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4章 元自衛官、休みに突入す

五十三話

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 自衛官にとっては、駐屯地の中が自分達の世界であり、社会外の世界は別物だ。歩き出す時は左足から、歩きながら携帯は弄らない、ポケットに手を突っ込んだり靴の踵を踏んだりとだらしない真似は出来ない。電車では座らず、エスカレーターを使わずに階段を使う。

 なんと言うか、多分徹底のしすぎかもしれないけれども、別世界のように思えてしまうのだ。日常からだらけないようにしろと言われ、その通り愚直にも守り続けてきた。階段で上り下りし、二時間近い家と駐屯地を結ぶ路線でも決して座らず、バスには頼らずに駅から家までも歩きや場合によっては走りで向かう。
 怠けようと思えば幾らでも怠けられるが、体力資本の陸上自衛隊において筋力と体力と精神力は全ての基礎基本なので、それらに贅肉がつくとやってられないのだ。

 しかし、やる事をやっていれば怒られる事はそんなに無い上について行けないと言う事は無いので、俺にとっては天職だったと思う。疾走して、伏せて、撃って。行軍して、突撃して防衛する。目的や目標、任務はそんなに難しくなく、ただ付随するものがごちゃごちゃしているだけだ。それらも、理解すれば陸士であっても多少なりとも判別や判断がついて色々とやりやすくなるのだが。



 ミラノとマリーが喧嘩して、マリーが頭を冷やすと言って出て行った。その後の静けさの中で俺は十二英雄が実は十四人居て、そのうちの一人は魔王と相打ちで存在そのものが消え去ってしまい、もう一人は歴史から意図的に消された。その消された一人がこの前俺が相対した人物で、暗殺や暗躍が得意らしいとか色々語った。

 そして何だかんだと話をして、また平穏な時間が訪れたが、ミラノが「調子悪いみたいだから、私は行くわね」と言って去ってしまった。事実、本をぶつけられたり大量出血の影響で貧血気味だったりと調子は良くない。
 そこまで表に出しては居ないけれども、どうやらマリーが色々言ったのを気にしているのだろう。彼女は「安静にする事」と優しそうな言葉を残して去っていった。

 ミラノが去ればアルバートも俺には用が無いのか「では、夕刻くらいにはまた来るぞ」と言って去っていく。グリムが血の出た指をずっとしゃぶっていたが、去り際に「――早く元気になってね」等と、少し意味深な事を言って去って言った。やめろよ、ちょっとトゥンクと来てしまうだろうが。

 そしてアリアはミラノの忘れ物を纏めると挨拶もそこそこに去って行き、残ったのはカティアだけだった。ベッドの上でぶっ倒れている俺に代わり、アルバートやミラノ達が使用した食器を纏める。それをトレーに乗せると、タイミングよく通り掛かったメイドにそれを預けた。
 メイドは快く引き受けてくれたが、部屋の中を覗いて俺がベッド上にぶっ倒れてるのを見て関わらない方が良いのだろうと察して直ぐに去っていった。

 ミラノがマリーと喧嘩している時はあからさまに部屋の前を横切るどころか近寄らなかったのに、静かになったら来るとか人間らしく利己的だ。

「ほら、ベッドに入って。ちゃんと食べて、ちゃんと休まないと血も治らないわよ」
「カティア。血ってのはね、一ヶ月くらいかけてゆっくり再生するものなんだよ……。
 一月で済むか……?」

 なんだか不安が脳を過ぎる、また何かゴタゴタがあって出血してしまいそうな気がした。下らない理由から真面目な理由まで、考えられるのは幾らでもある。カティアが掛け布団を捲るのに合わせてゴロリとベッドから落ちて両手両足の四点当地で受身を取る。カティアが少し驚いていたようだが、俺が何事も無さそうに立ち上がるとため息を吐いた。
 身体を起せなくて、そのまま転げ落ちてしまったのだが、そこまで弱ってると思われたくはなかった。まだ彼女は──こちら側じゃない。

「ねえ、ご主人様? もうちょっと、行動を考えて頂けませんかしら?」
「まあまあ、露骨にバカをするだけ気の置けない関係だと思えば悪くないんじゃないか?
 人って言うのは他人の前では悪い面を見せようとはしない、誰が自分にとって不利益な事をするかも分からないからだ。けれども、──ふぅ──怠惰な所や悪い面を見せられるほどに信じてるとか仲が良いと解釈すれば、そう悪い事じゃない」
「それ、悪い解釈をすると『どうでも良い相手』という見方も出来ますわ。
 とにかく、ベッドに入って」
「うい」

 上着を脱いで傍の椅子にかけると、靴を脱いでベッドに潜った。そして子供にそうするように、カティアが布団をかけてくれる。四時間ほど前までこの中で寝ていたのを考えると複雑な気持ちにはなるが、体調不良はどうしようもないので休めるうちに休んでおく。
 休息も仕事のうち、体調管理や不調時の回復も仕事の内だ。当然、体調不良で仕事が回らないとか、居ないと仕事が回らないから来いとか頭の悪い事は言われない。当たり前だ、常に不測の事態に備えているのだから、体調不良などで誰かが倒れても可能な限り人員は補填されるのが当然なのだ。
 体調不良に陥ったら、全力で回復に努める。それが在るべき姿であり、それが迷惑をかけた事への誠意だと思っている。とは言え、体調不良よりも怪我や負傷の方が多いのだが……。

「ああ、もう。ご主人様、脱いだ服を適当に投げない。ちゃんと掛けないと皺が寄るわよ?」
「んぁ……ああ。ん~、あんま、気にしなくていいんじゃないか? アイロンも無いし、スーツと違って皺がついたり目立つ素材じゃないから」
「だらしなく思われるのは、良くないのよ?」

 そう言いながら、カティアは俺が脱ぎ捨てたに近い服をハンガーに掛けてくれた。壁掛けのフックがあるのでそこに掛けようとするが、彼女の背丈ではどうやら届かないらしい。彼女は俺の肩にちょうど頭の天辺が来るくらい小さいので、俺が何気なしに服を掛けたり取ったりしている高さですら要所に化けるようだ。
 結局彼女は椅子を持ってくると、その上に立って服を掛けた。俺にとっては動作でしかないが、彼女にとっては一苦労。

「――ジャンプしたら、届いたんじゃないか?」
「あぁ、そうね。そうかもしれないけど、みっとも無いと思わないかしら」
「確かに……」
「それともご主人様は、翻るこのヒラヒラした物の奥に有るものに興味があるのかしら」

 そう言ってカティアは、椅子を元に戻すとロングスカートを摘んで揺らす。悪戯っぽく、或いは「誘ってるのか?」と言いたくなるような、外見に見合わぬ妖艶さを滲ませているが。俺はそれを視界から外してウォークマンを久々に取り出して操作していた。

「カティア。意識せずとも得られるものと、意識してようやく得られるものの価値が違うって話は分かる?」
「どういうことかしら?」
「例えばご飯。当たり前のように食事が出てきて、それを何気なく食べている人にはその有り難味は分からない。けれども、時折――あるいは常に食事に困っている人はご飯が食べられる事にありがたみを感じるのさ。
 女性の下着と言うのは、そう易々と見ることが出来ないから意味がある。想像の余地が有る、自由に思考を巡らせる事が出来る……そこに意味がある。簡単に見えるようなものに、価値なんて無い」
「言ってる事は凄いのに、その話の始まりが下らないわね。っと、何してるの?」
「音楽でも、久しぶりに聞こうかなと思って。前まではバッテリーの問題が有ったけど解決したし、休むなら休むで楽しみながらでも――良いかなと思ってね」

 そう言いながら操作する。フォルダ別けされた中に一つだけ音楽とは無関係な音声も入っているけれども、そういったのはあまり珍しくない。例えば英語の発音や言い回しを練習したい時、ゲームを録画して音声だけスッパ抜いて編集し、形式変換してウォークマンに突っ込めば幾らでも、好きな時に聞ける。
 陸曹になったら英語課程とかも有るぞと言われ、陸曹教に行く前からノンビリと始めていた物だ。そもそも国籍こそ日本ではあるが、その大半を海外で暮らした俺には既に基本基礎や日常会話程度は問題無く出来るので、必要なのは軍事用語の習得と応用及び発展なのだが。

 音楽も当然入っているが、英語、スペイン語、ロシア語――果てには中国の歌や北朝鮮の歌なども入っている、そこらへんはニコニコの動画で使われた曲で、ただ聞こえが良いから突っ込んだだけなので絶対数は少ない。メイン日本語、英語が次で、スペイン語がおまけくらいに入っていると見るのが妥当だ。

 クラシックだのオーケストラだのも突っ込んである、そこらへんは父親や母親の趣味を幼い頃から聞いていて記憶に焼け付いているからで、持っていかれる前にパソコンへと全部取り込んだ。アルルの少女、ファランドール等は有名だろう。
 あとはアニメの歌、ゲームのBGM等も突っ込まれている。ただ、今回は槇原敬之の曲でも流すのが良い。刺激的過ぎない、感傷に浸れる物ばかりだが、それが良い。

「この時代じゃ蓄音機なんかも夢のまた夢だろうし、音楽と言うのは結構良い物だよ」
「へぇ~。ねえ、何か流して?」
「え、もしかして聞きたいの?」
「駄目かしら?」

 駄目かと問われれば、別に駄目なんかじゃない。あまりヘッドホンにはよろしくないが、音量を上げてカティアにも聞こえるようにする。曲は変更して、Chichi Peraltaの物にした。
 俺が彼の曲を知ったのは南米に居た時、コロンビアに在住していた頃だろうか。幼い俺が始めて音楽を買って貰った時に選んだのが彼のCDだった。当然、子供なのだから彼が誰なのかなんて知るわけが無い、けれども弟や妹が買い与えられたCDも中々に良いもので、それらもウォークマンに入れてある。Spice GirlだのLou Begaだのと、今でも懐かしいくらいだ。

 ヘッドホン越しに曲が流れてきて、何故これを選んだのかと一瞬後悔したが、イントロが終わって直ぐに明るいメロディーへと入っていく。歌詞の全てがスペイン語だが、ボンゴの音などが小気味よく声とマッチして気分が良い。カティアも徐々に聞き入ってきたのか、目を閉ざして楽しそうにしている。
 そして曲が終わると、フォルダーに突っ込まれた次の曲が再生されていく。全てが優しい曲ばかりで、懐かしさと共に三曲ほど再生したところでカティアが口を開く。

「なんか、良いわね。何言ってるかは分からないけど」
「俺もちょっと忘れがちだから全部は翻訳できないけど、雰囲気だけでも楽しめたら良いと思う」
「因みにどんな曲なの?」
「――そうだな、大切な人が居て、その人と自分を歌ったもの……かな」

 実際には一曲目から「麻薬のような愛」であり、愛する人は俺を温かい気持ちにもさせるし、どこまでも底冷えさせる事ができる~なんて出だしである。ある意味恋歌で、婚約だの結婚でピリピリしているカティアにそんな事を言えるはずも無かった。
 フォルダを変えてLou Begaの曲にしてそれを再生するが、英語の曲だからこそ歌詞が全て理解できて頭を抱えたくなった。気の多い男の歌で、五人の女性と仲が良くて「全員と少しずつ一緒に居たい」と言う、つまり浮気男とも言えるような人の歌だ。

 この子は俺の人生の少しで、この子は少し俺の傍に居てくれて、この子が少し俺には必要で、この子を少し見ていたくて、この子の明るさが少し良くて、この子が少し夜付き合ってくれると良い。そんな曲。
 直ぐにまたフォルダを変更して出てきたのはRicky Martin、正統派だなとお思いながらサッカーの光景を思い浮かべた。サッカーは好きじゃないが、その熱狂ぶりは凄いと思う。なおスペイン語なのでまたもや意味は分からなくなった。

「ご主人様って色々な言語を知ってるのね」
「いや、父親の仕事の都合で赤ん坊の頃から家族ぐるみで移り歩いてきたんだよ。
 南米が多くて、アルゼンチン・コロンビア・ベネズエラ……。長期休暇はカナダに留学したり、ボリビアに旅行したり、日本に遊びに来たりと色々あった。スペイン語ばかりの国で、アメリカンスクールは授業は全部英語。日本に来てからの方が苦労したんじゃないかと思ってる」

 日本語は、あまりにも同じ意味で別のワードになるものが多すぎる。しかも尊敬語だの謙譲語だのと種類が幅広く、それを適切に使わないと社会ではやっていけないとまでされる。一年生の時、俺はそこでまず壁にぶつかり、教科書にまで書き込んで”この単語の意味は”なんて英語で書き込んでいたものだ。
 教科書に落書きをする生徒は珍しくないが、授業中に落書きをしていたと誤解されて取り上げられ、その後直ぐに謝罪を逆に喰らったのは俺くらいじゃないだろうか? あ、けど。そういやその注釈だらけの教科書を誰かに見られた──いや、貸したっけ? 恥ずかしい事をしたものだ。あとで笑われたに違いない。

 しかし、日本に来てからと言うもののスペイン語は使わないせいですっかり衰えてしまった、英語はまだ大丈夫だけれども、それでも今じゃ何の役にも立たないだろう。そもそも英語所か、スペイン語ですら存在しないのだから。

「体が大きいと、見渡せる世界が広くていいわね。今でも私には世界が広がっても狭いままだけど」
「世界が広くなると、そのぶん自分が薄まるとも言えるけどな。同じ一掬いの砂糖でも、入れ物が大きければ大きいほど一口で味わえる甘みは薄まるように。
 そう考えると、外交官をしていた父さんは偉大だ。俺よりも多くの言語を操り、多くの知識を持ち、多くの他国の外交官と繋がりを持ち、苦労に見合った分だけ何かを得ている。それも、何かを生かすための物だ。
 驚きだよ、大人になるまで、俺は父親の仕事すら知らなくて、そんな重要な責務を担ってるなんて思わないで”甘えた子供”のままだったんだから」
「けど、今はそうじゃないでしょ。だから、迷わないで。貴方が迷うと、私まで迷ってしまうから」
「分かってるよ。だから、俺は出来る事をして、少しでも立派になりたい。いや、なる」
「仰せのままに、ご主人様」

 そう言ってカティアは従う意を示すように恭しく礼をしたが、直ぐにそれも崩れる。

「けど、そうね。まずは体調を整えるのが大事なお仕事じゃないかしら」
「あやふやな目標に対して、千里の道に対する一歩目が体調の回復だなんて、泣けるね……」
「最初の一歩なんて、大体そんなものじゃないかしら」

 そう言ってカティアは俺が借りてきた本のタイトルを眺めて、興味を持った一冊を手に取ると椅子を持って傍にやってくる。そして椅子に腰掛けて俺い何かあっても直ぐに対処できる場所に位置して、その場で読書を始めた。

「喉が渇いたら準備するから、それと食事の時間が近づいたら起すわね」
「ん、悪い……」
「そういう時は、ありがとうって言いなさい」

 そんなカティアの言葉を聞いてから、音楽を流しながらも俺は目蓋を閉じる。何だかんだ、睡眠は取ろうと思えば取れるもんだ。
 ただ、意識が遠のいても中々睡眠にまで到達する事はできない。調子が悪くても寝つきが悪いのは相変わらずで、目蓋を閉じながら音楽に耳を傾けるしかなかった。その内、歌ではなくクラシックなどに差し掛かると眠気を誘ってくるようになった。

『歌を歌ってるの?』

 意識が途切れかけたが、声が聞こえて俺は目蓋を開いた。
 しかし、視界に写る光景は屋根やカティアの居る部屋などではなく、どこかの森林だった。林に囲まれた中にこの前の野営地みたいなのがあって、そこから少し離れた場所で白銀の女性が剣を磨きながら鼻歌を歌っていた。
 そこまで理解して俺はまた過去に飛ばされたのだなと理解する。初めて見たのはロビンと一緒の時、その次に見たのはマリーと一緒に居た時で、今度は――誰だ? それぞれに視界主が違うので分からない事が多いし、これが事実なのかも分からない。
 ただ、リアリティがあって夢と言うよりは追憶だと思う。誰かの、どこかでの記憶。

「あはは、上手じゃないけどね。遠い故郷の歌なんだ」
『独特な言語なんですね』
「うん、そうだね。誰も知らない歌だし、多分俺しかもう知ってる人は居ないんじゃないかな」
『どういう意味の歌なんですか?』
「大好きな人なんだけど、だからこそ旅立って欲しいと言う歌なんだ。
 大事で、愛していて、大切で、愛しい人。だからこそ、行ってらっしゃいって見送る歌」
『最初から聴いても良いですか?』
「あまり上手じゃないけど、それでもいいのなら――」

 そこで、映像が乱れる。歌詞が、旋律が、記憶がノイズだらけになる。中途半端な早送りをしたように、全てが狂う。けれども、それも直ぐに収まり、どうやら歌が終わった直後にまで飛んだ様だ。

『今の歌、教えてもらっても良いですか? 言葉は無理ですが、曲調なら覚えられます!』
「はは、そうだね。それじゃあ練習してみようか?」
『あ、でもでも。邪魔になりませんか? 剣の手入れをしてたみたいですけど』
「いや、ちょうど終わった所だから。寝るまではまだ疲れてないし、一緒にやろうか」
『はい!』

 意気込むように視界主が両手を握り拳にして見せた。その時の手を見て、誰か……その指だしグローブをしていた気がする。マリーだったか、ヘラだったか……。思い出せない、けれども多分ヘラだなと思った。確かこんな口調だった気もするし、そう考えると杖とグローブがセットで印象的だったなと芋蔓式に思い出せた。

 穏やかな光景だが、そんな二人の身なりは平穏とか、平和とは程遠く思えた。血や泥などが衣服に染み込んでいるし、ヘラのグローブも視界に移る度に気にかけては見たが大分くたびれている。
 白銀の女性も、距離が近づいた事もあって細かに見れるけれども、随所に装備している防具は欠けたり傷付いたりしている。たぶん、新調も出来ないのだろう。それくらいに追い込まれていたということなのかもしれないが。

『今教えてもらった歌も、本当は音が後ろにあるんですか?』
「うん、そうだね。楽器の種類は分からないけど音が流れていて、その上にさっきの歌が乗っかるんだけど。流石にこの時勢じゃ、楽器も手に入らないよね」
『そういう時は「楽器がある世界にする」って言うと、格好良いですよ』
「格好良い、か。可愛いのと、どっちの方が得をするかな?」
『大丈夫です! どっちも似合いますから!』
「有難う」

 仲が良いのだろう。マリーは大事な人~みたいに言っていたし、きっとヘラも彼女に対して愛情が有るのだろう。死線を多く潜り抜ければ、そうもなるのだろう。
 彼女達の関係は知らないけれども、きっと悪くは無いのだろう。微笑ましいと見るべきか、それともそんな二人を切り裂く未来の出来事を考えて悲劇だと思うべきかは分からない。

 ただ、俺にとっては情報としてこの光景を見ることしか出来ないのだ。その情報を個人の観点でどんな付箋をつけて保管したかなんて、邪推する事はできても断じたり表に出してはならない。絶対、決して。

 二人の様子を、ヘラの視点から見ていたけれども。それがカメラの切り替えのように”スイッチ”が入る。視点が誰かになり、白銀の女性とヘラが二人で楽しそうにしているのが見えた。そしてそれを数度頷くと視点が流れる、そして林の奥の闇へと向けられた。
 ――視点が変だ、片目を閉じたように狭まっている。

『仲良き事は善き哉、と。それで、君はここで一人ぼっちか』
「放っておけよ、裏切り者」

 闇の方から声が返ってくる。その声に俺は聞き覚えがある、しかし――ソイツの姿はこの夢の中では誰も見ていないのか、常に確認は出来なかった。ただどこかに居て、声が聞こえる。それが在り方なのか、強いられているのかは分からない。ただ、奴は裏切り者と呼ばれているのが今では自分でありながらも、過去では視点主を裏切り者と呼んだ。

『……君には悪いと思ってる。けど、俺も必要だと思ったら君と同じ事をするよ。
 こんな時に利己的になる人は要らない、君のやっている事は――本来なら俺が、いや……俺達が引き締めを図るべきなんだ』
「謝るなよ、偽善者。本当はホッとしてるんだろ? 自分が誰かを傷つけず、危めず、侮蔑や嘲笑もされず、理解されずとも必要だからと人を殺せる自分にならずに済んでいるのを」
『――そうかも知れない。けれども、俺は君を侮蔑したりしてないよ。俺も、利益の為に人を殺した――ヒトゴロシなんだから』
「はは、おかしな事を言う。他人から見て綺麗に見える、都合の良いものはヒトゴロシであっても理解されるんだよ。見せしめとして、理不尽に誰かを殺す。理解させる為に、脅す。奪い、放り出し、縊る。多分お前も傷の舐めあいをしに来たかもしれないが、お前のは魅せるもので、俺のは見せるものだ。その差は決して埋まらない」

 そう言って、奥のほうでゆらりと影が動いた。その影はさらに奥へ消えて行き、居なくなった。それを見た視点主が頷き、ため息を吐く。そして一つ言葉を漏らした。

『儘ならないなあ……』

 儘ならない、そんなものは人生において常だ。むしろ自分の事ですら制御できていると言える人間の方が少ないか――或いは誇張されて逆に多い方だろう。けれども、俺はなぞるようにその呟きを受け止めていた。

「儘、ならいな……」
「あ、起きちゃいました?」

 映像ではなく、現実に戻ってきていた。そして俺の世界に見えたのは天井ではなく、ヘラの姿だった。カティアが座っていた席にヘラが座っていて、彼女の姿は無い。そして彼女の手が俺の額に置かれていて、まるで看病されているような感じだ。

「貴方の使い魔はいま厨房に行ってます、料理長に話をしている所だと思いますよ」
「魚が食べたくなったのかな? 生魚にしろ、焼き魚にしろ……あんまり食卓には上がらないからなあ」

 魚を食べると言う文化は、海外ではあまり浸透していなかったと聞く。海外じゃ当初日本の食文化は理解できないとされ、それこそ”野蛮人”と言われたそうな。しかし、時は流れ平成二十七年位にもなれば交流は深まり、理解する者は着実に出て来た。

 生魚は理解できないけど、刺身と寿司は大好物なんて人も居る。まあ、大東亜戦争の後に世界の主導権を握っていたのが五大国で、ヨーロッパの主張や文化の色が強かったからと言う見方も出来るだろうが、それももう過去だ。”!合連、ばらさ”なんて歴史的出来事を踏襲して笑わせてもらった事もあったが、イギリスも連合脱退したしアレからあの世界はどうなる事やら。

 閑話休題。俺も魚は食べたいとは思っているが、どうやって寄生虫の排除をすればいいのか分からないので下手に生では食べられない。せめて焼かなければ食べられないが、やはりワサビと醤油で脂の乗ったサケの切り身を食べたい。そうじゃなくともフレークのサケをご飯に乗っけて食べたいし、マヨネーズをかけてツナマヨみたいにするのも良い。考えるだけで食べたくなってきた。
 そんな事を考えていると、ヘラが首を横に振った。

「いいえ、貴方の食べ物を体調が悪くても簡単に摂取できるものにするためです」
「へ?」
「気づいてなかったかもしれませんが、熱が出てますよ? 顔が赤くないので気づきませんでしたが、大分高温です」
「マジか……」

 やけにふらつくなとは思ったけれども、どうやら熱が出ていたらしい。発熱に対して異常な高温にでもならないと自覚できない、昔からそんな風になっている。脳がバグってるのか、周囲の光景が追憶の世界と現実とでノイズが入りまくりだ。
 砂嵐のような音、電子音と視界の荒れ。そしてヘラが何故か別人に見える、髪の色も違い、雰囲気も別人だ。そして学園の服を着た知り合いに見えて、けれどもそれですら直ぐに、交互にヘラの姿と入れ替わって戻る。
 
「確か、あの人と戦った時に思い切り剣で貫いて、その剣で刺されたんでしたよね?」
「あ、あぁ……」
「もしかすると、その影響で身体に負担がかかってるのかも知れません。
 過去の英雄の血とが混ざって、何か悪さをしてるのかも……」
「だから、変な夢を見るのか――」
「夢?」
「皆の、昔の夢、だと思う。白銀長髪の女性が居て、マリーやヘラがその人と色々なやり取りを――日常を過ごしてる所」
「――っ」

 ヘラが息を呑んだ。俺は何事だろうと身体を起こそうとするが、慌てた彼女に肩を押された。

「あぁ、寝ててください! 寝たままで良いですから」
「悪い……」
「それで、夢の内容を聞いてもいいですか?」
「ヘラが、歌を教えてもらってた。なんだっけ、大切で、愛しい人なんだけど、だからこそ行ってらっしゃい……みたいな歌って……。
 ただ、名前とか歌とかは……消されてて分からなかった」
「歌……懐かしいです。人類が死に瀕した中でも、人々を率いる私達には余裕を見せる事が求められてましたから。
 けれども、あの方の歌の多くは私達の知っている言語ではありませんでした。なので歌詞を覚えても忘れてしまうので、曲調だけでもと教わったりしたんです」
「そ、なんだ……」
「たしか、こういうものです」

 そう言って、彼女は鼻歌で教わったと言う歌のメロディーを披露してくれた。それを良いなと、ぼんやりとしながら聞いていると、カティアが戻ってくる。アークリアも一緒で、ノックをしてから入ってきた。

「熱を出されたと聞いて参りました。ヤクモ様、どのような感じですか?」
「吐き気は無い、です。ただ、眩暈がして、汗が出る、だけです」
「ラムセス様が来られていて良かったですね。あの方は医師ですから、直ぐにお連れします」
「すみません……」

 俺の様子を見て、アークリアは直ぐに去っていった。ヘラが発熱してるとか言うから、自覚した分だけ自分の異常を理解する。
 汗が大分出ている、片目を開いていれば大丈夫だけれども、両目を開くと目が回る。既に治ったはずの腹部が痛んでどうしようもないが、幻痛のようなものだ。
 もう傷は無いのに、身体がまだ傷があると錯覚して痛みを訴えているのだろう。或いは、神経が断絶していて回復魔法じゃ繋がってないから狂ってるのか。

「ご主人様、麦粥を頼んできたからそれは食べられる?」
「匂いを嗅いで、判断する」
「喉は? 乾いてない?」
「今は大丈夫だけど、手の届く範囲に用意してくれると、助かるかな」

 魔法で水を出せば飲めるのだけど、体調不良時の魔法行使はした事が無いのでやりたくない。体調不良だと魔法が上手く使えないという可能性はあるし、それで自分やベッドを濡らすだけならまだしも、暴走して部屋をボロボロにしたら流石に迷惑をかけすぎる。

 カティアがヘラと何か話をしていたが、今の俺には聞き取れない。そういや、音楽を再生しっぱなしだったなとウォークマンを止めた。止める直前に再生されていたのが115と言う曲だった。皆が死に、皆が横たわっている。彼らはその時が来るのを待っている、誰もが生きることにしがみ付いている、もはや誰も生きては居ないのに――。
 皮肉かと言いたくなったが、俺もある意味死に掛けだった。音楽を止めると、同じ歌手繋がりの別の曲を思い出してしまう。

『I've been waiting for someone to find me and become a part of me...' 
 I've been waiting for you to come here and kill me and set me free...' 
 I've been waiting for... 』

 英語で、女性の声で、透き通る音楽で、少しだけやかましく、けれども悲しい歌。
 誰かが私を見つけて私の一部になってくれるのを待ってる。あなたがここに来て私を殺し、自由にしてくれるのを待っている。私は何時までも……。

 そんな歌詞だが、俺は共感できる。それは認められたがっていると言う背景を踏まえてなのだが、その為に他人を食い物にするか、或いは見つけてくれた誰かに食われるかと言う究極の選択。
 辛ければ辛いほど色々考えてしまう、暗中模索、五里霧中……バカの考えを何故態々してしまうのかと考えると、冷たくひんやりとした物が額に乗せられた。

「はい、ご主人様。気持ち良い?」

 それは熱を散らすと言う意味では正しい、湿らせた布だった。何かの色のハンカチのような物で、乗せていると言う感覚すら無い。大分、追い詰められているのだろう。もしかすると、病死とか衰弱死も有り得るんじゃないか……?

「そのハンカチ、元気になったら返して下さいね。けど、そうですか。貴方は――私達の過去を見たのですね」
「この前戦ったアイツも、闇の中に居た。名前は、やっぱり分からないままだったけど。
 アイアス、ロビン、ヘラ、マリー、それと……ファム、だったか。その五人の名前は、聞いた」
「――そうですか。けど、良くないですよ? 人の記憶を見るのは、助平さんと同じです」
「だって、流れてきて……どうしようも、無いんだ。それに、ヘラがそんな事を言うから、見聞きしたのが事実だって、裏づけに……」
「何でも良いですよ。けど、懐かしさを感じる事が出来たので良いです、許します」

 目を閉じて、体調の悪さと戦っていると今度はそのまま夢も何も見る事無く意識が無くなった。そして夢も見ず、ただテープを切って繋げた様に意識が回復する。腕時計を見ると午後の六時になっていて、カティアがベッドに上半身を預けて寝ているし、ヘラも椅子に座ったまま船を漕いでいた。
 起きた記憶は無いので、麦粥が蓋をされて残っている。そしてラムセスが一度来たのか、眩暈がしたら飲むようにと生臭い薬草の粉末を置いている。もしかすると乾燥させた物では駄目だったのかも知れない。

 そして一度止めた筈なのに、またウォークマンが再生されているのに気がついた。記憶に無いだけで、操作したのかもしれない。アニソンが再生されていたら破滅だよなと思いながら、ウォークマンを止めた。

 今日は本当に寝てばかりだなと思ったけれども、半日を寝て過ごしたおかげでか幾らか調子は戻ったようだ。それでも不調である事に変わりはないし、一時的な小康でしかないのかもしれないが。

 カティアを起さないように気をつけてベッドを抜け出し、蓋のされた麦粥を食べる事にした。薄い塩味、そして水分摂取と飲み込みやすいようにとされている上に、僅かにでも満腹感を上げようと粉ではなく小麦も使ってくれていた。有り難い話だ、後で料理を担当してくれた人に礼を言いに行こう。

 少しだけ胡椒を足したくなったが、この世界に胡椒は有るのだろうか? まあ、無いか高価だったら困るので注文として口にしたりはしないけれども、食事に関しては色々と気にかかる所が多かった。

「あら、起きたのね。高熱だって聞いてたけど、もう元気になったの?」
「ああ、マリー……まあ、おかげさまでね」

 麦粥を食べているとマリーがやって来た。ノックすると言う事を知らないのか、ごく自然に、当たり前のように扉を開けて入ってくる。ヘラと姉妹だと言うのがあまり信じられなくなってくる、そもそも髪の色が違う。そこらへんは突っ込んじゃいけないのかもしれないので黙ってるが、本人達がそういうのならそうなのだろう。せめてノックはして欲しい、もし一人でお楽しみだったらどうするつもりだ。まあ、場所や状況は選ぶのでそこらは良いのだが。

 マリーは部屋の中を見て、ヘラとカティアが寝ているのを見てから寄ってきて椅子に座った。そして机の上に積み重ねられた借りてきた本を邪魔そうに脇にどかすと、魔導書を取り出して何処からか出した羽根ペンを手にして、なにやら作業を始める。

 なんと言うか、グリムもそうだったけど、人様の部屋に来て作業するのってどうなのだろうか? 俺が他人様の部屋にお邪魔していきなり店を広げて「それじゃ、八九小銃の整備しますわ」とか言って銃の分解を始めたらどう思われるだろうか? 少なくとも、顔を引きつらせる事は間違いないだろう。しかも服についたら大事になりかねない油まで使うのだ、それと射撃後だと炭までベッタベタについている。嫌われるに違いない。

 ただ、まあ。だからと言って正面切って会話をするというのも気が引ける、俺には何を話せばいいのか見当もつかない。ミラノやアリア、アルバートやグリム、カティアあたりなら学園関連の事で話題がある。それどころか俺の未来をどうしたものかと冷やかし含めて話せるのだからまだ余裕があった。

 しかしマリーやヘラと会話しろと言われても、最有力候補なのはかつての戦いが聞きたいということなのだろうが、それを聞いてしまうとマリーたちにとって忘れたくなかったあの白銀の女性を思い出させてしまう事になる。マリーはそれで今日の午前カッとなってしまい、頭を冷やすと言って出て行ったのだ。その話題は避けた方が良いに決まっている。

 じゃあ何の話題なら良いのかと問われて、天気の話題を夕日が傾く今聞くのは馬鹿げている。彼女らに「今日どうでした?」なんてのもトンチンカンだろう。なら無難な所でも良いかと思い、沈黙という苦痛に耐えられずに訊ねた。

「なにしてるの?」
「魔法の追加よ。刻印系で刻み込んだ魔法は修正が利かないけど、こっちは文面を削ったり追加は自由だから。
 この前は危なかったから本来は敵部隊のど真ん中に叩き込む魔法で自爆したけど、同じ場面が来ても良いように備えるの。貴方も嫌でしょ? 味方なのに巻き添えを食らう魔法とか」
「刻印は追加出来ないんだ」
「――アンタが私の顔や手の平にまで模様を入れても良いと言うのなら、その通りにするけど。
 人前に出られなくなるわよ? その責任、持てる?」

 貴方からアンタに言葉が変わり、マリーが苛立ったのだろうと推察できた。俺は噎せてしまい、ガハゲホゴホと器官に入りかけた物を軌道修正して正しい場所へと流れるようにする。一粒の麦が鼻に逆流した、滅茶苦茶痛かった。

 今は色が識別できないからミラノがそう言ってるようにしか聞こえず、ビクリとしてしまう。完全に上下関係の犬だ、先日の大説教の事もまだ忘れていない。体調が悪い今、文字通り死んでも避けたい事柄だ。いや、死ぬんだろうけど、喰らったら。

 寝ている二人は起きてないよなと確認したが、カティアはまだ良く寝ている。寝る子ネコだからか、良い事だと思う。
 しかし、そんなカティアとは対照的に宜しくない人が居て、俺がそちらを向いた時には椅子からずり落ちている所だった。顔を驚きで一杯にして居る中、ヘラは眠ったままにフラリと横へと倒れてトスッと言う軽い音を立てて床に転がった。
 ……なんだろう、重量の概念が違うのだろうか? マリーもそんなに重くなかったし、霊体と言うのは質量が違うのかもしれない。

「ううん……。ふぁっ、寝ちゃってました……!?」

 床に落ちて起きたのだろう、ヘラがそんな事を寝ぼけ眼を擦りながら言っている。カティアは――うん、起きてないな。当然、起きてない。獣としての本能とか警戒心とかは無いのだろうかと問い質したくはなるが、この一月でネコとして二ヶ月人として一月生きましたって程度の生だったのだから、備わるも何も、ヨチヨチ歩きの子猫だろう。仕方が無いんだ、うん。本能どころか、危険への忌避も備わってないに違いない。危なすぎてダメだ……。

「姉さん……」
「ん~、音楽が心地良くて、つい?」
「音楽……。あぁ、そのヘンテコリンな奴?」
「うん、彼の持ち物。人が居ないのに音楽や歌が流れてくるの、結構楽しいよ?」
「ふぅ~ん……」

 ヘラが椅子を持って此方にやってくる、そしてマリーはヘラの言った事が気になったのか作業中の手が止まった。そして数度目で俺を見るが、俺は咀嚼をしている最中なので口が開けない。そしてマリーがペンを持ったままに頭を搔こうとして、頬に先端が触れてインクが斜めについた。

「音楽、聴きたいのだけど」
「んっ。――ああ、ちょっと待ってくれ」

 粥を飲み込み、残りを入れ物を傾けて一気に流し込む。米には八十八の神様が宿っているとか、綺麗に食べましょうなんて子供の頃から言われてきた。流石にヨーロッパの”ソースまで味わう”なんて事は出来ないが、器を空にすると机に置き、ウォークマンを取ってきた。

 本来であればインナーイヤー系、耳の穴に紛失しやすいゴムピースのイヤホンを入れて聴くのだけれども、細かい音質が気になる俺はわざわざヘッドホンを通販で買って、嵩張るのにそれを使って音楽を聴いている。考え方によってはスピーカー代わりにも出来るので、便利と言えば便利だ。

 なおヘッドホンを愛用する理由が”音の方角を聞き分ける”とか”足音や声の音量から距離を推測する”等といったゲーム寄りの思考だからだ。対人にせよなんにせよ、それで生きるか死ぬかが別れるから仕方が無い。
 さて、何の音楽をかけようかなと考えてトラックを移動させまくっていると、マリーが尋ねる。

「洋琴を使った音楽ってあるかしら」
「洋き……。あぁ、ピアノか。それなら幾つか有るけど――」
「適当に流してみて」
「了解」

 パッと思いついたのがA lost little girlとWar makes men madの二つだった、しかしそのどちらも彼女が求めるような物ではなかったのか表情は明るくなかった。

「ん~、違うわね。物悲しげな物、ないの?」
「物悲しいのだったら幾らかあるけど――」

 どれだろうな。最初に流した二つの曲も物悲しい曲の筆頭だったと思う。歌を求めて無さそうだし、こりゃゲームの曲かなと洋ゲーの音楽を優先して探した。日本のゲームと違ってオーケストラ等で演奏させて実録してる事も少なくないので、お眼鏡にかなうというか耳にかなうものはそちら方面だろう。
 ぱっと、一つの曲をが目に留まった。Rain(Deference for Darkness)という曲だ、日本じゃどうか分からないが海外じゃ有名すぎて仕方が無いゲームシリーズの曲で、ピアノも入ってると言えば入っている。
 ポロン、ポロンと、出だしにピアノが入った。これはどうかなと思っていると、マリーは目を閉ざして聞き入っている。そして曲が半ばに入った頃に目を開いて集中して魔導書に書き込む作業へと没入した。

「どうやら、気に入ったみたいです」
「えぇ~……」

 俺はなんと言うか、良く分からなかった。宮廷音楽とか貴族が気に入るような物を求められているのかなと思ったけれども、ただ単純に性に合う曲が欲しかっただけなのかも知れない。
 実際、さっきよりも集中の度合いが違って見える。気のせいかも知れないけれども、そう見えるのは確かなのだ。

「英雄になってからも自学研鑽とは、恐れ入るね……」
「時代が変われば全てが違いますから。使う武器、指揮系統や戦い方の違い、魔法の違いと言うのが有りますから。最も、魔法は進歩してないみたいですけど」
「へえ」
「結局、どんなに頑張っても長い年月が過ぎれば忘れられて、歪められて、覆い隠されるものなんですよ」

 と、悟ったような事を言う。だが、その言葉には同感だ。歴史は勝者が作り出す物だというが、実際の歴史もその通りだと思う。敗北してしまえば相手を一方的に悪く書き上げられるし、勝利すればその過程でどんな罪を重ねようが無罪になる。第一次世界大戦、第二次世界大戦、大東亜戦争が間近で身近で分かりやすいだろう。
 ただ、ヘラの言い方がゲームの台詞を想起させる。裏切られ、忘れられ、見捨てられた――betrayed forgotten abandoned。事実、彼女達からしてみれば今の人類の歴史は望んだ物だっただろうか、正しいと思える物なのだろうか? 使い魔召喚は魔法使い達のステータスの為に改竄され、現在もまだ残っている争いはツアル皇国と離反した魔族による国、ヘルマン国の二カ国で対処しているような感じだ。
 その裏でユニオン共和国は武装化を進めて小国を飲み込んで今の形となり、ヴィスコンティでは貴族至上主義が萌芽している、そしてヘラの居る神聖フランツ帝国では歴史――宗教や教会が力を持ちすぎているようだ。俺が英雄だったのなら、舌打ちして世俗を離れて隠遁生活するだろう。

「下らねー……」
「あはは、その言葉も久しぶりに聞きました」
「あぁ、なんかロビンやマリーも言ってたな……」
「色々あって、追い詰められても最初は皆さん協力してくれなかったんです。
 誰が兵を率いるのか、誰が判断するのか、誰が責任を取るのか――そういった事で時間が無駄に費やされて、気がついたときには多くの国が、多くの人が亡くなりました。そして追い詰められてから、やっと人々は私達に力を貸してくれて、それまでに数多く聞いて来たんです。『人類ってのは、下らない』って」

 あまり白銀の女性が言うような言葉には思えなかったけれども、出自が独特らしいし言ったのかも知れない。あるいは、アイツが言ったのだろう。俺達を攻撃してきた、アイツが。

 けれども、その光景は想像しやすかった。暗殺だの暗躍だのしていたであろう男が、同じ目的の為に同じ人類を殺して効率化や権利の集中を図ったとするのなら、その言葉は重みのあるものとして実際に口にされたに違いない。
 追い詰められてなお保身や利益の為に時間を浪費する人類。そして時間は血と同じように流れ、世界と言う身体から人類と言う血液が多く流れていったわけだ。

 不思議なくらいに、良くここまで再興したものだなと思うが、それだけ英雄達の指導力やカリスマが有ったと言うことなのかもしれない。俺には想像もつかないが、死後も志や思想を受け継いで自棄にならずにコツコツと荒野を開拓し、家を建て、愛を育み、産んでは増えて、文明を作り出しながら今に到る、と。

「実際、下らないわよ。兵を誰がどれだけ出すとか、物資や資金をどれだけ出すかとか、一つの議題だけで何日もかけてるの。仕方が無いから話が決まるまでは私達が戦場で頑張ってたけど、あまりにも酷いから建物を一つ吹っ飛ばしてやったわ」

 マリーがそんな事を言う、実際にやったのかも知れない。この前の大爆発でかなり木々をぶった押して荒地にしたのだし、建物くらいなら修繕とかじゃなくて取り壊して建築しなおした方がいいくらいにぶっ壊れたに違いない。

「気持ちは分かるけど、マリーは気が短すぎ」
「姉さんが悠長すぎるの」
「でも、気持ちは分かるよ? そのせいで、沢山の人が死んだもんね……」
「そうね……」

 そう言って二人は過去に戻ったに違いない。マリーの手は止まって視線は止まったままだし、ヘラは考え込むように目蓋を閉ざしている。あまり聞くべきじゃないだろう、俺は特に訊ねたりはしなかった。
 音楽が切り替わる事無くループされた、リピート再生に何時したかなと思いながら音楽を切り替える。Iron Brigateのテーマ曲を勝手に作ってみたと言うものだが、元はゲーム動画の音楽だ。完成度が高い上に七分近くでシーンが切り替わる感じがして大好きだ、最後の全てが収束して消えていくような所は良い。
 一枚の色褪せた写真が飾られて”That was historyあれは過去の出来事だ”と、後の祭りのように語られる感じ。子供の頃に見た光景が、成長して同じ場面に遭遇すると今と昔では違うように思えるような、そんな――感じだ。

 ただ、曲調が結構にぎやかだからかピクリとカティアが反応した。そしてもぞもぞと動くと、ぼんやりとこちらを見る。完全に頭が止まったままで、あまり深いことが考えられないのだろう。

「おはよー……」
「お早う、カティア。よく眠れた?」
「まだ、眠い……」
「おいで」
「ん……」

 カティアは気づいてないだろうが、髪の毛やリボンが解れている。彼女はトボトボと此方に来て、何故か俺の膝上に座った。そしてそのまま俺に身体を預けてコクリコクリと二度目の睡眠に落ちそうになっている。

 そんな彼女を仕方が無いなと受け入れて、後頭部にある大きなリボンを一度外し、櫛は何処かなと見渡していたらヘラが手渡してくれた。それを受け取って髪を梳き、リボンを結び直してやる。これくらいなら妹が幼い頃に何度もやってきたし、手馴れた物だ。流石に小学生高学年になったら嫌がりだして、中学生になったら名前ですら呼び捨てにされたが。

 両親が不在にしがちだった家では弟と妹の面倒を俺が見ていたし、結果として恋人が居ない物だから死にスキルと化したものだが、こういう時に役に立つから良い。少なくともカティアが後で「あぁ、もう!」とか言いながらセットしなおす手間が省けた訳だ、リスク管理は大事です。

「まるで兄妹みたいですね」
「そう見えるのなら嬉しいけど、カティアの方が確りしてるよ。俺は毎回傷だらけでぶっ倒れて、毎回怒られてる。理解してもらえないだろうけど、そうすべきだったんだけどな」
「確かに、その子は確りしてるわね。貴方が倒れてもやるべき事を分かっていたし、何をしたら良いか聞いて、その通りに動いてくれるから。
 けど、私は貴方が英雄と呼ばれた理由は何と無く分かってるから」
「マリーが人の事を褒めるなんて珍しいね~。明日は槍でも降るのかな?」
「姉さん? そういえば新しい魔法を思いついたんだけど、結界を張って的になってくれるかしら?
 どれくらいの効果があるか気になるから」

 あれ、姉妹だよね? そうだよね? マリーってば結構短気なんだな、ヘラが言ったとおりだ。椅子ごと遠ざかってカティアを別の椅子に座らせ、俺も逃れるようにお茶の準備をし始める。
 少なくともカティアも遠ざけたし俺も遠ざかったので安全だ、魔法や投擲物でも無ければの話だが。
 しかし、俺の予想に反してマリーは沈静化した。ミラノと言い合っている時を思い出したのだが、ミラノよりは短気じゃ無いと。それは有り難い、と思う。いや、ありがたいのだろうか?

「多くの人は、貴方みたいに命を張るかどうかの局面で決断できないものよ。死にたく無い、傷つきたくない、失いたくない、痛い思いをしたくない、怖い――。色々ある。逃げる、立ち向かう、現実から目をそらす。色々な選択がある中で、貴方は自分が楽な選択をしなかった。その目的が何であれ、救われた人が居る。私もその一人、感情を無視したら貴方の行いは誇らしいものよ。
 ただ、貴方が報われないとすれば、一番身近な人の多くは感情を優先していて、貴方はその度に怒られているという点かしら。ふふ、傷付いて倒れて、その上怒られるとか笑えるんだけど……」
「あの、マリーさん? 褒めるのか貶すのかどっちかにしてくれませんかね?」
「褒めてるわ、これでも、精一杯ね」

 やっぱりこの子、元気になったら不健康キャラじゃなくて意地悪な子になっちゃったんですけど!? 毒舌と言うか、褒めてても一言は余計な言葉を付け足さないと気がすまないみたいになってるし、褒めてくれるだけまだマシかもしれないけど。

 マリーの毒舌に当てられて魔法が不安定になり、高火力が出てしまう。放射系は放出系と違って、継続する物だから火力等は調節が出来る。スイッチのオンオフしかないものと、ガスコンロのつまみがあるかどうかの違いのような物だ。結果は常に不変な物か、それとも結果を後で調整できるかだ。

 驚いて調整する。魔法関連のステータスは他人と比べるのは難しいけれども、少なくともランクだけはオールマックスらしいので油断すれば天井まで黒焦げにしてしまう。そうやって居ると、マリーが別段興味を示した様子も無しに尋ねてくる。

「貴方は杖も詠唱も刻印も無いのね」
「ん? あぁ、えっと。火はマリーと同じ動作系でも出来るようになったってだけで、あまりそこら変は意識してないかな」
「どうやって火を熾してるの?」
「魔法を出す場所は指の先端とかを意識して、指をパチンと鳴らす動作で火を熾してる。
 細かい原理は――まあ、よく判ってないけど」

 実際は指と指を擦った時の摩擦熱を拡大して火種にしているとか、無から有を生み出すのではなく既に存在する物に色々付け加えて楽をしていると言うのが俺の認識だった。
 錬金術の授業を学園で受けたのを思い出し、それと既存のアイディアから省略する手段を思いついたのだ。有名な漫画作品が元で、同じように指を鳴らして焔を出していた所から来ている。
 俺もまだ呪文名を口にしなければ発動できないけれども、それもいつかは撤廃したいと思っている。しかし、その為にはこの世界の魔法のルールに踏み込まなければならないのでそう簡単じゃない。
 だから、俺の知っている科学を応用する。

「なにそれ、もっと詳しく教えなさいよ」
「摩擦って言葉に聞き覚えは?」
「? 分からないけど」
「えっと、そうだな……」

 とりあえずお茶を全員分用意したので、それを配る。そして皆がそれぞれに味付けをしたり、一口つけているのを見ながら、どう説明した物かと考えていた。カティアはウトウトと船を漕いでいたが、何度か寝落ちしていた。

「手の平と手の平を重ねて、それぞれ圧しながら早く擦りつけると熱を持つんだ」
「うんうん」
「それと同じ原理で、指と指を重ねて思い切り擦って熱を起こす。その熱を原材料に無から有を生み出すと言うのを省略して、魔力の消費も抑えられる……みたいな、感じか。
 魔力から変換して火を出すんじゃなくて、既に発生した物を変換して魔力で補ってるだけ」
「はぁ、なにそれ!?」

 マリーが机を叩きながら立ち上がった、ヘラと俺は空中に浮いたカップをキャッチして、自分らは余裕を見せるようにお茶を飲む。ヘラがマリーの分のお茶を、俺はカティアの分のお茶をキャッチしている。カティアは今の音で脳が覚醒したようであった。耳と尻尾が出て、驚いているのが見て分かった。

「それじゃあ、私がこんなに身体を傷だらけにして乗り越えた所を、アンタはそんな簡単な事で乗り越えたっていうの!?」
「マリー、声を抑えて……」
「姉さんは分からないでしょうけど、これ焼き付けるのにどれだけ嫌な思いをしたか……」
「懐かしいね~」
「懐かしいとか、そういう話じゃないっての!」

 マリーが荒れている。そして苛立たしげに部屋を歩き回っていたが、そのままベッドに飛び込んでボフンとうつ伏せになった。あの~、そこ俺の寝床なんですけどね? 
 公爵家の家具ですけど、一応貸与されてるの俺なんですけどね? まあいいけど。

 カティアは状況が理解できてないのか「何が起きてるの?」って聞いてきた、「まあちょっと」としかいえない。どう説明すれば良いか分からないのだ。まさか「俺の魔法行使に関してチート乙って言われたんだ」なんて言えない。

 ベッドにダイブしたマリーはそのまま動かない、タイミング悪く音楽がNSF-309-38:Impact-38になり「デデドン!」なんて鳴ってくれるもんだから、絶望感が酷い。
 暴れる人物が居なくなったのでカティアに彼女の分のお茶を渡す、ヘラもマリーのお茶を机へと置いた。

「死ぬ、死んでやる……」
「止めような!? 俺が何で戦ったのか、その意味すら水泡に帰すんですけど!!!」
「アンタには分からないわよ! 肌に傷なんか入れて、もう消せないんだからね!?」
「その時代に俺居ませんけど!?」
「くぅうううっ……」

 彼女が何故着込みまくっているかは、それが理由なのだろう。過去の追憶では腕の刻印くらいは見せ付けるように袖をまくっていたが、今は長袖を着て隠している。
 彼女自身、結構感情が拮抗したのかも知れない。女性として生きるのか、英雄として生きるのか。結果として彼女は女性としての自分を捨て、刻印を肌に刻み込んで人類を勝利へと導いたのだろうが。

「――ヘラ、一つ聞きたいんだけど……」
「ええ、結婚してませんよ?」
「質問をスルーしての回答をありがとさん!」
「私だってねえ、普通に恋をして、普通に生きて、普通に結婚したかった~っ!!!」
「あはは、私も仲間だから」
「姉さんは大猩々ゴリラだから――」

 マリーがそう言った瞬間、ヘラの持っていたカップが一瞬浮いた。そして両手がブレたかなと思っていると、ドン! という音が聞こえ、マリーがベッド上で身を丸めて悲鳴を上げる。何事かと思ってそちらを見ると、壁が煙を上げていて、その奥で鉄球を思い切り叩き付けたかのように壁が破損している。
 何事が起こったのか分からずに居るが、ヘラはニコニコしたままだし、マリーは先ほどの激情は何処へ行ったのか怯えている。

「な、にが……」
「――あのね、姉さんは見た目と違って、怪力パグワァ!?」
「マリぃぃぃいいいいいッ!?」

 もぞもぞと此方を向いて解説をしようとしたマリーだったが、パァン! という激しい音が聞こえ、一瞬彼女の額がへこんだように見えた。そのままベッドに倒れ伏し、何も言わなくなった。
 ただぴくぴくと痙攣していて、どうやら大打撃で気絶したようであった。

「貴方、恐ろしい事をするのね……」
「え~? そんな事無いよ~?」

 カティアに呆れられたようだが、当の本人は別段悪い事をした気は無いらしく、笑みを浮かべたままだった。
 しかし、俺はようやく彼女が何故指出しグローブなんかを手に装備しているのかを理解した。きっと、アレでいざと言うときに相手を殴り倒してきたのだ。
 マリーが……否、英雄が一発で気絶する威力、と言う事は俺なんかが受けたら飛び降りエンドのように、潰れたトマトを首から上に生やす事になるだろう。

 一瞬股間が緩みかけた。ブルリと身を震わせると、ヘラは笑みを浮かべたままに俺を見る。滅茶苦茶怖い、笑みのままで。

「大丈夫ですよ。失礼な事を言ったりしなければ当てたりしませんから」
「脅迫や威嚇はするんかい!?」
「話や交渉を円滑に進める為には、力をちらつかせる事も時には必要なんですよ~?」

 恐ろしいと思った。こんなシスターのような身なりをしていて、慈愛を体現したかのような姿をしていながら奥の手が格闘で、撲殺天使だったなんて……。
 ヘラには変なことを聞いたりしないようにしよう、そう誓って怯えている俺を他所にカティアは周囲の状況を理解できていないらしく、首を傾げるのであった。
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