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第13章 失われるもの

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 ――真魚。

 元気ですか。ごはんはちゃんと食べてますか。
 学校はどうですか。勉強はサボっていませんか。お友達とちゃんと遊んでますか。
 アルバイトはほどほどに、体が一番大事です。何かあったらいつでも頼ってください。

 もうすぐ夏休みですね。
 いつ頃帰ってきますか?
 旅行の計画も、みんな楽しみにしてます。
 おかあさんのお墓参りもあります。
 おとうさんの礼服って、クリーニング出したっけ?
 旅行用のカバンをどこにしまったのかも、訊かないといけません。
 いつ頃帰ってこれるか、連絡ください。

 その時真魚に、渡したいものがあります。

 なるべくはやく、帰っておいで。
 待っているよ、みんな。


―――――――…


 メールの画面を開いて、閉じて。もう一度だけ開いて。
 一度読んだきりだったそれを改めて読み返す。
 お父さんからのメール。
 シェルスフィアに再びくる前に受信して、それきりだった。
 今読んだことを少しだけ後悔する。
 他にも何件かメールと電話がきていたけれど、それは流石に確認できなかった。
 確認せずともその大半はおそらく七瀬だと予想がついた。

 ポケットに入れっぱなしだった携帯電話は、防水機能も完備しているから水に濡れることの多いこの世界でも見事に無事で、多少充電は減っているものの、まだなおふたつの世界を繋いでいた。

 電源を切ろうか迷って、やめて、またポケットにしまう。
 久しぶりに機能を果たし僅かに熱をもったそれに、胸が疼くのを感じた。
 作業の合間の休憩中。
 刺青としていれる、簡単で分かり易いマークは何かないかと検索しようと思い立ったのがきっかけだった。
 結局見つからず、重たい気持ちだけが胸に溜まった。


「マオ、今日の分は次で最後だ。今仕事中の奴らは明日はやくにまとめてやる」
「わかった。ジャスパーは?」
「あいつもまだ仕事中だ。…おまえが平気なら、空いてる時間にでもやってやって構わない」

 用意した顔料での、呪の刺青。
 船員全員分の刺青を、あたしが施すことになった。
 といっても定常通りの全身にいれていたら時間が足りないので、一番大事な部分、心臓の上にのみ。
 レピドが率先して指揮をとり、各自仕事の合間、手隙の船員から順番に呼び出し、レイズに手習いながら青を入れていく。
  
 いざ模様を描くとなった時、普段みんながいれている複雑な模様は無理だと言ったら、紋様はおまえが決めろとレイズが言い出した。
 急だったので戸惑い、複雑なものを船員全員に描く時間も気力もない。良い案もみつからなかった。
 こういうのは、ようは気持ちだと自分に言い聞かせて、至ってシンプルなそれを気持ちを込めて心臓に描く。
 それを見た時の、なんだこれ、と怪訝そうなレイズ達の顔。この世界にこのマークはないのかとカルチャーショック。

 描いたのはハートマーク。
 なんと説明していいか分からず、「あなたが大事です、のマークだよ。あたしの世界での」とだけ答えてあとは濁した。
 流石に愛のシンボルだとは言えなかった。解釈は人それぞれ多様なのだ、こだわる必要はない。
 これなら間違えることもないし簡単だしわかりやすい。あくまであたしにとってだけど。
 
 屈強な海の男たちに不釣り合いかと思ったけれど、元や周りの紋様と馴染むように多少形は変えたりして、だけど等しく同じ場所に、同じ色の祈りを描き込んでいく。
 幸いみんな意外と気に入ってくれた。この世界にはない特別なそれは、まるでマーキングみたいだなと冗談混じりに。
 描いている間、短いながらひとりひとりと会話をして、航海の無事を心から祈る。

 あっという間に日が傾き、最後のひとりを終える頃には空は藍色に染まっていた。
 紋様を簡単にしたお陰か思ったよりも作業はスムーズに進み、大方の船員達の刺青はいれ終えた。
 レピド曰く、残り5人。明日朝いちで作業することになった。

 そのメンバーにはジャスパーもはいっていて、だけどレイズは分かり易く、特別待遇。
 時間外だけど、会えたら刺青をいれてやってくれと言っているのだ。勿論そのつもりだったけど、その物言いはレイズらしくて笑ってしまう。
 それでもレイズは、本当は真っ先にジャスパーに加護を持たせたかったに違いない。
 それでも職権乱用しないのがレイズの生真面目なところなのだろう。
 クオンとイリヤが担当した貴石のブレスレットは、全員に配り終えたと聞いたところだ。

「夕食を終えた後にでも、声かけてみる」

 作業場として選んだのは、船長室。思えばいつの間にか一番馴染んだ場所になっていた。
 レイズのベッドの上に腰掛けてそう答えたあたしの頭を、隣りに座っていたレイズがくしゃりと撫でる。船長の顔を、少しだけ外して。

「疲れたろ、休んでろ。ジャスパーに言ってここに夕食を運ばせる」

 換気の為に窓もドアも開いているけれど、顔料の匂いが部屋いっぱいに充満している。
 少しだけその匂いと、作業疲れに酔ったのか、確かに体は疲労を訴えていた。
 終わりの合図に、どっと力が抜けていく。
 その様子を見てとったレイズが、撫でていた手に力を込めて、自分の方へと強くひく。
 抵抗する術もなく倒れ込む。レイズの腕の中。というより膝の上。

「…ごめん、ねむい…」
「寝てろ。起こしてやる」

 珍しく静かな声音のレイズの声が、降ってくる。今度はやさしく、添えられる手の平。
 横になった途端に限界がきた。
 意識がもたない。声が、音が、遠ざかる。

 沈んでいく意識の片隅で、スカートのポケットの中の携帯電話が小さく振動した。
 メールだろうか。誰からだろう。
 お父さんからのメール。返事はまだ、返せない。
 渡したいものってなんだろう。
 たったその一言で、期待する自分が居る。
 
 ねぇ、お父さん。
 帰れないって言ったら、どうする?
 怒られるかな。あっさり許されるかな。
 どっちもこわい。
 だけど一番こわいのは、かなしいのは。
 会いには来てくれないこと。
 迎えには来てくれないこと。

 もし、あたしが居なくなっても――
 哀しんでくれなかったら。
 泣いてなんてくれなかったら――

 そんなバカなことばかり考えてる。
 だから会いに行けなかった。

 たぶん世界の距離なんか、関係なくて。
 自分の家なのに、一番遠くて遠くて、近寄りがたい場所。
 それでも。
 
 会いたいと、久しぶりにそう思った。
 お父さんと、お母さんに。

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