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『財宝は白霧の中に』0・1

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 いつの時代も、冷たい氷の海に沈みかけた男の魂を熱い夢が引っ張り上げる。
 しかし、夢見る男は往々にして足元を見ていない。
 ……この俺もそうだった。

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「残念だったな」
丸太みたいな腕でバンビの首根っこ締め付けながら、もう片方の手に構えた年代物のパーカッションロック式拳銃で、海賊はおれの胸元を狙っていた。
「形成逆転だ、探偵さんよ。お前の味方はそこに転がったチンケなドロイドだけだ。諦めるんだな」
 奴の言う通り、ベンジャミンは泥だらけになりながら、地面に横倒しになっている。モノアイが点灯していないところを見ると衝撃による燃料切れか、あるいは中身がイッちまったのか……。
「ようやく海賊らしい真似をしたじゃねえか。ただのコスプレ野郎じゃなかったってわけだ」
 両手を挙げながらも、おれは言ってやった。
 まだだ。まだ、完全にこちらの負けってわけじゃない。
「タルボ……!」
「心配するな、バンビ。おれが必ず助けてやる」
 青ざめた顔で叫ぶバンビに、おれはそう言って聞かせる。途端、海賊野郎が弾けたように笑いだした。
「ハッハッハッハ! この状況でどうしようってんだ? その義手が飛び出しでもするのか?」
 ぎゃはははは、とおれの後方で銃を構えている海賊の部下が下品な笑いを上げる。
「強がるなよ、探偵。お前は負けたんだ、この海賊(パイレーツ)ダッチにな」
「相手の手札も見ずに勝ちを確信か。ポーカー弱いだろ、お前」
 銃声が地下の空間に響き渡る。一瞬、頬が熱くなって、うっすらと血が流れだす。
「黙りやがれ! てめえの強がりにゃうんざりだぜ! さあ、二度目はねえぞ。今度はお前がよく考えて答えるんだな。例のお宝はどこにある?」
 古臭い拳銃が再びおれに照準される。
 参ったぜ。久しぶりに引き受けた仕事だってのに、ろくな事になりゃしねえ。
 何でおれ達がこんなところで生きるか死ぬかの目に遭っているか。
 話は、数時間前にさかのぼる――……



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《――……十六世紀。まだ時代が西暦であった頃。青い海では髑髏の旗を掲げる荒くれ者どもが暴れ回っていました》
階歴トリブナリスドミニ〉一三六年七月のとある午後。
 おれはウォルーメン・ハーレムの一画に構えた自宅兼職場である探偵事務所で、ラジオから流れる男の勿体ぶった語りを聞きながら、インスタントヌードルを啜っていた。
どこで造られたのかもわからない乾燥麺に、大陸風味スープの素である粉末を振りかけ、その上からお湯を注ぐだけのシンプルな食品。それが、インスタントヌードルだ。
 こいつが最初に考案されたのは、西暦なんて古い時代ではなく、お馴染みの階歴に移ってからの事だが、おれはこのヌードルがある時代に生まれて良かったと思っている。何せ、味のあるスープに、栄養はないが腹の満たせる麺が入っているからだ。依頼もなければ金もないおれの、数少ない味方の一人である。
《カトラスを振り回し、大砲で商船を狙い、金品から美女にいたるまで何もかもを略奪する。そう、西暦は海賊たちが活躍した最後の時代だったのです》


『……暇だね』
 窓際で佇んでいたジュークボックスが、ぽつりとそう言った。
 外見こそ小さなジュークボックスだが、こいつの正体はスチームドロイドだ。名前はベンジャミン。普通のスチームドロイドなら四十個かそこらあればいい〈思考球しこうきゅう〉を、何と内部に一九二個も持つ高性能のドロイドだ。
普段なら、気の利いた音楽を流す、コーヒーを淹れるといった働きをしてくれる奴だが、今日に限ってはその高性能さ故に、暇という概念を発見している。
「暇を笑うな、ベン。人生には時に立ち止まる時間も必要だ。流されるだけの毎日の中で、ふと足を止めて自分を見つめ直すんだ。無駄な時間はない。無駄に思える一瞬ですら、人生を回す歯車の一つなのさ」
 そう言って、おれはスープを飲む。沸かし立てのお湯で作ったスープは、当たり前だが未だに温かい。
 だが、ベンから返ってきた言葉はさながら首筋に当てられた氷のように冷たかった。


『含蓄のある言葉だね。もっと余裕がある時に聞きたかったよ。特に、懐に余裕がある時にね』
 スチームドロイドの脳味噌にあたる思考球が〈ブレインドーム〉の中でぶつかり合う音を響かせながら、ベンジャミンはモノアイでおれを見上げた。
 その視線に非難がましさを読み取るのは、おれがこの小さな相棒とそれなりに長く暮らしているからだろう。一九二個の思考球は伊達ではない。そこいらのドロイドなら言うはずもない、人間らしい皮肉をさらりと言ってきやがる。
 気まずさを覚えながらも、おれはヌードルを啜る。
《凶暴な無法者たちの存在は、植民地の安全を常に脅かし続けていました。当時の有名な海賊たちの名は、総督が残した日誌に見る事が出来ます。中でも恐れられたのは、水晶髑髏の杯で敵の血を呑んだとされる〈悪魔の子〉ピニャ・コラーダです。
コラーダが活躍したのはほんの一時でしたが、敵船より奪いに奪った財宝の数々は、現在の価値にして七億ギルヴィはくだらないとされています》
「おい……勘弁しろよ。ベン」


 沈黙に耐え切れなくなって、おれはフォークを皿の中に投げ込んだ。
「仕方ねえだろ。仕事が来ねえんだから」
 我ながらどうかと思うが、来ないものを嘆いてじたばたしても仕方ないだろう。
 だが、こいつはそうは思わなかったようだ。表情のないベンジャミンが――ドロイドだから当たり前だが――露骨にイラっとしたのがわかった。異様に早くローラーを転がして、おれの元までやってくる。
『仕方ない? 仕方ないって言った? もう十七日間も仕事をしていないのに仕方ないで済まそうっていうの?』
「何言ってんだ、お前。仕事が来ない時期なんて今までもあったろうが。最長記録は確か……二十日間だったか?」
『十五日間だよ! とっくに記録更新だよ! いいかい、タルボ。食糧の備蓄はあと三日分、貯金はどれだけやりくりしてもあと一週間持てばいいほうだ。この間壊した義腕の修理費の請求も来ている。何よりね、一番まずいのはボクの燃料がもう底を尽きそうって事だ。うちの永遠燃石フロギストンの在庫を見たかい? ボクが今、何で動いているかわかってる? 石炭だよ! 古い機関車みたいにね!』
 いまいちわかるような、わからないような〈感覚〉なのだが、ベンジャミンは自分の燃料が石炭である事を嫌がる。うちで買っているのは安物の石炭だから燃費が悪いというのはわかるが、ベンにしてみれば、それは非常に不快感を覚えるものらしい。


『この状況で暢気にヌードルを啜っている余裕があるのが不思議なくらいだ。もっと焦って然るべきだよ、まともな頭の持ち主ならね』
「おいおい。おれの経歴を考えてみろ。軍にいた頃にはジャングルで一週間飲まず食わずでも生き延びたほどだ。そう簡単にはくたばらねえさ」
『ボクは燃料がなくなったら止まるんだよ! ていうか何でジャングルで食べ物が手に入らないの!? 狩りが下手なの?』
「な……い、言いやがったな! これでも射撃訓練じゃトップの成績だったんだぞ!」
『知った事じゃないね! それなら今すぐその射撃の腕とやらで、猛獣狩りでもして一儲けしてきてくれよ。事務所でうだうだしてないでさ!』
 これには、さすがのおれもカチンときた。普段食わせてもらっているくせに、何て事言いやがる。
「ちょっとは言う内容を考えやがれ! このポンコツ思考球!」
『うるさい、この貧乏サイボーグ!』


「二人とも何やってんの?」
 喧嘩に夢中で全く気付かなかったが、振り返ってみれば買い物袋を抱えたバンビが呆れたようにおれたちを見ていた。
「仕事終わったから久しぶりに顔出してみれば、何これ? 喧嘩?」
『それは違うね、バンビ。喧嘩っていうのは対等な身分の者達がするものだ。世話係が世話してあげている奴に道理を説くのは、説教っていうんだ』
「何だと、この野郎」
「はいはい、喧嘩しない喧嘩しない」
 割って入ってきたバンビが、睨み合っていたおれとベンジャミンを引き離した。
「二人ともお腹空いてるんじゃない? ちゃんと美味しい物食べなきゃ、イライラしなくてもいいところでイライラしちゃうんだから」
 そう言いながら、バンビは買い物袋の中から、旨そうなサンドイッチを取り出した。
「で、何をそんなに揉めてたの?」
『この探偵さんが働く気がなくてね』
 すかさずベンが言った。
「違う。信じられない事にマジで仕事が来ないんだ」


 雨期が空け、二、三の案件を扱ったあと、おれの事務所の客足はぱったりと途絶えた。警察が暇な事は平和の証左であるように、探偵が暇なのは困っている人間が少ないという証明だが、厄介な事に、探偵というのは困っている人間がいるから成立する職業だ。仕事が滞れば、当然困るのは自分だ。
『仕事が来ないなら探しに行けばいいだろ』
 仰る通り。だが、どうも最近やる気にならなかった。刺激的な日々が続くと、平穏を求めるようになるものだ。おれには時々こういう時期がある。ぱたりとやる気を失う時期が。
「心配性なんだよ。人生、やるべき事をやったらあとはどーんと構えときゃいいんだ。それを何だ、ここ最近はネチネチと……」
『やる事やってないから怒ってるんだろ!』
「はいはいはい。そこまで、そこまで」
 バンビが二度目の仲裁に入った。その手の中の食料はいつの間にかウィンナーロールに変わっている。
「つーか、何でお前は人んちでメシ食ってんだよ……」


「言ったでしょ。ひと仕事終わったの。いやー大変だった。〈サヴィーツァ連邦軍が戦時中秘密裡に捕獲した謎の生物を追う!〉って企画だったんだけどね。ホントだったら船で現地の基地まで行くはずだったんだけど、編集長の許可が下りなくてさー。仕方なく当時基地の近くに住んでいたおじいちゃんに話を聞いてきたの」
 このバンビことララ・バーンズという二十歳そこそこの小娘は、〈ブレンディ・エクスプレス〉という今まさにバンビが話したような記事ばかり取り上げるタブロイド紙の記者をしている。
「この間の企画ホーンテッド・ウリエルのほうがなんぼかましだな……。じいさんのヨタ話聞きに行って疲れたからって、うちでくつろぐ理由にはならねえだろ」
「わたしはベンのコーヒーを飲みに来たんだよ! そしたら、二人とも喧嘩してるんだもん。コーヒー頼むどころじゃないじゃん、まったく」
「うちは喫茶店じゃねえ! コーヒー飲みたきゃ駅前のカフェにでも行きやがれ!」
「わたしのベンのコーヒーが飲みたくて来たの! わかる? ベ ン の コ ー ヒ ー!」
「やかましい! そんなに飲みたきゃ金取るぞ!」
『そしたらボクはタルボより仕事している事になるね。世話係から育ての親に昇格だ』
「ああ、もう。いい加減にしてくれ」


 おれはついに根負けした。このまま言い争いを続けていても同じ事の繰り返しだ。テーブルの上の灰皿を掴み、立ち上がる。
『どこ行く気?』
「一時休戦だ。お前はバンビにコーヒーでも淹れてやれ」
 残り少なくなったプエブロをケースから取り出して銜え、おれは窓際で火を着ける。窓からは、この街のシンボルである大天使ウリエルの巨大な像が中心街セントラルに建っているのが見える。
《大航海時代が終わり、海賊たちが手に入れた財宝のほとんどは海へ消えたと言われています。しかし中には、その手がかりが伝説として残された宝もあるのです。海賊たちが知恵を凝らし、敵の手に渡らぬよう絶対に見つからない場所へ隠した財宝。現代でもこれを追う者たちを、人はトレジャーハンターと呼びます》
 波の音と、男たちの雄叫びが聞こえる。さっきからほぼ聞き流しているラジオからだ。
 宝探し。悪いとは言わないが、こうして仕事がない日々を送っていると、どうも物事の受け取り方が捻くれたものになってしまう。海で好き勝手やっていた連中が隠した財宝を、真剣に追っている奴らがいる。そんなあるかどうかも不確かなものを、何で躍起になって探す? おれは、いわゆる一般人という、大勢の中の一人であるがゆえに少数を蔑んだり軽く見たりする奴らの言説は大嫌いだが、それでもこんな気分の時はついそいつらの言葉に乗っかってしまいそうになる。『宝を探すくらいなら、仕事を探せ』というような。
 ま、今のおれが言えた義理じゃないが……。


 ――カラン、カラン。
 玄関のドアに取り付けたベルが鳴ったのは、その時だった。
「あ、お客さんじゃない?」
「らしいな。ほら見ろ、待ってみるもんだろ」
『〝箱の中の猫〟さ。請求書の配達じゃないのかい?』
 たく、一度機嫌を崩すとこれだ。こりゃしばらくこの調子だろう。
 玄関へ向かおうとした時、人影が応接間へ入ってきた。
 意外な客人だった。郵便配達人ではないが、そうそう予期できるような人間でもない。
「――勝手に上がり込んでしまって申し訳ない。こちらはタルボ・リーロイ・コール元軍曹のお宅で間違いないでしょうか?」
「そうだが……あんたは?」


 おれは相手の格好を見ながら、徐々に警戒心を強めていった。相手がいつ、何をしでかしてもいいように、だ。カーキ色のかっちりとした背広に、似たような色のシャツ。ネクタイ。黒い鍔のついた制帽。いくつか飾られた胸の勲章。国は違えど見覚えはある。何故なら、かつてはおれも相手と同じ職業に就いていたからだ。
「サヴィーツァ連邦の軍人さんが一体こんなところに何の用だ?」
 相手の男は、少しばかりおれを観察するように見たあと、改まって言った。
「突然お邪魔して申し訳ない。自分はヴィクトル・オーンスタイン連邦陸軍中尉です。実は折り入ってご相談がありまして……」
「それは探偵としてのおれにか? それとも……」
 おれは自然と言葉を切り、言った。
「元敵国の軍曹としてのおれに用があるのか?」
 自然、声音に剣呑な気配が宿る。おれの過去を知っている奴が訪ねてきたってだけでも気が張り詰めるってのに、ましてやその相手は、かつて戦った国の軍人だというのだ。まったく、ベンと小競り合いしている場合じゃなくなった。


「もちろん、探偵としてのあなたにです。ミスター・コール」
 ヴィクトルは慇懃な調子でそう言うと、手に持った鞄をテーブルに置いて開け、中から封筒を取り出すと慎重な手つきでそれを開封し、中身を取り出した。
 それはひどく日に焼け、出来の悪いウィスキーのような茶色をした古びた一枚の紙だった。四辺はでこぼこして、端々に切れ込みが入っている。文面はひどい殴り書きだったが、文字の乱雑さに反して、行間や文字の並びは定規で測ったみたいに整然としている。
「そいつは……?」
「宝の手がかりです。軍曹殿」
 ヴィクトルは全く変わらない調子で言った。
「……何だって?」
「手がかりです。海賊が残した隠し財宝の」
 慎重な手つきで、ヴィクトルはその古い紙をテーブルの上に広げた。
「ミスター・コール。相談というのはほかでもない。あなたに、宝探しを手伝ってほしいのです」
 おれは、しばらくの間宝の手がかりとやらとヴィクトルの顔を見比べた。ベンジャミンが淹れたコーヒーの匂いがする。バンビの奴は黙ってこの状況を見守っているようだ。おれも、コーヒーがほしくなってきた。手に持った煙草の灰が、ぽとりと床に落ちる。
「はい?」

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