【完結】料理好きわんこ君は食レポ語彙力Lv.100のお隣さんに食べさせたいっ!

街田あんぐる

文字の大きさ
上 下
1 / 108
第一部 ご飯パトロン編

1. ラブホテルの不機嫌な猫

しおりを挟む
 男は薄く目を細めて、華奢きゃしゃな男に唇を近づけた。2人とも裸で、乱れたベッドに横になっている。
 キスから逃げるように色白な顔がふいと横を向き、男のキスは空ぶった。

 男は笑って細いあごをつかみ、自分の方を向かせる。

「浅井、やめて」
「んー? キスしようぜ、柘植野つげのくん」

 華奢な男は諦めたように目を閉じて、キスを受け入れた。

「んん……んむ……ちゅぱ……ぷは、はぁ、は」
「きもちい? 舌入れさせてよ」

 浅井の舌が薄い唇を舐めると、柘植野は目を伏せて口を薄く開けた。柘植野の顔にかかった髪の隙間から、期待に染まった頬が見える。

「んぅ……あぁん、ん、ん」

 浅井の舌が裏筋を執拗しつように舐め上げる。ラブホテルの室内につややかな声が響いた。

 2人の唇が、ちゅっとかすかな音を立てて離れる。
 浅井はそれ以上を求めない。散々楽しんだあとだからだ。

「ピロートークのつもり? 必要ないでしょ」

 そう言った柘植野は、冷めた目で浅井を見る。

「ピロートークじゃない。気まぐれ」
「それより通知をなんとかして。最中さいちゅうにピコピコ鳴ってうるさいったらない」
「んー? 通知は聞こえてたんだ? あんなにあえいでたのに」

 柘植野はイラっとして浅井をにらんだ。

「通知が聞こえてたか~、反省反省。次は通知が聞こえないくらいにイイコト、しちゃう?」
「しない」

 柘植野は浅井が伸ばした手をパシッとはたいて、ベッドの隅に逃げた。

「はいはい」

 浅井は全裸でスマホを取りに行って戻ってきた。柘植野から微妙に離れて寝転び、しばしスマホを触る。

「なあ、柘植野くんによくないお知らせ」
「なに?」
「おれ彼氏できちゃったわ」
「彼氏? 今?」

 柘植野の整った顔がこわばる。

「チャットで告白されたの。カワイイよな」
「なるほどね」

 浅井はスマホの画面を柘植野に突き出した。
 『付き合ってください』というメッセージに浅井が『いいよ』と返信している。
 柘植野は眉間にシワを寄せた。軽蔑の表情を隠さない。

「どんな人? 後輩?」
「営業部の1年後輩。ものすごい年下を手玉に取ってるわけじゃない」
「……まあ、なら」

 柘植野は「ものすごい年下じゃない」の言葉に、ふーっと長い息をついた。長いまつ毛が穏やかに伏せられる。安心した様子だ。

 浅井はチャラいが、としの離れた若者をもてあそぶようなことはしない。
 だから柘植野は浅井を見放していない。浅井を見放せない、と言った方が正確だろうか。

「でも、彼氏候補がいるなら、僕と関係を持つべきじゃない」

 柘植野は浅井を横目で睨む。浅井に「不機嫌な猫みたいだな」と思われていることを、柘植野は知らない。

「彼氏候補ねぇ。その点ではいつも意見が合わないな」

 浅井はニヤッと笑った。その表情に、柘植野はさらにイライラさせられる。
 浅井が柘植野の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
 柘植野は華奢な腕で浅井の手首を掴んだ。しかし、エリート営業マンらしく鍛えられた浅井には敵わない。

「やめてよ。僕には立場があるんだから。『セフレと浮気』なんて週刊誌に書かれたら……」

 言いながら柘植野は身体を起こした。浅井に背を向けて下着を探し、身につけた。

「『センセイ』は大変だな~」

 柘植野が自分の職業に誇りを持っているのを知っていながら、浅井はこうやって軽口を叩く。

「それよりお前、おれが今度こそカワイイ彼氏と長続きして、戻ってこなかったらどうすんの? 口の堅いセフレを探すの? ビッチな柘植野くん」

 浅井も服を拾い上げながら、柘植野をからかう。

「お前、僕がセックスしないと死ぬとでも思ってるの」
「ああ、思ってる」
「……」

 柘植野は返事をせずに、水色のストライプのシャツのボタンを留め、銀縁のメガネをかけた。
 そして財布から1万円札を出し、サイドテーブルに置いて、柘植野はラブホテルの部屋を出ていく。

「おい、1万もいらないだろ」
「ご祝儀」

 柘植野はそれだけ言って、ホテルのドアを閉めた。

「ご祝儀、ねぇ……」

 浅井は浮かない顔で、1万円札を取り上げてぴらぴらと弄んだ。
 スマホには、ついさっき恋人になった後輩からのチャット通知が届いている。だが、浅井は見る気にならなかった。

「いつもそうだよな、お前」

 浅井はつぶやいて、広いベッドに大の字になった。

◇◇◇

 ガタつくエレベーターの中で、柘植野文渡つげの あやとは無意識に右耳を触っていた。
 柘植野は自分の仕草に気づいて、ハッと手を離した。

 もう終わったこと。なのに——。

 浅井に乱された髪を整えて、左耳に髪をかける。長めに伸ばした髪で右耳だけを隠した。
 ホテルの外に出ると、3月初旬の空気は、深夜でもちょうどよく冷えていた。春が近い。

 最初に柘植野を「ビッチ」と呼んだのは、あのひとだった。

 ——欲しがってみろよ、ビッチなガキが!

 そこまで考えて、柘植野は気分が悪くなった。ガードレールのわきでしゃがみ込む。

 僕は、若い人の人生に踏み込むような真似は、絶対にしない。子どもたちのために、離れた場所から手紙を届けるように——

「あの、大丈夫ですか」

 声をかけられて柘植野が顔を上げると、バニーガール姿にコートを羽織った客引きの女性が柘植野を見下ろしていた。わざわざ声をかけに来てくれたのだ。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 柘植野はゆっくり立ち上がった。
 女性は安心した顔をして、店の前に駆け戻っていった。

 まだ人通りがあるとはいえ、この時間からバニークラブに入ろうという客はあまりいないだろう。そう考えながら、柘植野はコンビニに寄った。

 コンビニから出ると、柘植野はまっすぐに、さっきのバニーガールのところへ向かった。

「あの、差し入れです。僕はゲイだから、客にはなれないんだけど」

 柘植野はバニーガールに、カイロとあたたかいお茶を渡す。
 彼女の薄いコートの下は思い切り肌が露出した格好で、派手なリップを塗っていてなお、唇が青くなっているのが分かった。

「ありがとうございます……!」
「ご迷惑でなければ」
「ありがたいです!」
「こちらこそ」

 彼女はもう少し話したそうだった。しかし柘植野は気づかないフリをした。

 彼女が本当に欲しいのは客で、カイロとお茶じゃない。
 でも彼女がしてくれたのは、駆け寄って心配しただけだから——柘植野は「だけ」という言い方に強い違和感を覚えた——僕は彼女がしてくれただけの親切を彼女に返せただろうか?

 分からないままトレンチコートのポケットに手を入れて、夜の繁華街に歩き出した。

◇◇◇

 マンションに戻ると、防音性の低い壁を隔てて、隣室から物音が聞こえてきた。

「うーん! 夜食にひとりで焼きそば食べるのサイコー! 一人暮らし、サイコー!」

 確かにそう聞こえた。若い男の声で、はっきりと聞こえた。
 よっぽど今までの生活に不満があったのだろうか? 全力で喜びを叫んでいる。

 柘植野は、おや、と思った。右隣の303号室は、空き部屋だったはずだ。
 今日はリサーチのために一日家を空けたから、その間に誰かが引っ越してきたんだろう。

 しかしここは大都会東京の、ご近所づきあいなど皆無なマンション。隣の人と関わる機会はおそらくない。
 眠くなってきた柘植野は新しい隣人に興味を失って、まとわりついた浅井の熱を振り払うようにシャワーを浴びにいった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

人間にトラウマを植え付けられた半妖が陰陽師に恋をする

桜桃-サクランボ-
BL
現代、陰陽寮の中で上位に位置する九重家では、跡取りについて議論が行われていた。 跡取り候補の一人、九重優輝(ここのえゆうき)は、人里離れた森に住む一人の半妖に恋をした。 半妖の名前は銀籠(ぎんろう)。 父親である銀と共に生活していた。 過去、銀籠は大事な父親が人間により殺されかけた経験があり、人間恐怖症になってしまった。 「我は、父上がいればそれでいい」 銀は自分が先に死んでしまった時のことを考え、思い悩む。 その時、九重家のことを思い出し逢いに行った。 銀の羽織りを握り、涙を浮かべる銀籠に一目惚れした優輝は、その日を境に銀籠へ愛を伝えるため会い続けた。 半妖に恋をした陰陽師の跡取り息子と、人間が苦手な半妖の、ほのぼのBL恋愛ファンタジー!

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】雨降らしは、腕の中。

N2O
BL
獣人の竜騎士 × 特殊な力を持つ青年 Special thanks illustration by meadow(@into_ml79) ※素人作品、ご都合主義です。温かな目でご覧ください。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

【完結】守護霊さん、それは余計なお世話です。

N2O
BL
番のことが好きすぎる第二王子(熊の獣人/実は割と可愛い) × 期間限定で心の声が聞こえるようになった黒髪青年(人間/番/実は割と逞しい) Special thanks illustration by 白鯨堂こち ※ご都合主義です。 ※素人作品です。温かな目で見ていただけると助かります。

処理中です...