72 / 100
第四章
ハサミ女 11
しおりを挟む
解放されたのは昼時だった。夢の中での特訓だったはずなのに、体はすでにバキバキだ。
「死ぬかと思った……」
「死なないよ。夢だもの。まあ、夢の中に侵入してくる我留羅や怪異もいるけど」
「めちゃくちゃ怖かった! 最悪だ。夢に出そうだ……」
「初期の訓練には、あの形式が一番手っ取り早いんだよ。勝つまでやらせるのがさ。いいじゃない、夢なんだから」
「何て巫女さんだ。怪異を操っている」
「シミュレーションだよ。それに、巫女さんである前に退魔屋だもの。魔に打ち勝つのが仕事なの」
とんでもないな。煌津は自分のベッドに座る。ベッドテーブルの上にはすでに昼食の用意があった。
「じゃあ、状況を説明する」
ロールパンをちぎりながら、那美は言った。
バゲットに二人分のロールパンが山盛りになっていて、それぞれのトレイに昼食が並んでいる。入院患者にしてはすごい食事量だ。
「お昼のあとじゃ駄目? 少し休みたいんだけど……」
「私も休んでほしいけど、残念ながら時間がなくて」
そう言って、那美はちぎったロールパンの破片を食べる。
「義兄さんがいなくなってからしばらくの間、この街の我留羅は鳴りを潜めていた。私一人でも何とかなる程度にはね。でも、ひと月ほど前から、大きめの我留羅による事件が発生するようになった。穂結君も見た、あのでかい顔……元は、《落ちる》ってコードネームの小さな地縛霊だった奴ね。あの混合型くらいレベルの我留羅が三体、立て続けに事件を起こしていた。全て祓ったけど、急に我留羅が活発化した原因がわからなくて、私はそれを探っていた」
ちぎったロールパンを口に入れ、オムレツをフォークで切り取る。
「あの駅前の事件」
那美の目が煌津を見る。
「捩じられた女の人の?」
「そう。あれも我留羅の仕業。残っていた穢れの質から考えて、あれをやったのも大物で間違いないと思う。でも、まだ見つけられていない。それどころか、ハサミ女が出てきてしまった」
那美は手に残ったロールパンを半分に割った。
「その……ハサミ女って」
那美は鞄の中から、古い新聞を取り出した。S県の地方紙だ。相当年季が入っている。日付を見ると、十年前の八月三十一日の新聞だった。
「十年前。宮瑠璃市は、ある我留羅に脅かされていた。死者二十一名、行方不明者六十五名、生還者十三名。皆一様に大きな刃物によって傷がつけられ、殺された。宮瑠璃市を呪うためだけに現れたような我留羅。それが、ハサミ女だよ」
煌津は新聞を見た。一面には宮瑠璃市の事件について書かれている。見出しには『宮瑠璃市、行方不明者続く』とある。
「千恵里ちゃんも、この時に……?」
那美は黙って頷いた。
「襲われた人に共通点はない。無差別に、無慈悲に、ただ淡々と殺すだけ殺した」
「一体何でそんな怪物が、いきなり宮瑠璃市に現れたんだ?」
「さあね。一説には、誰かが《闇霧の世界》から呼び出したんじゃないかって言われている。原因は今もわからない。お義父さんも調べてはいたようだけど……」
「……何の世界だって?」
「ダークミスト」
那美の指が瞬時に動き、空中に桜色の魔力の線で『闇霧』という文字が描かれた。
「異界の一つにして、悪しき者の根源。この世界が地球に影響し、我留羅や怪異が出現する。古い資料によれば、どこまでも続く暗闇と霧の世界と言われている。『闇霧の世界』とも言うね」
「……暗闇なのに霧が見えるの?」
「見えるらしいよ。闇霧の世界では肉体の機能ではなく、魂によって物事を見るから。剥き出しの霊魂の世界。ハサミ女レベルの怪物だと、おそらくここからやって来ている」
「そんな化け物とどうやって戦うんだ」
「十年前は数で戦った。私のお義父さん、お義母さん、義兄さん、ほかの街の退魔屋や、流れの術師たちと」
「九宇時も? だって……まだ当時は六歳くらいじゃ」
「宮瑠璃の魔力を得ているからね。この街で戦う限りは、たとえ六歳の子どもであっても強い」
那美は水を飲んで、一呼吸置いた。
「死ぬかと思った……」
「死なないよ。夢だもの。まあ、夢の中に侵入してくる我留羅や怪異もいるけど」
「めちゃくちゃ怖かった! 最悪だ。夢に出そうだ……」
「初期の訓練には、あの形式が一番手っ取り早いんだよ。勝つまでやらせるのがさ。いいじゃない、夢なんだから」
「何て巫女さんだ。怪異を操っている」
「シミュレーションだよ。それに、巫女さんである前に退魔屋だもの。魔に打ち勝つのが仕事なの」
とんでもないな。煌津は自分のベッドに座る。ベッドテーブルの上にはすでに昼食の用意があった。
「じゃあ、状況を説明する」
ロールパンをちぎりながら、那美は言った。
バゲットに二人分のロールパンが山盛りになっていて、それぞれのトレイに昼食が並んでいる。入院患者にしてはすごい食事量だ。
「お昼のあとじゃ駄目? 少し休みたいんだけど……」
「私も休んでほしいけど、残念ながら時間がなくて」
そう言って、那美はちぎったロールパンの破片を食べる。
「義兄さんがいなくなってからしばらくの間、この街の我留羅は鳴りを潜めていた。私一人でも何とかなる程度にはね。でも、ひと月ほど前から、大きめの我留羅による事件が発生するようになった。穂結君も見た、あのでかい顔……元は、《落ちる》ってコードネームの小さな地縛霊だった奴ね。あの混合型くらいレベルの我留羅が三体、立て続けに事件を起こしていた。全て祓ったけど、急に我留羅が活発化した原因がわからなくて、私はそれを探っていた」
ちぎったロールパンを口に入れ、オムレツをフォークで切り取る。
「あの駅前の事件」
那美の目が煌津を見る。
「捩じられた女の人の?」
「そう。あれも我留羅の仕業。残っていた穢れの質から考えて、あれをやったのも大物で間違いないと思う。でも、まだ見つけられていない。それどころか、ハサミ女が出てきてしまった」
那美は手に残ったロールパンを半分に割った。
「その……ハサミ女って」
那美は鞄の中から、古い新聞を取り出した。S県の地方紙だ。相当年季が入っている。日付を見ると、十年前の八月三十一日の新聞だった。
「十年前。宮瑠璃市は、ある我留羅に脅かされていた。死者二十一名、行方不明者六十五名、生還者十三名。皆一様に大きな刃物によって傷がつけられ、殺された。宮瑠璃市を呪うためだけに現れたような我留羅。それが、ハサミ女だよ」
煌津は新聞を見た。一面には宮瑠璃市の事件について書かれている。見出しには『宮瑠璃市、行方不明者続く』とある。
「千恵里ちゃんも、この時に……?」
那美は黙って頷いた。
「襲われた人に共通点はない。無差別に、無慈悲に、ただ淡々と殺すだけ殺した」
「一体何でそんな怪物が、いきなり宮瑠璃市に現れたんだ?」
「さあね。一説には、誰かが《闇霧の世界》から呼び出したんじゃないかって言われている。原因は今もわからない。お義父さんも調べてはいたようだけど……」
「……何の世界だって?」
「ダークミスト」
那美の指が瞬時に動き、空中に桜色の魔力の線で『闇霧』という文字が描かれた。
「異界の一つにして、悪しき者の根源。この世界が地球に影響し、我留羅や怪異が出現する。古い資料によれば、どこまでも続く暗闇と霧の世界と言われている。『闇霧の世界』とも言うね」
「……暗闇なのに霧が見えるの?」
「見えるらしいよ。闇霧の世界では肉体の機能ではなく、魂によって物事を見るから。剥き出しの霊魂の世界。ハサミ女レベルの怪物だと、おそらくここからやって来ている」
「そんな化け物とどうやって戦うんだ」
「十年前は数で戦った。私のお義父さん、お義母さん、義兄さん、ほかの街の退魔屋や、流れの術師たちと」
「九宇時も? だって……まだ当時は六歳くらいじゃ」
「宮瑠璃の魔力を得ているからね。この街で戦う限りは、たとえ六歳の子どもであっても強い」
那美は水を飲んで、一呼吸置いた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R18】僕の筆おろし日記(高校生の僕は親友の家で彼の母親と倫ならぬ禁断の行為を…初体験の相手は美しい人妻だった)
幻田恋人
恋愛
夏休みも終盤に入って、僕は親友の家で一緒に宿題をする事になった。
でも、その家には僕が以前から大人の女性として憧れていた親友の母親で、とても魅力的な人妻の小百合がいた。
親友のいない家の中で僕と小百合の二人だけの時間が始まる。
童貞の僕は小百合の美しさに圧倒され、次第に彼女との濃厚な大人の関係に陥っていく。
許されるはずのない、男子高校生の僕と親友の母親との倫を外れた禁断の愛欲の行為が親友の家で展開されていく…
僕はもう我慢の限界を超えてしまった… 早く小百合さんの中に…
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる