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第十章

永遠の底①

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 無我夢中で求め合った。そんな気がする。他に言葉が見当たらないし考えている余裕もない。

 失うことをおそれる気持ちと、いまここに居ることを確かめる気持ち。そして生きたいと望む思い。
 そんなすべてが混ざり合って、決して共有はできないけれどその代わりに、分け合うものがこの行為には確かにあった。
 だからひとは肌を重ねるのかもしれない。ひとりでは決して確かめることのできないそれを確かめる為に。

 どれくらいそうしていたか分からないほどの深い口づけを繰り返しながら、どちらからともなく体を寄せて抱き締め合っていた。
 離れることがこわい。今この温もりを手離したら一生失ってしまう。そんな脅迫観念にも似た恐怖からふたり必死に逃れるように。

 だけど逃げ出したいと思う気持ちだったのはセレナだけだったのかもしれない。イリオスの表情は殆ど変らないのでセレナにはよく分からない。ただ自分を抱く手の熱さと心臓のはやさだけが確かなものだった。セレナの口内を執拗に責め立てるその舌先も焼けるように熱い。

「ッ、ぁ、はぁ、」
「…脱がせて、君が」

 慣れた手つきでセレナから衣服を剥ぎ取りながら、唇だけ触れ合わせながら。イリオスが先に裸となったセレナに促す。セレナも素直にそれに応じた。
 扱いの不慣れなその衣服を視界の片隅で確かめながら境目を解いていく。だけどどこもかしこも凝っていていまいち造りがわからない。暗闇も手伝って手が布を滑る。
 焦れるセレナにイリオスがくすりとわらった。それから無理やりボタンを引き千切ろうとしていたセレナの手を諌めるようにとる。
 中途半端に開かれたままの上着もシャツも、イリオスが自ら片手で丁寧に解いて見せた。晒された肌は細身なのに筋肉質で、暗闇に浮かぶその体は男の人とは思えないほど綺麗だ。

「なら、こっち」

 言ってイリオスがセレナの手を自らの下半身に導く。ぎしりと体重移動の為にベッドが鳴って、体勢をずらしたイリオスの脚の間に迎え入れられる。
 促されるままにそっとそこに触れて確かめて、その熱の膨らみにセレナは思わずほっと息をついた。

 イリオスはそれまでずっと夜伽を避けてきた。だからセレナは自分を抱くイリオスの本心を疑っていた。本当に求めているのか、望んでいるのか掴めていない。現状でも。
 その理由は明かされたけれど、実際にその心はやはり不明なのだ。イリオスは極端なまでに自分の心を言葉にしない。
 だけど触れた部分から伝わる色欲は確かにセレナを求めるものだった。それがただ嬉しい。心の伴わない行為に傷つくのは嫌だ。すべてを義務感には浸れない。

 思わず緩んだセレナの緊張に、イリオスは小さく喉の奥でで笑ってみせた。

「君は本当に、表情かおに出やすいね」
「…イリオスが、出なさすぎなだけだと思う」

 小さな笑いと共に降ってくる言葉にセレナは内心むっとして、いつの間にか扱いの慣れたその部分にそっと両手を添わせていた。それからズボンの留め具を解いてその隙間から指先を差し込む。僅かにイリオスの腰が揺れた。気がした。ちらりと視線だけで見上げるもやはりイリオスの表情かおは変わらない。薄い笑みを口元に浮かべたまま。
 そこまでくるといっそのこと、自分の手で壊してみせたくなる。その鉄の仮面を。
 イリオスは女性を抱く時どんな表情かおをして抱くのか。ずっとその表情かおのままなのか。
 確かめてみたくなる。自分という存在がどこにあるのかを。

 布地と肌に挟まれ熱の嵩むその隙間で、イリオスのものをそっと撫で上げた。手の平に寄り添うように質量を増すその熱の方が、余程正直だとセレナは思う。
 思わず熱い息が漏れた。それが暗闇でふたり分ぴったり重なった気がしたけれど、イリオスがセレナと同じものを吐いたのかは見ていないから分からない。
 
「さわって、良い…?」
「もう、触ってる」
「違う、もっとちゃんと」
「…君の好きなように」
「じゃあ、そうする」

 宣言してセレナは、下穿きごとずらしてイリオスのものを取り出した。外気に晒される刺激にイリオスが僅かに眉を寄せ目を細める。
 ふとイリオスの手がセレナの頭に添えられた。触れるだけのその手が先を拒んでいるのか促しているのかは分からない。本当にこの手は、分かりにくい。だから自分のしたいようにするだけだ。

 身を屈めた鼻先で屹立するイリオスのものを再び両手で握ってそっと撫でてみる。それからその先端に触れるだけのキスをした。ぴくりと反射的にかセレナの手の中でその身を震わせる。切り離しきれない本能はただ単純に愛《いとお》しかった。
 それに気分を良くしたセレナは舌先に集めた唾液をイリオスのものを濡りたくる。舌先が触れたその先端に独特の苦み。舐め上げて、小さく吸って、飲みこんで。それごと全部咥内に押し込めた。

「……ッ」

 頭の上でイリオスの吐息。ようやく漏れ出た彼の性欲さが。それを感じてセレナのお腹の奥が知らず疼いた。
 ゆっくりと手と舌でその輪郭をなぞりわざと音を立てて動かすと、頭に添えられていたイリオスの指先に力が篭る。髪の隙間から這うように地肌を撫でるその感触が心地良い。

 感じているのだろうか。自分の行為で。
 イリオスが今どんな顔をしているのかその表情かおが見たい。確かめないとすぐに不安になる。

 濡れた音と共にイリオスのものを口から外すと銀色の糸がひいてまだなおその空間を繋いでいた。それをぺろりと舐めてすくう。
 唇と手は触れたままそっと見上げると、その藍色のと視線がぶつかった。後頭部に添えられていた手がぐっと寄せる仕草を見せる。物足りなさそうに腰を押し付けながら。
 そこには紛れもなく男の顔をしたイリオスが、その瞳に色欲を湛えていた。そのことにセレナの頬が緩む。ちゃんと望まれていることに胸が満たされる。
 そんなセレナと目を合わせたまま、イリオスは緩く苦く笑って応えた。

「…随分と、いやらしい聖女さまになったようだね。この世界にばれた時はまだ、清らかな乙女だったはずなのに」
「…そうしたのは、あなた達でしょう」
「…そうだよ、僕らの血が君を穢した。すべての因果はこの血にある」

 そう呟いたイリオスの表情かおが僅かに翳りをみせる。
 哀しみか憎しみか憐みか。ようやく表に滲ませたその感情は複雑過ぎてセレナには読み解けない。
 こんな時でもまだその心はその血に捕らわれたままなのだ。

「…君、も。本当は、怖いだろう。この先に待つモノが、君からすべてを奪うかもしれない。なのに、僕たちは…それを止めることができない」

 イリオスのその言葉は、夜伽によってセレナが侵される現状を暗に憂いる言葉にもとれる。
 呪いに関する本質をセレナに教えたのはブランシェスだ。それはつまり、イリオスも知っていたとしても不思議ではないのだ。セレナの内に潜む呪いの正体を。

「それが、イリオスの…最後の箍…?」

 イリオスが理性を手離しきれないのは、自分を身を案じているせいなのか。
 夜伽によって受け継がれる呪いはもうイリオスで最後だ。この後自分はどうなるのかなんて、想像すること自体今は放棄している。考えたら竦むだけだ。もう止められないのはセレナも同じ。
 だけどイリオスはおそらく今だからわざとその現実を突きつているのだろう。戻れない道を振りかざすように。
 まだ自分に猶予を与えている。引き返せなくなる前にと。
 膨れて固くて手に余るイリオスのものからはこんなに欲に溺れているのに。

「僕たちのこの呪いは…君がこの世界に現れた時からどうしようもなく抗い難く、君を求めてそれなのに、君を傷つけるようにできている。例え愛しても決して結ばれない。虚しくて哀しい性の鎖。そういう呪いだ」

 イリオスが僅かに瞳を伏せて呟いた。そっとセレナの頭に置かれていたその手が離れていく。進むことをまた拒むように。
 傷つけたくないと彼は言っているのだ。こんな状況で、こんな時まで。

「…イリオスの愛は、分かり難いね」

 思わず零したセレナの苦笑いにイリオスは不服そうな顔を向ける。自分より年上であるイリオスの、僅かな幼さが覗いた気がした。

 呪いを継ぐことにより得体の知れない存在が自分のなか侵入はいりこみ、夜伽がこわくなったのも事実だ。
 ゼノスの残りの呪いを継いだ後、ほんの少しだけまた体は変化を遂げた。誰にも言っていない。これ以上心配させたくなかったから。

 自分のなかに居る“セレナ”は呪いを求めてセレナの体どころか自我すら奪う。それは言葉に表しきれない恐怖そのもの。おそらくもう自分のなかには収まりきらなくなる。ノヴァはそれを懸念していた。

 それなのに呪いを宿す王子に触れることを悦ぶこの心は、果たしてセレナの本心なのか。
 分からないけれど、触れることを望んだのはどちから片方だけではない。ふたり同じ気持ちで今ここにいる。

 体を深く繋げなくても、触れられただけでも移る呪い。イリオスはきっと最初からそれを知っていたのだろう。だから必要以上にセレナに触れてこなかったのだ。不用意に呪いを移さない為に。
 それでも、さっき。触れてきたのはイリオスからだ。そしてセレナの行為を止めることはしないのも紛れもなく彼の本心だ。それだけを今セレナは信じられる。

 確かにこわい、でも。これまでの夜伽を経て失ったものよりも得たものの方がずっと大きい。それを証明できるのは自分だけ。
 それがセレナの答えであり覚悟だった。

「…傷つかないよ、わたしは。イリオスにわたしは傷つけられない。ずっと守ってくれてたの、知ってるから」

 僅かに目を瞠ったイリオスに微笑んで、セレナは触れられない唇の代わりにイリオスのものにまた唇を寄せる。ほんの僅かにひいていた熱が触れた唇の先ですぐにまたぶり返す。いつの間にか自分の内にもイリオスの欲が這い上がってきているのを感じた。触れてしまえばもう誰にも止められない。

 それを確認してまた自分の唾液を絡めて濡らしてからそっと手を離す。未消化なその熱の塊が名残惜しそうにセレナに追い縋ってみえた。
 体を起こして距離を詰め、真正面からイリオスと向かい合う。イリオスに跨るようにその腹の上に乗りながら。
 イリオスは何も言わない。その瞳が僅かに揺れてセレナの行動を見守るだけ。
 期待か恐怖かそれ以外か。すれ違っているのか重なっているのかすらも未だ見えないその本心。
 欲にさえ潰れないその心にセレナは懸けてみることにした。
 自分の身を案じている人が他にも居ることくらいちゃんとわかっている。
 簡単に投げ出すわけではない。差し出す相手は自分で選べる。

「ひとりでそうやって抱え込むから、周りが見えなくなるんだよ」
「…君に言われるのは心外だね」
「…わたしがこれまで継いだのは…受け容れたのは、呪いだけじゃない」

 これまでセレナと夜を共にしてきた王子たちは大概その欲を素直に本能に忠実に差し出してきた。
 義務と欲の狭間で揺れながら惑いながら。それでも“セレナ”を求めるその気持ちだけは確かだった。
 だから全部、受け容れられた。一部例外もあったけれど、そこには確かに思いがあったから。

 それまで生まれてからずっと何の役にも立てず、ただすべてを見送るだけだった日々。ゆっくりと失われていく世界の片隅で、一番大切だったものを自ら手離した。
 そんな最期の瞬間にび出されたこの世界で、自分はもうひとりの自分になれた。それまでの自分を捨て去って生きると決めた世界。簡単に自由は手に入らなかったけれど。
 ずっと望んでいた。自分の力で生きる世界を。

 どうして今そんなことを思い出すのだろう。
 自分でもよく分からないしこわいけれど、この夜にもきっと意味はあるはずだ。
 そこに自分の存在が少しでも残せるのなら――

 セレナはそっと掴んだイリオスの、その先端を自らの入口に宛がう。濡れた音が耳を掠めて吐息が漏れる。思わずイリオスの手がセレナの腰を押えた。咄嗟に拒むことを選んだその心は彼の優しさそのものだと思う。だけど抗えないことを知っている。わかっている。だから、呪いなのだと。

 ――これはわたしの役目だ。


「だから、イリオス。これはわたしがもらうね」


 ゆっくりと自分の内側にその熱を埋めていく。自分の体重の分だけ奥深くを抉られて、喉の奥で堪えきれない悲鳴が漏れた。
 全部、はいった。イリオスが眉根を寄せて目を細め、小さく漏れた吐息がセレナの前髪を揺らす。
 ぴったりと肌を密着させ居場所を落ち着けて浅く息を吐いた。下腹部を埋める圧迫感と充足感にセレナはほんの僅かだけ耽る。その隙にも触れた部分に痣は集まり欲情を煽った。繋がった部分からその熱が、自分へと移ってくる。それは何故かひやりと冷たい感触がした。

 セレナの腰にまわっていたイリオスの手に力が篭り、ぐっと更に奥へと押し付けられた。
 その刺激に反応する体と悲鳴に近い喘ぎ声がセレナの快楽をイリオスに伝える。イリオスも喉を戦慄かせて身を硬くしそれに応えた。
 突き上げられる衝動に一瞬散った意識がすぐにまた快楽を掻き集めて押し上げる。イリオスの肩に手をまわしてそれを支えに、セレナがゆっくりと上下に腰を振った。肌がぶつかり合う度にぐちゅりと水音が漏れてものすごく恥ずかしいのに止められない。
 ふるりとイリオスが頭を振った。おそらく突き上げたい衝動を必死に耐えながら。そこにようやく彼の人間らしさが垣間見えた気がして、そのことに内心安堵した。ずっとそのことばかりが気にかかり、まるで片想いをしているような気分だった。

「…っ、イリ、オス…、今だけで、良いから…わたしのことだけ、考えて、て…」
「…ッ、セレ、ナ…」
「覚えていて、わたしの、代わりに…」

 縋るように抱きつくセレナをイリオスは受け止めて抱き締め返す。
 互いの呪いが求め合う。これは自分のものだと身の内で叫びながら。

 もどかしさをぶつけるように、イリオスの手がセレナの頬を押えて上を向かせる。そこにどこか乱暴に唇と唇がぶつかった。セレナの口内を貪るその瞳に宿る雄のさが。イリオスの本当の顔。
 やっと見れた。ぽろりと何かが零れ落ちる。

「…泣いてばかりだね、君は」

 驚くほどに優しいイリオスの声が降ってきたと思ったら、ぐっと腰を抱き寄せられあっという間に視界が反転した。セレナの内でもう限界まで膨らんでいたはずのイリオスのものが抜かれて、途端に寂しさを覚える。
 頬に柔らかなシーツの感触。背後にイリオスの気配。
 浅い呼吸で名前を呼ぶのにイリオスは返事を返してくれない。
 代わりにぐっと、後ろから。押し付けられるその熱は、今までで一番熱くて大きな存在を主張していた。
 

「いいよ、それなら。一緒に堕ちていこうか、セレナ。僕らの行き着くその果てまで」


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