魔の鴉がやってくる。SS『どうして』

安田 景壹

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『どうして』

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 私ことかささぎ八代やしろは、昨年二冊目の著書を上梓した新人のライターである。作家ではない。出版したのは、二冊とも取材で伺った実体験の怪現象をまとめた実話怪談集である。『鵲八代』という名前はペンネームで、男とも女とも取れる響きが気に入っている。


 ライター業は副業だが、三冊目を執筆するため、私は空いた時間に取材を続けている。趣味の怪談収集から数えれば、取材歴は五年ほどである。その間、怪現象や怪異を体験する人は増えてきたように思う。そして、その話の濃さも、だ。五年前は部屋の中を影が通り過ぎるのを見た、くらいがせいぜいだったのに、今では、目撃例どころか実害を被った話がごろごろしている。


 怪談で少なからず金銭を得ているのにこんな事を言うのは何だが、年々世の中に妖気か瘴気のようなものでも立ち込めているような気がして不気味である。
 最近の取材で知った怪異体験談には、もう一つ、以前にはなかった点がある。
 話を聞く十人に一人の割合で、どうも同一人物らしい人間が登場するのだ。
 その人物は、どうやら霊能力者らしく、除霊を生業としているらしい。


 そういう肩書を持つ人物が怪異体験談に出て来る事自体は珍しくないが、縁もゆかりもない人々の体験談に、同じ人物が出て来るとなれば異例だ。
 追わなければ。吹けば簡単に消し飛ぶ新人ライターに必要なのは、読者を引き付ける強いテーマである。


 その霊能力者の特徴は、次の通り。
 年齢は少女のように見えるが、実のところは不明。いつも怪異の場には同じ格好で現れるので、特定は容易である。
 漆黒のマントに、頭の先端が折れ曲がったとんがり帽子。そして長い黒髪。
 魔女だ。お話を伺った人たち全員が、彼女の事を『魔女』と呼んだ。


 これから皆さんには、私が収集したこの『魔女』と称される人物が登場するお話を紹介させていただこうと思う。
 いつか、こうして書き綴った文章が『魔女』を追った記録として出版出来ればと思う。おそらくはその本こそが、私の三冊目の著作となるはずだ。
 前置きが長くなった。そろそろ本題に入ろう。
 最初に断っておくが、私が紹介するお話は、人物名や場所などは仮称を用いさせていただくものの、全て実話である。

      〇

 新庄さんは、R大学の図書館で働く司書である。
 三か月前、今の現場に異動してきた。以前の現場とは違い、R大の図書館は利用者が少ない。特に、今のような冬休みの時期など、朝から夕方まで働いていても、やって来るのは多くて日に二、三人といったところだ。
 図書館だけではなく、大学構内も人気はない。もっとも、冬休み中に学生が大学に来る目的といえば研究である。皆、研究室に籠りきりなのだろう。


 加えて、今は学内食堂も休業中である。昼食を摂るなら弁当を買うか、学外に食べに行くかしか選択肢がない。
 通常、長期休みの期間でも学内食堂は営業しているものだが、調理スタッフのうち二人がインフルエンザとなり、同じ日に出勤していたほかのスタッフも自宅待機。人手不足のため食堂は年内全て休業となった。
 図書館内には飲食スペースがない。他のスタッフは事務室内のテーブルを借りて食事をするが、新庄さんは一人が好きだった。今の現場の人間関係に不満はないが、昼休みは束の間自分のために時間を使えるのだ。


 休業中の食堂は暖房も入っておらず寒かったが、厚着すればいいだけの話。そういうわけで、新庄さんは昼休みを食堂で過ごしていた。
 その日も、いつものように一時過ぎに昼休みに入った新庄さんは、真っ直ぐ学内食堂へ向かった。
 席はいつも決まっていて、窓際の日当たりがいい隅の席である。電気もついていないので食堂の中は暗いが、昼間であれば問題はない。


 手を洗って席に戻ると、買って来た総菜を並べ、新庄さんはおにぎりのビニールを剥がし始めた。
 電気の消えた食堂エリアは、入り口にパーテーションが張られていて、一応は立ち入り禁止を表明しているものの、パーテーションされているのはその入り口だけで、ほかの通路は塞がれていない。また、建物自体は二階に購買部があるので自動ドアも閉められていない。


 いつかほかの職員の方に見つかったら咎められる気がしないでもなかったが、これまでそういう事はなかった。だから、新庄さんは悠々とおにぎりをぱくつく事が出来た。
「ちょっとあなた、こんなところで何やってるの」
 その声は、全く人気がしない食堂からいきなり聞こえた。自動ドアが開いた音もしなかったので、新庄さんは思わず「うわっ」と声を上げた。


「ちょっとあなた、こんなところで何やってるの」
 再び、同じ声、同じ言葉が繰り返された。
 声の調子からして怒っているのは明白だった。
 恐る恐る顔を上げると、案の定、怒った顔の女性が立っていた。茶色いシャツに黒い帽子。黒いエプロン。
 食堂の調理スタッフである。たぶん、四十代後半。ふっくらとしていて、食堂が営業中の際には見かけた覚えがある。


「あ、あのすみません。ほかに食べるところがなくて……」
 思わず言い訳がましい物言いになってしまい、それが火に油を注ぐ結果となるのは目に見えていた。
「どうしてこんなところにいるの。ここで一体何をやっているの」
 女性の声は大きく、険も強くなっていた。休業中でパーテーションもしているのに、座席を勝手に使われて怒っているのだろう。
 この話が図書館まで行くと面倒だ。新庄さんはそう思った。


「すみません。すぐに出ますから!」
 そう言った時にはもう遅い。女性は物凄い形相になっていた。目を吊り上げるという表現があるが、まさにそれだ。冗談ごとではなく鬼の形相だった。
「どうしてこんなところにいるの。どうしてこんなところにいるの」
 引きつるような声だった。静かすぎる食堂に女性の声が響く。最初は見た事があるかと思ったが、今はそうでもない。


 そんなに怒る事か。怯えながらも、新庄さんはそう考えた。ちょっと席を使っていただけだろう。別に散らかしたわけでもない。一体、休業中のスペースを使ったくらいで何をそんなに。
 そこまで考えて、新庄さんはふと思った。
 この人は、一体どうしてここにいるんだろう。食堂は休業中だ。なるほど。それでもほかに仕事があれば来るかもしれないが、調理場のほうはシャッターが下りている。調理場のドアも開いていないし、中の電気がついている様子もない。
 この人は、どこから現れたのか?


「どこを見ているの!」
 女性が、新庄さんの顔の間近で怒鳴った。今度こそ、新庄さんは驚きのあまりのけぞる。
 動転した新庄さんの見間違いでなければ、女性は二人いた。全く同じように目を吊り上げ、眉根を寄せて深い皺をつくり、尋常ではない怒気を孕んだ全く同じ人間が、その場に二人いたのである。
「え、あ、あれ……?」
 全身に鳥肌が立っている。寒気ではない。これは怖気だ。


「「どうして謝れないの!」」
 同じ顔の二人が同時に叫ぶ。
 新庄さんは口を利くどころではない。
「どうして謝れないの」
「どうして謝れないの」
 二人が声のトーンを落としたものの、非難がましい響きで言う。
「どうして謝れないの」
「どうして謝れないの」
「どうして謝れないの」
「どうして謝れないの」


 いや、もう二人ではない。四人いる。まるで舞台の袖から出て来るかのように、視界の端から調理スタッフの制服を着た全く同じ顔の女性が現れる。
「どうして」「どうして」
「謝れ」「謝れ」「謝れ」「謝れ」
 四人が口々に叫ぶ。いやもう、四人でもない。十人、二十人。いやもっと。食堂中を埋め尽くすほどいる。
「どうして謝れないの」「どうして謝れないの」「どうして謝れないの」「どうして謝れないの」「どうして謝れないの」「どうして謝れないの」「どうして謝れないの」「どうして謝れないの」
――……


 声は反響し、タイミングは揃わずそれぞれが好きなタイミングで同じ事を喋るので、もはや声というよりは怪音波である。目の前の異常事態に、新庄さんは声を失っていた。
 見れば、女性の顔はまるで粘土のように引き伸ばされていた。引き伸ばされた頭と頭が粘土のようにくっついて、一つの巨大な頭になっていく。
 巨大な顔が天井から新庄さんを見下ろしていた。ピザ生地のように平面に引き伸ばされた顔と、直立している一つの体。その首をつなぐ、ろくろ首のように伸びた首。


「あ、あっ……」
 声にならない。声がでなかった。
 天井の引き伸ばされた顔が、鬼のような声で叫んだ。
「「「「「「「「どうして謝れないの!」」」」」」」」
 女性の顔は大声で叫び、新庄さんは絶叫を上げる。
 と、その時だった。
 突然、バチンという大きな音がして、異様な形態と化していた女性の体が、まるで風船みたいに弾け飛んだ。突風のようなもの凄い衝撃を受けて、新庄さんは窓ガラスに後頭部をぶつけた。
 調理スタッフの姿した怪物は、もうどこにもない。制服の端切れ一つ残っていない。


「……え? わたしの仕事これだけ。わざわざ東京から二時間くらい電車乗って来たのに?」
 そんな声がした。
 見れば、さっきまで女性が立っていた辺りに、小さな針を突き刺すようなポーズしている少女がいた。
 いや、少女といっていいものか。黒いとんがり帽に、黒いマント。それに黒い長髪。
 魔女。直感的にそう思った。ただし、魔女は白いマスクをしている。おそらく市販の物だろう。
 そして、魔女の左右の両隣に小さな影が一つずつ。


 同じように黒マントを纏った両名は、片方が金髪、短髪で、男の子。もう一人がボブカットくらいの長さの茶髪の女の子だ。
「いいじゃん。仕事早く終わったんだし」
「泊りは嫌とか言っていたでしょ。文句言うほどの事?」
 少年と少女が、それぞれ言った。
 マスクをした魔女は心底嫌そうに、
「いやだってこの辺りにも退魔屋いるでしょ。ここ、バス全然通ってないんだよ。オボロとヨミチは飛んで帰れるからいいとして」
「嫌だよ、飛んで帰るなんて。めんどくさい」
「帰りは特急で帰ろうよ。あたし、座りたいから」
「あんたら、何もしてないでしょ」
 魔女は、最初から最後まで新庄さんを意識していなかった。新庄さんがいようといまいとどうでもいい風だった。


「あ、あの、君――」
「あ、そうだ」
 踵を返しかけた魔女が、そこで初めて新庄さんの顔を見た。
「マスクしたほうがいいよ。病気、流行ってるから」
「え……?」
 すかさず金髪の少年と茶髪の少女が続く。
「あと手洗いうがいねー」
「体を冷やさない事もね」
 いいのよあんたらは余計な事言わなくて、と魔女が言う。ぶーぶーと反論する声が聞こえた。
 その姿があっという間に物陰に消える。


「待って!」
 慌てて、新庄さんは跡を追ったが、建物の外にもその姿はない。
 ただ冬の冷たい風が、吹き抜けていくばかりだったという。


 その後、新庄さんは風邪をひいて仕事を休んだ。
 年始まで体調の悪さと戦う羽目になり、復帰出来たのは三が日を過ぎた頃だった。
 正月休みが終わって新年の仕事が始まったが、もう食堂に行く気はしないという。

             了

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