僕の恋愛スケッチブック

美 倭古

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33. Life in Italy

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 ピンポン ピンポーン ピンポン ピンポーン

 直人の家中にインターフォンが鳴り響いていた。
「もう! 家に居るのはわかってるんだよ、こらっ! 直人ぉ」

 圭は、怒りを抑えながら直人の家裏に回ると、塀をよじ登る。
「こんなことするの子供ん時以来! とりゃあ」
 思い切り飛び降り直人の家の裏庭に降り立った圭は、真っ直ぐアトリエに進むと、開いている窓から中を覗き込む。

「あ、やっぱり居た! 直人!」
「圭かぁ」
「圭かぁ ・・じゃないよ! 電話に出ない! インターフォンにも出ない! 死んでるかと思った」
「大丈夫だよ~」
 そう告げる直人の顔には武将髭が生え、痩せこけており、目の下の隈は頬の半分を占めていた。
「直人、また兵糧攻めにあってるの?」
「圭は心配症だな~ ほら、水分取ってるし、パンも食べてる」
「はぁ~ 忘れたの?! 直人には前科があるだろ。イタリアで栄養失調でぶっ倒れたのは誰だ!」
「あ~ そんな事あったなぁ」
「あったなぁ~ じゃないでだろう! こらっ! って直人この部屋臭い! また風呂入ってないだろ!」
「圭が汚い言葉話す~」
「怒らずにいられるか! シャワー浴びてこい!」
「へいへい」
「へいは一回!」
「へい」
「食べる物持ってきたから、シャワーの後で一緒に食べよ」
 直人はアトリエの裏口を開けると圭を中に入れた。

「どう? イベントに間に合いそう」
 圭は、アトリエを出て家に入ろうとした直人の背後に声を掛けた。
「あー 90パーってとこ」
「OH 頑張ったんだね」
「おう。じゃシャワーしてくる」
「ごゆっくり」
 直人が散らかした屑を床から拾い上げていた圭は、それ等をゴミ箱に入れた。
「さてと、どれどれ、どこまで完成してるの ・・か・な」

【ゴクリ】
 圭は直人の完成しつつある絵を見て息をのんだ。精霊達の生き生きとしている姿と美しく輝く天使の姿に。

「なんだよ ・・これ」
 そして思い出していた。初めてイタリアで見た直人の絵を。

 ―8年前―

 圭は、父親の赴任先であるイタリアの高校を卒業し、家族が帰国した後もそのままイタリアに一人残り、ミラノにある美術大学に進学していた。

「チャオ、圭。もう聞いたか? さっき日本から男の子一人、到着したらしいよ」
「なんでも、アレッシオに気に入られたとか」
 カフェテリアに向う圭に、同じ学科の男子2人が声を掛けてきた。

「そうなの? って事は、絵画だよね? 僕には関係ないよ」
「でも、この大学日本人、圭だけだしさ、多分スィニョーラ・モリナロから通訳とかお願いされるんじゃない?」
「あ、ほら! 噂をすれば。あの子じゃない?」
「結構、キュートね」
「そうか? 何か暗いよ」
 大学の事務所から出て来た直人と遭遇した圭の目には、しっかりした体躯のわりに弱弱しく、感情のない人形のように陰気に見えた。また、直人は、異国の地で緊張しているわけでもなく、ただ生気を失った死人のようで、陽気なイタリアの雰囲気では特にその暗さが際立ったのだ。

「日本人ってあんな感じじゃない?」
「そうそう、真面目だもんね」

 直人を見ていた3人を見付けた大学の職員が、スーツケースを押す直人と共に近づいて来る。
「ほら、来たよ、圭」

「チャオ、圭。こちら、直人。さっき日本から到着したところでね。イタリア語がさっぱりだし、色々学校の事を教えてあげて」
「ヴァベーネ(OK)、スィニョーラ・モリナロ」
「グラツィエ、圭。それと、直人は圭の隣の部屋だから」
 圭に直人を押し付けたモリナロは、圭にウィンクをすると去って行った。

「やっぱり、押しつけられたね」
「ランチどうする? 一緒に行く?」
「先に行ってて、とりあえず、お坊ちゃまの世話をするから」
「OK じゃ後でね~」
「グッドラック、圭」
 二人はウィンクをすると圭を置いて、カフェテリアに向った。

「さてと」
 圭はぼんやりと立つ直人と向き合った。
「初めまして。僕、圭、田所圭。よろしくね」
 圭に自己紹介をされた直人は、ようやく目線を圭に合わす。
「初めまして。橘直人です」
「アレッシオの推薦だってね。日本人で凄いね。絵が上手なんだ」
「どうなんでしょう」

『どうなんでしょうって分かってんのか、こいつ』
 アレッシオの推薦で、イタリア留学など通常有得ないため、直人の態度に圭は若干苛立ちを覚えた。

「とりあえず、その荷物部屋に置いて来ようか」
「あ、そうですね」
「僕、18。多分、同じ歳じゃない?」
「あ、はい」
「じゃあ、敬語っていうの止めよう。だいたいここイタリアだしさ、気軽にいこうよ ・・ね」
「あ、じゃあ。分かった。田所さん」
「圭でいいよ。僕も直人って呼ぶからね」
「圭 ・・よろしく」
「了解」

 こうして、圭の助けを借りながら直人のイタリアでの生活が始まった。

 ミラノの街には、ダ・ビンチの最後の晩餐だけでなく、ラファエロやミケランジェロなど誰もが耳にしたことのある巨匠の作品を数多く見る事が出来る。またミラノコレクションで知られるように、ファッションの分野でも精通しており、アートを学ぶ者にとっては宝の山の様な街なのである。

 圭は、直人が、根暗な性格なのか、辛い事から逃げて来たのか、イタリアに来た事情をアレッシオの推薦と言う事以外知らなかったが、このミラノで学ぶうちに明るさを身に付けるだろうと考えていた。しかし、直人の様子は相変わらずで、人付き合いの上手な圭でさえ手を焼いていた。
 直人は、イタリアに来てから授業以外は、いつも小さな作業部屋に籠り制作活動に取り組んでいた。アートを学ぶ生徒だ。作品を1枚でも多く仕上げたい、技術を身に着けたいと考えるのは不自然ではない。だが、直人のそれは異常だったのだ。まるで、何かに取り憑かれたように、何枚もの作品を仕上げた。そして、彼のどの作品も神がかったように、人々を魅了したのだ。

 直人の通う大学では、展覧室があり、生徒同士が作品を評価し合う場を設けていた。
「チャオ、圭。直人の絵、また展示されてたね」
「そうなんだ」
「そうなんだって見てないの? 建物っぽかった。タイトルが学校だったから、日本の学校ってあんな感じなのかな?」
「へぇ~」
「前のは、ガーデンにフェアリーだったし、面白い作品が多いね。でもさ、凄いペースで作品を仕上げてる。怖いくらいだよ」
「直人、部屋に帰って来てない感じなんだよね」
「は?」
「作業部屋にずっといる」
「オー それはちょっと心配じゃない? 圭、様子見に行った?」
「いや ・・子供じゃないしね」
「だよね。じゃまた明日ね~」
「チャオ」

 圭は服飾学科だったため、他学科の生徒による作品には興味が無かった。
 だが、最近直人の油絵について耳にする機会が多くなった。直人がこの学校に来てまだ半年も経たない内に、日本人として圭よりも遥かに有名になっていたのだ。

「全然部屋にも帰ってないみたいだし、作業室覗いてこようか」
 圭はそう呟きながら、自室に向っていた足を直人が籠る作業部屋に進路変更する。

〈トントン〉
 圭は、念のためにドアをノックすると、直人の居る部屋に入った。

「おーい。直人生きてる?」
 作業部屋に直人の姿が見当たらない。ここは、一番小さい部屋で一人で作業をしたい生徒が利用する。そのため、一目で直人を探せないはずがないのだ。
 直人は自室に帰ったのだろうと考えた圭が、その場を立ち去ろうとした時、部屋の隅っこに人影を見付ける。

「直人?」
 誰かが床に座り込んでいる。
 圭は、直人なら困っているのかもしれないと思い人影に近づくと、カーテンの隙間から入り込む外の光に人の姿が浮かび上がった。

【ドクン】
 直人は、部屋の角に座りこみ天井を見上げていた。そして、彼の目からは涙が溢れ出ていた。

 海外留学先で涙する場合、ホームシックだと考える人が多い。だが、圭の目に直人の涙は沢山の意味を持っており、美しく、一瞬にして心を奪われてしまう。
 直人の涙に魅了された圭は、直人という人物を知りたくなった。
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