を振られて、柴田は目を丸くする。

「ああ~。僕も富山だからわかりますけど……東京にはあまりおすそ分け文化はないというか……」

 柘植野は東京の、ご近所付き合い皆無のマンション暮らしに慣れ切っていたので、驚いて咄嗟にこう言った。

「えっ!? アッ、地元ではよく晩ご飯の融通をしていたもので! 東京ではしないんですね! 失礼しました!!」

 焦った柴田はミトンをはめずにグラタン皿をつかみ、ギャッと叫んだ。

「落ち着いて! せっかくのご親切に余計なことを言いました! ありがたくご馳走ちそうになります」
「ほんとですか……? ご迷惑じゃないですか……?」

 柴田はしょげた犬のようで、柘植野より背が高いのに、上目づかいの雰囲気をただよわせている。やっぱり大型犬だ。

「いやいや! 迷惑なんてとんでもない。ありがたくいただきます」
「よかった! ありがとうございます」

 柴田はニカッと笑った。その笑顔は、今日も薄暗い玄関を照らすように明るい。
 そして先日と同じきらめく目で柘植野を見つめた。それから柴田はハッとして、グラタンに視線を戻した。

「柘植野さんはアレルギーとか、食べられないものとかないですか? ブロッコリーと、鶏肉と、玉ねぎが入ってます」

 柘植野は改めてグラタンを見た。
 半分は皿からごっそりなくなっている。柴田が別の皿に移したのか、食べてしまったんだろう。
 確かに一人暮らしには作りすぎ、というかそもそもグラタン皿が大きすぎる。

「アレルギーはないです。いただきます。でも、冷蔵庫に入れて明日食べたらどうです?」

 別に、わざわざ隣人に出来たてを食べさせる必要はないのだ。

「いや~見てくださいこのカリカリのパン粉! ヘタっちゃうのがもったいなくて~!」

 柴田はグラタンの表面を指さして熱弁する。
 確かに普通のグラタンよりもたっぷりと、おおい尽くすようにパン粉が振りかけられて、絶妙なカリカリ具合に焼き上がっていた。

「確かに。料理がお上手ですね」

 かなり感心して柘植野は言った。
 柘植野も最低限の料理はできなくもない。でも、パン粉に綺麗きれいに焼き色を付ける自信はまったくない。

「いやいや~! そんなそんな! じゃあお騒がせしました! お皿返すのは今日じゃなくていいです!」

 柴田はぺこぺこしながら玄関を出ていく。照れてはにかむ笑顔も、褒められたレトリバーみたいだった。

「いえ、ありがとうございます。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい!」

 柘植野はサンダルをつっかけて見送ったが、柴田がすぐ隣の部屋に入っていったのを見て不思議な感覚になった。

 すぐ隣で生活している人たちがいて、その人たちにもそれぞれの食事がある。
 そんなことを想像もせずに、ずっとこのマンションに住んでいた。

「ご飯、かぁ……」

 6階建てのマンションのほぼ全員が夕ご飯を食べる。1階あたり10部屋だから、60人が選んだそれぞれのメニューがある。
 それってすごく人間らしくて、尊いことだな。

 それにしても、と思いながら柘植野はミトンをはめた。
 このグラタン皿は、やはり大きすぎないだろうか。うまく取り分ければ3、4人分になりそうだ。

 柴田さんは誰かと一緒に住む予定なのかな? ここは単身者用マンションだけど……。

 アツアツのグラタンが冷めるのを待ちながら、スマホを手に取る。

『新しいお隣さんがグラタン持って押しかけてきたよ。おすそ分けだって』

 メッセージを送って、柘植野はくすくす笑った。さて、スプーンを取ってこなくちゃ。
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