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第五章
巡り会わせの月
しおりを挟むシンシアに見送られ修道院の裏口から暗闇に消えていくその姿を、アレスは追いかけずにはいられなかった。
アルベルトに「あいつには待てと伝えておいてくれ」と言付け自分も後を追って外に出る。
視界の端で楽しげに了承したアルベルトに舌打ちしそうになるのを必死に堪えながら気配を殺して走った。
魔法で温められた屋内と違い外は寒い。魔法を使えば寒さを凌ぐこともできるが、アレスはしたことがない。冬の凍てつく空気がアレスは好きだった。
セレナの姿はすぐに見つけることができた。おそらく借りたらしい防寒用のコートが明るい色だったおかげだ。
修道服とは異なるそれは、おそらくシンシアが貸し与えたものだとすぐに分かった。人目を避けるには派手過ぎる。
アレスは自分の目立たない色の外套を着こみフードを目深に被って夜の闇に自身を紛れさせる。
今のところ気付かれてはいない。
セレナは草の道を選びそれから森へとはいっていった。
このあたりの森は瘴気や魔のモノの確認はされていないとはいえ、野犬や賊が居ない保証はない。
町の明かりから遠ざかり暗い森へと突き進むセレナに不審が募る。
追ってどうする。声をかけたとしても逃げられるだけだ。自分はそれだけのことを彼女にした。
そもそも自分は彼女との一切の接触を禁じられている。イリオスはルールを侵すことに潔癖なまでに厳しい。おそらく次は、ない。
いっそこのまま、何も見なっかったことにすれば良い。
自問自答しながらも足が止まる気配はない。その頼りない背中を見失わないよう神経を研ぎ澄ませる。
だけど自分でも説明できない行動に、衝動に。アレスは半ば混乱していた。
どうしてそこまで拘るのか。それが自分でも分からないから、苦しかった。
どちらにせよこんな夜に女をひとり歩かせるわけにはいかない。そう言い聞かせてアレスはいったん腹を括る。
夜の森は危ない。躊躇や迷いは命取りだ。
それにセレナは戻るつもりだとアルベルトは言っていたが、城に戻るのであれば方向は真逆だ。彼女の先行きを見届ける責任が自分にはある。彼女は呪われた王子たちの、聖女なのだから。
もしかしたら、セレナは。
このまま何処か遠くへ行く気なのかもしれない。
もう、城には――あの部屋には戻らず。
二度と会うことも、謝ることも許されずに。
そう考えてすっと内臓が冷える感覚がした。寒さのせいではない。
募る痛みに奥歯を噛みしめる。押し殺していた白い吐息が暗闇に痕を残した。
それでも何故か目だけは彼女を追っていた。
見失ったら本当に。
もう二度と会えない気がしたのだ。
ふとセレナが、その足を止めた。
つられるようにアレスも足を止め木陰に身を隠し息を潜める。
立ち止まったセレナの前方に白い何かが浮かび上がった。アレスも目を凝らす。
暗い森に白い軌跡を残して舞うそれが、そっと差し出したセレナの指先へととまった。
――蝶、だ。
自分も一度だけ使ったことがある。
夜伽聖女との連絡用の手段としてゼノスが作った魔法の蝶だ。
それからまた飛び立つ白い蝶の後を追うように、セレナが再び歩き出す。
やがて小さな洞窟が見え、蝶とセレナはその中に吸い込まれるように消えていった。
時間を置いてアレスも洞窟の中へと足を踏み入れた。人ひとりがやっと通れるほどの小さな穴が奥へと続いている。そっと気配を探ってみるも、先に入ったセレナの気配は感じられない。
躊躇しながらもアレスは魔法で暗がりに明かりを灯した。そして行き着いた目の前の光景に目を瞠る。
岩肌の洞窟の先には空間があり、小さな泉があった。入口から僅かな距離でそこに辿り着く。
だけどそこに、彼女の姿は見当たらない。
「…いないだと」
入口はひとつだけだ。彼女はここで、消えたことになる。
「…何か術が、かかっているのか…?」
堪えきれず舌打ちし、あたりの様子を探る。
だけどアレスは生憎魔法にも魔術にも詳しくない。
必要最低限の魔法は覚えさせられたが、それ以外の殆どが実戦向けのもの。
アレスは剣に重きを置いてきたのだ。
セレナの姿を見失ってしまったが、おそらく本当に城に戻ったのだろうとアレスは踏んだ。
あの白い蝶は“夜伽聖女”と自分たちを繋ぐものだ。イリオスにそう伝えられた時は別段実感も興味もなかったが、今は僅かにその意味が理解できる。
術の過程で自分たち王子と彼女の血が使われた。そこで混ざってひとつになった。
蝶にセレナが従ったのなら、彼女が帰る先はひとつだ。
――自分たちはまだ、繋がっている。
くしゃりと自分の前髪をかき上げて深く長く息を吐きゆっくりと全身の力を抜く。
気がつくと手の平が汗ばんでいた。晒された外気にひやりと溶ける。討伐に赴く時ですらこんなに緊張した覚えはない。
情けない。いつも心を強く持てと、父にも母にも言われて育った。自分はその期待に応えてきたはずだった。
なのに。
自分でも分からない。
ただ、謝りたい。
例え許されなくてもいい。自分がしたことを思えば許されることなど望んでいない。
それがイリオスの言う通りひとりよがりで傲慢で身勝手な望みだとも解っている。
だけど。
会いたいのだ。
もう一度、彼女に。
------------------------------
――いっそ自分が本当に女であれば良かったのにと、ディアナスは思う。
ディアナスは母に“女”として望まれ育てられたが、ディアナスは“女”になったわけではない。
母であるアリアンが王家に継がれる呪いを知った際に、お腹の子は女だと信じて疑わなかった。
王家の呪いは男にしか現れない。
だから大丈夫、この子は。この子はきっと女の子だ。呪いを宿したり等しない。
そう自ら言い聞かせディアナスを産み、生まれてきたディアナスは最初は違う名だったという。
だけど国王陛下がそれをゆるさなかった。明らかに女につける名前だったからだ。
男として生まれたディアナスを、アリアンは受け容れられなかった。
その身体に僅かながらに現れた呪いの痣を、アリアンは火で焼いた。
それでも消えないその証明に、自ら手をかけようとしたその時には、既にもう心が壊れていたのかもしれない。
間一髪のところで侍女が止めにはいりディアナスは無事だった。その時のことをディアナスは覚えていない。
国王陛下はアリアンにディアナスを“女として”育てることを許した。
この国で成人として認められる15歳までという期限付きで。
だけど一方で、王子としての教養と知識と素養を身に付けさせ、王立の学院寮にいれたのも国王の進言だった。
イリオスやアレスも同じ学院の出だ。だけど寮にははいっていない。城から通っていたと聞く。
国王なりの計らいだったのかもしれない。偽りの姿を強いられるディアナスに、逃げ場を用意した。
だけどディアナスは、母を疎んだことも憎んだこともない。
だから学院の制服も女生徒のものを自ら選んで着てみせた。母はとても喜んだ。
月の女神のように美しく育ったディアナスは、その正体を知らない者に男だと疑われたことは一度もない。
と言っても自分の存在は公認である。学友と共に城下を訪れることもしょっちゅうだし民も皆慣れたものだった。本来なら異質ともいえる末の王子のその風体を、国民は温かく受け入れたものだとディアナス自身も思う。
それだけ今の国王に対する信頼が、今の城下の者には厚かったのだ。
14歳の少年とはいえその体躯は華奢で同じ年頃の少女と変わらない。声変わりもまだだ。
自分の年齢を思えばそれもおかしいのかもしれない。だけどディアナスは気にしなかった。
どれだけドレスを美しく着るかの方が大事だった。
女の恰好をさせる母に、ディアナスはこれまで一度も逆らわずすべて従って生きてきた。
週末の度に母のいる城へと戻り、自ら流行のドレスや装飾品を着飾って母を喜ばせる。
それが母の心の安寧に繋がるのなら、自分に向けられる好奇の目など些末なものだ。
だからディアナスは、母に愛されていると信じて疑わなかった。
まさか母が自分を置いて、城を出るなどと。信じられるはずがない。
自分が男に生まれたからというそれだけで、まさか見捨てられるとは夢にも思わなかった。
どれだけ母が自分に“女”を望んでいたのかは知っている。
でも。
自分は決して女にはなれないのだ。
――だけど、もう。
その長かった茶番も、終わりの時が近づいていた。
------------------------------
修道院に戻ったアレスを、玄関先でシンシアが迎えた。不機嫌そうにどこに行っていたのかと訊ねられ、アレスは適当に言葉を濁す。
それから改めてシンシアと向き合い、思案する。
「……先ほどまでここに、黒髪の女が居ただろう」
「…セレナのことですか? なんだ、見ていたんですか。彼女が何か?」
自分の質問に訝しげに眉を顰めるその様子は、誤魔化しているようにも嘘をついているようにも見えない。
彼女が“夜伽聖女”であることを、シンシアは知らないのだ。
それなのに、出会ったというのか。
その数奇さにアレスは複雑そうに口元を歪めた。
本来なら一番遠い場所に居ると思っていたふたりだったのに。
シンシアがこの修道院に出入りしているのは兄であるイリオスに聞いて知っていた。ここの司祭とは兄弟ぐるみで旧知の仲だ。
王都で最も古いこの修道院は、王家の後ろ盾も強い。
今日はたまたま王都への用事のついでに、シンシアの迎えを頼まれた。本来であれば断ったであろうそれを、イリオスからの命だった為にアレスは断れなかった。
先日自分がここに来た際にはその姿はなかったが、子どもたちの顔はよく覚えていた。
そして数日後にまた同じ場所で、聖女の祭事が執り行われる。
「…いや。おまえはまだしばらく、ここに通うのか」
「祭事までは来るつもりですよ。王家主催となって前回とはいろいろ事情も変わったから、やることが多いんです」
その綺麗な顔に皮肉を乗せて、青い瞳が自分を見据える。
遠回しに自分を責められているようであまり気分はよろしくない。だけどアレスはぐっと堪える。
「…俺も、手伝う」
「……は?」
「だから、俺も、手伝ってやる。祭事の為に遠征にも出れないし、暇だったしな。なんだその顔は」
「……意味が分らないんですけど」
――シンシアとは。
ディアナスの母親が与えたもうひとつの呼び名だ。
だけどもうすぐ“シンシア”は、居なくなる。
「…ちょうど、祭事の日が…おまえの誕生日だろう」
「…そうですが、それが何か」
相変わらずかわいくない。兄を除く兄弟たちとは特に交流も関心もなかったアレスなので仕方ないとも思う。
それからまだ言わないとアレスは心の内で決めた。
彼女のことは、まだ誰にも。
待たせていた馬にふたり乗り込む。いつもなら送り迎えは従者の馬車だが、シンシアは文句も言わずにドレスの裾を翻しながらアレスの前に跨った。
行先は城だ。もうすっかり夜も更けている。
「その姿も見納めということか――ディアナス」
「この恰好の時にその名は呼ぶなと言ったでしょう、アレス兄様。ぶっ飛ばしますよ」
燃えるように赤い髪と、煌めくように輝く金の髪が、夜の帳に消えていった。
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