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夜の森を抜けて
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翌朝、洗面の水に映った目元が腫れていないことにシルは安堵した。眉が張り出し鼻筋は太く通った顔立ち。アーモンド型の大きな瞳を漆黒の長いまつ毛が縁取る。
この国の人々からシルは「異邦人」と指を差される。
周囲の人々の、ブロンドやプラチナや亜麻色の、軽やかな色彩の髪。明るい虹彩。シルの目からは、みんな聖像に似た繊細な顔立ちのように思われる。
リュヤージュ様は、両親譲りのブロンドに、すみれ色の虹彩の瞳は金色のまつ毛にふわふわと囲まれている。幼い頃、人々は口を揃えて「天使のようにお美しい」と褒めそやしたものだ。
そんな美少年と自分のような異国の姿の人間が兄弟のように過ごす様子は、確かに異質だったことだろう。シルは自分の思い上がりにまた唇を震わせ、眉尻を下げた。
今日からは使用人として、リュヤージュ様に生涯をかけてお仕えするのだ。目が覚めた瞬間にシルはそう誓った。生まれ変わったような心地だった。
今朝見た夢は、少年時代の思い出だった。
シルが家に帰ると、若き日の母はくつくつと野菜を煮込み、その香りが家中に漂っていた。少年シルは忙しい一日を母に報告した。リュイと遊んで、それから礼儀作法の練習をしたのだ。母は笑みを浮かべてシルの本日の冒険譚を聞いた。
「ねえ母さま。なぜぼくは父さまにも母さまにも似ていないの?」
幼い好奇心からの質問は、母の明るいブラウンの瞳に影を落とした。
「そうね……。シルが7つになったら話そうと思っていたのだけど」
「あと2ヶ月で誕生日だよ!」
「ええ。そうね。父さまが帰ってきたら話すわ」
そして3人の食卓を囲んでシルの生い立ちが語られた。当時、シルを愛する両親は、息子に最低限のあらましだけを教えた。でも今朝の夢では、すべての事実が両親の口から語られたのだった。
ある朝、屋敷の門のそばに赤ん坊の入ったかごが置かれていた。
屋敷の人々は騒然とした。門の外は森だ。人の手が入った森とはいえ、狼や熊が目撃されることもある。夜の森を抜けて、屋敷まで赤ん坊を置きにきたのか? 門を守る衛士に気づかれることもなく?
魔女の子だろうと言う者がいた。エスフィヴ伯爵の落とし胤だろうと疑う者は多かった。当時エスフィヴの妻は第一子を妊娠中だった。
置き去りにされた赤ん坊は、幼いながらに異国の血を感じさせる顔立ちだった。そして書き置きとペンダントが残されていた。筆跡は高貴な身分を思わせた。
ペンダントは鶏の卵ほどもある黒い貴石だった。希少なもので、この大きさとなると産地は限られている。この王国では産出しえない大きさだった。
さらにそこには華麗な装飾が施されていた。真珠貝の内側の七色に輝く層を丹念に埋め込んで、薔薇を描き出したものだった。南の国のギルドに秘伝の装飾だ。非常に贅沢な持ち物と共に、赤ん坊は屋敷に委ねられた。
誰もが厄介ごとを予感した。当時の執事長は、伯爵に棘のある耳打ちをした。けれど、博愛心の深い伯爵は赤ん坊を自らの腕に抱いた。そして、子どものない使用人夫婦に育てさせた。
書き置きには赤ん坊の名前も記されていた。異国の響きの名前だった。伯爵はその一部を取り「シル」と呼び、育てるようにと言いつけた。この領地に生まれたすべての子どもたちと分け隔てなく、健やかに育てるようにと。そのときからエスフィヴ伯爵はシルの偉大な庇護者であった。
ただ、ペンダントと書き置きはエスフィヴ伯爵が手元に置いた。両親は疑問に思わなかった。
勤勉で穏やかな両親だった。父は執事で母はメイドだった。二人は人生のほとんどを屋敷の敷地内で過ごし、それは二人の両親も、祖父母も、さらにその前の祖先についても同じことだった。
シルを託されたその瞬間、両親に「厄介ごと」という意識がなかったわけではない。だが、シルを腕に抱いた母は目を潤ませて、父に「この子は私たちの子だわ」と言ったのだった。
誰もが認める善良な夫妻に預けられたことで、シルは徐々に屋敷の人々に受け入れられた。
シルの髪が伸びると、それは烏の羽のようにつやのある漆黒だった。瞳も一見すると黒だが、覗き込むと、熟れかけの黒スグリのように赤みを宿した深い紫なのだった。この色彩の妙は成長とともに失われたから、シルの両親はとりわけ懐かしくその美しさを語った。
母が「この子をご覧になって? かわいらしいでしょう?」と満面の笑みで言えば、たちまち人々はシルの異国の顔立ちにも美しさを見出した。
冗談で「これは色男になって女をたぶらかすぞ」と言う者があろうものなら、父はいちいち真面目に抗議した。
このような逸話は両親のお気に入りの思い出だったから、シルは繰り返し聞かされて飽き飽きしたものだ。
シルが拾われてから3ヶ月後に、エスフィヴ伯爵の第一子・リュヤージュが誕生した。それからも伯爵はシルとその両親を気にかけた。使用人一家に対しては過剰なほどの気くばりだった。ご主人様の博愛心を信じたい者もいれば、当然、理由を詮索したがる者もいる。
シルが伯爵の落とし胤だと言う者はいなくなった。シルの容姿はエスフィヴ伯爵とは似ても似つかないものだから。伯爵は華やかなブロンドの髪と、澄んだ湖のような深いブルーの瞳を持っていた。
その点、リュヤージュは伯爵によく似ていた。くるくると巻いた金色の髪が安らかな寝顔を引き立てた。誰もが目を細めて次期当主を慈しんだ。リュヤージュが目をはっきり開くようになると、そのアメジストのような虹彩は人々を感嘆させた。
伯爵はシルを「ラッキーボーイ」と呼んだ。もうすぐ生まれる我が子に、遊び相手を用意してやりたいと思っていた。そこにシルが現れたのだ。伯爵にとって予想外のラッキーだった。信頼できる使用人に育てさせた子どもなら、生まれてくる我が子を安心して遊ばせられる。
真面目で勤勉な使用人に「信頼できる」以上の褒め言葉はなかった。両親は大層誇らしく思って、何度もシルにこのありがたいお言葉を聞かせたものだ。
「一度は『魔女の子』と言われたお前を、リュヤージュ様の遊び相手に、と言ってくださるのだよ。こんなにかわいいお前が魔女の子なわけがないからなぁ。エスフィヴ様のご慧眼に感謝して、しっかりとリュヤージュ様をお守りするのだよ」
幼いシルは、この話を何度聞かされてもくすぐったく気恥ずかしく、身体が震えるほど嬉しくなった。両親だけでなく伯爵様にも認められて、子ども心にも責任感がむくむくと湧いてくる。シルから「『伯爵様のお言葉』を聞かせて」とねだることもあったくらいだ。
今朝の夢を思い出しているうちに、シルは幼い日々の思い出に浸っていく。
この国の人々からシルは「異邦人」と指を差される。
周囲の人々の、ブロンドやプラチナや亜麻色の、軽やかな色彩の髪。明るい虹彩。シルの目からは、みんな聖像に似た繊細な顔立ちのように思われる。
リュヤージュ様は、両親譲りのブロンドに、すみれ色の虹彩の瞳は金色のまつ毛にふわふわと囲まれている。幼い頃、人々は口を揃えて「天使のようにお美しい」と褒めそやしたものだ。
そんな美少年と自分のような異国の姿の人間が兄弟のように過ごす様子は、確かに異質だったことだろう。シルは自分の思い上がりにまた唇を震わせ、眉尻を下げた。
今日からは使用人として、リュヤージュ様に生涯をかけてお仕えするのだ。目が覚めた瞬間にシルはそう誓った。生まれ変わったような心地だった。
今朝見た夢は、少年時代の思い出だった。
シルが家に帰ると、若き日の母はくつくつと野菜を煮込み、その香りが家中に漂っていた。少年シルは忙しい一日を母に報告した。リュイと遊んで、それから礼儀作法の練習をしたのだ。母は笑みを浮かべてシルの本日の冒険譚を聞いた。
「ねえ母さま。なぜぼくは父さまにも母さまにも似ていないの?」
幼い好奇心からの質問は、母の明るいブラウンの瞳に影を落とした。
「そうね……。シルが7つになったら話そうと思っていたのだけど」
「あと2ヶ月で誕生日だよ!」
「ええ。そうね。父さまが帰ってきたら話すわ」
そして3人の食卓を囲んでシルの生い立ちが語られた。当時、シルを愛する両親は、息子に最低限のあらましだけを教えた。でも今朝の夢では、すべての事実が両親の口から語られたのだった。
ある朝、屋敷の門のそばに赤ん坊の入ったかごが置かれていた。
屋敷の人々は騒然とした。門の外は森だ。人の手が入った森とはいえ、狼や熊が目撃されることもある。夜の森を抜けて、屋敷まで赤ん坊を置きにきたのか? 門を守る衛士に気づかれることもなく?
魔女の子だろうと言う者がいた。エスフィヴ伯爵の落とし胤だろうと疑う者は多かった。当時エスフィヴの妻は第一子を妊娠中だった。
置き去りにされた赤ん坊は、幼いながらに異国の血を感じさせる顔立ちだった。そして書き置きとペンダントが残されていた。筆跡は高貴な身分を思わせた。
ペンダントは鶏の卵ほどもある黒い貴石だった。希少なもので、この大きさとなると産地は限られている。この王国では産出しえない大きさだった。
さらにそこには華麗な装飾が施されていた。真珠貝の内側の七色に輝く層を丹念に埋め込んで、薔薇を描き出したものだった。南の国のギルドに秘伝の装飾だ。非常に贅沢な持ち物と共に、赤ん坊は屋敷に委ねられた。
誰もが厄介ごとを予感した。当時の執事長は、伯爵に棘のある耳打ちをした。けれど、博愛心の深い伯爵は赤ん坊を自らの腕に抱いた。そして、子どものない使用人夫婦に育てさせた。
書き置きには赤ん坊の名前も記されていた。異国の響きの名前だった。伯爵はその一部を取り「シル」と呼び、育てるようにと言いつけた。この領地に生まれたすべての子どもたちと分け隔てなく、健やかに育てるようにと。そのときからエスフィヴ伯爵はシルの偉大な庇護者であった。
ただ、ペンダントと書き置きはエスフィヴ伯爵が手元に置いた。両親は疑問に思わなかった。
勤勉で穏やかな両親だった。父は執事で母はメイドだった。二人は人生のほとんどを屋敷の敷地内で過ごし、それは二人の両親も、祖父母も、さらにその前の祖先についても同じことだった。
シルを託されたその瞬間、両親に「厄介ごと」という意識がなかったわけではない。だが、シルを腕に抱いた母は目を潤ませて、父に「この子は私たちの子だわ」と言ったのだった。
誰もが認める善良な夫妻に預けられたことで、シルは徐々に屋敷の人々に受け入れられた。
シルの髪が伸びると、それは烏の羽のようにつやのある漆黒だった。瞳も一見すると黒だが、覗き込むと、熟れかけの黒スグリのように赤みを宿した深い紫なのだった。この色彩の妙は成長とともに失われたから、シルの両親はとりわけ懐かしくその美しさを語った。
母が「この子をご覧になって? かわいらしいでしょう?」と満面の笑みで言えば、たちまち人々はシルの異国の顔立ちにも美しさを見出した。
冗談で「これは色男になって女をたぶらかすぞ」と言う者があろうものなら、父はいちいち真面目に抗議した。
このような逸話は両親のお気に入りの思い出だったから、シルは繰り返し聞かされて飽き飽きしたものだ。
シルが拾われてから3ヶ月後に、エスフィヴ伯爵の第一子・リュヤージュが誕生した。それからも伯爵はシルとその両親を気にかけた。使用人一家に対しては過剰なほどの気くばりだった。ご主人様の博愛心を信じたい者もいれば、当然、理由を詮索したがる者もいる。
シルが伯爵の落とし胤だと言う者はいなくなった。シルの容姿はエスフィヴ伯爵とは似ても似つかないものだから。伯爵は華やかなブロンドの髪と、澄んだ湖のような深いブルーの瞳を持っていた。
その点、リュヤージュは伯爵によく似ていた。くるくると巻いた金色の髪が安らかな寝顔を引き立てた。誰もが目を細めて次期当主を慈しんだ。リュヤージュが目をはっきり開くようになると、そのアメジストのような虹彩は人々を感嘆させた。
伯爵はシルを「ラッキーボーイ」と呼んだ。もうすぐ生まれる我が子に、遊び相手を用意してやりたいと思っていた。そこにシルが現れたのだ。伯爵にとって予想外のラッキーだった。信頼できる使用人に育てさせた子どもなら、生まれてくる我が子を安心して遊ばせられる。
真面目で勤勉な使用人に「信頼できる」以上の褒め言葉はなかった。両親は大層誇らしく思って、何度もシルにこのありがたいお言葉を聞かせたものだ。
「一度は『魔女の子』と言われたお前を、リュヤージュ様の遊び相手に、と言ってくださるのだよ。こんなにかわいいお前が魔女の子なわけがないからなぁ。エスフィヴ様のご慧眼に感謝して、しっかりとリュヤージュ様をお守りするのだよ」
幼いシルは、この話を何度聞かされてもくすぐったく気恥ずかしく、身体が震えるほど嬉しくなった。両親だけでなく伯爵様にも認められて、子ども心にも責任感がむくむくと湧いてくる。シルから「『伯爵様のお言葉』を聞かせて」とねだることもあったくらいだ。
今朝の夢を思い出しているうちに、シルは幼い日々の思い出に浸っていく。
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