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第一章
カンナギ・ガンスリンガー 5
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「……助けて」
誰かが、耳元で、囁くように言う。
駄目だ。すでに、傍にいるのか……。
「助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて」
やめろ。俺に近付かないでくれ。俺は何でもない。何も出来ない。
九宇時とは違う。
――りぃん。りぃん。
唐突に、意識に割って入るように、鈴の音が聞こえた気がした。
煌津から二人分ほど離れたところに、同じ学校の制服を着た女子生徒がいた。濃紺のブレザー。背丈もそう変わらない。目立つのは、その髪だ。短く切り揃えられたその髪は、白に近い銀。
――りぃん。りぃん。
「う……」
まただ。
その子が手に持っている鞄に鈴は付いていない。今の音は一体何だ。鈴の音はもう聞こえない。音源は全く別のところにあるのか。いや、確かに、彼女のほうから音は聞こえたと思う。
囁き声がもう聞こえていない事に、煌津は気付いていなかった。
女子生徒はじっと睨むように人だかりを見ていた。もしあんな目で見られたら、ちょっと怯んでしまうだろうと思うくらい、鋭い視線だった。
「……前にもあったよね。こういうの」
「子どもの時でしょ。バラバラにされた奴……」
ひそひそと誰かが話しているのが聞こえる。りぃん。りぃん。りぃん。鈴の音がさっきよりも近くで聞こえる。女子生徒の銀がかった白い髪が、何だか今は薄桃色に染まっているように見える。彼女の目じりがきつくなる。もの凄い苛ついたような顔。
不安が膨れ上がってくる。
「伊瑠々川に捨てられていたんでしょ」「あの時と同じだよ」「五人死んだんだっけ」「いや、もっと……」「花壇から腕が生えてたとか」「あの頃から景気悪くなったから」――呪――「テレビの連中がずっと街の中にいたよ」「オレ、インタビュー受けたんだよ!」――呪――「普通の事じゃないよ、こんなの」「脳味噌とか、その辺にあんじゃないの?」「ハサミ女だよ」「帰って来た。また、こういうのが……」呪呪呪。
まるでヘッドホンで聞いているかのように人混みのざわめきが大きくなっていく。暗い感情がひりつくような心地よさで胸の裡を毒していく。呪。勝手に脳へと受信される他者の不安と好奇心。視界が、少しずつ赤色に染まっていく。呪。赤いシート越しに見ているかのような、真っ赤に染まった人混み。自分も『いい』のではないかと思う。「あの女」この世は所詮理不尽な事の詰め合わせである。だからこの駅前で、今朝、どうやら誰かが何かしらの害意を他人にぶつけたのと同じように、自分もまた、誰かに害意をぶつけてもいいのではないだろうか。呪。たとえば、あの母親。娘を助けてやったというのにあの態度。「あの野郎」許されるものではない。呪呪。それに、今朝は後ろからぶつかられた。相手からは謝罪の一言もない。あの母親とぶつかってきた奴を見けだし、自分が受けた被害よりも、少し強い――
「ねえ」
りぃん、と。今度こそはっきりと、目の前から鈴の音が聞こえ、
「これ、落としてたよ」
そう言って、あの銀髪の女子生徒が、二つ折の定期入れを煌津の目の前に出していた。
近くで見ると、肌も白い。つい今の今まで蝕まれるようだった暗い感情を、煌津はもう忘れていた。
「あ……俺の」
「気を付けなよ、穂結煌津君」
そう言われたと悟った時には、女子生徒の後ろ姿が煌津から離れていくのが見えた。腕時計を見ると、もう八時だ。
「やば」
急いだほうがいいだろう。
走り出そうとしたところで、スマホが震える。MMAのトーク受信のバイブレーション。画面を見ると母からだった。『急な仕事で遅くなりそうだから、夕飯は食べておいて』。父は今日、職場で泊りだ。『わかった』と打ち返す。母から『よろしく』というスタンプ。
帰宅時間に自由が利きそうだ。今の学校では部活もやっていない。なら放課後、九宇時那岐の実家に寄ってしまうのが良いかもしれない。
……そういえば。
「何で知っているんだ」
名前。彼女とは今日初めて喋ったのに。
いや、そうか。定期券だ。そう思って、煌津は渡された定期入れを開く。
「む……」
定期入れの内側には、マジックか何かで殴り書きされたような言葉が二つ。何とか判読できる。
『吐菩加美依身多女』
それから。
『落とすな』
誰かが、耳元で、囁くように言う。
駄目だ。すでに、傍にいるのか……。
「助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて」
やめろ。俺に近付かないでくれ。俺は何でもない。何も出来ない。
九宇時とは違う。
――りぃん。りぃん。
唐突に、意識に割って入るように、鈴の音が聞こえた気がした。
煌津から二人分ほど離れたところに、同じ学校の制服を着た女子生徒がいた。濃紺のブレザー。背丈もそう変わらない。目立つのは、その髪だ。短く切り揃えられたその髪は、白に近い銀。
――りぃん。りぃん。
「う……」
まただ。
その子が手に持っている鞄に鈴は付いていない。今の音は一体何だ。鈴の音はもう聞こえない。音源は全く別のところにあるのか。いや、確かに、彼女のほうから音は聞こえたと思う。
囁き声がもう聞こえていない事に、煌津は気付いていなかった。
女子生徒はじっと睨むように人だかりを見ていた。もしあんな目で見られたら、ちょっと怯んでしまうだろうと思うくらい、鋭い視線だった。
「……前にもあったよね。こういうの」
「子どもの時でしょ。バラバラにされた奴……」
ひそひそと誰かが話しているのが聞こえる。りぃん。りぃん。りぃん。鈴の音がさっきよりも近くで聞こえる。女子生徒の銀がかった白い髪が、何だか今は薄桃色に染まっているように見える。彼女の目じりがきつくなる。もの凄い苛ついたような顔。
不安が膨れ上がってくる。
「伊瑠々川に捨てられていたんでしょ」「あの時と同じだよ」「五人死んだんだっけ」「いや、もっと……」「花壇から腕が生えてたとか」「あの頃から景気悪くなったから」――呪――「テレビの連中がずっと街の中にいたよ」「オレ、インタビュー受けたんだよ!」――呪――「普通の事じゃないよ、こんなの」「脳味噌とか、その辺にあんじゃないの?」「ハサミ女だよ」「帰って来た。また、こういうのが……」呪呪呪。
まるでヘッドホンで聞いているかのように人混みのざわめきが大きくなっていく。暗い感情がひりつくような心地よさで胸の裡を毒していく。呪。勝手に脳へと受信される他者の不安と好奇心。視界が、少しずつ赤色に染まっていく。呪。赤いシート越しに見ているかのような、真っ赤に染まった人混み。自分も『いい』のではないかと思う。「あの女」この世は所詮理不尽な事の詰め合わせである。だからこの駅前で、今朝、どうやら誰かが何かしらの害意を他人にぶつけたのと同じように、自分もまた、誰かに害意をぶつけてもいいのではないだろうか。呪。たとえば、あの母親。娘を助けてやったというのにあの態度。「あの野郎」許されるものではない。呪呪。それに、今朝は後ろからぶつかられた。相手からは謝罪の一言もない。あの母親とぶつかってきた奴を見けだし、自分が受けた被害よりも、少し強い――
「ねえ」
りぃん、と。今度こそはっきりと、目の前から鈴の音が聞こえ、
「これ、落としてたよ」
そう言って、あの銀髪の女子生徒が、二つ折の定期入れを煌津の目の前に出していた。
近くで見ると、肌も白い。つい今の今まで蝕まれるようだった暗い感情を、煌津はもう忘れていた。
「あ……俺の」
「気を付けなよ、穂結煌津君」
そう言われたと悟った時には、女子生徒の後ろ姿が煌津から離れていくのが見えた。腕時計を見ると、もう八時だ。
「やば」
急いだほうがいいだろう。
走り出そうとしたところで、スマホが震える。MMAのトーク受信のバイブレーション。画面を見ると母からだった。『急な仕事で遅くなりそうだから、夕飯は食べておいて』。父は今日、職場で泊りだ。『わかった』と打ち返す。母から『よろしく』というスタンプ。
帰宅時間に自由が利きそうだ。今の学校では部活もやっていない。なら放課後、九宇時那岐の実家に寄ってしまうのが良いかもしれない。
……そういえば。
「何で知っているんだ」
名前。彼女とは今日初めて喋ったのに。
いや、そうか。定期券だ。そう思って、煌津は渡された定期入れを開く。
「む……」
定期入れの内側には、マジックか何かで殴り書きされたような言葉が二つ。何とか判読できる。
『吐菩加美依身多女』
それから。
『落とすな』
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