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閑話
独りぼっちの毒吐
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『王城のどこかにあるという“秘密の庭”の、運命の果実の樹を知ってる?』
こそりと僕の耳元に唇を寄せて、どきりとする僕を余所に彼女は隠しきれない好奇心を押し付けて言った。
その俗称の通り、秘密の庭とは隠された場所だ。
限られた人間しか近づくことはできないし見つけることもできやしない。その存在を知っている人間自体ごく僅かだ。
だから何故彼女がそれを知っているのか不思議でならなかった。
その限られた人間である自分ですら、その存在を知ったのはつい最近だというのに。
『私、そこに行ってみたいの』
『…本気? そこに行くことのできる人間も理由も限られている』
『そうなの? どうしたら行ける? 運命の樹というものにとても興味があるわ。あなた、城に出入りできるのでしょう? 私も一緒に入り込めないかしら』
城に出入りできる理由を父が城の専属庭師で後継の為に自分もくっついて行っていると嘘をついたのがいけなかったらしい。
出入りする根本的な理由から既に違うのだけれど、咄嗟に肯定するような言葉を返してしまったことがそもそもも間違いだった。
否定するかもしくは笑い飛ばしてしまえば良かったんだ。そんな話聞いたこともないと。
“秘密の庭”を訪れた記憶がつい最近でかつ鮮明で鮮烈だったが故にそれを守る立場としてあるまじき失態だった。
それに気付いてかいないのか、ミラは大きな瞳を更に丸くして身を乗り出してきた。
『お願い、ライリー。運命の果実だなんてとっても魅力的じゃない。新しい世界が開けてしまうかも』
彼女はいつもそう。その大きな瞳いっぱいに好奇心を湛えて目的の為なら手段を選ばない。
彼女の頭の中はいつも未知の魔法と魔術のことでいっぱいだ。きっと僕のことなんか眼中にもないのだろう。
そう思うと胸が捩れて焦がれて理性よりも先に口が動いていた。
『…なら』
城から抜け出した僕がバッタリ町で出くわした女の子。迷子になっていたところ助けてもらって以来、時々こうして会うようになった。
隠されたまま残っている城壁の穴の抜け道からが続いていたのは朽ちかけた庭園の中庭だった。錆びた門をくぐれば道が分れ、ひとつは王都に出られる。反対の道は鬱蒼と茂る森へと繋がっていた。
それを知ってから僕は時々こうして町まで下りることがある。だからミラは僕が誰なのかをまだ知らない。はず。
僕は本当の名は明かさなかった。明かせなかった。自分の本当の身分も目的も。
『きみが僕の願いを叶えてくれるなら、良いよ。僕もできるかぎりは協力する』
『本当?』
ミラは僕より年上でとてもしっかりしている女の子だ。薬屋で働きながら魔導師としての資格を得る為勉強している。
世界一の大魔導師の称号を得るのが夢らしい。この国で誰よりも多くの魔導書に名を残してそうしていつか自分を捨てた顔も知らない両親を見返してやりたいと言っていた。
『僕の、お嫁さんになって。そうしたら教えてあげるよ、“秘密の庭”の、運命の果実の樹を』
僕のプロポーズにミラの目が更に大きく見開かれて、それから弾けるように笑い出した。
本気でとられていないのだろう。体よく断る為だと思われているかもしれない。それならそれで良かった。
『考えておくわ、運命の果実は欲しいもの』
それがふたりの最後のやりとりだった。
城壁の抜け穴は守衛に見つかり塞がってしまい、本当の名も明かせぬまま別れも言えぬまま僕らの関係は閉ざされた。
僕にとって紛れもなく初恋で、決して叶わない想いだとも分かっていた。だから本当のことは何ひとつ言えなかった。
そうして再会したのは、僕が王位を継いで数年が経ち、二人の妃を迎えた翌年だった。
僕にはふたりの兄が居たけれど、様々な理由で城に残ったのは僕だけだった。
国交と国益に重きを置いた婚姻関係は互いに割り切ったもの。妻達は寛容で理解もあり恵まれていたと思う。
とある理由で代々国王は複数の妃を持つしきたりがある。来春にはまた遥か南方の砂の国の王女を妃に迎える予定だった。
――だけど。
『来てあげたわよ、嘘つきライリー。お嫁さんは無理だけれど、愛人にくらいならなってあげても良いわ』
ミラのその愛称しか知らなかった僕は、城に巷で有名な魔導師を迎えたと聞いてはいたけれど、まさか彼女だとは夢にも思わなくて。
そんな僕とは反対にすべてを知っていたかのようにミラはあの懐かしい笑みを浮かべて僕と対峙していた。
彼女が開発した魔法の実験中だという秘密の部屋にはふたりきりの世界が時を止めていた。
弱虫で意気地なしな王子だった僕の、初恋。決して叶わない想いのはずだった。
『――ミラ、一緒に逃げよう』
再会から数年後、初めて彼女を抱いた日。
国を捨ててふたりで逃げようとミラを抱き締めた。
先に迎えた妻たちは大切だ。だけど国の為に王家が用意した相手だ。情はあれど愛は浅い。子ども達に罪はない、それでも。
呪いによって蝕まれるこの身。宿す呪いをすべて子に継ぐまで国王の嫁取りは続けられる。宿した血を失えばまたその血にかえっていくだけ。
もううんざりだった。自分に時間はあとどのくらい残されているのか。
命を削られていくこの恐怖に兄のひとりは王籍を離脱しひとりは自害した。公にはされていない。不慮の事故で亡くなったことになっている。縛られているのは僕だけだ。
せめて最後くらい。
この命も体も愛する者と自分の為だけに使いたかった。
『国を出てどこか遠く…ふたりで生きよう、この命が尽きるまで』
思えばあの日…一度この国は滅んだのだろう。国王が自ら国と民を捨てたのだから。
だけどその時の僕の胸に後悔の念は微塵もなかった。
ミラはそんな僕にいつものあの勝気な瞳で笑って応えた。彼女しか知らない僕の名を呼んで。
『大丈夫よ、相変わらず弱虫ねライリー。私が必ずあなたの呪いを解いてあげるわ』
君にはきっと無理だ。そう思ったけれど口にはできなかった。
僕の本当の呪いは魔法でも魔術でも解けやしないし、僕の願いは決して叶わない。
結局最後まで何度乞うても僕のプロポーズは受け容れてもらえなかった。
立場や身分や柵や、彼女の夢には到底勝てなかったのだ。
僕は君と、家族になりたかった。
『あなたのこの血は王家の血だから価値があるのではなく、あなたの血だからこそ価値があるのよ』
『なら、僕を選んで、ミラ』
『私の一番はもう決まってるのよ』
――最期まで、君は。
僕に愛しているとは言ってくれなかった。
そうして選ばれなかった僕の血は受け継がれていく。
ミラ、おかしな話だね。
君は僕を選ばなかったのに、君の息子は僕を選んだ。
僕のこの王位と引き換えにこの国の王に君の血が立つ。
そうしてまた滅びるのだろうか。
僕と君の血によって。
僕を恨む息子の手によって。
それならそれで本望だ。
君を、愛している。
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女神は誰に微笑むのか。
聖女は誰を、救うのか。
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