ウリエルの蜥蜴『財宝は白霧の中に』

安田 景壹

文字の大きさ
上 下
2 / 6

『財宝は白霧の中に』2

しおりを挟む

      2

 サヴィーツァ連邦はウリエルシティよりはるか西にある、ユランシア大陸に存在する連邦国家である。時代が西暦であった頃から存在していた、歴史上、もっとも栄えた王朝とされるラフィスノフ王朝を革命によって滅ぼし誕生した。それから三十年ばかり経ったあと、サヴィーツァ連邦は悪名高きかの帝国と軍事衝突した。おれの祖国と。
 ――軍人時代のもっとも思い出したくない記憶は、その戦争の只中にある。
「休暇だって?」
「ええ。何しろ、長らく任務で本国へ戻っていなかったものですから。長期休暇が認められたので、ちょっと羽根を伸ばそうと思いまして」
 そう言って、ヴィクトル・オーンスタイン中尉はコーヒーを口に運んだ。機嫌が悪いベンジャミンも、今は仕事に徹してくれている。


「そいつは結構な事だな、中尉。で、それが何故また宝探しに繋がる? いやその前に、一体誰からおれの事を聞いたんだ?」
「私にその手がかりをくれた人物ですよ。あなたの事を教えてくれたのはね。……失礼、煙草よろしいですか?」
 まるで故郷の言葉のように、サヴィーツァ出身の中尉は公用英語を操る。おれは黙って灰皿を相手のほうへ差し出す。
 ヴィクトルが取り出したのは赤い洋菓子の缶と巻紙の入ったケースだ。慣れた手つきで巻紙を二本の指の上に乗せ、缶の中から取り出した刻み葉を紙の上に均等に撒き、紙をくるりと巻いて唇に滑らせ、両端を潰して一本の手巻き煙草を作った。これまでにもう何百本も作ったかのような手並みだった。
「渋い趣味だな」
「サヴィーツァの軍人は煙草を巻けないと笑われますから」
 ライターで火を着け、ヴィクトルはうまそうに煙草を吸った。
「で、タルボの事を教えてくれた〈宝の地図〉の元持ち主は?」
 何故だか今もこの場にいるバンビが、しびれを切らしたかのように口を挟んだ。


「バンビ」
「だって話が進まないんだもん」
 おれがじろりと睨んでも、バンビは意に介さない。ヴィクトルは一向に気にした様子もなく、笑いながら紫煙を燻らせる。
「いやあ、新聞記者さんはやはり好奇心旺盛ですね。お話しましょう。三か月前の事です。〈赤の広場〉で見慣れない古物商の露店が出ていたので、少し覗いてみたんです」
『赤の広場?』
 ベンが珍しく口を挟んだ。
「首都マスクヴァの中心にある広場だ。有名な観光地だよ」
「戦後、観光客は増えましたね。まあそれはともかく、私は少しばかり骨董を齧った事があって、興味本位で物色してみる事にしました。言うまでもなく、品物の九割がガラクタでしたが……」
「こいつがあった」
 コーヒーを啜った。消しカスみたいな味がした。出涸らしだ。ベンの奴め。おれは煙草に火を着けた。
「初めは古い書簡の一部かと思ったんです。でも中身を見るとどうも違う。誰かに宛てた手紙というよりはむしろ、暗号のようでして……」
「暗号、ねえ」
 おれは古紙に書き殴られた文章をよく読んでみた。

          ×

《我、船長クラーネオ・ピニャ・コラーダがここに記す。
ついに最後の航海を終え、かの財宝を秘密の入江へと納めた。
我はもはや生涯において海へ出る事はなく、この地にて朽ち果てるであろう。我らが持ち帰った黄金の山にも等しき財は、ようやく静穏の時を得たのだ。

我らの宝は我らだけの秘宝である。何人も、その手を触れる事は許されぬ。しかし、愚かな王族や自らを貴族と自負する金の亡者ども、冒険家を標榜する良からぬ輩が、無作法にも我らの秘宝を求めるであろう。
 いいだろう。愚か者どもよ、欲するのであれば探すがよい。汝らが正しく宝にたどり着けるよう、ここに三つの手がかりを残そう。
すなわち――

・八つの天使を探せ。彼らの始まりがパラダイスを指し示す。

 ・嵐の晩を待て。月のない夜に出航せよ。

 ・じゃがいも畑から一つ盗めば二つの平和。犠牲をもって真の平和をもたらせ。

 そして、秘密の入江は天使の街にある。
忘れるな。静穏の時を破るのならば、汝らは悪魔の子よりも恐ろしい物を知るであろう》

         ×

「怪文書だ」
 おれは言った。ヴィクトルは困ったような顔をした。
「怪文書だ。でなきゃ出来の悪いなぞなぞだ。最近の軍人さんはすっかり腑抜けになったもんだな。こんな紙切れ一枚に夢を見ちまうとは」
 おれの心はもう半分以上、この依頼を断るつもりでいた。そんなおれの暴言にも、ヴィクトルは顔色一つ変えなかった。短くなりつつある煙草を吸い、ヴィクトルは言った。
「……しかし軍曹殿、もし夢ではないとしたらどうします?」
「何だと?」
「黄金の山が本当に存在するとしたら?」
「よせよ、中尉殿。部下に影で何て言われるか、わかったもんじゃないぜ」
 ヴィクトルは答えずにくいと小首を傾げると、鞄の中から財布を取り出し、中の硬貨を何枚か握って机の上に出した。


 そいつは、ウリエルシティで流通しているレゾ硬貨ではなかった。レゾ硬貨より少し大きくて、形も少々不揃いだ。だがその厚みと重み、そして鈍く光る金色が。ひと目でおれにそれが本物だという事を悟らせた。
 金貨だ。ほぼ間違いないなく、純金の。
「……クルエナコイン?」
 声を発したのはおれではなく、バンビだ。いやに驚いたような顔をしてやがる。白い指を伸ばして、金貨のうち一枚を摘まみ取る。
「うそ、本物……?」
そのリアクションに、ヴィクトルの顔が満足したように綻んだ。
「さすが新聞記者さん、博識ですね」
「何だ、クルエナコインって」
「え? ああ、うん。十六世紀頃にペルーで鋳造された金貨でね。インカ帝国がフランシスコ・ピサロによって侵略された際に、そのほとんどが略奪されたんだけど、その後大半は行方知れずになったの。現物は今もあるにはあるけど、もうほとんどは海に沈んだって言われていて……」
 バンビは金貨を机に戻し、ヴィクトルのほうを向いた。


「中尉さん。これをどこで?」
「さっき話した露天商の主人ですよ。自分はかつて一度、天使の街で宝探しをした事がある。これはその時の土産だってね。残念ながら資金が尽きたのと、病気のせいで泣く泣く探索を諦めたそうですが」
「その人、何でこの金貨を中尉さんに?」
 そこで、ヴィクトルはおれのほうを見た。
「何だよ……」
「彼は言いました。『私はもはや冒険が出来るような体ではない。しかし、あんたにもしその気があるのなら、私の代わりにこの宝を探してほしい。そしてもし宝を見つけたなら、それを世界に向けて公表してほしい。私に報酬は要らない。ただ、宝の実在を証明出来ればそれでいい』と」
「ずいぶん太っ腹な話だな」
「そして、主人はこうも言いました。『天使の街では、まず義腕の探偵を探せ。きっとあんたの力になってくれる』」
「おいおいちょっと待て。何を勝手な」


 ヴィクトルはクルエナコインを摘み織り、おれの目を覗き込んだ。
「彼から軍曹殿は陸軍で失せ物探しの天才だったと聞きました。ぜひその手腕を貸していただきたい。成功すれば、財宝の半分はあなたの物です」
「待てよ。一体何者なんだ、その男は?」
 いい加減、男の正体を言わないヴィクトルに少々苛ついてきた。ヴィクトルは煙草を灰皿に置いて、
「『自分がその男の義腕を造った。トカゲの名を持つ男の腕を』あなたに会ったらそう言えと言われましたよ」
「トカゲ?」
 バンビが不思議そうに言った。が、おれはその質問に答えられなかった。
 脊髄反射のように、おれは無意識に記憶を探っていた。だが、まるで何者かがおれの脳味噌の動きを止めてしまったかのように、探査は強制的にストップした。ガラス片のように散らばった過去の記憶が、一瞬だけ見せられた写真のように浮かんでは消える。その写真をもっと見ようと追い始めると、途端に頭の中を金属の棒で貫かれるかのような痛みが走る。


「……っ」
『タルボ?』
「……何でもない。大丈夫だ」
 この痛みは、義腕を取り付けられた時についてきたオマケだ。どうやったんだが知らないが、連中はおれの脳味噌にも手を出していたらしい。おかげで思い出を振り返るのもひと苦労だ。別に思い出したくはないのだが……。
「覚えはありますか? その男に」
「ああ……はっきりとは思い出せないが」
 捨て去ったはずの因縁が追ってくる。面倒極まる。この街に
来た時、自由に生きようと決めた。思い出す事さえ苦労する最低な過去とは全ておさらばして、だ。だが、人間生きている限りは痕跡を残す。連中はどこかからか、おれの居場所を嗅ぎつけてきやがった。
「中尉さん。悪いが、この話は……」


『ねえ、この天使の街っていうのはさ……』
 唐突に、ベンジャミンが言った。
『このウリエルシティの事なんだよね?』
 おれはもう一度、宝の手がかりを見返した。
 ――秘密の入江は天使の街にある。
 ヴィクトルは黙って頷いた。
『ねえ、バンビ。クルエナコインって今の価値だとどれくらい?』
「え? うーんと、そんなに正確じゃないんだけど、少なく見積もっても確か……一万ギルヴィ?」
「……一万?」
 いや、そんなまさか……。だとすれば、机の上に散らばっているコインだけでもずいぶんな大金になる。バンビが慌てて付け加える。
「いや、ほらこういうのは鑑定次第なところもあるから……」
『やります』
「おい、ベン!」


 おれの言葉はしれっと無視して、ベンは交渉を続ける。
『もう一つだけお約束を。もし財宝探しに失敗したとしても、依頼料としてこちらのコインを半分いただけますか』
 ヴィクトルは煙草を口にしたまま、
「軍曹殿がそれで良ければ……」
『タルボ』
ベンジャミンがおれを見る。おれはかがみ込み、少し小声になって言った。
「ベン、お前正気か? この件はどう考えても怪しいぜ。断るに決まってるだろ」
『さっきも言ったけど貯蓄が尽きそうなんだよ。せっかく来た仕事を断られても困る』
 ベンジャミンは断固とした口調で言い切った。
『それに……いつまでも昔の影に怯えていていいの?』
 おれはベンの言葉に一瞬何も返せなかった。
「……そんな簡単なもんじゃねえよ」
立ち上がって机の上を見る。クルエナコインは全部で八枚。最低でも四万ギルヴィは手に入る。あるかどうかもわからない宝探しに付き合ってその稼ぎなら相当なものだ。
 ベンの言う通り、金はない。ここいらが腹を括るところかもしれない。


「相談は済みましたか?」
 ヴィクトルが言った。
「……ああ、もう。しゃーねえな」
 おれは頭をかき、書類ケースから契約書を取り出した。
「やる以上全力は尽くすが、見つからないと判断したら下りるぜ。それでいいか?」
「ええ、もちろん。私は見つかると確信していますがね」
「面白え。宝の山とやらが楽しみになってきたよ」
 ヴィクトルはにっと笑い、右手を差し出してきた。
「ではよろしく。軍曹殿」
「その呼び方はよせ。今のおれはしがない探偵さ」
 そう言いながら、おれは奴の手を握り返した。
 ――この時点で、おれはまだこの一件を軽く見ていた。過去の因縁がちらつくものの、やる気のない時期にはちょうどいい、非日常的な冒険だと。
だが、現実の宝探しは、もっとろくでもないものだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鬼様に生贄として捧げられたはずが、なぜか溺愛花嫁生活を送っています!?

小達出みかん
キャラ文芸
両親を亡くし、叔父一家に冷遇されていた澪子は、ある日鬼に生贄として差し出される。 だが鬼は、澪子に手を出さないばかりか、壊れ物を扱うように大事に接する。美味しいごはんに贅沢な衣装、そして蕩けるような閨事…。真意の分からぬ彼からの溺愛に澪子は困惑するが、それもそのはず、鬼は澪子の命を助けるために、何度もこの時空を繰り返していた――。 『あなたに生きていてほしい、私の愛しい妻よ』 繰り返される『やりなおし』の中で、鬼は澪子を救えるのか? ◇程度にかかわらず、濡れ場と判断したシーンはサブタイトルに※がついています ◇後半からヒーロー視点に切り替わって溺愛のネタバレがはじまります

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

アデンの黒狼 初霜艦隊航海録1

七日町 糸
キャラ文芸
あの忌まわしい大戦争から遥かな時が過ぎ去ったころ・・・・・・・・・ 世界中では、かつての大戦に加わった軍艦たちを「歴史遺産」として動態復元、復元建造することが盛んになりつつあった。 そして、その艦を用いた海賊の活動も活発になっていくのである。 そんな中、「世界最強」との呼び声も高い提督がいた。 「アドミラル・トーゴーの生まれ変わり」とも言われたその女性提督の名は初霜実。 彼女はいつしか大きな敵に立ち向かうことになるのだった。 アルファポリスには初めて投降する作品です。 更新頻度は遅いですが、宜しくお願い致します。 Twitter等でつぶやく際の推奨ハッシュタグは「#初霜艦隊航海録」です。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

後宮の不憫妃 転生したら皇帝に“猫”可愛がりされてます

枢 呂紅
キャラ文芸
旧題:後宮の不憫妃、猫に転生したら初恋のひとに溺愛されました ★第16回恋愛小説大賞にて奨励賞をいただきました!応援いただきありがとうございます★ 後宮で虐げられ、命を奪われた不遇の妃・翠花。彼女は六年後、猫として再び後宮に生まれた。 幼馴染で前世の仇である皇帝・飛龍に拾われ翠花は絶望する。だけど飛龍は「お前を見ていると翠花を思い出す」「翠花は俺の初恋だった」と猫の翠花を溺愛。翠花の死の裏に隠された陰謀と、実は一途だった飛龍とのすれ違ってしまった初恋の行く先は……? 一度はバッドエンドを迎えた両片想いな幼馴染がハッピーエンドを取り戻すまでの物語。

処理中です...