夜伽聖女と呪われた王子たち

藤原いつか

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第六章

いつかの夜明けまで

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 夜明け前のまだ薄暗い時間に目を覚ましたセレナは、自分を包む温もりに無意識に頬を寄せていた。
 温もりが更に返されて、その心地良さに意識がとろとろと微睡む。

 温かい。なんだろう。
 とても落ち着く、心臓の――音?

 それからがばりと身を起こす。
 目の前には可笑しそうに笑う琥珀色の瞳があった。

「ゼ、ゼノス…?」
「おはようございます、良かった目を覚ましてくれて。そろそろおれも、戻らないと」
「ご、ごめんわたし、ほんとうにあのまま、寝ちゃっ…!」

 乱れた髪を必死に抑えながら、それから自分の失態にセレナは顔を蒼くする。
 あのまま寝落ちしてしまっただけでなく、ゼノスを半ばむりやり引き留めて、こんな時間まで。

 窓の外はじき夜明けだ。ゼノスの体を苦痛が襲う。それでなくても公式行事を控えた王子ゼノスたちは忙しい身。
 僅かでも体が自由に動ける夜は、きっとやることがいろいろあったはず。
 もしくはこの部屋に引き留めるなら、少しでも呪いを減らす為の夜伽をしなくてはいけなかったのに――

 そんなセレナの心を読んだゼノスは、そっとセレナの細い腕をひいて自分の腕の中に抱き締める。一晩中そうしていたように。
 泣きそうな気持ちでセレナは大人しくその腕の中におさまった。

「おれの体ののろいがどれほど減ったか、あなたは分からないかもしれません。今はもう、苦痛は殆ど感じません。…こんな気持ちは、初めてです。この後日の出と共に残る呪いに痛みを感じても、きっとそれはこれまではの比ではないはずです。…ありがとうございます、セレナ」

 耳元に唇を寄せて囁くゼノスの言葉はどこまでも優しいもので、セレナは余計に泣きそうになる。
 ゼノスは優しいから、自分を慰める為にそう言ってくれているだけだ。
 これがイリオスだったらきっと容赦なく怒られた気がする。いやそもそも引き留める自分の手をとることすらしないのではないか。
 イリオスとはまだ一度対面しただけなのに、セレナの中のイリオスはひどい傍若無人に出来上がっていた。

「見てみますか?」
「え…」

 言ってゼノスはゆっくりとセレナを抱いたまま体を起こす。
 それからセレナをそっと離し、その裸の肌に手近にあったシーツを巻いて、逆に自分の肌を薄闇に晒した。
 セレナは食い入るようにその体を見つめる。裸のままの、ゼノスの体。
 最後に見たそれよりも、確かに痣は大分減っていた。
 全身を覆っていた呪いの痣は、今はもう胸元から背中にかけてと両腕の一部に居場所を落ち着けている。
 素顔のゼノスの肌は、褐色の色だった。そこに映える銀色の髪と、琥珀色の瞳。
 ゼノスの本当の姿。

「これがゼノスの、本当の肌の色なんだね」
「…はい。おれの母は、遠い砂の国からこの国に嫁ぎました。おれは一度も、行ったことはないのですが…」
「じゃあいつか、行けると良いね」

 母を思い出し僅かに沈んだゼノスの心が、セレナのその一言で軽くなる。
 彼女らしい他意の無いその瞳と言葉。
 どんなに暗い場所に居ても、容易く自分の心を引き上げてくれるから不思議だった。

「…そう、ですね。……いつか」

 そんな希望の言葉など、自分から口にできる日が来るとは思わなかった。外の世界に、希望をもつ日がくるなんて。

 ゼノスの様子にセレナはようやくほっと胸を撫で下ろす。自分の役目はそれなりに全うできたようだと実感したらしい。
 そんなセレナに、生真面目なものだなとゼノスは内心苦笑いを漏らす。
 ただ一緒に居たかっただけの不純な動機の自分とはまるで違う。その温度差には僅かばかり胸が痛んだ。

 それからベッドから出て身支度を整えるふたりの前に、ふと白い蝶が横切った。
 こんな時間に珍しい。セレナはいつものようにそっと指先を差し出すと、蝶はそこに優しく触れた。

「どうしたんだろう…誰かからの伝言かな」

 呑気に白い薔薇へと誘うセレナとは対照的に、顔色を曇らせたのはゼノスだった。
 その様子に気付いたセレナが首を傾げる。
 この蝶も薔薇も、ゼノスが作ったもののはずだ。
 
「ゼノス?」
「…いえ。何かことづかっているようです。続けてください」

 先ほどまでとはまるで違う空気を纏って、ゼノスが続きを促す。
 言われるままに蝶を一度薔薇へと放し、それから蝶のとまった薔薇が色を変えた。

 ――紫色。
 誰だったっけ。この色は。

 相変わらず把握しきれていないセレナはまた一覧が書かれた紙をひっぱって、今度はそこに蝶を移した。白い蝶の羽に刻まれていた文字が、紙の上へと滑っていく。

「……兄上ですね」

 ぽつりと呟いたゼノスの、その声音は静かなものだった。
 ゼノスがそう呼ぶ相手をセレナはひとりしか思い浮かばない。

「イリオス?」

 訊いたセレナに答えることはせず、ゼノスがセレナの隣りに身を寄せ紙の文字へと視線を向けた。
 つい先ほどまでとはまるで違い、その横顔からは笑みが消えている。

「…セレナの都合が、知りたいと。…おれが返事しましょうか?」
「…ううん、ルミナスに頼むから、大丈夫」

 セレナの答えを受けるように、蝶が紙の上から薄闇へと姿を消す。
 文字は残ったままなので、後で改めてルミナスに確認してもらおうと決めて。
 それから隣りのゼノスへ視線を向けた。

「イリオスとケンカでもした?」
「え、いえ、そういうわけでは…」
「なんだか難しそうな顔してるから」

 そっとその眉間に刻まれた皺に指先をあてると、ゼノスが目を丸くしてそれから僅かに顔を赤くした。
 セレナが思うよりずっと、兄弟間ではいろいろあるのだろうか。少なくともイリオスはなかなかの過保護度合だと思うけれど。

 気まずそうな苦笑いと共にゼノスがセレナの手をとる。それからそっと唇を寄せて呟いた。

「いえ、違うんです。ただ、随分なタイミングで現れるなと、思っただけで…」
「たまたまじゃないの?」
「そうかもしれません。でも」

 そっとその瞳が薔薇に向けられる。既に色を失くした薔薇はもとの白い色。
 
「あの蝶の術者は兄上ですから…兄上の意思が介在していると、思えてしまって」
「…術者」
「おれは兄上に頼まれて作っただけ。原動力である魔力の補填やおれ達の間を繋ぐ仲介は、そのすべてを兄上が制御しているんです」

 ――そうか。便利な道具みたいに思っていたけれど、動かすには術者と魔力が必要なのか。今まで考えたこともなかった。
 道具である蝶に意思があるわけない。誰かがその後ろに存在るのだ。

「…もしかして…蝶を通して見えてたり、しないよね…?」

 自分で言っていて思わず。その可能性に僅かに喉が震えた。
 あの蝶には見られている。あの蝶は知っている。
 セレナがこの部屋から…城から外に出たことを。

 そんなセレナには気付かずに、ゼノスは苦笑いを返した。

「いえ、流石にそれはないと思います。空間を繋ぐ魔力だけでも相当術者に負担がかかりますから。ただ、あの蝶と薔薇にはおれ達王子と…それからセレナの血が使われています。居場所の把握ぐらいは、できているかもしれません」

 ――居場所。
 セレナが城に戻ろうとした時、白い蝶が現れたのはまさしく城の外の森の中だ。
 道案内をするかのように、蝶はセレナを先導した。この部屋へ。
 あれは、イリオスの意思によるものだったのだろうか。

 もしもあの夜のことが、城から抜け出ていたことが知られてしまっていたとしたら――今回の申し出は、その件のことだろう。
 今はまだ強制的な措置をとられていないことに感謝すべきなのか、様子見ということなのか…

 どちらにせよ会うべきかいっそしらばっくれるべきか、セレナは迷った。
 会って釘を刺されたら、おそらくもう二度と外には出れない。
 だけど会うのを先延ばししてルールを侵し続ければ、いずれイリオスは強制的にでもあの道を塞いでしまうかもしれない。
 それならいっそ、直接会って相手の出方を見つつ交渉をした方が健全な気がした。
 
 責務を放棄する気はない。だけど外に出る許可が欲しいと。
 そんな都合の良い話がイリオスに通じるのかは別問題だけれど。

「そろそろ、戻ります。セレナもできるだけちゃんと、休んでくださいね」

 幾分か明るさを取り戻したゼノスの声にセレナの意識が引き戻される。
 顔を上げるとゼノスの顔が随分と至近距離にあり、思わず距離をとろうとした腕をとられた。
 あっという間にその腕の中に閉じ込められる。だけど抵抗する気も理由もない気がした。

「…セレナのおかげで、王子としての務めを果たすことができます。…ありがとうございます。また来ても、良いですか…?」
「ううん、けっきょく完全に解くことはできなかったのに引き留めちゃって、逆に申し訳ないくらい。お仕事が落ち着いたら、また来て。待ってるから」

 その会話に思わず互いに小さく噴き出した。
 なんだか逢引の別れの言葉のようだ。
 そんな関係では、ないのに。

「また来ます」

 ゼノスは強く頷いて、そっと腕を解いてセレナに触れるだけの口づけを残し、部屋を後にした。

 それを今度こそ見送って、セレナも再びベッドに身を横たえる。
 遠くの空が白み出し、夜明けの気配が体を少しずつ強張らせた。
 
 どれくらい、継いだのだろう。それなりに覚悟しておかなければ。今度はせめて、意識を保っていられると良いのだけれど。
 ゼノスに見られなくて良かった。彼のその紳士的な心遣いにセレナは救われる思いだった。
 彼には一番、知られたくない。知られたらゼノスはきっと、セレナに二度と夜伽を求めないだろう確信があった。まだ呪いは、解けていないのに。

 それに不安要素も増えてしまった。
 できれば今日にでも、サラに会いに行きたかったのに――

「だめだ、眠い…」

 来たる苦痛に体は委縮している。なのにやたらと眠気がセレナを襲う。
 どうしてだろう。自分でも制御できない。

 寝ている間にすべて終わるなら楽で良いけれど、それでも痛みは必ず体に記憶される。ここに来るまでの手術でそれを何度も経験した。
 無かったことになど、ならないのだと。

 だけどそれでも。
 痛いのはやっぱり、嫌だ。

 そう思ってセレナは寝てしまおうと決心した。
 寝れるなら良いじゃないか。これだけ眠いということは、体が睡眠を必要としているのだ。

 もそもそとベッドに潜り込み、毛布にくるまる。
 そこに残るゼノスの香りに胸が痛んだ。

 ――知られたくない。彼だけには。

 彼の為に、そして自分の為に。
 彼の心だけを思えない自分に少し哀しくなる。
 その優しさに付け込む自分が、嫌になる。

 だけど。
 それでも果たしたい、目的がある。
 その為には傷つける覚悟をもたなければならない。

 ――それでも今は、まだ。
 その優しさと残る温もりに縋るように身を委ねて、今だけ現実から目を逸らした。




 そしてセレナの世界に朝がくる。
 今までとは異なる、朝が。


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