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31. The hardest Farewell
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直人は、いつもの様に休憩時間中に美術室を訪れていた。
宇道は、いつも美術室に居るわけではなく直人一人になる方が多く、直人にとってはその方が気兼ねなく制作活動に集中出来た。
「橘、やっぱり、ここに居たか」
「ちっ」
「何? 今、お前舌打ちしただろう。随分と生意気になったな。1年の時は可愛かったのになぁ 一線を越えるとこうも変わるものかぁ」
「先生! 学校で ・・へ、変な発言しないでください」
「赤くなっちゃって、そういうとこは相変わらずだな」
「・・・・」
「そんなに好きかぁ~ 相澤の事」
「勿論です! 愛してます」
「はいはい、御馳走様でした」
「ヘヘ」
宇道は唇を噛み締めると、健気に笑う直人に真剣な面持ちを向ける。
「昨日さぁ~ 相澤に会った」
「へ?」
「お前のイタリア行を話した」
「先生、そんな勝手な。イタリア行は断った筈です」
「相澤と離れられないからか?」
「そうです。陽さん ・・相澤先輩がいなかったら僕は絵が描けないって、何度も言いましたよね」
「そんな理屈通じないぞ。お前はイタリアに行け。命令だ」
「め、命令って」
「相澤は結婚するぞ!」
美術室の空気が止まる。
直人の呼吸も止まる。
そして、思わず言ってしまった宇道の息も止まった。
「けっこんって? ・・嘘をついてまで ・・僕に、イタリア行かせたいんですか?」
直人は真っ青になると声を震わせながら言葉を紡いだ。
「昨日、相澤の所に母親が来てた。綺麗な婚約者と一緒にな」
「昨日 ・・」
『母親と食事に行く』
陽一からの連絡にそんな気配は微塵もなかった。
直人は自分が不在の時に、陽一が女性と会っていたなんて信じたくなかった。
「相澤ってさ、凄い御曹司だったんだな」
「え?」
【富豪の愛人の子供 ・・確かに御曹司】
「でも、父親には会ったことが無いって言ってました ・・そんな今更」
「だったら尚更、急を要するじゃないのか?」
「急を要するって」
「あれは、政略結婚だろうな」
「政略結婚? ハハハ、ドラマの見過ぎです。現代の日本でそんな ・・全部先生の妄想です」
「そう思うか? 多分、相手も凄い金持ちで、結婚して、子供つくって、相澤の子供もまた家を継ぐってやつだ。決められたレールに乗るしかない。お前のイタリア行と違って抗えない。アイツに選択などなく、断れないはずだ」
「嘘です! ・・・・そんな話、陽さんから、一言も聞いてない・・先生の話なんて信じられません!」
直人はそう断言したものの、陽一が母親と会って以来、明らかに様子がおかしい事に、直人も気掛かりだったのだ。
『ねぇ、何処か行こうか? 二人だけで』
あの夜悲しそうに陽一が吐き出した言葉。
【政略結婚、断れない ・・じゃあ、僕のせいで苦しんでいた・・・・そんな】
「それになぁ、相澤の母親、運転手付きの車に乗って、凄く豪華な服を着てて満足気だったぞ。家族の幸せも大事じゃないのか?」
『母親にも早く隠居させてあげたいしね』
母を思う陽一が努力をしている姿が浮かぶ。
【そう・・ですよね】
「あ―――――――――」
直人は突然頭を抱えると大声を上げて叫び出した。
「おい、橘、落ち着け」
錯乱状態に陥った直人をなだめようと、宇道は直人の近くまで歩寄ろうとする。だが、逸脱した悲しみに歪む直人の様相に、自分の言動が直人を傷つけた事、そして何より陽一に対する愛情の深さに宇道は愕然としてしまう。
「どうして、どうして、僕は、ただ陽さんと一緒にいたいだけなのに!」
「橘!」
「イタリアなんてどうでもいい! 結婚なんて嘘だ! あ――――!」
「橘・・とにかく深呼吸しろ!」
宇道の必死の呼び掛けも、頭を抱えながら叫び続ける直人の耳には届かない。
「僕達が別れて、陽さんはそのお金持ちと結婚して、僕がイタリアに行けば、皆、満足なんだ! 僕達が不幸になっても、み・・んなが、幸せならそれでいいって言うのか! ・・陽さん、ずっと苦しんでいたなんて ・・ずっと変だった、悩んでたんだ、ずっと・・僕のせいで ・・なんで ・・なんで ・・教えてくれれば・・陽さん!」
直人は、自分の言葉にハッとすると突然床に膝をついた。
【僕もイタリア行きを陽さんに話さなかった】
【行ってこいって言われるのが怖かった】
【僕が話していれば、僕がイタリアに行けば ・・陽さんは苦しまなくて・す・む】
床で項垂れている直人は血の気を失っていく。そして静かに立上ると美術室を飛び出した。
「おい、橘!」
宇道は、直人をこれほどまでに動揺させた罪悪感に苛まれ、直人の後を追い駆けられず、その場に立ち尽くしてしまう。
昨日偶然、陽一の母親の訪問に居合わせて知った陽一の結婚話。
直人が、直接陽一の口から事実を聞く機会を奪い取ってしまった。ただ、直人をイタリアに行かせたいがために。
「俺は間違ってたのか?」
宇道は、自身の頭を抱え込むとポツリと言葉を零した。
改札口を通り過ぎた陽一は、望まない声の主に呼び止められた。
「相澤」
振り向くと、宇道が見覚えのある鞄を持って陽一を待っていたのだ。
「宇道 ・・先生、その鞄 ・・直、橘のですよね?」
「ああ、今日学校を飛び出してしまってな。渡しておいてくれないか」
「学校を飛び出したって! アイツに何かあったんですか?」
「ま、まぁな。お前にイタリアの件、話したと教えた」
「それで、動揺したんですか? それだけで?」
「あ、ああ」
「今日ちゃんと話ます。イタリアには行かせますから」
陽一は、そう言いながら直人の鞄を宇道から受取る。
「そうか、そうしてくれるなら助かるよ。それとな・・」
「まだあるんですか?」
「あ、いや、何でもない。橘、凄く混乱していたから、ちゃんとなだめてやってくれ。明日学校で待ってるって伝えてくれ」
「分かりました。わざわざ有難うございます。それじゃ」
何も知らない陽一の背中を宇道は複雑な思いで見送った。
陽一が家に帰ると表玄関の鍵は開いており、珍しく直人の靴が履き散らかされていた。陽一は、それらを綺麗に並べると家に上がる。すると、アトリエに通じるドアが開いたままになっていた。
直人は、真っ白で巨大なキャンバスの前に座っていた。
陽一には、直人の背中がとてつもなく大きく見えた。まるで、沢山の物を担いでいる巨匠のようだったのだ。
同居するようになって改めて直人の絵に対する情熱を知った。素人目にも秀逸した才能を肌で感じていた。
【イタリアに行って】
その一言でいいのだ。
陽一は、ゴクリと唾を飲むと、大きく深呼吸をする。
「直? さっき宇道が鞄を持って来てくれたよ ・・学校バックレたんだって。やるなぁ」
直人は微動たりともせず、彼の声も聞こえない。不安になった陽一が、一歩直人に近づこうとする。
「陽さん、僕と別れてください」
今まで聞いた事のない落ちたトーンで直人が言葉を吐いた。
「僕、イタリアに行くんです ・・ずっと前から誘われてて、でも陽さんの顔を見てたら決心がつかなくて ・・僕にとっては、貴方よりも絵の方が ・・重要なのに ・・陽さんといると心が揺らいでしまう。ハッキリ言って、迷惑なんです ・・だから、この家から出て行って貰っていいですか?」
直人の肩が小刻みに震え、涙に耐えているのが、陽一には痛いほど分かった。
【ごめんね、直。俺が弱いから君にそんな辛い言葉を吐かせるんだ ・・俺がその役をしなければいけなかったのに ・・俺が弱いから ・・ごめん、本当にごめん】
陽一は、直人にこんな決断をさせた原因も分かっていた。
きっと直人は、陽一の結婚話を宇道から聞いたのだろう。だから学校を飛び出した。そして、陽一のために直人が最も惨い役を引き受けたのだ。
陽一は、自身の不甲斐なさに心で自分を罵倒した。自分に対してこれほどまでに負の感情を向けたことは無かった。それは、胸にナイフを突き刺したい気分に駆られる程だった。
陽一は、呼吸を荒くする直人の背中を愛おしそうに見つめると、彼の鞄をアトリエの入口に置いた。
「わかった」
陽一の一言に直人の全細胞が凍る。
「今まで、ありがとう。俺、幸せだったよ、直」
直人は、項垂れると膝上に置いた両手がみるみる濡れて行く。
暫くすると、玄関のドアが閉まる音がした。
直人は、すぐさま振り返ったが、そこにはもう死ぬほどに愛した人の影すら残されていなかった。
宇道は、いつも美術室に居るわけではなく直人一人になる方が多く、直人にとってはその方が気兼ねなく制作活動に集中出来た。
「橘、やっぱり、ここに居たか」
「ちっ」
「何? 今、お前舌打ちしただろう。随分と生意気になったな。1年の時は可愛かったのになぁ 一線を越えるとこうも変わるものかぁ」
「先生! 学校で ・・へ、変な発言しないでください」
「赤くなっちゃって、そういうとこは相変わらずだな」
「・・・・」
「そんなに好きかぁ~ 相澤の事」
「勿論です! 愛してます」
「はいはい、御馳走様でした」
「ヘヘ」
宇道は唇を噛み締めると、健気に笑う直人に真剣な面持ちを向ける。
「昨日さぁ~ 相澤に会った」
「へ?」
「お前のイタリア行を話した」
「先生、そんな勝手な。イタリア行は断った筈です」
「相澤と離れられないからか?」
「そうです。陽さん ・・相澤先輩がいなかったら僕は絵が描けないって、何度も言いましたよね」
「そんな理屈通じないぞ。お前はイタリアに行け。命令だ」
「め、命令って」
「相澤は結婚するぞ!」
美術室の空気が止まる。
直人の呼吸も止まる。
そして、思わず言ってしまった宇道の息も止まった。
「けっこんって? ・・嘘をついてまで ・・僕に、イタリア行かせたいんですか?」
直人は真っ青になると声を震わせながら言葉を紡いだ。
「昨日、相澤の所に母親が来てた。綺麗な婚約者と一緒にな」
「昨日 ・・」
『母親と食事に行く』
陽一からの連絡にそんな気配は微塵もなかった。
直人は自分が不在の時に、陽一が女性と会っていたなんて信じたくなかった。
「相澤ってさ、凄い御曹司だったんだな」
「え?」
【富豪の愛人の子供 ・・確かに御曹司】
「でも、父親には会ったことが無いって言ってました ・・そんな今更」
「だったら尚更、急を要するじゃないのか?」
「急を要するって」
「あれは、政略結婚だろうな」
「政略結婚? ハハハ、ドラマの見過ぎです。現代の日本でそんな ・・全部先生の妄想です」
「そう思うか? 多分、相手も凄い金持ちで、結婚して、子供つくって、相澤の子供もまた家を継ぐってやつだ。決められたレールに乗るしかない。お前のイタリア行と違って抗えない。アイツに選択などなく、断れないはずだ」
「嘘です! ・・・・そんな話、陽さんから、一言も聞いてない・・先生の話なんて信じられません!」
直人はそう断言したものの、陽一が母親と会って以来、明らかに様子がおかしい事に、直人も気掛かりだったのだ。
『ねぇ、何処か行こうか? 二人だけで』
あの夜悲しそうに陽一が吐き出した言葉。
【政略結婚、断れない ・・じゃあ、僕のせいで苦しんでいた・・・・そんな】
「それになぁ、相澤の母親、運転手付きの車に乗って、凄く豪華な服を着てて満足気だったぞ。家族の幸せも大事じゃないのか?」
『母親にも早く隠居させてあげたいしね』
母を思う陽一が努力をしている姿が浮かぶ。
【そう・・ですよね】
「あ―――――――――」
直人は突然頭を抱えると大声を上げて叫び出した。
「おい、橘、落ち着け」
錯乱状態に陥った直人をなだめようと、宇道は直人の近くまで歩寄ろうとする。だが、逸脱した悲しみに歪む直人の様相に、自分の言動が直人を傷つけた事、そして何より陽一に対する愛情の深さに宇道は愕然としてしまう。
「どうして、どうして、僕は、ただ陽さんと一緒にいたいだけなのに!」
「橘!」
「イタリアなんてどうでもいい! 結婚なんて嘘だ! あ――――!」
「橘・・とにかく深呼吸しろ!」
宇道の必死の呼び掛けも、頭を抱えながら叫び続ける直人の耳には届かない。
「僕達が別れて、陽さんはそのお金持ちと結婚して、僕がイタリアに行けば、皆、満足なんだ! 僕達が不幸になっても、み・・んなが、幸せならそれでいいって言うのか! ・・陽さん、ずっと苦しんでいたなんて ・・ずっと変だった、悩んでたんだ、ずっと・・僕のせいで ・・なんで ・・なんで ・・教えてくれれば・・陽さん!」
直人は、自分の言葉にハッとすると突然床に膝をついた。
【僕もイタリア行きを陽さんに話さなかった】
【行ってこいって言われるのが怖かった】
【僕が話していれば、僕がイタリアに行けば ・・陽さんは苦しまなくて・す・む】
床で項垂れている直人は血の気を失っていく。そして静かに立上ると美術室を飛び出した。
「おい、橘!」
宇道は、直人をこれほどまでに動揺させた罪悪感に苛まれ、直人の後を追い駆けられず、その場に立ち尽くしてしまう。
昨日偶然、陽一の母親の訪問に居合わせて知った陽一の結婚話。
直人が、直接陽一の口から事実を聞く機会を奪い取ってしまった。ただ、直人をイタリアに行かせたいがために。
「俺は間違ってたのか?」
宇道は、自身の頭を抱え込むとポツリと言葉を零した。
改札口を通り過ぎた陽一は、望まない声の主に呼び止められた。
「相澤」
振り向くと、宇道が見覚えのある鞄を持って陽一を待っていたのだ。
「宇道 ・・先生、その鞄 ・・直、橘のですよね?」
「ああ、今日学校を飛び出してしまってな。渡しておいてくれないか」
「学校を飛び出したって! アイツに何かあったんですか?」
「ま、まぁな。お前にイタリアの件、話したと教えた」
「それで、動揺したんですか? それだけで?」
「あ、ああ」
「今日ちゃんと話ます。イタリアには行かせますから」
陽一は、そう言いながら直人の鞄を宇道から受取る。
「そうか、そうしてくれるなら助かるよ。それとな・・」
「まだあるんですか?」
「あ、いや、何でもない。橘、凄く混乱していたから、ちゃんとなだめてやってくれ。明日学校で待ってるって伝えてくれ」
「分かりました。わざわざ有難うございます。それじゃ」
何も知らない陽一の背中を宇道は複雑な思いで見送った。
陽一が家に帰ると表玄関の鍵は開いており、珍しく直人の靴が履き散らかされていた。陽一は、それらを綺麗に並べると家に上がる。すると、アトリエに通じるドアが開いたままになっていた。
直人は、真っ白で巨大なキャンバスの前に座っていた。
陽一には、直人の背中がとてつもなく大きく見えた。まるで、沢山の物を担いでいる巨匠のようだったのだ。
同居するようになって改めて直人の絵に対する情熱を知った。素人目にも秀逸した才能を肌で感じていた。
【イタリアに行って】
その一言でいいのだ。
陽一は、ゴクリと唾を飲むと、大きく深呼吸をする。
「直? さっき宇道が鞄を持って来てくれたよ ・・学校バックレたんだって。やるなぁ」
直人は微動たりともせず、彼の声も聞こえない。不安になった陽一が、一歩直人に近づこうとする。
「陽さん、僕と別れてください」
今まで聞いた事のない落ちたトーンで直人が言葉を吐いた。
「僕、イタリアに行くんです ・・ずっと前から誘われてて、でも陽さんの顔を見てたら決心がつかなくて ・・僕にとっては、貴方よりも絵の方が ・・重要なのに ・・陽さんといると心が揺らいでしまう。ハッキリ言って、迷惑なんです ・・だから、この家から出て行って貰っていいですか?」
直人の肩が小刻みに震え、涙に耐えているのが、陽一には痛いほど分かった。
【ごめんね、直。俺が弱いから君にそんな辛い言葉を吐かせるんだ ・・俺がその役をしなければいけなかったのに ・・俺が弱いから ・・ごめん、本当にごめん】
陽一は、直人にこんな決断をさせた原因も分かっていた。
きっと直人は、陽一の結婚話を宇道から聞いたのだろう。だから学校を飛び出した。そして、陽一のために直人が最も惨い役を引き受けたのだ。
陽一は、自身の不甲斐なさに心で自分を罵倒した。自分に対してこれほどまでに負の感情を向けたことは無かった。それは、胸にナイフを突き刺したい気分に駆られる程だった。
陽一は、呼吸を荒くする直人の背中を愛おしそうに見つめると、彼の鞄をアトリエの入口に置いた。
「わかった」
陽一の一言に直人の全細胞が凍る。
「今まで、ありがとう。俺、幸せだったよ、直」
直人は、項垂れると膝上に置いた両手がみるみる濡れて行く。
暫くすると、玄関のドアが閉まる音がした。
直人は、すぐさま振り返ったが、そこにはもう死ぬほどに愛した人の影すら残されていなかった。
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