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魔王まで現れました

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「ふわあぁぁっ!」

 人間、驚いたときにキャーなんて可愛らしい声は出ない。

 浅黒い肌をした大きな男がレイラの首にかみつき、そのまま地面に押し倒された。

 背中をしたたかに打って、レイラはうめき声をあげた。

 カバンが手から離れ、中身が散らばる。

 社長から預かった大切な試作品に何をする!

 レイラは怒りに任せて、蹴り飛ばそうともがくが、力も体格も違う相手に全く太刀打ちできない。

 よく見ると首から血が噴き出し、あたりに血だまりを作っている。

「うそでしょ」

 出血のショックか恐怖のためかはわからないが、手がウソのようにぶるぶると震えていた。

「あっちだ!」

 声が後方から近づいてくる。

「いたぞ!」

「まて! 魔族だ。魔族に襲われているぞ」

「聖堂のこんな近くまで魔族の侵入を許していたなんて」

 数人の男たちの声が聞こえてくる。

 この大男に食い殺されるか、つかまって殺されるか、どちらにしてもレイラは助からない。

 レイラが覚悟を決めたときだった。

「離れていなさい。これ以上聖堂に近づかれては厄介ですので、私がしとめます」

 先ほど礼拝堂にいたシスという青年の声だ。

 レイラはぎゅっと目を閉じる。

「スピア・レイ」

 英語が聞こえと思った瞬間、空に光の線が登っていく。

 この世界に英語があるのかと考える余裕はレイラにはなかった。

 胸が燃えているように熱くなる。

 レイラにかみついていた化け物が、ずるりと倒れて、力なくレイラの上にのしかかってくる。

 レイラは自らの胸に触れてから手を見た。

 手が真っ赤に染まっている。

 血だ……。

 レイラは、のしかかる大男ともども、地面から伸びた光の槍に刺し貫かれたのだ。

 レイラは吐き気を覚えて口を開くと、大量の血を吐いた。

 これは、ダメだ。

 傷みはないが体が動かない。

 立ち上がろうとして、べしゃりと地面に倒れこんだ。

 体中の力が抜けていき、視界が暗くなっていく。

 レイラは近づいてきて、自分を見下ろすシスを見た。

「まだ、息があるのですか? 私の腕も落ちたものです」

 この男が、レイラを大男ともども、何らかの方法で刺し貫いたのだ。

 ツッーっと涙が目から零れ落ちて、地面に落ちた。

「私は聖女の召喚に成功しました。大地のマナを大量に使って余計なものまで召喚したと思われるのはまずいのです」

 シスは天使のような慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、手を振り上げる。

 レイラは目を閉じた。

 ところがいつまでたっても痛みは襲ってこない。

 シスが舌打ちをして後ずさりする音が聞こえてくる。

「ずいぶんと、面白いことをしているな」

 シスとは違う、男の声がした。

 レイラが40年生きて来て、聞いたことのないほど艶のある低く威厳に満ちた声だった。

「なぜ、魔王がこんな場所にいるのです?」

 シスが目を細めて、現れた男をにらみつけた。

「魔王とは俺のことか?」

 美しい男は低く笑う。

「この魔族をおってきたのですか? 理性を失っているようにみえたのですが」

「……なるほど。それで殺したのか……人の子もろとも背中から串刺しというわけか」

 シスがぐっと言葉を詰まらせる。

「責められるいわれはありません。そのままにしておけば、こちらに被害が及んだかもしれませんでしたので」

「聖女……の力を使えば元に戻れたのだがな」

 男が聖女と言った瞬間、シスの顔が険しくなり、殺意を帯びる。

「聖女を狙ってきたというのなら、手加減はしませんよ」

 会話は聞こえるが、倒れたレイラの位置からは姿が見えない。

 顔を動かそうとしても体はピクリとも動かなかった。

 数人がざっと動いて、この場を取り囲んでるのがわかる。

 空気がピリピリと張りつめて、一触即発の状態だった。

「いや、部下の回収に来ただけだ……その死にかけているのをもらっても?」

「死肉をすする……汚らわしい魔族め。ソレは、いらないものです。死体を始末する手間が省けました」

 シスたちが立ち去ったようだ。人の気配が減った。

 レイラは顔を上げようとするが、体が鉛のように重くて、地面に縫い付けられたようにピクリとも動かない。

 レイラの近くに、すでにこと切れた魔族の男の顔があった。

 苦悶に満ちた表情をしており、見開かれた目からは涙、口は泡を吹いている。

 レイラの目に涙が浮かぶ。

 正気を失っているように見えたが、元に戻る方法があったのだと男は言っていた。

 シスはもともとレイラを殺そうとしていたのだから、とばっちりを受けたのは、この魔族のほうだった。

 無事に味方に保護されていれば、死なずに済んだかもしれないのに。

 レイラは自分が何も悪くないことはわかっていた。

 だが苦悶に満ちた表情が痛々しくて、ほとんど動かない腕にありったけの力を込めて、ゆっくりと男に伸ばす。

 せめて、涙をぬぐってあげたい。

 どうか安らかに、眠れますように。

 手の先が魔族の男に触れたとき、ジワリと手の先が温かくなった気がした。

 男の見開いた目を指で閉じさせると、心なしか男の表情が穏やかになる。

 ふと、レイラの上に影が落ちた。

 日の沈みかけた森の中で、レイラの視界が闇に包まれる。

「瘴気が消えている。お前がやったのか」

 逆光で見えない男の顔に、鋭い金色の双眸だけが爛々と光っている。

 いつの間にか、先ほどの美しい男がかがみこんで、レイラの顔を覗き込んでいる。

 レイラは思わず息をのむ。

 シスのこと天使のように美しいと思ったが、この男はまさしく魔王と呼ばれるにふさわしい風貌をしていた。

 美しい銀糸のような髪に鋭い金色の瞳。そして薄い唇。

 この世の者とは思えないほど妖しい美しさだ。

 冷たい印象を受けるが、すべての形と配置がこれ以上ないほど完ぺきなだと思わされる美貌を持っている。

 その様子は威厳に満ちており、他者を寄せ付けないほど、ひりついた雰囲気を醸し出していた。

「死ぬのか?」

 男はレイラの腕をつかむと、力の入らない体をずるりと持ち上げた。

 乱暴に扱わないで欲しいんだけど。

 薄れていく意識の中で、レイラは半ばあきらめにも似た感情でぼやく。

 最後に見た男の表情は、思っていたよりも……さみしそうに見えた。

 なんで泣きそうな顔してるんだろ?

「人間はもろすぎる」

 仕方ないじゃない。

 この状況で、レイラに何ができたというのか……。

 だから、泣かないで欲しい。

 ひどく胸が痛んだ。

 男の顔が近づいてくると思った次の瞬間には、レイラの意識は闇の中に落ちていった。
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