フラワーガールズ 『さよならを言う前に』

安田 景壹

文字の大きさ
上 下
9 / 11

『さよならを言う前に』8・9

しおりを挟む
8

『――網澤タカノに会いました』
 そう言って、彼女は話を切り出した。
『一体、どうして』
『例の、コンクール作品の展示です。今日が終了という事で、作品の発送などに関しての手続きがあったようで、作者の学生が呼ばれていたようなんです。私、ちょっと気になってあの後市役所に行ってみたんですが、そこで小紋さんと、網澤タカノに会ったんです』


 小紋さんから少し離れて、網澤タカノは立っていた。
 当然といえば当然かもしれないが、網澤タカノは奥鐘さんに興味を示さなかった。入り口のほうに立っていた奥鐘さんに一瞥をくれただけだった。
 ただし、その目つきは、決して友好的なものではなかった。
 網澤タカノは小紋さんのほうをなるべく見ないようにしていた。どうしても傍を通る時は、必ずと言っていいほど、嫌そうな顔をした。
 時を同じくして、奇妙な事が起きていた。本来なら市役所へ来なければならないはずの人物が、来る様子がないのだという。電話も通じないらしい。
 その人物とは、無論、山祢カオルだ。


『係員の人が連絡を取っていましたが、その時は、どうなっているのかわかりませんでした』
 そこで一息ついて、奥鐘さんは話を続ける。
『手続きが終わってから、小紋さんと一緒にモールを見に行きました。彼女が今日の話を聞きたがったので、話をしようと思って。で、話が終わってからトイレに寄ったんですが、その時一番奥の個室から、大きな音が聞こえてきたんです』
 女の子の声だったという。
 ――これ以上、何を言えっていうのよ!
 ――いいからそいつの名前を言え!
『誰に私の事を聞いたんだ、確かにそう言いました』
 すぐさま、また大きな音がして、怒鳴り声が応酬した。
 悲鳴が聞こえた。その時点で、奥鐘さんは中へ乗り込もうとした。
 その時だった。扉が開いて、中から人が出て来たのは。


『山祢カオルでした』
 尋常な目つきではなかった。激しい感情に捉われていて、とても話し掛けられるようには見えなかったという。そして何より、奥鐘さんは彼女が手に持っていた物に、思わず怯んだ。
『包丁です。剥き出しの包丁を鞄に仕舞って、彼女は出て行きました』
 一瞬、追うべきかどうか迷ったが、結局奥鐘さんはトイレの個室へと走った。
『中には網澤タカノがいました。最初に言っておきますが、刺されてはいません。山祢カオルの包丁も綺麗なままでした。でも、網澤タカノはひどいパニック状態でした。何を聞いても暴れるばかりで、落ち着かせるのが大変でした』
 ようやく落ち着いた網澤に、奥鐘さんは、自分が山祢の事件の事を知っている事と、どうしてそれを知るに至ったかを説明した。
 そして、つい今ここで何があったのかを、彼女に訊いた。


『山祢はショッピングモールにいた網澤の前に、突然現れたそうです。そのまま、トイレの個室まで連れ込んで、掴みかかってきたと』
 ――事件について知っている事を全て言え。
 ――誰があたしを嵌めたのかを、教えろ。
『少しの間争った末、つい弾みで、網澤は事件の真相を話したそうです』
 山祢はそれだけでは納得しなかった。その真相を網澤の口から皆に説明するように要求したのだそうだ。
 それを、網澤は強く拒んだ。二人はさらに争う事になった。
 争いの最中、さらに山祢が問うた。
 ――一体誰から、あたしがフュージョナーだと聞いたのか?
『山祢が包丁を取り出して、ようやく網澤は暴露した者の名前を言ったそうです』
 そして、それを聞いた山祢はすぐに出て行った。
『網澤を小紋さんに任せて、私はすぐに山祢を追いました。途中、姿を見つけて追いかけたんですが、逃げられてしまって……』
 そこで、私に電話をしてきたのだ。


『部長、とにかく来ていただけませんか。山祢がこのまま大人しくしているとは思えません。刃物を持っているのなら、もっとひどい事態になるかもしれない』
『……もしそうなったら、本当に私達の手には負えないわ』
『実は、従兄弟がナユタ市警に勤めているので、ついさっき連絡したんですが、返信はありません。お願いです、とにかく今は事情を知っている人が必要です』
『わかった。今すぐ行くわ』
『ありがとうございます。では、駅でお待ちしています。ああ、そうだ。最後に一つだけ』
『何?』
 少しだけ間が空いた。ほんの少しだけだ。
『――市役所を出る時、網澤タカノとすれ違ったんですが、その時彼女、こう言ったんです』



 『――脇へ退いてろ、半人ども――』



 バイクは今、中央道を走っている。北駅のシンボルは駅のすぐ横にあるショッピングモールと、そして長い円柱のようなホテルだ。イギリスにある有名ホテルのナユタ支店。
 その、塔のような建物が、遠くのビル群の中に見えてきた。

 須恵入に礼を言って、私は北駅への階段を上る。
 これで欠けていた手がかりは全て揃った。頭で組み立てた推理の、確信も得た。
 あとは山祢を見つけるだけ……。


「部長!」
 多くの人がごった返す北駅の改札前で、奥鐘さんと小紋さんの姿を見つけた。私は急いで、二人に駆け寄る。
「山祢カオルは?」
「まだ見つかっていません。従兄弟も連絡が取れなくて」
「そう。まだこの辺りにいるかはわからないけれど……。そういえば、網澤さんは?」
「さっき、親御さんが迎えに来た」
 口を開いたのは小紋さんだ。
「車に乗ったから、もう大丈夫だと思う」
「そう、ひとまず安心ね」
「部長、さっきの話ですが――」
 奥鐘さんが、そっと口を開く。
 しかし、続きの言葉は出て来なかった。つんざくような悲鳴が、ショッピングモールの広場から聞こえてきた。
「行きましょう」
 二人に言いながら、私は走り出す。
 今夜、この辺りで悲鳴を上げさせるような人物は、一人しかいないだろう。


9


「―――――さようなら」
「山祢さん!!」
 とにかく無我夢中で、わたしは走り出しました。彼女との距離は僅かです。飛びかかるように彼女の体を抑えれば――
「来ないで!」
 裂けるような声で、山祢さんは叫びました。
「来たら死んでやるから。もう生きてる意味ないでしょう? あたしの無実を証明出来ないなら、裏切った人間が平然と生きているなら、あたしはもう死んだほうがいい!」
「馬鹿な事言わないでください!」
 わたしは思わず、怒鳴り返します。


「言ったじゃないですか、傷つけられた人間は幸せにならなくちゃいけないって。傷つくだけの人生なんて、絶対に間違っています。そんなの、理不尽過ぎるじゃないですか!」
 誰が何と言おうと、傷つけられた人間は幸せにならなくちゃいけません。
 だって、だって、そうでないと何も救われない――
「ははは……」
 山祢さんが口元を歪めました。
「あんた、随分甘いんだね。人生なんて、こんなもんだよ。何をしたかどうかなんて関係ない。理不尽な目に遭うか遭わないか。ただの運なんだよ、人生なんて!」
 喉を嗄らすかのような叫び声が夜の空に木霊した、その時――


「人生が運かどうかは知らないけれど――」
 不意に、誰かが静かに、そんな事を言いました。
 いいえ、誰かではありません。ついさっき、ここへ来る前に聞いた声です。
 花のような白い髪。その両側に見える黒い犬耳と、スカートから見える白い尻尾。
 冷たい、湖水のような瞳。
「少なくとも、あなたは今ここで投げ出すべきではないわ。山祢カオルさん」
 冬物らしいジャケットを身に纏い、軽くスカートを翻して、彼女はそこに立っていました。


「忍冬、さん……」
 驚きました。何故忍冬さんが、ここにいるのか。彼女の後に続いて、知らない女の子が二人、こちらへやってきます。
 驚いたのは、わたしだけではないようでした。
「忍冬。何でここに……」
「あれ、忍ちゃん?」
 駒草さんとフェンネルさん、お二人もぽかんとして忍冬さんを見つめています。それに、何故かはわかりませんが、レージとエイリ、彼ら二人も驚いたように彼女を見つめています。


「もう……ホントに、何なの、今日は」
 山祢さんが泣き出しそうな顔をしました。
「死ぬには良くない日、という事でしょう。とにかくそれを下して。余計な騒ぎになるわ」
 忍冬さんがそう言いましたが、山祢さんは彼女を睨みつけたまま、包丁を離しませんでした。
「……そう。じゃあ、そのままでいいわ」
 目を閉じて、小さく息をして、忍冬さんは言いました。それから目を開けて、今度は男の子のほうへと向き直ります。
「遠間レイジ、あなたの相談に決着をつけましょう。必要な手がかりは全て揃ったから」
「え……?」
 男の子は何か聞きたげでしたが、忍冬さんは構わずに話し始めました。


「最初から始めましょう。今回の事件の頭から。
 事の発端は、二年生の生徒の絵具が消えた事から始まった。探してみても人に聞いても見つけられず、結局この日はそれで終わった。
 この時は、まだ事件ではなかった。
 次の日になって、今度は一年生のスケッチブックがなくなった。これも探してみたものの、結局見つける事は出来なかった。
 二日続けて失せ物が続いたけれど、この時もまだ、これらは事件ではなかった」


 忍冬はさんは、そこで一旦息を継ぐと、再び口を開きました。
「さらに次の日、今度は三年生の絵筆がなくなった。と、同時にさらに別の物がなくなった。
最初に絵具を失くした二年生、網澤タカノの財布が消えてしまった。
 ここで、事は事件性を帯びた。
 それまでは美術部員の失せ物で済んでいた話が、金銭が絡んだ事で事件となってしまった。
 そして、真相を知るために部員全員が荷物を検められ、一人の生徒が犯人とされてしまった」


 わたしは、夕刻左目で見た光景を思い出します。
 おぞましい目で山祢さんを見つめる、部員達の姿を。
「決め手になったのは、山祢さんの鞄から全ての失せ物が出て来た事だった。
 でも、ちょっと考えればわかる通り、もし仮に彼女が犯人なら、二日も前に盗んだ物が、いつまでも鞄に入っているのはおかしい。さらに言えば、失せ物は皆全て、彼女の鞄に突っ込まれるような形で入っていた」
「何が言いたいんだよ?」
 声を上げたのは、ギャルっぽい女の子でした。エイリ、という名前の。


「これが事件ならあまりにも出来過ぎているという話よ。絵筆と財布だけが出て来るならともかく、四つの失せ物全てが出て来るなんて、普通に考えればあり得ない。
 そういうわけで、私と奥鐘さんは、この一件が山祢さんの名誉を貶めるべく仕組まれたものだと考えた」
「はあ?」
 突っかかるように女の子は言いますが、忍冬さんは無視します。
「さて、事件が仕組まれたもので、その目的が山祢さんの名誉を貶める事だったとして、誰がそんな事を企んだのか。
条件から考えてみましょう。犯人は四つの失せ物全てを盗める人物で、なおかつ山祢さんの鞄にそれらを入れる事が出来る人物でなければならない。
 部活中の美術部は部員全員が作業をしていて、人の出入りもあった。各部員は作業に没頭していて、人の目を盗むのも容易い状況だった。絵具、スケッチブック、絵筆の三つは、この状況下なら誰にでも手を出せる。


 でも、財布は違う。
 持ち主である網澤タカノは財布を普段から鞄の中に入れていて、人目に付かないようにしていた。犯人が財布を盗むためには、タカノの鞄に近付かなければならなかった。もっと言えば、財布が常にタカノの鞄にある事を知っていなければならなかった」
「いや、そんなの簡単じゃん? 友達とか財布出すとこくらい見てるっしょ?」
「そうかもね。でも、友達が勝手に財布を取り出すのは簡単ではないわ。ましてや、その財布を関係のない人物の鞄に入れるのは、どう考えても不自然よ。金銭目当てならお金は回収出来ないし、嫌がらせが目的なら方法が間違っている」
「いやいや、金抜いて財布だけ入れたのかもしれないじゃん? あんた頭悪いの?」
「本当にお金だけが目的なら、他の三つを盗む理由がない。お金だけでなく他の物も欲しかったのなら、せっかく盗んだ物をわざわざ持ち歩く必然性がない。犯人には必要だったのよ、山祢さんを窃盗犯に仕立て上げるための小道具がね」


 そして、と忍冬さんは言いました。
「四つ全ての物を手にする事が出来、なおかつ山祢さんを貶める理由を持つ人間は一人しかいない」
「……それは?」
 と、聞いたのはフェンネルさんでした。
「――一番目であり四番目の被害者、美術部二年、網澤タカノその人よ」
 忍冬さんは静かにそう言いました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

高校生なのに娘ができちゃった!?

まったりさん
キャラ文芸
不思議な桜が咲く島に住む主人公のもとに、主人公の娘と名乗る妙な女が現われた。その女のせいで主人公の生活はめちゃくちゃ、最初は最悪だったが、段々と主人公の気持ちが変わっていって…!? そうして、紅葉が桜に変わる頃、物語の幕は閉じる。

一夏の性体験

風のように
恋愛
性に興味を持ち始めた頃に訪れた憧れの年上の女性との一夜の経験

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

処理中です...