98 / 104
最終章
光の導
しおりを挟む------------------------------
『――魂はどこへ還るのかしら』
彷徨う無数の光を哀しそうに見つめながら、セレナがそう口にした。
もはやそれは彼女の日課だった。何度止めてもききやしない。
無力な自分を嘆いていたのははじめだけ。今は何かを考えながら見送るその横顔を見つめる。
自分がこの森に追放されて以来――浄化のもとであった生命の樹を失った森は日々穢れを溜め込んでいる。
加えてここにはいくつもの魂が辿り着く。表に捨てられた主に双子の魂以外にも、魂を持ったまま迷い込んだ者が彷徨う場所。
今日もまたそうしてひとつの魂が森へと呑み込まれてきた。
いつしか森の外で“魔のモノ”と呼ばれるようになったモノたちは、その殆どがもとはこの森に捨てられた赤子の魂だ。
自分の魔力でもって変質を抑えてきたけれど、広大な森のすべての監視は時折粗が出る。
魂の不純を除き森に住まわせるのには膨大な時間が要る。その制御をすべて自分ひとりでしてきた。
もともとの森の性質と王家が張った結界、そして自分という異質な存在の作用によって森事態が変質的な場所となってしまっている。
自分の制御下を離れた魂が外で何をしているか知っていてももう対処のしようがなかった。
〝外”の人間に任せるしかない。“表”の王家がどれほどその事実を把握しているのかも分からない。
それでも森は日々彷徨う魂で溢れかえっていた。
『この子たちは皆、おかあさんお元へ帰りたいのかしら』
『…どうだろうね。ぼくには母が居なかったから分からない』
『わたしも居なかったけれど、あなたはおそらく想像力が足りないんだと思うわ』
『…きみ最近まったく遠慮がなくなったよね、いいけどべつに』
くだらないやりとりにも彼女はおかしそうに笑う。自分の反応のひとつひとつに愛おしそうに。
自分には大事な感情が欠けていて、そしてそのまま人の身すら捨てたと思っていた。
だけどきみが教えてくれた。繋ぎ止めてくれた。まだ自分が人であるということを。
『わたしが本物の聖女だったら良かったのに…』
気まぐれに出した自分の要望に従いこの森に捧げられた少女。
結界の内側に連れてこられた魂は、決してここから出ることはかなわない。
いずれ収まりきらなくなることは明白だった。その時国にどのような報復が返るのか。
ルシウスは特になんの感慨もなくその事実を見守ってきた。
何百年も前にひとりこの森に残されてから、どれくらいの時が経ったのかもはや覚えていない。
だけどおかしいことに物事は朽ちていく性質なのだろう。
流石の不変もこの森にはなかった。ゆるやかに自分の肉体も死へと向かっている。
だから気まぐれに伴侶を欲した。永年自分を封じている王家がまさかその要望に応えるとは思ってもみなかったけれど。
それでも彼女と自分の生きる時間は違う。間違いなく彼女のほうが先に逝くのだろう。
だけどこの森は魂を逃さない。おそらくセレナの魂は自分の傍で在り続ける。
――それは、倖せなのだろうか。
わからない。自分はもうとっくにまともな人間ではない。人間なんて呼べない。
では自分はいったいなんなのだろう。
やがて自分の死ねば永遠に、セレナと共に居られるのだろうか。
行き着く先はきっと違う。だけどここでなら、永遠を分け合える。
だけどきみはそれを望まない。きみの望みはいつだってひとつだった。
ぼくはきみが聖女でなくて良かったと思っている。
だって聖女の魂は女神のもとへと還っていくものだから。
『あなたはきっと怒るだろうけど、この子たちはもうわたしにとって、自分の子どもみたいなものなのよ。何もしてあげれなくても…ずっと傍に居てあげたかった。もしくはその魂のあるべき場所へ、還してあげたい』
彼女の体の終りが近づいていた。
ぼくの愛したただひとりの聖女。
哀れな魂に慈悲の心を砕く彼女を聖女と呼ばずしてなんと呼ぼう。
きみは紛れもなくその心で孤独だったぼくの心と魂を救ってくれた。
『…セレナ。約束する。この結界は必ず壊す。そしてこの子たちの魂は必ず解き放とう。だからセレナ…置いていかないで。ぼくの傍に居て。ひとりじゃもう、この森を治めることもできないんだ』
『何言ってるの、いつもはあんな強気なくせに。それにあなたはもう、ひとりじゃないわ』
――きみが居なければ、何の意味もない。
きみの望みを叶えたい。だけどそうしたら永遠の別れになる。
それがこわくて哀しくて、きみの魂を繋ぎ止める術に“約束”を使った。
この血にきみの魂を繋いだ。決して忘れないよう、離れないように。
そうすればいつかまた巡り会えると思った。
だけどきみの体を置いてもいけないぼくは、せめてその魂を外の世界に繋ぐことにした。
同じ血を分けたかつての兄弟たちの血へきみの魂が受け継がれていく。ぼくの増悪と共に身を焦がして。
そうしてゆっくりとこの体すらも失って、だけどきみとの約束の為に森の王としてここに在り続けた。
彷徨う魂たちをいつかあるべき場所に還す為に。
だけど、もう。
すべてが終わりに近づいていた。
------------------------------
『――ちゃんと守ってくれたのね』
懐かしい、声だった。
少し呆れたような泣き出す手前のような。だけど最後はいつもすべてを包み込んでくれる穏やかで優しい声。
その姿を探すけれど見つからない。ただ声だけがどこからか聞こえる。それとも自分の視界がもはや機能を果たさなくなったのか。
それどころか自分が今どこに居るのかも分からない。
永い永い時の中、その魂も意義も約束さえも磨り減って、魂の原形さえ留めておけず。
誰かの体を依り代にすることでしか自分の役目も望みも全うできなくなっていた。
その依り代の体に誰かが触れている。自分に触れる相手なんてひとりしか居ない。
眩んでいた世界が色と輪郭を取り戻していく。
生まれたばかりのように拙い感覚を頼りに身を起こすと、そこには最愛のきみが居た。
遠くで木々のざわめくそこは、懐かしい記憶の森だった。
――おかえり。
ぼくらやっと、帰ってこれた。
ずっとずっと探していた。
どうしてきみは、ぼくの所から居なくなったんだっけ。
だめだ、思考がもう、定まらない。
それなのにきみのことだけは最後まで待ち続けていた。冷たい棺を抱きながら。
『あなたって本当に、ばかね。ルシウス』
『…きみには言われたくないな』
『やっと会えた』
『…そうだね、セレナ…』
木々の隙間から降る木漏れ日にきみが目を細める。
薄暗い霧の晴れた森が水と光を吸収してあちこちできらきら輝いていた。
これは自分の記憶だろうか。それとも森の、記憶だろうか。
『ずっときみに、訊きたかったことがある』
『私もあなたに言わなければいけないことがあったの。ようやく思い出せた』
森に彷徨う魂たちがゆっくりと出口へと誘われる。そこにもう阻む壁はない。光の導が降りていた。
穢れてカタチを変えたモノもいずれ森の浄化を受ければもとの魂に戻れるはずだ。救いは等しく誰にでも訪れるものだから。
その中でひとつだけ、ふたりに寄り添うひとつの魂があった。
ルシウスが泣き出しそうに顔を歪める。言葉にしきれない問いと、先回りして答えるセレナの声も震えていた。
セレナはそっとその頬に両手を寄せる。苦笑いと共に涙が零れた。今ならようやく触れられる。
『そうよ、私たちの子よ、ルシウス。言ったでしょう、やってみなければわからないって。私の体が保たなくて、ちゃんと迎えてあげることはかなわなかったけれど…大丈夫、また。巡り会えるわ。そうしたら…』
森で生まれたその命は、始まることもなく終わってしまったけれど。
ようやくすべてを抱き締めることができる。
永かったふたりの時が終わる。
『今度こそずっと一緒よ』
眩いくらいに膨らんだ白い光が森と空いっぱいに溢れて爆ぜた。
誰に見送られることもなく
その魂は光に溶けて消えていった。
0
お気に入りに追加
993
あなたにおすすめの小説
聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる
夕立悠理
恋愛
ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。
しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。
しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。
※小説家になろう様にも投稿しています
※感想をいただけると、とても嬉しいです
※著作権は放棄してません
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
だいたい全部、聖女のせい。
荒瀬ヤヒロ
恋愛
「どうして、こんなことに……」
異世界よりやってきた聖女と出会い、王太子は変わってしまった。
いや、王太子の側近の令息達まで、変わってしまったのだ。
すでに彼らには、婚約者である令嬢達の声も届かない。
これはとある王国に降り立った聖女との出会いで見る影もなく変わってしまった男達に苦しめられる少女達の、嘆きの物語。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
この戦いが終わったら一緒になろうと約束していた勇者は、私の目の前で皇女様との結婚を選んだ
めぐめぐ
恋愛
神官アウラは、勇者で幼馴染であるダグと将来を誓い合った仲だったが、彼は魔王討伐の褒美としてイリス皇女との結婚を打診され、それをアウラの目の前で快諾する。
アウラと交わした結婚の約束は、神聖魔法の使い手である彼女を魔王討伐パーティーに引き入れるためにダグがついた嘘だったのだ。
『お前みたいな、ヤれば魔法を使えなくなる女となんて、誰が結婚するんだよ。魔法しか取り柄のないお前と』
そう書かれた手紙によって捨てらたアウラ。
傷心する彼女に、同じパーティー仲間の盾役マーヴィが、自分の故郷にやってこないかと声をかける。
アウラは心の傷を癒すため、マーヴィとともに彼の故郷へと向かうのだった。
捨てられた主人公が、パーティー仲間の盾役と幸せになる、ちょいざまぁありの恋愛ファンタジー短編。
※思いつきなので色々とガバガバです。ご容赦ください。
※力があれば平民が皇帝になれるような世界観です。
※単純な話なので安心して読めると思います。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
誰も信じてくれないので、森の獣達と暮らすことにしました。その結果、国が大変なことになっているようですが、私には関係ありません。
木山楽斗
恋愛
エルドー王国の聖女ミレイナは、予知夢で王国が龍に襲われるという事実を知った。
それを国の人々に伝えるものの、誰にも信じられず、それ所か虚言癖と避難されることになってしまう。
誰にも信じてもらえず、罵倒される。
そんな状況に疲弊した彼女は、国から出て行くことを決意した。
実はミレイナはエルドー王国で生まれ育ったという訳ではなかった。
彼女は、精霊の森という森で生まれ育ったのである。
故郷に戻った彼女は、兄弟のような関係の狼シャルピードと再会した。
彼はミレイナを快く受け入れてくれた。
こうして、彼女はシャルピードを含む森の獣達と平和に暮らすようになった。
そんな彼女の元に、ある時知らせが入ってくる。エルドー王国が、予知夢の通りに龍に襲われていると。
しかし、彼女は王国を助けようという気にはならなかった。
むしろ、散々忠告したのに、何も準備をしていなかった王国への失望が、強まるばかりだったのだ。
稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています
水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。
森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。
公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。
◇画像はGirly Drop様からお借りしました
◆エール送ってくれた方ありがとうございます!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる