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第三章
死にたがりのクセ
しおりを挟む「…今の、おれに…公務はほとんど、務まりません。生活する上での最低限は、魔法や魔術でどうにかなります。だけど、ひとりでは…誰かに頼らなければ、生きてはいけない…そんな、自分が…おれは心から、疎ましい…」
「…それは、悪いことなの…? 誰だってひとりでは、生きていけないわ」
「おれは、王族です。こんな姿でも、何の役にも立てなくても…民を守り、この国の為に身を費やす義務が、あります。今のおれには…なにひとつ、果たせない…」
きっとゼノスは心の底からそう思っているのだろう。その口元が弱々しく笑みのかたちをつくる。
彼が初めてわたしに見せる笑みが予想以上に重たい想いを孕んだもので、自分の浅はかさを呪った。もう呪われた身だけど。
わたしはただ、彼の意思を確認したかっただけだ。
半ば無理やりに整えられた場で、ともすれば命令といわれれば間違いなくわたし達は、それに逆らえない。
それで良いのかと問いたかった。
それじゃわたしは、いやだった。
だけどゼノスは何も考えていないわたし以上に、様々なものを抱えもがき苦しんでいるのだ。わたしに言われるよりもずっと前に。ままならない自分の運命に、とうに疲れ果ててしまっていたんだ。
この部屋から出れず、王子としての役割を果たせないのは事実かもしれない。
だけどそれだけがすべてではないはずだ。それだけがすべてだったら、哀し過ぎる。
「……何より、もう…、苦痛にひとり耐えるには…残りの生は長過ぎる」
「それは、呪いが解ければぜんぶ、解決する問題じゃ…!」
言ったわたしに、ゼノスは緩く首を振る。その拍子にパラパラと透明な雫が暗がりに散らばり僅かな明かりを反射した。
ゼノスの涙だ。ゼノスが泣いているのだ。
泣かせたのはわたしだ。思わず拳を固く握る。
「おれの、呪いは…きっと聖女さまでも、解けません…」
「わたしを疑うの?」
「違います、これまでの王子たちとの、呪いとは…量が、質が違います。歴史を遡っても、おれほどの呪いを受けた王族は今まで、居ません。おれはきっと、異質なんです。聖女さまの力が本物でも…夜伽には限りがあります。そうでしょう?」
突然のゼノスの問いかけに、思わずぎくりと体が強張る。
どうして知っているの。
ゼノスの言う通り夜伽は、わたしの身体が保つまで、だ。だけどそのことを知っているのはごく一部のはずなのに。
上手く言葉を返せないわたしの反応にゼノスは「やっぱり」と、吐息を漏らす。
だけど次にゼノスの口から出た言葉にわたしは思わず耳を疑った。
「聖女さまはいずれ、帰ってしまう身。それまでしか夜伽は、受けれない。そうしてそうまでしておれは、聖女さまに縋ってまで…生きようと思えない」
「……へ」
ちょっと待って。今なんて。
「…帰る…? 帰るって、どこへ?」
「え、も、もとの世界へ、です。異世界から、来られたのでしょう…?」
「それは、そうなんだけど…むしろ、帰れるの?」
確かに漫画やアニメの異世界トリップファンタジーでは、もとの世界へ帰ることが最終目的だったり大筋のメインだ。ただしそう容易くは帰れない。その為に探しものをしたり仲間を集めたり敵と戦ったり世界を救ったりする。それが彼らの役目だから。
でも、わたしは。
「…帰れる、はずです…遥か昔に一度だけ、同じように召喚されフィラネテスの危機を救った聖女さまは、役目を終えたあともとの世界に戻られたと、古い文献に残っていました」
「そ、そうなの…?!」
それは初耳だ。確かに過去にも聖女さまとやらを召喚したことがあるとは聞いた気がするけれど、なにしろわたしに帰る気は毛頭なかった。なのでそれを聞こうとも思わなかったのだ。ルミナス達にはここで生きるつもりだと伝えてあるし。
間抜けな声を上げるわたしに、その事実を知らなかったことを悟ったゼノスが僅かに顔を上げる。
それから少し思案した後、言葉を続けた。言うか言わないかを迷ったのだとすぐに分かった。ルミナス達すらわたしの耳に入れていなかった、それを。
「…聖女さま召喚に関する文献は、いくつか目にしてきましたけれど、実際に儀式をしているのは神殿の者たちなので、詳細は分かりませんが…召喚が成功したということは、世界を通じる道が確立したのだと、いうことです。儀式の間は、それを記憶しています。条件さえ整えば、再び道を繋げることも、可能かと…ただし道を再び繋げられるタイミングは、限られていて…それを逃したら、帰れない。なのでリミットはそれまでなのだと、そう、思ってきました」
「…そう、なんだ…」
やけに他人事な返事をして、わたしはゆっくりと体重を傾けてソファの背もたれに身を沈める。
予想外の事実が発覚して、先ほどまでの悩みと後悔が一瞬飛んだ。
あぁびっくりした。
わたし的にはもうもとの世界のことなど、生まれ変わる前のこと、遠い過去のようなものだ。
そう思っていたはずなのに。
これだけ心が揺さぶられるということは、流石にまだ。多少の未練も情も、あったのかもしれない。自分の中に。
それから思わず、ふ、と笑う。自分でもよく分からない感情のままに。
「…大丈夫、わたしは居なくならないよ」
「……え…」
「わたしはもとの世界へは帰らない。この世界で生きていくと決めたから。だから、大丈夫だよ、ゼノス」
わたしの言葉にゼノスが視線を上げる。
わたしはだらしなくソファの背に身を預けたまま。だけどふたりきりだしまぁいいかと続ける。
「……わたしの知り合いにも、居たのよ。あなたととても、よく似ていた。その子は長く病気を患っていて、殆ど外には出られなかった。手術と薬で毎日痛みに呻いてた。毎日死にたいって思ってた。誰か殺してくれって…口にしたこともあった。でもそれは後からとても、後悔してた」
語り出したわたしの言葉に、ゼノスが自分の手のひらを握りしめる。
その気持ちが今は痛いほどわかる。たぶんそれ以外の気持ちも。
「…その方は、いま…」
それを問うたゼノスの心はきっと。さっきまでとは違うはずだ。
そう信じてわたしはまっすぐにゼノスと向き合って答える。
「今でも生きてピンピンしてる。本当よ。本当に世界は、何が起きるか分からないものなのよ、ゼノス。そして彼女は気付いたの。…死にたかったんじゃなかったんだって。ただ逃げたかっただけ。弱くて無力な自分自身から」
目深に被ったフードの中から、ぽろりと再び雫が落ちる。
それを見ながらわたしは続ける。
呪いを解く為だけに会う王子たちとは、深く関わる気はないと思っていた。
きっとその方がお互いの為。わたし達は傷つけ合う関係だ。
でも。
「きっといつか、生きてて良かったと思える日がくる。あなたはもう何も、奪われはしない。わたしがあなたの呪いを解いてあげる」
気付けはあの日、ノヴァに言ったものと同じ言葉を口にしていた。
小さく震える姿にも、静かに零す涙にも、何かに怯え逃げることすら敵わない自分にも。
どこか以前のわたしと同じで、だけどそれぞれが違う重荷を抱えている。
いっそ放っておけばいいのに、わたしは。それだけはできないのだ。どうしたって。
だってわたしにも居たから。見捨てずにいてくれたひとが。
その人を突き放したのはわたしだった。わたしの方から、関係を断った。
ひどい言葉で傷つけて、一番言いたくない言葉を投げつけて。あんなに優しさを、救いをくれたのに。
その報いがいつかわたしにまわってくるだろう。それでも良い。その覚悟くらいある。
慈悲の心ではない。これは呪われた王子たちの為じゃない。
わたしの心を救う旅だ。
わたしはわたしの意思で、彼らと向き合うと決めた。
「…い、生きていても、…良いんでしょうか」
「その答えはきっと、これから先に見つかるものだと思うよ。それだけはきっと、あなたにしかできないこと」
フードに覆われたその頬から、流れるようにいくつも雫が滑り落ちる。小さかった嗚咽が段々と、波のように感情のまま、部屋に溢れて溺れていた。
それにひかれるようにぽつぽつと、ゼノスがその傷ついた心を晒す。
「…呪いを、解きたい…父上や兄上たちに…この国に、報いたい。おれにしかできないことを見つけて、それから…」
わたしはそっとソファから腰を上げて、テーブルを挟んで向かいに座るゼノスの傍に歩み寄る。
ゼノスは縮まる距離を拒否することはしなかった。ぎゅっと膝の上で握られた震える拳に、触れようか躊躇して。自分から触れることはやめておいた。ただ黙ってそのすぐ傍の床に膝をつく。
きっとこれが彼の本当の望みなのだろう。
呪いを解くのではなく、その先の未来を生きることこそが。
「愛する誰かと、生きていきたい…!」
彼のまっすぐな心が、少しだけ眩しくて胸に刺さる。
死にたいと言って逃げだして、だけど本当は死にたくなかった。
だけど、わたしは。
生きたいと、そう思える心があっただろうか。
でも今は、少しだけ。彼のまっすぐな心にあてられる。
わたしもそれを望んだことは確かにあったはずだ。途中で弱さに負けたけれど。
そうして今、それは。再びわたしが望んだとしても、誰の迷惑にもならない。
それなら、わたしも。
「…そう、だね。…そうだよね」
ぽつりと漏らした呟きを、ゼノスが拾って視線を向ける。
膝をついたわたしはフードの中を見上げるかたちになって、ようやく彼と、はじめて。目が合った。涙に濡れるその瞳の色までは見えない。だけど影の中でその瞳は僅かな光を灯す。
死にたがりのクセはなかなか抜けない。
ずっと未来はないと思っていた。そうやって生きてきた。
自分で自分の心を宥めて、期待し過ぎないように予防線を張って、望む前から諦めて。
どこかで心に釘を刺さないと、絶望に心は容易く折れてしまうから。
だから未来のことなんて、考えようとも思わなかった。
死ぬまでにできることしか、考えられなかった。
だけど、今は。
「……生きていこうかな、わたしも」
――かつて一度だけ現れ、この国を救った聖女さま。
彼女がわたしと同じ“夜伽聖女”であるなら、呪いを解く方法は同じだろう。
だけど彼女はその役目を終えて、もとの世界に帰ったという。
生きて、帰った。
彼女は死ななかった。
それならわたしにも、その可能性が。あるのかもしれない。
呪いにこの身を焼かれる前に、逃れる方法が。
「…い、一緒に、ですか…?」
わたしの呟きの意図を拾えないゼノスが、僅かに動揺しながら質問する。
それを見上げながらわたしは思わずくすりと笑った。確かにちょっと、意味深で思わせぶりな呟きだった。ゼノスの涙も思わず止まるほど。
それからわたしは何の断りも前置きもなく、ゼノスのその膝に頭を乗せた。驚きでゼノスが思わず飛び上がりそうになるのをなんとか堪えて。
頭を預ける。分厚い布越しに確かな体温。わたしの突然の行動に、ゼノスの緊張が伝わってくる。
「わたしはひとりで、良いかな」
呪いを解いて自由を得たら、この国を出る気でいる。その先のことは何ひとつ想像できていないし、あえてしなかった。未来は輝かしいものばかりではないことを、わたしは知っているから。
でも少しだけその未来図に、もう少し前向きな自分を付け加えてみる。
死にゆく未来ではなく、生きていく為の未来。
その為にはわたしも、自分にできることを探さなければ。…夜伽以外に。その時はもう聖女ではないだろうし。なにか、好きなことを。…今度こそ。
なるほど思ったより、悪くない。意外と長生きするかもしれない。少なくともこれまで思い描いていた未来よりはずっと。
頭の上でゼノスの、かける言葉に迷いながらそれを呑み込む気配がした。
それからそっと、ぎこちなく。預けた頭にゼノスの手が触れた。たっぷりの迷いと躊躇を孕んだその手つき。
彼から触れてくれたことは純粋に嬉しかった。一方的ではない、僅かだけれど許されたその心が。
あ、でも。
大事なことを、忘れていた。
「…っ」
ほんの少しの間を置いて、ゼノスの体がびくりと反応を示す。
今は、夜。触れるとその体は。
「…な、なに…っ」
「ごめん、そうだ。イリオスから聞いていない?」
「ま…っ」
頭を上げて慌てて体勢を直す。それから距離を置こうとして立ち上がろとしたわたしの手を、とったのはゼノスの方だった。
「待って、セレナ…!」
咄嗟に強く腕を掴まれゼノスのほうにひかれる。勢いよくもつれるように、ふたり冷たい床に転がった。ひっぱられた体ごと、ゼノスの上に倒れ込む。わたしが押し倒しているみたいじゃないかこれじゃ。
倒れた拍子にフードが脱げて彼の顔が晒された。だけどゼノスは構わずに、わたしの腕を掴んだまま離さない。熱に、痛みに、突然の色欲に震えながら。
わたしを見つめるその琥珀色の瞳に、先ほどとは別の光が宿っている。痛みにか、それとも別の刺激にか、何かを堪えるように歪められる顔。そこに蠢く呪いの痣。
「待って、ください…セレナ……いかないで」
一度点いた熱の灯。
掴まれた手からじわじわと、彼を侵す。
彼の意思など関係なく、その体中の呪いが反応する。
欲情を示す赤い色となって。
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