78 / 104
閑話
茨の道
しおりを挟む------------------------------
『――ほんとうに…?』
震えていたその声は、戸惑いと畏怖の入り混じるか細い声だったと記憶している。
受け容れ難い事実に心臓が一度大きく脈打ち、次第にそれが早鐘を打つ。
それを同じ体内で聞いていた。
『…おそらく、間違いないかと…』
『……性別は…?』
『生まれるまで断言はできませんが…おそらく男児…王子殿下にございます』
やんわりと、自分を包む温かな水と膜越しに、仄暗い力が自分たちに向けられるのを感じた。
護られた肌に纏わりつく他人の魔力の気配が不愉快で煩わしい。この居心地の良い場所への侵入を身を堅くして拒絶する。
ほんの少し身じろぎしただけでもうひとりの自分に触れた気がした。そのことに心から安堵した。
だけど尚も、外界の悲痛そうな声は続けられる。
『……なら、なおさら駄目よ…流せない…! 陛下は第二妃を迎えられたばかり…しばらくその寵愛は、そちらに向いてしまう……! 私はなんとしてでも今、この子を…王子を産まなければ…!』
痛々しいくらいの悲鳴と泣き声が混じり、やがて嗚咽が部屋に響く。
自分の母の泣き声に、ふたつの心臓が同時に痛んだ。
鼓動が同じ速度で脈打っている。寸分違わぬ思いまでも。
『…せめて…どちらが災厄の種なのかだけでも、分からないの…?』
『……魂の判別は、そう容易くできないことでございます。特に生まれたばかりの無垢な魂の魔力はその質も殆ど同じ…選ぶことは不可能に近いかと』
『でも、“災厄”は…! どちらかひとり、なんでしょう……?!』
『……そう、言われています。しかし、現状は。どちらとも選べません』
『…そんな……!』
『陛下にありのままを告げるべきです。陛下の判断を仰ぎ、決断はそれからでも』
『駄目よ……!』
その声は、それまでで一番熱の篭るものだった。
恐れではない。何かを守る強い意志がそこにある。
『陛下に自分の子の命を殺めさせるわけにはいかないわ…!』
――では。
生まれてくるぼくらは、一体なんなのか。
真に畏れられているものとは、いったい。
『……なら…私が…私が、選ぶわ。この国の命運を…最初の王子を、私が…』
選ばれたのは誰だったのか。
そして選ばれなかったのは。
「――イル」
呼ばれてふと顔を上げる。
その呼び方を使う存在はこの世でただひとりだ。
生まれ落ちてすぐに引き離された半身。だけど心はずっと繋がっていた。
「…珍しいね。この前も、代わったばかりなのに」
「そう? 最近益々、ここは退屈になってきたからかな」
「…代わるのは、構わない。だけど、彼女には――」
「彼女って、どっちの聖女さまのこと?」
くすり、と。暗闇から向けられる視線にイリオスは僅かに顔を顰める。
その気配をすぐに察してブランシェスは体面だけで無邪気に詫びた。
「ごめん、怒らないでよ。エレナに勝手に術をかけたのは、悪かったって。だけどあの時はそれが一番だと思ったんだ」
「……ブラン。最近の君の行動は、流石に勝手が過ぎる。せめて事前に僕に言ってくれ。じゃないと対処できない」
「イルは駄目としか言わないからなぁ」
「……ブラン」
静かな溜息に混じる、警鐘にも似た声音。
イリオスの怒気にブランシェスは軽く笑って身を竦めた。
「大丈夫、セレナには。余計なことはしていないよ、そういう約束だから」
「……最近の君は、いまいち信用できないけれどね」
「そう言わないで、イル。たったふたりの兄弟だろう」
その声は今度はすぐ耳元でささやかれた。この場所にはもはや距離などない。ここはふたりの秘密の縁だ。誰にも侵すことのできないふたりだけの絶対唯一。
「これだけイルが手を尽くして動いているのに。不思議だね、イル。どうしてみんな、言う事を聞いてくれないんだろう」
「…皆、もう。子どもではない。それだけだよ」
「このままじゃあ君ひとり、置いていかれてしまうね」
「…それが、運命なら。僕は受け容れる」
暗闇で、子どもの笑い声がした。自分はただ距離をとって見つめているだけの遠い過去だ。
記憶を共有するふたりの今一番イリオスが思い出したくない記憶を、ブランシェスがイリオスの内から引き出したのだ。
努めて表情には出さず、イリオスは拳を握る。目を逸らしてもその残像からは逃れられない。
やがてそれはひとりの少女の姿を映した。
「彼女もまた、選んだみたいだよ」
くるくると、表情を変えるその少女。だけど自分に笑顔を見せたことは一度も無い。
それでも彼女と話すのは飽きなかった。すべて表に出すその素直さと幼さと愚かさが…イリオスには眩し過ぎた。
だからそれで良かった。自分を拒むくらいで調度良い。それまで誰ともそうしてきたように。
記憶の奥深くに沈めたものを、ブランシェスはわざわざ引っ張り出して見せつける。
すべてお見通しだと言わんばかりの視線をイリオスはあえて避けることはしなかった。
「――また。選ばれなかったね、イリオス」
「いいよ。君が居るから」
ほんとうに?
言葉にはしなくても、それは相手の心に伝わる。
それが自分たちという存在だ。
共に生まれ生き方を分かたれたもとはひとつの生。
その特異さ故に、自分たちが歩んできた道は茨の道だった。
誰にも理解されない。味方もいない。頼れる者も心を許す者もだれも。救いも希望も望めなかった。
その代わりに相手がいた。
互いが居ればそれで良かった。唯一無二のかけがえのない存在。
肉体と魂は引き離されても、この繋がりだけは誰にも切れやしなかった。
はじめはひとつだったのだ。だけど人の欲がすべてを壊した。永い時をかけてゆっくりと。
もう後戻りはできない。
「もうすぐ、“セレナ”はすべてを取り戻す。この国の運命もその時決まる」
すべて元には戻らない。
失ったものは取り返せない。
だから。
「最後の残るのはこの国とセレナの命、どっちかな。ねぇ、イリオス」
ぜんぶ奪うことしかできない。
それしか知らない僕たちは。
この血に生まれ落ちてから、それが僕たちの運命だった。
最後は僕が迎えに行く。
最期こそ自分で選びとる。
たとえなにを失っても。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~
みつまめ つぼみ
ファンタジー
17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。
記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。
そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。
「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」
恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています
六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。
しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。
「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる