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本編

綺麗な夢、の裏はいつだってもどかしい

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 綺麗だなぁ。

 電気を全部消して、波鶴はづちゃんを暗がりで見る。すごく色白なのが、明かりを落とした室内で引き立っている。
 まだ綺麗って言ってなかったかも。言っとこう。綺麗だなって思ったときにね。
「綺麗。波鶴ちゃん綺麗だねぇ。ずっと思ってた」
 波鶴ちゃん、ふわっと笑ってくれた。眠いのかも。かわいいね……。
「たまに言われる」
「言わない奴らは見る目がないのよ。おれスカウトマンだから。波鶴ちゃんが一番綺麗ってわかんのよ」
「ほう」
 可笑しそうに笑って、手を布団から出して頭をくしゃくしゃ撫でてくれる。嬉しいのかな。照れ隠しなのかな。
「いつもはもっと遅くに寝るのか?」
「まあね。波鶴ちゃんが眠るとこを見てる。寝ちゃったらキスしてあげる」
「くだらん」
 反応がめんどくさそう。波鶴ちゃん、おれの髪をぐしゃぐしゃにしてくるから笑っちゃう。
「ほら、南北朝時代の子守唄を歌ってやろう」
「マジ!? そんな博物館でもできない体験、いいの!?」
「大きな声を出すなよ……。眠れなくなる」
「お母さんが歌ってくれたの?」
「母か、姉かは定かではないが」
「ハルちゃん?」
「かもな」
「教えてくれたらおれが歌ってあげる。バブみを感じながら眠っていいよ」
「バブみ……。馴染みのない語彙だな」
 苦笑するけど、どこかほわほわと眠そうな表情もかわいいよ。
「ほら。歌ってやるから……」
 ぽす、と枕に頭を乗せて、すぐキスできる顔の近さで、まつ毛を伏せて、ゆったりと、子守唄を歌ってくれる。とんとん、とおれの腕を叩いて、本気で寝かしつける構えだ。
 日本語の歌詞だけど、聞き取れない部分の方が多い。昔の言葉だからなのか、方言なのか。波鶴ちゃんって、出身地は分かってるのかな。明日聞こう。

 澄んだ声で歌ってくれる波鶴ちゃんが、嘘みたいに綺麗なんだ。

 ――おれの人生に、こんな綺麗な瞬間あるはずない。

 なんて思うほどに。聴きながら息を詰めてしまって、苦しくなってから気付いて、邪魔しないようにそっと呼吸をする。
 高くて澄んだ声だけど、歌ってると男の声質だとわかる。綺麗な男が、おれのためだけに子守唄を歌ってくれている。

 おれ、明日死ぬのかな。

 一回目のスヌーズで、目が覚めた。隣を見て……え? いない。
 夢? 全部夢? めちゃくちゃ綺麗な夢? 一生あの夢の中で暮らしたいタイプの夢?
「おはよう。借りているぞ」
 ダイニングのソファに、波鶴ちゃんいた!! 脚を組んでだらっと座ってる。もうたまらなくて抱きつく。キスしたい。めちゃくちゃ舌入れたい。歯磨かないとだめかな~!!
 口臭が気になる三十路男なのでディープキスは諦め、波鶴ちゃんの頬に、額に、首筋に、うすーい喉仏に、キスしまくる。夢かと思っちゃったじゃん……。
 最後に手を取って、うやうやしく甲にくちづける。あ、ひざまずくのが先だっけ? 忘れたわ。まいっか。
「どうした? こういう風習の家庭に育ったのか?」
「そそ。毎朝これだから」
「すごいな」
 テキトーな顔で笑う波鶴ちゃん、今朝もすっごくかわいーね!!
「あれ、借りてるって?」
「ダンベル」
「おっ……。浮くんだ」
 隅に転がしといたダンベルを術で浮かせて遊んでるの? あれ何キロ?
「おれのキスの嵐の間も浮いてたの?」
「ああ。その程度なら」
「おお……。かっけーね」
「何時に出るんだ」
 ただ浮いてたダンベルが、くるくる回り出す。波鶴ちゃんはソファでだらっとしたまま。
「何時に? ああ、時間ね。えー……」
「私は今日は休みだ。何時でも構わない」
 えっ、休み!? おれもワンチャン有休……いや~今の仕事の残り具合からして厳しい! つらい!
「えっとね、どうしよ、ごはん自分で食べる?」
「そうだな。冷蔵庫を覗かせてもらったが何もなかった」
「あ、そうなのよ~」
 おいおい、食材入れといたら波鶴ちゃんお手製の朝食が用意されていたのでは!? クソ……。今日からちゃんと生活しよう。だらけ切ったオッサンからは卒業だ。
「じゃあ、35分後!」
 超遅刻ギリギリの電車に、ギリギリ乗れるかだけど、波鶴ちゃんと一緒にいたい! なんならちょっとイチャイチャまでいきたいじゃん!
 ダッシュで歯を磨いて、髪は結ぶだけ。ヒゲも生やしときゃどこまでが生やしてるヒゲでどこからが無精ヒゲかなんて分かんないし。あからさまにはみ出てるやつだけ剃る。てか波鶴ちゃんヒゲ薄いな? 生えないの? 脱毛してるの?
 会社用の服なんて適当に。洗濯の山から掴み取ったものに着替えてダイニングに戻ると、ダンベルはまだ宙に浮いていた。
「どこに置けばいい?」
「ん。そそ、その隅っこならどこでも」
 重い鉄の塊が音もなく着地して、やっぱすげーな、おれのいい男。
「すげ~~」
 波鶴ちゃんの隣に座って、頭をがしがし撫で回す。
「かっこいい!」
 ひしと抱きしめる。
「ヒゲ薄いの? 脱毛?」
 ハリのある頬に手のひらを当てて、微妙にヒゲあるかも、と先に気付いた。
「薄くて伸びるのが遅い。微妙にあるだろう」
「微妙にあったわ」
 それでもチクチクってほどじゃない、するりとした若い肌。撫でてるだけで気持ちいい。
「伸ばしていた時期もあるんだが、元が薄いと貫禄が出ないんだな。男には見られるんだがいかんせん……」
 しゃべってるけど、おれが顔を近づけると黙っちゃってさ。キス待ちなんでしょ?
 ちゅ、ちゅ、って。理性飛ばないギリギリで、あと25分、ちゅーしてよっか。

 慌ただしく家を出て、駅まで二人で歩く。波鶴ちゃん、体格の割にかなり早足だよね。おれがペースを合わせなくていいし、むしろおれの方がちょっと置いていかれそうなくらい。そういうのも、特別ないい男って思っちゃう。
 波鶴ちゃんの空いてる手をぱっと握る。ちょっと目を見開いてから、悪戯っぽい目で笑ってくれる。手を繋いだまま地下鉄の駅を下って、路線は別だからそこで解散した。

 告白すれば。付き合いたいって言っちゃえば……。
 なんか「ピンとこない」のよ。今じゃない気がする。でもそれ、ほんとに正しい直感なのかな。単にビビってるだけだったりして。
 あと2回会う約束はしてる。昨日が1回目として、3回目のデートは波鶴ちゃんのお誕生日祝い。別にそこでいいんじゃない?
 ……えっちしちゃったのがさ。おれはこんなにマジだけど、波鶴ちゃんはえっちしたいだけだったりして。えっちなしで会いたい、とか、おれたちってどういう関係になれるの、とか、聞く、べき……なのかな~……??
 いつも以上の、肺が潰される満員電車。ちょっとでも長く一緒にいたくて、ギリギリに家を出ちゃったおれがバカでした。タクシー代出してあげればよかった。普段は波鶴ちゃん徒歩通勤なのに。
 痴漢されてたらどうしよう。波鶴ちゃんの髪のにおい、わざと嗅ごうとするオッサンがいたらどうしよう。
 おれ、独占欲はいっちょまえなのに、なんでいつもこんなヘタクソなんだろ……。

 ギリッギリにデスクに滑り込んで、ニヤついた先輩に「どうだった?」と聞かれる。
「いや~。正直午前休考えましたよ~」
 おれもニヤついて適当に返すと、先輩方はそれぞれに「チャラいな~」だの「腰落ち着けろよ~」だのコメントして、仕事に取り掛かる。
 あ、千葉くんにお昼奢ってあげなきゃねー。

 千葉くんラーメン食べたいって言うんだけど、この辺のハイソなラーメン屋は並ぶのよ。そういうのは今度、夜に連れてってあげるから、町中華のラーメンでいい?って聞いて、いかにも昔ながらってとこにする。2組しか待ってないしね。
 千葉くんは醤油ラーメン。それに味玉とチャーシューとメンマ全部付けてあげる。おれは天津飯。デートの報告するのはセクハラ?とか思って、ふつーに仕事の話する。
 店の空気がざわついて、客の視線の先を追って、店内のテレビのニュースを見る。鍵荊カギバラ災害発生。
「代々木公園かー」
「花見客がヤバそ~」
「でも処理済んでるよ」
 なーんだ、みたいな空気になって、みんなそれぞれの食事に戻る。
「……永山さん」
「あ、ごめん」
「いや、処理班の人だったんですか?」
 恐る恐る声をかけてくれる千葉くん。いい子だね。
「そそ。いや……代々木公園は原宿支部の管轄だから覚えとくといいよ。イベントで使うから、許可申請出すのがそこ。屋外ステージと、近くのホールもまとめて原宿支部」
「あ、はい」
 先輩ぶって早口で説明して、千葉くんの心配そうな顔で我に返った。
「……ちょいスマホ触らせて」
「もちろんです」
 テレビのニュースにもネットニュースにも、隊員が負傷したという情報は載ってない。でも隊員が負傷したらいちいちニュースになるんだっけ? そんなの気にしたことなかった。
 波鶴ちゃんに連絡する。タクシー呼ばなくてごめんね、も言い忘れてたし。

 綺麗な一夜の夢、になっちゃったらどうしよう……。
 軍人さんを好きになるって、こういうことなんだ……。

 波鶴ちゃん、無事だよね。無事に決まってるよね。最強の男なんだから。
 浮ついた心地でオフィスに戻った。業務でスマホ使う職場だし、バレないようにチラチラ波鶴ちゃんの返信を待ちつつ仕事する。
 こんなにじりじりした気持ちで返信待つなんて、いつぶりだろ……。
 あ、返信きた。

「私は無事だ。ありがとう」

 スマホ握ってた手の力がフッと抜けた。よかった~……。

「タクシー代は構わない。実際タクシーを拾って帰った。ホームまで降りたがとても嫌だったので」

「基本的に、どこの隊の誰が出動したかは明かせないんだ。私自身の出動であっても」

「つまり、『私が出動したか』という質問には答えられない。すまないね」

「『私が無事か』と聞いてくれるのは嬉しいし、それには基本的に答えられる」

 軍人さんだった。
 おれ全然甘ちゃんだったなって……。胸がきゅーって狭くなる。
 でも「ありがとう」って言ってくれたし、おれが波鶴ちゃんを心配するのも「嬉しい」って言ってくれる。
 だけどさ……波鶴ちゃんから距離を詰めてくれる感じが、全然しないのよ。
 おれの好意は全部あったかく受け止めて、笑顔でありがとうって言ってくれて、それが嬉しいからおれはなんでもしてあげたいけど。
 おれはなんだってプレゼントしたい。お誕生日プレゼントも考えなきゃ。メインのプレゼント以外にもう一つ、ちょっとした何かも添えて、とか、思うし。とにかく波鶴ちゃんを喜ばせたいのよ。でも、波鶴ちゃんがおれにそう思ってくれてる手応えが、ないんだよね~……。
 急すぎるのかな。かもね。そりゃそうだよね。今はおれの愛が重い時期なんだよね。おれが先走ってるけど、追いついてくれる、の、かも……?
 波鶴ちゃんの誠実さは伝わってくるのに、なんでこんなにスースーするんだろ……。

 ダラダラ仕事して、フロアの電気消して帰宅した。
 あー、今日から怠惰なオッサンライフを脱出するんだった。忘れてた。
 風呂に入って洗濯回して、部屋もちょっと片付けたらそれはもう脱出よ。脱出への第一歩。とか思って、部屋を見回して、スナック菓子のカップを手に取る。あー……。一晩経っちゃったスナック菓子は、湿気って食べられたもんじゃなかった。
 波鶴ちゃん、結局ハート型のラッキーマーク見つけてなかったな。おれが邪魔しちゃったから。そう思ってぐるぐる回して探すんだけど、見つからない。底にもない。蓋の説明書きには、「もれなく」って書いてあるのに。

 なんか、縁起悪くない?




・エブリスタ版・Pixiv版から結構書き換えた章です。イベント開催には処理班の許可が必要で、芸能事務所と処理班は割と折衝があるという設定になりました。鍵荊カギバラは大型動物のエネルギーで怪物に成長するので、人を集めるのはそれなりの警備計画が必要なのです。
・書き換えによりヒントが消えてしまったのですが、永山さんの勤め先は赤坂・六本木エリアです。
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