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見合って五分で結婚した。
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「はじめました! 僕は糸と言います。不束者ですが、よろしくお願いします」
今日、この日のために何度も繰り返し反復した三六文字の連続音。
はじめました__確かにお見合いは、今し方はじまったけれど。これは僕の失態。
本当は『て』と発音するはずだった。一文字噛んでしまったが、しかしながら、僕の口下手と言う性質に対しては誤差の範囲なので問題ない。
大丈夫。きっと伝わっている。
一メートルもない机を挟んで真正面に居る、座っていても明らかに大柄な凪と名乗った男に目配せた。
彼は「はい」と返事をするだけで、表情は体面した時から一切動いていない。自己紹介してからというもの、会話もない。古風な日本家屋の料亭は個室しかなく、本当に二人きりなのである。
せっかくこんな良い料亭でご飯が食べられると、緊張する心身に葉っぱをかけて来たというのに、メニューすら見ようとしない目の前のスマートな顔をした男。
僕はおずおずと口を開いた。うまく喋れるかは別として。
「なぎ、あの僕は、お腹が……」
空いた、と言いかけた所で何かを滑らせてきた。
紙。
a3サイズの紙。
「こ、こ、こんいんとどけ……」
すでに片方は埋まってしまっている。ということはつまり。
「僕が、結婚?」
「貴方以外誰が居る」
空から獲物を狙うような猛禽らしい鋭い眼光。それは初めて彼から向けられた感情だった。どんなものだったのかは曖昧で断定はできないけれど、少なくとも悪い方のではなかった。
「誰も居ない、です。書くます」
ゴクリ、と喉を鳴らした。凪の様に立派な喉仏はないけれど。そもそも、彼のような精悍な体つきをした雄を目の前にすれば、誰だって小さく見えるものだ。僕だってそんなに小さいわけではないのだ。一般的に華奢だと言われる乙種の中でも、確実に大柄だ。
よく食べてよく動いてよく寝る。
これが僕のモットー。
特に食べることに力を入れている僕の口が小さいことは玉に瑕。そもそも、種全体が食に無頓着なので口が退化しているのだ。
加えて無口な種でもあり、僕のように自ら進んで話すような仲間はいない。けれど、僕は喋りたいし、退化していても十分に使えるのだから使いたい。それだけの話。
しかしながら種の中で僕みたいなのは非常にイレギュラーなのだ。
「先が尖ったやつ、書くやつが、欲しい」
いつものように思った様に口がまめらない。心の中で思っていてもうまく声に変換できない。拙いし心許ない。用事が喋っているみたいだと、周りに幾度と言われたことか。
「これ」
彼の発した言葉は二文字。その二文字が指し示すのは二つの物体。ペンはこれを使え、と。次に朱肉で指印しろ、と。
ワタワタと忙しなく受け取ると、一字一字、一言一句間違わぬように定年に線を描いた。じんわり手に汗が滲んでいた。
「かく、けたです。いい、気分……感じですか?」
「ああ」
今日、僕は見合って五分の相手と結婚した。
今日、この日のために何度も繰り返し反復した三六文字の連続音。
はじめました__確かにお見合いは、今し方はじまったけれど。これは僕の失態。
本当は『て』と発音するはずだった。一文字噛んでしまったが、しかしながら、僕の口下手と言う性質に対しては誤差の範囲なので問題ない。
大丈夫。きっと伝わっている。
一メートルもない机を挟んで真正面に居る、座っていても明らかに大柄な凪と名乗った男に目配せた。
彼は「はい」と返事をするだけで、表情は体面した時から一切動いていない。自己紹介してからというもの、会話もない。古風な日本家屋の料亭は個室しかなく、本当に二人きりなのである。
せっかくこんな良い料亭でご飯が食べられると、緊張する心身に葉っぱをかけて来たというのに、メニューすら見ようとしない目の前のスマートな顔をした男。
僕はおずおずと口を開いた。うまく喋れるかは別として。
「なぎ、あの僕は、お腹が……」
空いた、と言いかけた所で何かを滑らせてきた。
紙。
a3サイズの紙。
「こ、こ、こんいんとどけ……」
すでに片方は埋まってしまっている。ということはつまり。
「僕が、結婚?」
「貴方以外誰が居る」
空から獲物を狙うような猛禽らしい鋭い眼光。それは初めて彼から向けられた感情だった。どんなものだったのかは曖昧で断定はできないけれど、少なくとも悪い方のではなかった。
「誰も居ない、です。書くます」
ゴクリ、と喉を鳴らした。凪の様に立派な喉仏はないけれど。そもそも、彼のような精悍な体つきをした雄を目の前にすれば、誰だって小さく見えるものだ。僕だってそんなに小さいわけではないのだ。一般的に華奢だと言われる乙種の中でも、確実に大柄だ。
よく食べてよく動いてよく寝る。
これが僕のモットー。
特に食べることに力を入れている僕の口が小さいことは玉に瑕。そもそも、種全体が食に無頓着なので口が退化しているのだ。
加えて無口な種でもあり、僕のように自ら進んで話すような仲間はいない。けれど、僕は喋りたいし、退化していても十分に使えるのだから使いたい。それだけの話。
しかしながら種の中で僕みたいなのは非常にイレギュラーなのだ。
「先が尖ったやつ、書くやつが、欲しい」
いつものように思った様に口がまめらない。心の中で思っていてもうまく声に変換できない。拙いし心許ない。用事が喋っているみたいだと、周りに幾度と言われたことか。
「これ」
彼の発した言葉は二文字。その二文字が指し示すのは二つの物体。ペンはこれを使え、と。次に朱肉で指印しろ、と。
ワタワタと忙しなく受け取ると、一字一字、一言一句間違わぬように定年に線を描いた。じんわり手に汗が滲んでいた。
「かく、けたです。いい、気分……感じですか?」
「ああ」
今日、僕は見合って五分の相手と結婚した。
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