フラワーガールズ 『さよならを言う前に』

安田 景壹

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『さよならを言う前に』3

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3


 さすが大都市のファミレスなだけあって、広い店内でも人が一杯です。大半はわたし達と同じ学生さんで、だいたいのお客さんは若い方のようです。
「あちらのテーブル席でもよろしいですか?」
 店員さんがそう言って案内したのは、楕円形テーブルを囲む席でした。椅子には背もたれがなく、テーブルも大きめなので席間隔も程良く離れています。
「大丈夫っすよー。どうもー」
 フェンネルさんがお礼を言って、わたし達は奥の席から順に腰掛けました。
 ふむ、さすがナユタ。背中に翅のある駒草さんに配慮しての、この座席です。
「えっとドリンクバー三つと、咲分さん、何にする?」
「ええっと、じゃあ、オムライスにします」


 以前テレビで見た、お洒落な通りの美味しそうなオムライスを思い出しながら、わたしはメニューを指差します。
「コマは?」
「私は定食にしようかなあ。焼き魚定食で」
 おお、渋い。駒草さん、良いチョイスしますね。
「ほーい。じゃあ、押すよー」
 フェンネルさんが呼び出しスイッチを押します。近くにいた店員さんがこちらへと振り返りやって来ます。
「お伺いします」
「えーと、オムライスを一つと焼き魚定食を一つ、それからナポリタンを一つ。あとドリンクバー三つで」
「かしこまりました」
 店員さんが手に持った機械に注文を打ち込み、一礼して去っていきます。


 ふふふ、都会の料理、久し振りなんですよねえ。前に食べたのは小さい頃、友達の家に遊びに行った時に――……
「――ん? 咲分さん、どうかした?」
「あ、いえ。何でもありません」
 ……まあ、昔を思い返すのは止しておきましょう。
「あ、飲み物取って来ますよ」
「え、いいよ! あたしが行くからさ、何がいい?」
「さすがに三つは持てないでしょう? わたしも行きますよ」
 それ以上何か言われる前に、わたしは席を立ちます。
 フェンネルさんが一瞬困ったような顔をしました。


「いいんじゃない、フェンちゃん。じゃあ花桃ちゃん、私はウーロン茶で」
「はーい」
 返事をしつつ、わたしはドリンクバーコーナーへと向かいます。
 さて何にしようかなー。オレンジ、メロン、うーん。ココアって手もあるし……。
「――ちょっと」
 不機嫌そうな声が、唐突に思考を遮りました。
「早くしてくれる?」
 ――何だか、今日はこういうの多いような。そうっと振り返ると、また知らない人がわたしを睨んでいました。今度は女の子です。制服姿の。たぶん、高校生くらい。ギャルっぽいような、それでいて普通の小顔美人なような。


「すみませーん。慣れてなくて」
 余計なトラブルは御免です。ひとまずへこへことしつつ、さっさと飲み物を汲んでしまいましょう。
 ――……ところで、この人どっかで見たような。
「ちっ。フュージョナー」
 小石のような悪態でしたが、わたしの耳にはしっかり届きました。
「……ごめんなさい。今、何て?」
「いいから早くしてよ。急いでんだよ、こっちは!」
「いいえ、聞かせてもらいます。今、何て言ったんです?」
 女の子の顔色が瞬く間に変わりました。
「いいから退けっつってんの! フュージョナーっ!!」


 一瞬にして、お店の中がしんと静まりました。どのお客さんも、わたしと彼女の事を見ているのがわかります。
「……いえ、わたしは」
「エイリ!」
 突然、男の人の声がしました。見ると、近くの席から立ち上がりこちらへ近付いてきます。
 背の高い男の子でした。ちょっと顔立ちは幼い感じもしますが、イケメンです。
 ……いや、わたしはそういうのに興味ないですが。
「どうしたんだ。何やってんだよ、エイリ」
 そう言いながら、男の子は女の子の腕に触れます。
 その途端、
「……ぁああもう、うっさい!」
 彼女の手が素早く動きました。バリン、という音が鳴り響き、彼女が手に持っていたグラスが床の上で破片になります。


 彼女は、そのまま何も言わずに歩き出します。自分と彼との席だったのであろうテーブル席から学生鞄を無造作に掴み取り、そのまま店の外へ出て行ってしまいました。
 何もかもが突然の事でした。フェンネルさんと駒草さんが、ほとんど同時にこちらへやってきます。
「花桃ちゃん、怪我してない?」
「全く、あいつ何なんだいきなり!」
 わたしは彼女達に大丈夫ですと答えながら、頭の中を必死で探していました。どこで見たんだっけ。そんなに前じゃない。昨日か今日。いや今日だ。記憶が曖昧で、はっきりと思い出せません。どこだっけ、そう、確か――
「すみません。連れが迷惑かけちゃって」
 不意に男の子がそう言って、わたしに頭を下げました。


「ああ、いえわたしは別に」
「ちょっと君さ、さっきの子何なわけ? いきなりに人の友達にキレだしてさ」
「フェンちゃん、この人は悪くないよ」
 食ってかかろうとしたフェンネルさんを、駒草さんが諌めます。
 一瞬でしたが、男の子の目がひどく冷たいものになったような気がしました。
「別に、エイリだって悪いわけじゃない。今日は色々あったから、それで疲れていて」
「だからって、人に無茶苦茶言っていいわけじゃないだろ。あいつは彼女に怪我させるとこだったんだぞ」
「グラスは下に投げたんだ! 彼女に投げつけたわけじゃない。エイリは別に人に怪我させるつもりは――」



 『――――何なのよ、あんた!!』



 怒鳴り声が再び聞こえてきたのは、その時でした。店のすぐ外からみたいです。
「エイリ?」
 男の子が驚くような声を上げました。同時に、頭の中で閃くものがありました。
「ごめんなさい、ちょっと!」
 二人が怒鳴り声に振り返るのと同じくして、わたしは出口へ向かって走り出しました。
「え、ちょっと咲分さん!?」
 疑問の声に、今は答える余裕がありません。
 思い出した。彼女は、あの時……。
 ドアを開け、わたしは視線を巡らします。ドアのベルの音が今はひどく耳障りです。彼女は、すぐそこのはず。


「どういうつもりよ!」
 いた。正面、少し先!
 彼女の背中に向かって、わたしは再び駆け出します。その時でした。
「何しに来たのかって聞いてんのよ、山祢!」
 足が、思わず止まりました。
 落ち着いて、わたしは行く先を見ます。
 その姿が見えました。港に着いた時、埠頭の先で海を見つめていた彼女の姿が。
 山祢さんの口が小さく動きました。


「――……あんたがいけないんだ」
「はあ? 何? 何言ってんの?」
 山祢さんがまた何か言います。女の子のほうが何かを喚き立てました。
「あの人は認めたよ。あんたが最初にばらしたって事を。あんたから説明してよ。あたしは何も悪くないって。あんたの口から皆に言ってよ!」
「うるっせええんだよ! 何でここにいんだお前! とっとと消えろよ!」
 周りの人達が何事かと彼女達を見ています。女の子の暴言の中で、山祢さんの手が鞄へと伸びました。
 ――左目がざわっと疼き――
「あんたが言わないんなら、言いたくなるようにしてやる」
 剥き出しの包丁が、山祢さんの手できらりと光っていました。


 誰かの悲鳴が、ナユタ北駅に響き渡ります。
「はあ!? 何でそんなもん持ってるの!? やっぱあんたおかしいよ、フュージョナー!!」
「おかしいのはあんただ。人を裏切っておいて、何でそんなふうに平然としていられるんだ」
 包丁の切っ先が、女の子のほうへと向けられます。
 これ以上は駄目です。
「山祢さん!」
 思わず前に飛び出して、わたしは言いました。彼女がびくりとした顔でわたしを見つめます。
「あんた、また……」
「え、何お前」
 二人の女の子から、同時にあまり好意的ではない反応が返ってきますが、今は構っていられません。


「山祢さん、それを下してください。そんな物を使ってしまったら、もう誰もあなたの事を信じてはくれません」
「うるさい! あたしを信じてくれる人なんてどこにもいないんだよ。だったら、力づくでも自分を守るしかないでしょ!?」
「そんな事をしても自分の事は守れません。ただ、あなたが傷つくだけです」
 ばたばたと乱れた足音が聞こえてきたのは、その時でした。
「エイリ!」
 男の子の声がしました。さっきの背の高い男の子です。それから、あと二人。
「咲分さん!」
「花桃ちゃん、大丈夫!?」
 フェンネルさんと駒草さん、お二人が男の子の後から続いてやってきます。


「レージ!」
 女の子が叫び、男の子の近くに駆け寄ります。
 彼が現れた瞬間、山祢さんの表情がはっきりと変わったのをわたしは見逃しませんでした。
「遠間くん……」
 左目が疼いています。おぼろげだった記憶が、ようやくはっきりします。
 夕暮れに読み取った山祢さんの記憶。その中にいた、二人の男女。
 彼らです。
「山祢?」
 遠間、と呼ばれた男の子は、一瞬驚いたような顔をしたものの、女の子に向けられた包丁を見て、すぐに表情を変えました。
 自然と、女の子を庇うように、彼は前に出ます。


「遠間くん。あの、あたし……」
 山祢さんの態度が、すっかり今までと変わっています。包丁を持つ手は微かに震え、まるで縋るように彼を見ています。
「遠間くん、あのね、あたしね……」
「何やってんだよ、山祢!」
 間髪入れずに、遠間くんが怒鳴りつけました。
「俺もエイリも、お前の事信じていたのに、どうしてそんな事するんだよ!?」
 彼の怒声が、山祢さんの表情をまたしても変えました。
 虚を突かれる。その表現がまさに当てはまるような、そんな顔に。
「え……遠間くん……」
「そいつを下せ、山祢。いくらお前でも、エイリを傷つけるなら許さない」
「待って、違う。違うよ、遠間くん……」
「お前、本当にどうしちゃったんだよ。中学の時まではそんなんじゃなかっただろう。一体何があったんだよ」
「待って、待ってってば」


 嫌な予感が、わたしの中で渦巻き出します。仕掛けられた罠のスイッチが、目の前で次々と押されているような感覚。何か、良くない何かが、この先に待っているような。
「回帰症だか何だか知らないけど、人を傷つけていいわけないだろう!」
 ――鋭く尖った言葉の槍が、山祢さんの胸に深々と突き刺さるのがわかりました。
「――フェンちゃん!」
 鈍い音と共に、突然彼の体が飛んで、ショッピングモールの、広場の地面に転がりました。彼の胸倉を、すかさずフェンネルさんが掴み上げます。
「おい、てめえ!」
 エイリと呼ばれた女の子が汚らしく叫びました。それに構わず、フェンネルさんが遠間の顔を刃物のような目で見つめています。
「……ふざけるなよ、あんた」
「なに、するんだ……」
 彼の頬が赤く腫れあがっています。フェンネルさんは何も言わないまま、黙って彼を睨み付けています。


「――……もう、いいや」
 小さく、誰かが呟きました。
 きらりと、何かが視界の端で光ります。
 わたしは、彼女のほうへと振り返ります。
「信じて貰えるって期待して、助けてくれるって思って……」
 彼女の目は、まるで、もう何も映していないようでした。泣いているような顔でしたが、涙は一粒も流れてはいません。
 ただ、光を失ったような黒い瞳が、虚空を見つめています。


「山祢さん」
 わたしは、慎重に言葉をかけます。
 こういう場合に、相手を刺激するのはまずいでしょう。
「それを下してください」
 彼女の首筋に当てられた、鈍く光る包丁を注視しながら、わたしは言います。
 ですが、もう、わたしの言葉は届いていないかのようです。
「もういい、もういいの――」
 彼女がうっすらと笑みを浮かべました。
 まるで、この世の何もかもから、手を離したような顔で。
「―――――さようなら」
「山祢さん!!」
 とにかく無我夢中で、わたしは走り出しました。
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