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6章 元自衛官、異国での戦いを開始する
八十六話
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たとえいい奴であっても、行動や選択の結果も良くなるって訳じゃない。
最善だと思って選んだ選択が最悪の結果を招く事だってあるし、悪手だと思っていた事が最善の結果を招く事だってある──。
……処分を受けた、俺に良くしてくれた二曹の人が憔悴した顔で言った言葉だ。
レンジャー上がりで、中隊配属されて間もない雛である俺たちに良くしてくれた気のいい人だ。
ストイックで、公私を綺麗に切り分けて日常を生きていた。
格闘、射撃、訓練、生活──。
最初の一月は、その人と一緒に何かをすることが多く、それ故に関わる事が多かった。
だが、胸に着けたダイヤ徽章と常に何かを射抜くような眼孔が、その時は嘘のように思えた。
失望なんかしなかった、態度や待遇だって変えなかった。
出来る事があれば言って下さい、酒の席でもよければ愚痴ったって良いですとさえ言った。
それでも、俺はこう切り捨てられた。
――お前は真っ直ぐすぎる、だから……今この時だけはそれが憎たらしく思える──
言葉の意味は当時良く分からなかったが、今なら分かる。
その人にはその人なりの負担やストレスがあった。
結果として処分を受けるに値する事をしてしまったが、それに対応した俺の”良かれ”と思った行為が、悪手だったのだと。
悪手は、俺にとって人生の半分だった。
追い詰められたり、失敗した時にこそ成功する。
しかし、成功したり安定するといつも失敗する。
その繰り返しで、気持ち的には落ち込んでいる事の方が多かったかも知れない。
それでも中隊に馴染むまでは同期がいた。
中隊に馴染んでからは同期と後輩がいた。
そして……両親を失った時には同期は既に去り、後輩にその負担を背負わせるような先輩になりたくなかった。
人生の大失敗ばかりが目につく生き方しかしていなくて、どこに成功があったのかを問いたくなる。
だから──俺は選んだのだ。
神聖フランツ帝国で、公爵やミラノを裏切る事無く恩返しが出来るように……。
一個の、独立した、自立した人間となれるように。
公爵やミラノという傘の下で濡れる事を厭うのではなく、雨風吹こうともちゃんと自分で歩むんだって。
そう、決めたんだ──。
――☆──
全身が痛み、鼻を突く匂いは戦いの香りで満ちていた。
血の臭い、死の臭い、それゆえ生じた排泄物の臭い。
俺は突如として放り込まれた世界に理解が及ばず、戸惑ってしまう。
更に俺を困惑させるのは、俺が誰かとキスをしているという状況だった。
身体が痛む、血の臭いや戦いの中に生じうる匂いがする、なのに──キスをしている。
その事実に気がついた時、相手はゆっくりと離れた。
相手は……マリーで、その口の端からは血が垂れている。
煤や血などが彼女を穢し、それを知ると更に戸惑ってしまう。
「ま、リー……?」
俺が信じられないという風にそう洩らすと、彼女見たことの無いくらいに優しい顔をしている。
そしてコツリと、俺の頭を叩いた。
「遅すぎるのよ、ばぁか」
情報不足と、偏った情報の過多。
状況がわからない、意味が分からない、何が起きているのかすら分からない。
硬直していると、彼女がゆっくり身体を離す。
……その胸には、俺の見知った剣が突き刺さっていた。
「まっ、マリー!?」
俺から離れ、致命傷かどうかも分からないが剣が突き刺さっているマリーを──
とにかく、どうにかしなきゃって、パニックを起してしまう。
周囲に助けを求めようとしたが、その時更に理解不能な状況を知る。
アイアスが壁にもたれかかり、座り込む形で項垂れていた。
ロビンがうつ伏せに倒れ、血を流してピクリとも動かない。
タケルがアイアスの槍で壁に標本のように縫い付けられ、血を滴らせている。
ヘラも……まるで死んでいるかのようだ。
英雄達が、ただの兵士のように──あるいは当然のように、感慨も無く……死んでいる。
その事実を脳が処理しきれずに、気持ちが悪くて嘔吐した。
床に叩きつけられたのはただの胃液で、胃袋の中身が空だと知る。
それでも気持ち悪さが拭いきれずに吐き気を全て叩き付けた。
頭が物凄い痛む。
俺が自分の混乱に感けている最中、彼女は俺の剣を掴んで抜こうとする。
当然、上手くいかない。
消耗しているのか、その場に崩れ落ちると彼女は覚悟を決めたように言う。
「ゴメン、ヤクモ。剣を抜いてくれる?」
それを聞いて、俺は集中すべき事柄を見つける。
頭痛が酷いが、吐き気は無視できるようになった。
彼女に近寄り、刺さり具合を見て悲観的な考えが過ぎった。
「無理だ、こんなの……。抜いたら、出血が──」
「ふふ、やっぱ──アンタは、悩んで、迷ってる方が良いわね」
「え?」
「大丈夫だから、抜いて? 直ぐに──直ぐに、治癒すれば、大丈夫だから」
その言葉を聞いて、俺は震える手で剣へと手を伸ばした。
傷口近くを握り、下手すれば指が切れてしまいそうだと思いながらも手をかける。
するとマリーが震える手に手を重ねてきた。
そして──辛いだろうに、苦しいだろうにも拘らず笑みを浮かべる。
「大丈夫、大丈夫だから。ね?」
そう言われて、彼女に微笑まれては断れなかった。
それでも何度か深呼吸を繰り返して、自己を奮い立たせるように軽口を叩く。
「いや、こりゃ……絶対痛いって。後でわんわん泣くなよ?」
「泣かない泣かない」
「怒るのも、殴るのも、蹴るのも、魔法も無しだぞ? お前、割かし短気だからさ。良かれと思ってやったのに、直ぐに怒ったり喚いたり──」
「ヤクモ」
軽口を叩いていると、彼女が再び名を呼ぶ。
呼ばれた俺は、ビクリと震えた。
まるで悪い事をした子供だが、名前を呼んだ意味を理解すると最善を尽くそうとする。
傷口を広げず、抜いたら直ぐに圧迫止血か治癒をかけて、そしたら治癒できる人を探して──。
「行くぞ?」
「いつでも」
そう言われ、俺は剣を抜く。
最初は骨にでも引っかかっているのかと言いたくなる位抵抗があり、中々動かない。
けれども手に生じた痛みを無視して引っ張ると、徐々に動き出した。
力を入れる、剣が抜け出す、全てが抜け斬ると一瞬血が噴出してすぐさま剣を床に放って倒れそうな彼女を抱きとめてゆっくりと床に寝かせた。
「回復、リカバー、ファーストエイド……なんでも良い、回復──回復しろ!」
マリーの傷口を──本来なら怒られても仕方が無いが──胸を両手で圧迫しながら回復しようと試みる。
しかし、回復の効きが宜しくない。
何故だ? 何でだ?
彼女の血が熱さを感じさせながら手の平を湿らせていく。
俺が唇をかんで焦るが、彼女は辛さや苦しさを見せまいと微笑んだままだ。
「ここね、結界……みたいなのがあるみたい。だから、直ぐには巡らないし──私達は魔力で身体を構築してるから、魔力じゃ無いとあまり効き目が出ないみたい」
「なら、主人の魔力をもっと吸ってでも──」
「ううん、それも無理。だから焦らないで? 私は大丈夫だから」
大丈夫と言う人ほど、本当は大丈夫じゃない。
そう思うから、余計に焦るのだが──それでも出血が徐々に収まるくらいだ。
彼女の生命力が出血を凌駕している事を願うしかない、そうやって俺は回復をかけ続ける。
そうしていると、俺の居る広間へと複数の足音が聞こえてくる。
周囲の惨状を見て俺の立場が理解できないが、敵なら抵抗するしかない。
味方であれば助けを求めよう。
マリーは英雄なんだ、その彼女を見捨てる選択をするはずが無い。
そう思いながら、先ほど放り捨てた剣を手繰り寄せる。
片手で治療にあたりながら、もう片手で剣を手にして抵抗くらいは出来るようにした。
だが、部屋に入ってきた顔が幾らか見覚えのある相手──。
公爵だと理解すると、俺は剣を取り落とした。
「動くな!」
「待て、公爵! 誰か──マリーが……手当てできる奴を!」
俺は公爵に助けを求めた。
彼女を助けてくれと、死なせないでくれと俺は訴えた。
けれども、何故だろうか……公爵は、後続の兵士達と共に”俺に”対峙している。
武装した兵士達が俺を取り囲みながら、アイアスなどを確認していく。
アイアス、死亡。
ロビン、死亡。
タケル、死亡。
ヘラ……脈あり。
それらの報告を聞いて、俺は余計に唇を噛んだ。
状況がわからず、この世界に来てから追いかけたいと思った相手が訳も分からないうちに死んでいる。
理想が、憧れが死んでいるのを聞いて心の均衡が大きくグラついたのを感じた。
その中で公爵がゆっくりと歩み寄ってきて、マリーが剣を握る俺の手を弱々しくも下ろさせた。
「──公爵。彼は、大丈夫だから」
「マリー殿。だとしても、周囲は納得しないでしょう」
「──……、」
「してきた事、成した事、やって来たことの全てが……もはや英雄の言葉であったとしても、打ち消せはしない」
そう言いながら、公爵が手の届く範囲にまでやって来た。
マリーの治癒をしているから見上げる形になるが、近くで見るからこそ俺の知っている公爵と大分違うのが分かる。
髪や髭に白が多く混じり、若々しかった様相はすでに皺や弛みが散見できる。
脂汗が髪を張り付かせ、戦闘用に着込んだであろう装備や服装などは血や傷、汚れに満たされていた。
「直ぐに治癒師を、それと──彼を拘束しろ!」
その号令と共に、兵士達が俺に殺到する。
剣を掴んでいた手を複数名で押さえ込まれ、握る意志の無かった剣が地面に零れ落ちると即座に蹴って弾かれた。
そしてマリーの治癒をする為に触れていた手までもが引き剥がされる。
俺はそれに抵抗して、回復を──治癒を続けようとした。
「待ってくれ! なんで、どうして!? マリーが……マリーが──」
死んでしまう。
そう言いたかった、吐き出したかった。
死に塗れた部屋の中で、せめて一人でも多く救えればと思った。
だが、それは叶わなかった。
後頭部に突き刺さるような痛みを感じて、一瞬で意識が遠のいていく。
明滅するように、意識が限定的に浮いては沈む事を繰り返していた。
「ゴメンね。もっと早く、アンタの事気付いてあげられたら良かった──」
そんなマリーの言葉を他所に両脇を兵士に固められ、半ば引きずられながら俺は運ばれていく。
廊下へと出ると、恐ろしいほどまでに静かだった。
いや、静けさを強制させられていたというのが正しいだろうか……。
なんだか見覚えのある、自衛官のような迷彩服を着た人物が死体となって転がっているのだけはわかった。
建物を出て、外へと運び出された。
それと同時に沢山の歓声が沸きあがる。
そこも沢山の死体が転がっていて、装備で身を固めた兵士らしいものが男女関係無しであることも辛うじて分かった。
抵抗できない俺は縄で何重にも拘束されて、先ほどまで自分が居たであろう建物から遠ざかっていく。
それがフランツ帝国首都で見た王城だと理解した時には、俺の意識は完全に途絶えていた。
──☆──
あれから、一週間ほど経過した。
俺は日の光すら満足に得られない、薄暗く湿り気と不衛生には事欠かない牢屋らしき場所に入れられ続けていた。
食事は杜撰で、質は良いとは言えないものだ。
看守らしき男が目の前でそれを零して見せたり、棄てたりもした。
丸一日何も口に出来ない事もあったが、それでも俺の中ではマリーの事だけが気がかりだった。
彼女は無事なのか? 大丈夫なのだろうか?
そういった事を考えていれば、少なくとも自分の身に降りかかっている不幸は無視できる。
二十四時間、その全てを何もする事が無いままに過ごす。
システム画面を開こうとしてみたが、ノイズが走っていて満足に動かす事も出来ない。
そして常時両手両足に枷が付けられており、それによって魔法などを封じられており身体も随分鈍って感じた。
薄暗い中、時間の感覚も麻痺していく。
身に付けていたもので怪しいと思われるものや、めぼしい物は既に引き剥がされていた。
腕時計も無いので、真っ暗になれば夜でそれ以外は日が登っているくらいの感覚しかない。
そうやって時間が過ぎ、粗末な寝床で倒れていると扉が喧しく叩かれた。
「起きろ」
看守の声に起こされた俺は、開かれた扉と数名の兵士を認識する。
どうやらどこかへ連れて行かれるらしく、見覚えの無い場所を散々歩かされた。
そして暫くして公爵と会うと、俺は両手両足の拘束具を外される。
身体は気だるく、重い。
公爵は暫く俺を見ていたが、直ぐに「風呂と身嗜みを整えさせろ」と言った。
その言動や様相が俺の知っている公爵と合わず、どうしても戸惑わずには居られない。
それでも、言われたとおりに風呂に入れられ、汚れや血、脂や虫等がつき始めた衣類は変えられた。
無精髭も綺麗に剃られ、監視つきの中で俺は久しぶりに外見だけは人らしくなった。
そして今度はどうなるのかと思っていたら、再び公爵の居る場所にまで連れて行かれる。
部屋の出入り口と部屋の中に兵を配されたままに、俺は彼と対面するように質の良い椅子へと座る。
机を挟み、兵士が離れるまで公爵も俺も口を開けなかった。
「何が起きてるんですか、何があったんですか!?」
半ば叫ぶようにそう言うと、公爵は険しい顔付きを余計に険しくした。
そして少しばかり間を置いてから、俺の問いを置いて質問で返してくる。
「君は、どこまで覚えている?」
「え?」
「私は──君を送り出してから今日に至るまで会っていない。だから知りたいのだ。何があった?」
「いや、自分は……送り出されて、船が沈んだりしながらも何とかフランツ帝国までたどり着いて、そこで『この国で頑張ってみないか』みたいな事を言われて、それが公爵やミラノに対する大きな恩返しになるんじゃないかと思って……」
そう、このワケの分からない場所に来る前の俺は、神聖フランツ帝国での外交じみた挨拶の真っ最中だったはずだ。
食事会で畳み掛けられるように色々言われ、神聖フランツ帝国での自衛隊モドキを作ってみようとか、そこで功績や実績を作れば発言権や発言力が得られるとか、何かがあった時に自衛隊のように様々な目的にあった派遣が出来る部隊があれば多くの人にとって助けになるんじゃないかとか──。
色々考えて、受けたはずなんだ。
だが、公爵は首を横に振り疲労の濃い顔のままに深い溜息を吐いた。
「──鏡を見てみたまえ」
「え?」
「君の疑問を解決しやすい、手っ取り早い方法だ」
そういって、公爵は俺に化粧台を指し示した。
鏡があり、そこで本来であれば身嗜みを確認するのだろうが──。
俺は怪訝に思いながら鏡で自分の姿を確認しに行き、そこで愕然とする。
……ミラノに召喚された時はまだ普通だった、一度死んでから片目が赤くなってしまったのは覚えている。
それ以外にも、俺の全盛期といえる二十代近くの年齢。
年齢に対してまだ若干のあどけなさと言うか、幼さを残した感じだった外見も覚えている。
しかし、だ。
鏡の向うに見えた自分は、自分の知っている最後の外見から離れていた。
顔の丸みや幼さが抜けて精悍さが出ていて、肌も若さを失って若干乾きつつある。
両目が赤くなっているのは意味が分からないが、背丈や肩幅なども増えているようであった。
言ってしまえば、訓練や鍛錬に明け暮れた兵士のような感じになっている。
髪型も、気がつけばハガレンのエドのように伸びたのを結っているくらいに変わっていた。
「君が神聖フランツ帝国に向かったのは、もう十一年も昔の話なんだよ」
「じゅうっ──」
なんのふざけた話だ?
死んだらあの世に行って、地獄か天国に行かされる。
それが宗教的な考えであり、言ってしまえばこの転生でさえありえない──馬鹿げた話である。
鏡の前で自分のものでは無いように見える自分の顔をひたすら眺めて、脱力するように鏡へと触れた。
たったそれだけの行為なのに、もたれかかる様に圧を加えただけで亀裂が入って幾らか破片が落ちてきた。
手を離すと押さえつけられていた鏡面がはがれ、音を立てて崩れ落ちる。
手の平を眺めると突き刺さった破片で赤い血が滴り落ちた。
「──……、」
「自分が何をしたか、覚えているかな」
「十一年の空白期間を今知った自分が、何をしていたかを知ってるわけが無いじゃないですか」
「それも……そうだな──」
そう言って、公爵は「座りたまえ」と席につくことを勧めて来た。
抵抗するという事も考えられず、俺はその指示に従って力なく椅子に座る。
椅子に座って虚脱感に身を委ねると、余計に空腹や渇きが気になる。
徒労、無力感、脱力感──。
浦島太郎もこんな感じだったのだろうか?
地上に戻ったら長い年月が過ぎ去っていて、自分の知る世界とは言い難い時代になっているのを知って。
「君は神聖フランツに行って、そこで頑張るというという事で留まる事にした──それが、帰ってきたマリー殿とタケル殿、ファム殿から聞いた言葉だった」
「……アイアスと、ロビンは?」
「二人も、君と同じように神聖フランツ帝国に残る事を選んだ。どうやったのかは知らないが──主従関係を解消し、独立した一個の存在として居残った。何度か連絡を取ろうとしたが、その返事は次第に遅れがちになり──三年経過したあたりで君からの返事は一切無くなった」
アイアスとロビンが、主従関係を解消しただけじゃなくて──国を、ヴィスコンティを離脱した?
その意味と目的が飲み込めず、そして自分が連絡に対して三年で連絡を断ったと言うのも理解できなかった。
「自分は、何を?」
「外聞や、娘と息子……マリー殿が時折尋ねて聞いた情報を纏めた、きわめて不鮮明な情報でも良ければ聞かせよう」
「是非」
公爵は俺の答えを聞いてから、少しばかり考え込むように黙り込んだ。
それから考えを整理しつつ、ポツリポツリと洩らす。
「君は神聖フランツ帝国にて、当初小さな部隊を設立してその運営や用法を実験的に任された。所属していたかつての部隊を模倣したもので、十名も居ない──散兵部隊だと聞いている」
「ええ……」
「身分を問わず集めた人に訓練を施す傍らで、君は装備の開発も頼み込んだりして進めていった。ユニオン共和国の物に近いもので、君が扱うものより数段劣るものだったとも聞いているが──それでも、装備も充実し出した」
「──……、」
「二年経過して、ツアル皇国での戦線が怪しくなってきた。そこに君は部隊を率いて援軍として派遣してもらい、そこで活躍し名声と共に実績を重ねた。たった十数名でありながら、戦線の一部を瓦解させる戦力を有していた事と、その十名は魔法が使えるものと使えないもの関係無しに構成された部隊だという事も周囲の目を引いた。当初三度月が巡る間の派遣だったが、ツアル皇国の要請や君自身の申請により一年の派兵期間となった」
……話を聞いていて、それが自分の事だとはまるで思えなかった。
名声? 実績? それを欲していたとはいえ、上手くいくかなんて全く思っていないからだ。
正義の味方に憧れる者のように、出来ないと分かりつつも必死に目を背けて追いかけている。
それが俺だ。
「派兵が終わり、君は凱旋するかのように神聖フランツへと戻った。そして国王をヘラ殿と共に説き伏せて部隊の規模や受けられる支援と権利及び権威を求めた。その結果君がヴィスコンティを去ってから五年目には兵の教育や部隊の有り方、そして物資の運用等々といったものにも食い込んで、全てを徐々に変えていった。全ての国民が男女や身分関係無く特定の年齢になったら定められた期間兵役を受ける。そして望むものは正規兵として任用し、去るものにも一部には定期的に訓練を施して常備軍と、予備軍と役割を別けて戦力の拡張と、兵の質を高める事を進めた。その裏で、君は装備等の開発を徐々に推し進めていって、当初君に付き従った十名を指揮官として、その下についた兵士等に装備を配って半ば私兵のようにしながらも──上手くやっていた」
「上手く、とは」
「君の私兵のような彼らは、優れた装備に身を纏いながら、その武力や戦力を決して他者への威圧には使わなかった。そう有りながら、魔物の被害や危険性には即日対処に向かい、被害を受けた民などには仮住まいや物資の支援などと人道的な行いもしてきたからだ。分かるかな? あの国において、君は慈善活動を最上とする思想を隠れ蓑に、非難を上手くかわし続けてきたんだ」
聞いていると、ますます自分にそんな事が出来たのか理解できなくなっていく。
もっと臆病で、優柔不断で、何をするにしても迷い続け、選択した後も後悔している。
上手くいったらそれは神や皆のおかげ、失敗したら自分のせい。
それが俺のはずなのに、聞いている話では迷いが一切無いように思えるのだ。
「そう、君は──上手くやっていた。ただし、それは七年目に君がとある事件を起こすまでの話だが」
「……何があったんです?」
「君は──たぶん反りが合わなかったか、或いは何者かに嵌められたか、騙されたか……。国王と対立し、それに勝って軍による国家運営を開始した。当然反発は大きかったが、ヘラ殿が君を支持して庇った。それによって国王にこそ非があったのでは無いかと噂されたが、今となっては真実を知るものは居ない。そして八年目……ヘラ様と君はツアル皇国とヘルマン国のみが魔物を相手に戦っている現状に対してヴィスコンティとユニオン共和国に非難し、全ての国が団結し魔物に対して戦うべきだと主張し──結果、ヴィスコンティとユニオン共和国に対して宣戦布告した」
その言葉の意味を飲み込むのに、大分時間がかかった。
一笑に伏してやりたかったし、何なら公爵に冗談を言うなと言ってやりたかったくらいだ。
しかし、公爵の冷たい氷のような眼差しと、自分がこの狂った世界に来た当初の状況を思い出して笑えなかった。
アイアスが死んでいた、ロビンが死んでいた、タケルが死んでいた、ヘラが倒れていた。
そして──俺は、多分マリーを刺していたのだ。
つまり、なんだ?
あの状況は、俺とヘラ──アイアスとロビンが神聖フランツ帝国の者としてヴィスコンティに宣戦布告して、その結果が……アレ?
どう考えても負け戦であり、俺は──神聖フランツ帝国は負けたということになる。
俺は拘束されて引きずり出され、相手のトップを打倒したことによる歓声が響いていたと。
……迷彩服のようなものは、あれが──俺の、自衛隊モドキの兵士?
「それで、三年間戦争を、した、と……」
「──君は、一年でヴィスコンティを半分以上飲み込んだ。アイアス殿とロビン殿、そしてヘラ殿という英雄もそうだが、君自身も常に前線で戦い続けた。その結果、貴族至上主義で内部腐敗が進んでいたヴィスコンティは負けに負け続けた。そしてその時になってようやくユニオン共和国が重い腰を上げ、ツアル皇国のタケル殿とファム殿が立ち上がった。そこからは二面作戦を強いられた君は徐々にだが押し込まれ、そして──先週ついに首都にまで押し込まれ、そして負けたと言う訳だ」
「ヴィスコンティは……」
「ヴィスコンティは──もう無い。弱体化しすぎたのだよ。文明や文化は維持しているが、もはやユニオン共和国の勢力化だ。既にあちらの者が居座り、彼の考えにそぐわない事はユニオン共和国に逆らう事と同義と考えられている。君は……私の仕える国を滅ぼしたんだよ」
言葉が飲み込めず、けれども浸透してくる。
唇が奮え、歯がカチカチと鳴る。
当然俺にとって身に覚えのないことだが、この世界での俺が成した事だ。
その恐ろしさに震え、その恐怖から逃れようと口を開く。
「皆は……皆は、どうしてます?」
その言葉の意味は、どういうものだったかは分からない。
特定の誰かでもない、かといって誰でもないと言うわけでもない。
むしろ自分の知る皆と言う曖昧な括りでの問いかけであり、せめて救いが有って欲しいという考えからの言葉だった。
だが、公爵はその言葉を聞いて一瞬激昂したかのように見えた。
それでも、大きく息を吸って荒々しく息を吐き出すと、一人ずつ教えてくれた。
ミラノとアリアは、先ほどの首都攻略戦に参加して二人とも戦死した。
クラインは戦いに生き延びたが、余りにも大きな被害への精神的ショックと負傷により治療を受けてはいるがかつての元気さを失った。
グリムはアルバートを庇ってヴィスコンティ侵略戦で死亡し、アルバート自身もクラインを庇って死亡した。
騎馬で有名であったヴァレリオ家は当主と二人の子息も死亡し、グリムのヴォルフェンシュタイン家も道を同じにしたという。
カティアは俺が神聖フランツ帝国で頑張ると決めてから暫く後に公爵家を後にし、俺と合流したという。
だが、カティアが見当たらないという事は──たぶんどこかで死んだのだろう、首都攻略戦に以降見ていないという。
辺境伯等は生きているが、マーガレットは戦火の中で亡くなったとか。
……死しかない、俺はそれらの報告を聞いて吐き気がした。
口元を押さえて空吐きをしているなか、公爵は感情を隠しきれずに重ねる。
「マリー殿も亡くなられた、ヘラ殿ももうじき亡くなる。だがっ、マリー殿は、君が洗脳されて、操られていると見抜いて──っ!!!」
ミラノが死んだ、俺のせいだ。
アリアが死んだ、俺のせいだ。
クラインが半死人と化した、俺のせいだ。
グリムが死んだ、俺のせいだ。
アルバートが、兄弟が、ヴァレリオ家やヴォルフェンシュタイン家が──国が滅んだ。
全部、俺のせいだ。
カティアも、多分死んだ。
それですら俺のせいなのだ。
理解して無くても、覚えていなくても、判らなくても──それが”俺の選択により招かれた結果”なのだ。
良かれと思った、喜んで欲しかった、認めてもらいたかった、何かを成し遂げたかった──。
自立した人間に、なりたかった。
だが、その結果がこれだ。
俺は自分以外の全てを犠牲にし、屍で積み上げた山を指して成果とし、その上に立って地位と誤解したのだ。
そして、俺はこの世界で作り始めた関係の全てを破壊した。
親しくなれるかもしれない、仲良くなれるかもしれない。
そう思えるくらいに切っ掛けや関係を少しくらいは信じられるようになったのに、それですら自分でぶち壊した。
涙が溢れる、いつものように俺が失敗した、自分でぶち壊した。
いつものように成功したと思い込みながら、思いっきり崖を滑り落ちていった。
動けない、亡くなった面々の顔を思い浮かべると涙が溢れて止まらない。
マリーですら死に、もはや何も残されていなかった。
公爵が席を立つ、すると出入り口に立っていた兵士達が俺に近寄ってきて両腕を捻り上げる。
抵抗する気も芽生えずに居ると、その両手を後ろで縛られた。
「時間だ、処刑台まで連れて行け」
そして冷え切った公爵の声が、悲しみで熱を持った思考を一気に冷やしていく。
理解が出来ず、何故なのかと問いたかった。
しかし、空腹と渇きなどで衰えきった俺の体は抵抗できずに引きずられていく。
部屋から出る際に──
「……洗脳でなければ、或いは解けなければ──嬉々として君を処刑できたのに」
そんな公爵の言葉が、脳裏にこびりついて離れなかった。
兵士に黙れと殴られた、顔に麻袋を被せられて情けない罪人の様に連れ出されていく。
建物を出たらしい事を肌で感じながら、徐々に声が響いているのも聞いて取れる。
近づけば近づくほどに、それが俺に対する罵声だと理解するのはそう難しくなかった。
そして暫く歩かされ、到着した場所は熱気で塗れている。
死ね、殺せ、何故だ、何故なんだ。
ヴィスコンティの民ではなかったのか。
公爵の部下ではなかったのか。
何故この国を犯した。
なぜ家族を殺した。
何故、なぜ、ナゼ──。
俺と言う存在が疎まれ、嫌われ、蔑まれている。
それを聞いている麻袋の裏で、俺は涙を零しながら顔を歪めるしかない。
そして、石などが投げられて体が痛めつけられた。
頭にも当たり、血が流れる。
その血でさえ、今となっては冷たく思える。
「民よ! 戦いによって平和を踏み躙られ、愛するものを奪われ、日常を奪われ、家を破壊され、全てを踏み躙られた者よ! 不法なる侵略者は、神の名を騙る悪魔の使徒はついに滅ぶ時がきた!」
公爵の声が聞こえた。
それが俺の事を言っているのだろうと理解する程度には思考能力があったが、抵抗する気力も、生きる気力も潰えていた。
生き甲斐を失って、 何もせずに、何も出来ずに時間を無駄に費やしてきた。
それを変えたかった、少しでも何かをして……生きている意味を少しでも持ち、幸せな生を今度こそと思っていた。
だが、ゼロ所じゃなくマイナスにまで突入した今の俺に、何の意味が有るのだろうか?
周囲の声が俺の生を否定している、俺の死こそを望んでいる。
敵でもない、見方でもない民からそれを望まれているのだ。
「神は我らを見放す事無く、正義が──正しきがどちらに有るかを見て下さった! 見るがいい! どちらが虜囚の辱めを受けているのか、どちらが裁きを受けるのか! 我々は明日を生きるが、我らを辱めた敵は今日、この日を持って、永久に去るのだ!」
公爵の演説が徐々に熱を帯びていく、そして犠牲となった人々に言及していく。
その中にはヴァレリオ一族やヴォルフェンシュタイン一族、そしてミラノやアリア等にも触れた。
若いながらも国の危機や困難の為に身命を賭して立ち向かい、その礎となったと。
長い……聞いているのが辛い演説が過ぎた。
ついに俺は麻袋を取り払われ、処刑台の上で大勢の民衆に見られているのを理解した。
大きな斧を持った処刑人が居て、斬首を行うであろう場所が用意されているのを見た。
そして俺の隣には──もう一人の処刑対象が居る。
それはヘラであり、この戦争を主導したもう一人の人物──らしい。
彼女も幾らか憔悴していた、健康を損なった顔つきをしていた。
そんな彼女に何か言いたかったが、お互い投げられる石などによってそれが阻まれていた。
「では、英雄の名を騙った者を処刑する!」
その声で、ヘラが処刑される事を知る。
何か出来ないかと僅かに考えてしまったが、視界に滲むシステム画面は既に故障した機械のように砂嵐を吐いていて何も出し入れできない。
命乞いじゃない、彼女だけでもと言いたかった訳でもない。
ただ、彼女の名前を呼んだ。
それに対してヘラは、マリーと同じように辛さを最大限隠した微笑を見せる。
「ヤクモさん──」
跪かされた彼女は、首を差し出すように民衆の方へと頭を傾けている。
処刑人が、大きな斧を両手で持つ。
「愛してましたよ、大好き……でしたよ──」
そして、その言葉を最後に彼女の頭から先が斧で見えなくなった。
直ぐに斧が持ち上がり、鮮血が飛び散っているのが見えたが──まだ、辛うじて首が繋がっているようであった。
「やめろよ、やめてやってくれよ! なに、な、な……」
彼女が何をしたんだ、何でそんな責め苦を彼女が味あわないといけない?
そんな疑問がただひたすらに頭の中で渦巻くが、喉はもう張り付いて声は民衆の声でかき消された。
斧が再び振り下ろされ、彼女の身体はもはや命持たぬ抜け殻となった。
一度目の時は痙攣するように跳ねた身体も、今ではもう動かない。
ただ、愛していたと──好きだったという言葉が理解できなくて、それがマリーが俺に口付けし「アンタの事、もっと早く気付いていれば」といった言葉を想起させて余計に涙が溢れる。
そして、今度は俺の番が来た。
民衆は熱狂の真っ只中だ。
ヘラの血で濡れた台に俺も首を差し出すように引き倒され、下の方でヘラの頭が落ちているのを見てしまう。
その顔が、表情が──血に塗れながらも両目から涙を流している。
後悔や悲しみ等を受け入れて、静かにこの世を去ったといえるくらいに綺麗過ぎて余計に涙が溢れた。
斧が振り下ろされ、衝撃から遅れてやってきた痛みが脳裏を巡る。
痛みで苦しみ悶えたかったが、首から下の感覚が既に無い。
叫びたくても肺と繋がっていない、ただ自分の首から溢れる血で溺れそうになった。
それでも──ぶら下がった首が二度目に切り落とされて地面に落ちた。
自分の事なのに、まるで他人事のように受け入れているのは──俺が、諦めたからだろう。
いまじゃ、もう、あーにゃのことも、かんがえられない。
ただ、よりそうように、ころがるへらをみつめながら。
いしきがとだえるまで、かのじょをみつめていた。
最善だと思って選んだ選択が最悪の結果を招く事だってあるし、悪手だと思っていた事が最善の結果を招く事だってある──。
……処分を受けた、俺に良くしてくれた二曹の人が憔悴した顔で言った言葉だ。
レンジャー上がりで、中隊配属されて間もない雛である俺たちに良くしてくれた気のいい人だ。
ストイックで、公私を綺麗に切り分けて日常を生きていた。
格闘、射撃、訓練、生活──。
最初の一月は、その人と一緒に何かをすることが多く、それ故に関わる事が多かった。
だが、胸に着けたダイヤ徽章と常に何かを射抜くような眼孔が、その時は嘘のように思えた。
失望なんかしなかった、態度や待遇だって変えなかった。
出来る事があれば言って下さい、酒の席でもよければ愚痴ったって良いですとさえ言った。
それでも、俺はこう切り捨てられた。
――お前は真っ直ぐすぎる、だから……今この時だけはそれが憎たらしく思える──
言葉の意味は当時良く分からなかったが、今なら分かる。
その人にはその人なりの負担やストレスがあった。
結果として処分を受けるに値する事をしてしまったが、それに対応した俺の”良かれ”と思った行為が、悪手だったのだと。
悪手は、俺にとって人生の半分だった。
追い詰められたり、失敗した時にこそ成功する。
しかし、成功したり安定するといつも失敗する。
その繰り返しで、気持ち的には落ち込んでいる事の方が多かったかも知れない。
それでも中隊に馴染むまでは同期がいた。
中隊に馴染んでからは同期と後輩がいた。
そして……両親を失った時には同期は既に去り、後輩にその負担を背負わせるような先輩になりたくなかった。
人生の大失敗ばかりが目につく生き方しかしていなくて、どこに成功があったのかを問いたくなる。
だから──俺は選んだのだ。
神聖フランツ帝国で、公爵やミラノを裏切る事無く恩返しが出来るように……。
一個の、独立した、自立した人間となれるように。
公爵やミラノという傘の下で濡れる事を厭うのではなく、雨風吹こうともちゃんと自分で歩むんだって。
そう、決めたんだ──。
――☆──
全身が痛み、鼻を突く匂いは戦いの香りで満ちていた。
血の臭い、死の臭い、それゆえ生じた排泄物の臭い。
俺は突如として放り込まれた世界に理解が及ばず、戸惑ってしまう。
更に俺を困惑させるのは、俺が誰かとキスをしているという状況だった。
身体が痛む、血の臭いや戦いの中に生じうる匂いがする、なのに──キスをしている。
その事実に気がついた時、相手はゆっくりと離れた。
相手は……マリーで、その口の端からは血が垂れている。
煤や血などが彼女を穢し、それを知ると更に戸惑ってしまう。
「ま、リー……?」
俺が信じられないという風にそう洩らすと、彼女見たことの無いくらいに優しい顔をしている。
そしてコツリと、俺の頭を叩いた。
「遅すぎるのよ、ばぁか」
情報不足と、偏った情報の過多。
状況がわからない、意味が分からない、何が起きているのかすら分からない。
硬直していると、彼女がゆっくり身体を離す。
……その胸には、俺の見知った剣が突き刺さっていた。
「まっ、マリー!?」
俺から離れ、致命傷かどうかも分からないが剣が突き刺さっているマリーを──
とにかく、どうにかしなきゃって、パニックを起してしまう。
周囲に助けを求めようとしたが、その時更に理解不能な状況を知る。
アイアスが壁にもたれかかり、座り込む形で項垂れていた。
ロビンがうつ伏せに倒れ、血を流してピクリとも動かない。
タケルがアイアスの槍で壁に標本のように縫い付けられ、血を滴らせている。
ヘラも……まるで死んでいるかのようだ。
英雄達が、ただの兵士のように──あるいは当然のように、感慨も無く……死んでいる。
その事実を脳が処理しきれずに、気持ちが悪くて嘔吐した。
床に叩きつけられたのはただの胃液で、胃袋の中身が空だと知る。
それでも気持ち悪さが拭いきれずに吐き気を全て叩き付けた。
頭が物凄い痛む。
俺が自分の混乱に感けている最中、彼女は俺の剣を掴んで抜こうとする。
当然、上手くいかない。
消耗しているのか、その場に崩れ落ちると彼女は覚悟を決めたように言う。
「ゴメン、ヤクモ。剣を抜いてくれる?」
それを聞いて、俺は集中すべき事柄を見つける。
頭痛が酷いが、吐き気は無視できるようになった。
彼女に近寄り、刺さり具合を見て悲観的な考えが過ぎった。
「無理だ、こんなの……。抜いたら、出血が──」
「ふふ、やっぱ──アンタは、悩んで、迷ってる方が良いわね」
「え?」
「大丈夫だから、抜いて? 直ぐに──直ぐに、治癒すれば、大丈夫だから」
その言葉を聞いて、俺は震える手で剣へと手を伸ばした。
傷口近くを握り、下手すれば指が切れてしまいそうだと思いながらも手をかける。
するとマリーが震える手に手を重ねてきた。
そして──辛いだろうに、苦しいだろうにも拘らず笑みを浮かべる。
「大丈夫、大丈夫だから。ね?」
そう言われて、彼女に微笑まれては断れなかった。
それでも何度か深呼吸を繰り返して、自己を奮い立たせるように軽口を叩く。
「いや、こりゃ……絶対痛いって。後でわんわん泣くなよ?」
「泣かない泣かない」
「怒るのも、殴るのも、蹴るのも、魔法も無しだぞ? お前、割かし短気だからさ。良かれと思ってやったのに、直ぐに怒ったり喚いたり──」
「ヤクモ」
軽口を叩いていると、彼女が再び名を呼ぶ。
呼ばれた俺は、ビクリと震えた。
まるで悪い事をした子供だが、名前を呼んだ意味を理解すると最善を尽くそうとする。
傷口を広げず、抜いたら直ぐに圧迫止血か治癒をかけて、そしたら治癒できる人を探して──。
「行くぞ?」
「いつでも」
そう言われ、俺は剣を抜く。
最初は骨にでも引っかかっているのかと言いたくなる位抵抗があり、中々動かない。
けれども手に生じた痛みを無視して引っ張ると、徐々に動き出した。
力を入れる、剣が抜け出す、全てが抜け斬ると一瞬血が噴出してすぐさま剣を床に放って倒れそうな彼女を抱きとめてゆっくりと床に寝かせた。
「回復、リカバー、ファーストエイド……なんでも良い、回復──回復しろ!」
マリーの傷口を──本来なら怒られても仕方が無いが──胸を両手で圧迫しながら回復しようと試みる。
しかし、回復の効きが宜しくない。
何故だ? 何でだ?
彼女の血が熱さを感じさせながら手の平を湿らせていく。
俺が唇をかんで焦るが、彼女は辛さや苦しさを見せまいと微笑んだままだ。
「ここね、結界……みたいなのがあるみたい。だから、直ぐには巡らないし──私達は魔力で身体を構築してるから、魔力じゃ無いとあまり効き目が出ないみたい」
「なら、主人の魔力をもっと吸ってでも──」
「ううん、それも無理。だから焦らないで? 私は大丈夫だから」
大丈夫と言う人ほど、本当は大丈夫じゃない。
そう思うから、余計に焦るのだが──それでも出血が徐々に収まるくらいだ。
彼女の生命力が出血を凌駕している事を願うしかない、そうやって俺は回復をかけ続ける。
そうしていると、俺の居る広間へと複数の足音が聞こえてくる。
周囲の惨状を見て俺の立場が理解できないが、敵なら抵抗するしかない。
味方であれば助けを求めよう。
マリーは英雄なんだ、その彼女を見捨てる選択をするはずが無い。
そう思いながら、先ほど放り捨てた剣を手繰り寄せる。
片手で治療にあたりながら、もう片手で剣を手にして抵抗くらいは出来るようにした。
だが、部屋に入ってきた顔が幾らか見覚えのある相手──。
公爵だと理解すると、俺は剣を取り落とした。
「動くな!」
「待て、公爵! 誰か──マリーが……手当てできる奴を!」
俺は公爵に助けを求めた。
彼女を助けてくれと、死なせないでくれと俺は訴えた。
けれども、何故だろうか……公爵は、後続の兵士達と共に”俺に”対峙している。
武装した兵士達が俺を取り囲みながら、アイアスなどを確認していく。
アイアス、死亡。
ロビン、死亡。
タケル、死亡。
ヘラ……脈あり。
それらの報告を聞いて、俺は余計に唇を噛んだ。
状況がわからず、この世界に来てから追いかけたいと思った相手が訳も分からないうちに死んでいる。
理想が、憧れが死んでいるのを聞いて心の均衡が大きくグラついたのを感じた。
その中で公爵がゆっくりと歩み寄ってきて、マリーが剣を握る俺の手を弱々しくも下ろさせた。
「──公爵。彼は、大丈夫だから」
「マリー殿。だとしても、周囲は納得しないでしょう」
「──……、」
「してきた事、成した事、やって来たことの全てが……もはや英雄の言葉であったとしても、打ち消せはしない」
そう言いながら、公爵が手の届く範囲にまでやって来た。
マリーの治癒をしているから見上げる形になるが、近くで見るからこそ俺の知っている公爵と大分違うのが分かる。
髪や髭に白が多く混じり、若々しかった様相はすでに皺や弛みが散見できる。
脂汗が髪を張り付かせ、戦闘用に着込んだであろう装備や服装などは血や傷、汚れに満たされていた。
「直ぐに治癒師を、それと──彼を拘束しろ!」
その号令と共に、兵士達が俺に殺到する。
剣を掴んでいた手を複数名で押さえ込まれ、握る意志の無かった剣が地面に零れ落ちると即座に蹴って弾かれた。
そしてマリーの治癒をする為に触れていた手までもが引き剥がされる。
俺はそれに抵抗して、回復を──治癒を続けようとした。
「待ってくれ! なんで、どうして!? マリーが……マリーが──」
死んでしまう。
そう言いたかった、吐き出したかった。
死に塗れた部屋の中で、せめて一人でも多く救えればと思った。
だが、それは叶わなかった。
後頭部に突き刺さるような痛みを感じて、一瞬で意識が遠のいていく。
明滅するように、意識が限定的に浮いては沈む事を繰り返していた。
「ゴメンね。もっと早く、アンタの事気付いてあげられたら良かった──」
そんなマリーの言葉を他所に両脇を兵士に固められ、半ば引きずられながら俺は運ばれていく。
廊下へと出ると、恐ろしいほどまでに静かだった。
いや、静けさを強制させられていたというのが正しいだろうか……。
なんだか見覚えのある、自衛官のような迷彩服を着た人物が死体となって転がっているのだけはわかった。
建物を出て、外へと運び出された。
それと同時に沢山の歓声が沸きあがる。
そこも沢山の死体が転がっていて、装備で身を固めた兵士らしいものが男女関係無しであることも辛うじて分かった。
抵抗できない俺は縄で何重にも拘束されて、先ほどまで自分が居たであろう建物から遠ざかっていく。
それがフランツ帝国首都で見た王城だと理解した時には、俺の意識は完全に途絶えていた。
──☆──
あれから、一週間ほど経過した。
俺は日の光すら満足に得られない、薄暗く湿り気と不衛生には事欠かない牢屋らしき場所に入れられ続けていた。
食事は杜撰で、質は良いとは言えないものだ。
看守らしき男が目の前でそれを零して見せたり、棄てたりもした。
丸一日何も口に出来ない事もあったが、それでも俺の中ではマリーの事だけが気がかりだった。
彼女は無事なのか? 大丈夫なのだろうか?
そういった事を考えていれば、少なくとも自分の身に降りかかっている不幸は無視できる。
二十四時間、その全てを何もする事が無いままに過ごす。
システム画面を開こうとしてみたが、ノイズが走っていて満足に動かす事も出来ない。
そして常時両手両足に枷が付けられており、それによって魔法などを封じられており身体も随分鈍って感じた。
薄暗い中、時間の感覚も麻痺していく。
身に付けていたもので怪しいと思われるものや、めぼしい物は既に引き剥がされていた。
腕時計も無いので、真っ暗になれば夜でそれ以外は日が登っているくらいの感覚しかない。
そうやって時間が過ぎ、粗末な寝床で倒れていると扉が喧しく叩かれた。
「起きろ」
看守の声に起こされた俺は、開かれた扉と数名の兵士を認識する。
どうやらどこかへ連れて行かれるらしく、見覚えの無い場所を散々歩かされた。
そして暫くして公爵と会うと、俺は両手両足の拘束具を外される。
身体は気だるく、重い。
公爵は暫く俺を見ていたが、直ぐに「風呂と身嗜みを整えさせろ」と言った。
その言動や様相が俺の知っている公爵と合わず、どうしても戸惑わずには居られない。
それでも、言われたとおりに風呂に入れられ、汚れや血、脂や虫等がつき始めた衣類は変えられた。
無精髭も綺麗に剃られ、監視つきの中で俺は久しぶりに外見だけは人らしくなった。
そして今度はどうなるのかと思っていたら、再び公爵の居る場所にまで連れて行かれる。
部屋の出入り口と部屋の中に兵を配されたままに、俺は彼と対面するように質の良い椅子へと座る。
机を挟み、兵士が離れるまで公爵も俺も口を開けなかった。
「何が起きてるんですか、何があったんですか!?」
半ば叫ぶようにそう言うと、公爵は険しい顔付きを余計に険しくした。
そして少しばかり間を置いてから、俺の問いを置いて質問で返してくる。
「君は、どこまで覚えている?」
「え?」
「私は──君を送り出してから今日に至るまで会っていない。だから知りたいのだ。何があった?」
「いや、自分は……送り出されて、船が沈んだりしながらも何とかフランツ帝国までたどり着いて、そこで『この国で頑張ってみないか』みたいな事を言われて、それが公爵やミラノに対する大きな恩返しになるんじゃないかと思って……」
そう、このワケの分からない場所に来る前の俺は、神聖フランツ帝国での外交じみた挨拶の真っ最中だったはずだ。
食事会で畳み掛けられるように色々言われ、神聖フランツ帝国での自衛隊モドキを作ってみようとか、そこで功績や実績を作れば発言権や発言力が得られるとか、何かがあった時に自衛隊のように様々な目的にあった派遣が出来る部隊があれば多くの人にとって助けになるんじゃないかとか──。
色々考えて、受けたはずなんだ。
だが、公爵は首を横に振り疲労の濃い顔のままに深い溜息を吐いた。
「──鏡を見てみたまえ」
「え?」
「君の疑問を解決しやすい、手っ取り早い方法だ」
そういって、公爵は俺に化粧台を指し示した。
鏡があり、そこで本来であれば身嗜みを確認するのだろうが──。
俺は怪訝に思いながら鏡で自分の姿を確認しに行き、そこで愕然とする。
……ミラノに召喚された時はまだ普通だった、一度死んでから片目が赤くなってしまったのは覚えている。
それ以外にも、俺の全盛期といえる二十代近くの年齢。
年齢に対してまだ若干のあどけなさと言うか、幼さを残した感じだった外見も覚えている。
しかし、だ。
鏡の向うに見えた自分は、自分の知っている最後の外見から離れていた。
顔の丸みや幼さが抜けて精悍さが出ていて、肌も若さを失って若干乾きつつある。
両目が赤くなっているのは意味が分からないが、背丈や肩幅なども増えているようであった。
言ってしまえば、訓練や鍛錬に明け暮れた兵士のような感じになっている。
髪型も、気がつけばハガレンのエドのように伸びたのを結っているくらいに変わっていた。
「君が神聖フランツ帝国に向かったのは、もう十一年も昔の話なんだよ」
「じゅうっ──」
なんのふざけた話だ?
死んだらあの世に行って、地獄か天国に行かされる。
それが宗教的な考えであり、言ってしまえばこの転生でさえありえない──馬鹿げた話である。
鏡の前で自分のものでは無いように見える自分の顔をひたすら眺めて、脱力するように鏡へと触れた。
たったそれだけの行為なのに、もたれかかる様に圧を加えただけで亀裂が入って幾らか破片が落ちてきた。
手を離すと押さえつけられていた鏡面がはがれ、音を立てて崩れ落ちる。
手の平を眺めると突き刺さった破片で赤い血が滴り落ちた。
「──……、」
「自分が何をしたか、覚えているかな」
「十一年の空白期間を今知った自分が、何をしていたかを知ってるわけが無いじゃないですか」
「それも……そうだな──」
そう言って、公爵は「座りたまえ」と席につくことを勧めて来た。
抵抗するという事も考えられず、俺はその指示に従って力なく椅子に座る。
椅子に座って虚脱感に身を委ねると、余計に空腹や渇きが気になる。
徒労、無力感、脱力感──。
浦島太郎もこんな感じだったのだろうか?
地上に戻ったら長い年月が過ぎ去っていて、自分の知る世界とは言い難い時代になっているのを知って。
「君は神聖フランツに行って、そこで頑張るというという事で留まる事にした──それが、帰ってきたマリー殿とタケル殿、ファム殿から聞いた言葉だった」
「……アイアスと、ロビンは?」
「二人も、君と同じように神聖フランツ帝国に残る事を選んだ。どうやったのかは知らないが──主従関係を解消し、独立した一個の存在として居残った。何度か連絡を取ろうとしたが、その返事は次第に遅れがちになり──三年経過したあたりで君からの返事は一切無くなった」
アイアスとロビンが、主従関係を解消しただけじゃなくて──国を、ヴィスコンティを離脱した?
その意味と目的が飲み込めず、そして自分が連絡に対して三年で連絡を断ったと言うのも理解できなかった。
「自分は、何を?」
「外聞や、娘と息子……マリー殿が時折尋ねて聞いた情報を纏めた、きわめて不鮮明な情報でも良ければ聞かせよう」
「是非」
公爵は俺の答えを聞いてから、少しばかり考え込むように黙り込んだ。
それから考えを整理しつつ、ポツリポツリと洩らす。
「君は神聖フランツ帝国にて、当初小さな部隊を設立してその運営や用法を実験的に任された。所属していたかつての部隊を模倣したもので、十名も居ない──散兵部隊だと聞いている」
「ええ……」
「身分を問わず集めた人に訓練を施す傍らで、君は装備の開発も頼み込んだりして進めていった。ユニオン共和国の物に近いもので、君が扱うものより数段劣るものだったとも聞いているが──それでも、装備も充実し出した」
「──……、」
「二年経過して、ツアル皇国での戦線が怪しくなってきた。そこに君は部隊を率いて援軍として派遣してもらい、そこで活躍し名声と共に実績を重ねた。たった十数名でありながら、戦線の一部を瓦解させる戦力を有していた事と、その十名は魔法が使えるものと使えないもの関係無しに構成された部隊だという事も周囲の目を引いた。当初三度月が巡る間の派遣だったが、ツアル皇国の要請や君自身の申請により一年の派兵期間となった」
……話を聞いていて、それが自分の事だとはまるで思えなかった。
名声? 実績? それを欲していたとはいえ、上手くいくかなんて全く思っていないからだ。
正義の味方に憧れる者のように、出来ないと分かりつつも必死に目を背けて追いかけている。
それが俺だ。
「派兵が終わり、君は凱旋するかのように神聖フランツへと戻った。そして国王をヘラ殿と共に説き伏せて部隊の規模や受けられる支援と権利及び権威を求めた。その結果君がヴィスコンティを去ってから五年目には兵の教育や部隊の有り方、そして物資の運用等々といったものにも食い込んで、全てを徐々に変えていった。全ての国民が男女や身分関係無く特定の年齢になったら定められた期間兵役を受ける。そして望むものは正規兵として任用し、去るものにも一部には定期的に訓練を施して常備軍と、予備軍と役割を別けて戦力の拡張と、兵の質を高める事を進めた。その裏で、君は装備等の開発を徐々に推し進めていって、当初君に付き従った十名を指揮官として、その下についた兵士等に装備を配って半ば私兵のようにしながらも──上手くやっていた」
「上手く、とは」
「君の私兵のような彼らは、優れた装備に身を纏いながら、その武力や戦力を決して他者への威圧には使わなかった。そう有りながら、魔物の被害や危険性には即日対処に向かい、被害を受けた民などには仮住まいや物資の支援などと人道的な行いもしてきたからだ。分かるかな? あの国において、君は慈善活動を最上とする思想を隠れ蓑に、非難を上手くかわし続けてきたんだ」
聞いていると、ますます自分にそんな事が出来たのか理解できなくなっていく。
もっと臆病で、優柔不断で、何をするにしても迷い続け、選択した後も後悔している。
上手くいったらそれは神や皆のおかげ、失敗したら自分のせい。
それが俺のはずなのに、聞いている話では迷いが一切無いように思えるのだ。
「そう、君は──上手くやっていた。ただし、それは七年目に君がとある事件を起こすまでの話だが」
「……何があったんです?」
「君は──たぶん反りが合わなかったか、或いは何者かに嵌められたか、騙されたか……。国王と対立し、それに勝って軍による国家運営を開始した。当然反発は大きかったが、ヘラ殿が君を支持して庇った。それによって国王にこそ非があったのでは無いかと噂されたが、今となっては真実を知るものは居ない。そして八年目……ヘラ様と君はツアル皇国とヘルマン国のみが魔物を相手に戦っている現状に対してヴィスコンティとユニオン共和国に非難し、全ての国が団結し魔物に対して戦うべきだと主張し──結果、ヴィスコンティとユニオン共和国に対して宣戦布告した」
その言葉の意味を飲み込むのに、大分時間がかかった。
一笑に伏してやりたかったし、何なら公爵に冗談を言うなと言ってやりたかったくらいだ。
しかし、公爵の冷たい氷のような眼差しと、自分がこの狂った世界に来た当初の状況を思い出して笑えなかった。
アイアスが死んでいた、ロビンが死んでいた、タケルが死んでいた、ヘラが倒れていた。
そして──俺は、多分マリーを刺していたのだ。
つまり、なんだ?
あの状況は、俺とヘラ──アイアスとロビンが神聖フランツ帝国の者としてヴィスコンティに宣戦布告して、その結果が……アレ?
どう考えても負け戦であり、俺は──神聖フランツ帝国は負けたということになる。
俺は拘束されて引きずり出され、相手のトップを打倒したことによる歓声が響いていたと。
……迷彩服のようなものは、あれが──俺の、自衛隊モドキの兵士?
「それで、三年間戦争を、した、と……」
「──君は、一年でヴィスコンティを半分以上飲み込んだ。アイアス殿とロビン殿、そしてヘラ殿という英雄もそうだが、君自身も常に前線で戦い続けた。その結果、貴族至上主義で内部腐敗が進んでいたヴィスコンティは負けに負け続けた。そしてその時になってようやくユニオン共和国が重い腰を上げ、ツアル皇国のタケル殿とファム殿が立ち上がった。そこからは二面作戦を強いられた君は徐々にだが押し込まれ、そして──先週ついに首都にまで押し込まれ、そして負けたと言う訳だ」
「ヴィスコンティは……」
「ヴィスコンティは──もう無い。弱体化しすぎたのだよ。文明や文化は維持しているが、もはやユニオン共和国の勢力化だ。既にあちらの者が居座り、彼の考えにそぐわない事はユニオン共和国に逆らう事と同義と考えられている。君は……私の仕える国を滅ぼしたんだよ」
言葉が飲み込めず、けれども浸透してくる。
唇が奮え、歯がカチカチと鳴る。
当然俺にとって身に覚えのないことだが、この世界での俺が成した事だ。
その恐ろしさに震え、その恐怖から逃れようと口を開く。
「皆は……皆は、どうしてます?」
その言葉の意味は、どういうものだったかは分からない。
特定の誰かでもない、かといって誰でもないと言うわけでもない。
むしろ自分の知る皆と言う曖昧な括りでの問いかけであり、せめて救いが有って欲しいという考えからの言葉だった。
だが、公爵はその言葉を聞いて一瞬激昂したかのように見えた。
それでも、大きく息を吸って荒々しく息を吐き出すと、一人ずつ教えてくれた。
ミラノとアリアは、先ほどの首都攻略戦に参加して二人とも戦死した。
クラインは戦いに生き延びたが、余りにも大きな被害への精神的ショックと負傷により治療を受けてはいるがかつての元気さを失った。
グリムはアルバートを庇ってヴィスコンティ侵略戦で死亡し、アルバート自身もクラインを庇って死亡した。
騎馬で有名であったヴァレリオ家は当主と二人の子息も死亡し、グリムのヴォルフェンシュタイン家も道を同じにしたという。
カティアは俺が神聖フランツ帝国で頑張ると決めてから暫く後に公爵家を後にし、俺と合流したという。
だが、カティアが見当たらないという事は──たぶんどこかで死んだのだろう、首都攻略戦に以降見ていないという。
辺境伯等は生きているが、マーガレットは戦火の中で亡くなったとか。
……死しかない、俺はそれらの報告を聞いて吐き気がした。
口元を押さえて空吐きをしているなか、公爵は感情を隠しきれずに重ねる。
「マリー殿も亡くなられた、ヘラ殿ももうじき亡くなる。だがっ、マリー殿は、君が洗脳されて、操られていると見抜いて──っ!!!」
ミラノが死んだ、俺のせいだ。
アリアが死んだ、俺のせいだ。
クラインが半死人と化した、俺のせいだ。
グリムが死んだ、俺のせいだ。
アルバートが、兄弟が、ヴァレリオ家やヴォルフェンシュタイン家が──国が滅んだ。
全部、俺のせいだ。
カティアも、多分死んだ。
それですら俺のせいなのだ。
理解して無くても、覚えていなくても、判らなくても──それが”俺の選択により招かれた結果”なのだ。
良かれと思った、喜んで欲しかった、認めてもらいたかった、何かを成し遂げたかった──。
自立した人間に、なりたかった。
だが、その結果がこれだ。
俺は自分以外の全てを犠牲にし、屍で積み上げた山を指して成果とし、その上に立って地位と誤解したのだ。
そして、俺はこの世界で作り始めた関係の全てを破壊した。
親しくなれるかもしれない、仲良くなれるかもしれない。
そう思えるくらいに切っ掛けや関係を少しくらいは信じられるようになったのに、それですら自分でぶち壊した。
涙が溢れる、いつものように俺が失敗した、自分でぶち壊した。
いつものように成功したと思い込みながら、思いっきり崖を滑り落ちていった。
動けない、亡くなった面々の顔を思い浮かべると涙が溢れて止まらない。
マリーですら死に、もはや何も残されていなかった。
公爵が席を立つ、すると出入り口に立っていた兵士達が俺に近寄ってきて両腕を捻り上げる。
抵抗する気も芽生えずに居ると、その両手を後ろで縛られた。
「時間だ、処刑台まで連れて行け」
そして冷え切った公爵の声が、悲しみで熱を持った思考を一気に冷やしていく。
理解が出来ず、何故なのかと問いたかった。
しかし、空腹と渇きなどで衰えきった俺の体は抵抗できずに引きずられていく。
部屋から出る際に──
「……洗脳でなければ、或いは解けなければ──嬉々として君を処刑できたのに」
そんな公爵の言葉が、脳裏にこびりついて離れなかった。
兵士に黙れと殴られた、顔に麻袋を被せられて情けない罪人の様に連れ出されていく。
建物を出たらしい事を肌で感じながら、徐々に声が響いているのも聞いて取れる。
近づけば近づくほどに、それが俺に対する罵声だと理解するのはそう難しくなかった。
そして暫く歩かされ、到着した場所は熱気で塗れている。
死ね、殺せ、何故だ、何故なんだ。
ヴィスコンティの民ではなかったのか。
公爵の部下ではなかったのか。
何故この国を犯した。
なぜ家族を殺した。
何故、なぜ、ナゼ──。
俺と言う存在が疎まれ、嫌われ、蔑まれている。
それを聞いている麻袋の裏で、俺は涙を零しながら顔を歪めるしかない。
そして、石などが投げられて体が痛めつけられた。
頭にも当たり、血が流れる。
その血でさえ、今となっては冷たく思える。
「民よ! 戦いによって平和を踏み躙られ、愛するものを奪われ、日常を奪われ、家を破壊され、全てを踏み躙られた者よ! 不法なる侵略者は、神の名を騙る悪魔の使徒はついに滅ぶ時がきた!」
公爵の声が聞こえた。
それが俺の事を言っているのだろうと理解する程度には思考能力があったが、抵抗する気力も、生きる気力も潰えていた。
生き甲斐を失って、 何もせずに、何も出来ずに時間を無駄に費やしてきた。
それを変えたかった、少しでも何かをして……生きている意味を少しでも持ち、幸せな生を今度こそと思っていた。
だが、ゼロ所じゃなくマイナスにまで突入した今の俺に、何の意味が有るのだろうか?
周囲の声が俺の生を否定している、俺の死こそを望んでいる。
敵でもない、見方でもない民からそれを望まれているのだ。
「神は我らを見放す事無く、正義が──正しきがどちらに有るかを見て下さった! 見るがいい! どちらが虜囚の辱めを受けているのか、どちらが裁きを受けるのか! 我々は明日を生きるが、我らを辱めた敵は今日、この日を持って、永久に去るのだ!」
公爵の演説が徐々に熱を帯びていく、そして犠牲となった人々に言及していく。
その中にはヴァレリオ一族やヴォルフェンシュタイン一族、そしてミラノやアリア等にも触れた。
若いながらも国の危機や困難の為に身命を賭して立ち向かい、その礎となったと。
長い……聞いているのが辛い演説が過ぎた。
ついに俺は麻袋を取り払われ、処刑台の上で大勢の民衆に見られているのを理解した。
大きな斧を持った処刑人が居て、斬首を行うであろう場所が用意されているのを見た。
そして俺の隣には──もう一人の処刑対象が居る。
それはヘラであり、この戦争を主導したもう一人の人物──らしい。
彼女も幾らか憔悴していた、健康を損なった顔つきをしていた。
そんな彼女に何か言いたかったが、お互い投げられる石などによってそれが阻まれていた。
「では、英雄の名を騙った者を処刑する!」
その声で、ヘラが処刑される事を知る。
何か出来ないかと僅かに考えてしまったが、視界に滲むシステム画面は既に故障した機械のように砂嵐を吐いていて何も出し入れできない。
命乞いじゃない、彼女だけでもと言いたかった訳でもない。
ただ、彼女の名前を呼んだ。
それに対してヘラは、マリーと同じように辛さを最大限隠した微笑を見せる。
「ヤクモさん──」
跪かされた彼女は、首を差し出すように民衆の方へと頭を傾けている。
処刑人が、大きな斧を両手で持つ。
「愛してましたよ、大好き……でしたよ──」
そして、その言葉を最後に彼女の頭から先が斧で見えなくなった。
直ぐに斧が持ち上がり、鮮血が飛び散っているのが見えたが──まだ、辛うじて首が繋がっているようであった。
「やめろよ、やめてやってくれよ! なに、な、な……」
彼女が何をしたんだ、何でそんな責め苦を彼女が味あわないといけない?
そんな疑問がただひたすらに頭の中で渦巻くが、喉はもう張り付いて声は民衆の声でかき消された。
斧が再び振り下ろされ、彼女の身体はもはや命持たぬ抜け殻となった。
一度目の時は痙攣するように跳ねた身体も、今ではもう動かない。
ただ、愛していたと──好きだったという言葉が理解できなくて、それがマリーが俺に口付けし「アンタの事、もっと早く気付いていれば」といった言葉を想起させて余計に涙が溢れる。
そして、今度は俺の番が来た。
民衆は熱狂の真っ只中だ。
ヘラの血で濡れた台に俺も首を差し出すように引き倒され、下の方でヘラの頭が落ちているのを見てしまう。
その顔が、表情が──血に塗れながらも両目から涙を流している。
後悔や悲しみ等を受け入れて、静かにこの世を去ったといえるくらいに綺麗過ぎて余計に涙が溢れた。
斧が振り下ろされ、衝撃から遅れてやってきた痛みが脳裏を巡る。
痛みで苦しみ悶えたかったが、首から下の感覚が既に無い。
叫びたくても肺と繋がっていない、ただ自分の首から溢れる血で溺れそうになった。
それでも──ぶら下がった首が二度目に切り落とされて地面に落ちた。
自分の事なのに、まるで他人事のように受け入れているのは──俺が、諦めたからだろう。
いまじゃ、もう、あーにゃのことも、かんがえられない。
ただ、よりそうように、ころがるへらをみつめながら。
いしきがとだえるまで、かのじょをみつめていた。
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