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13.安珍清姫伝説とはどこから生まれたのか?
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それはそれとして、なぜ清姫は大蛇へと姿を変えてしまったのだろうか? いったいこれはなにを意味するのか? もっとも道成寺所蔵の道成寺縁起に描かれている絵では、大蛇というより邪悪な龍と言った方が正しい気もするが……。
じつはこの悲恋伝説には後日談がある。
死んだ二人の霊魂は、道成寺の住職の夢枕に立ち、供養を頼むくだりがあるのだ。
そこで住職は法華経を唱え、その功徳によって二人はようやく成仏する。
ふたたび二人は礼を言いに夢に現れるのだった。
安珍たちは口をそろえてこう言う。――自身は熊野権現の化身であり、清姫は観世音菩薩のそれであったと。その後、法華経のありがたさを称えて物語は幕を閉じる。
世間に広く知れ渡っている部分も、道成寺の釣り鐘ごと焼き殺された安珍と、あとを追うように入水自殺する清姫が、悲劇的にクローズアップされるだけで、この二人こそ神仏の化身であったというオチはあまり知られていない。法華経のありがたさを称える部分といい、いささか蛇足な(蛇だけに)印象が否めない。後付けしたエピソードにも思える。
ちなみに熊野権現とは、熊野の地に住まう神々を指す。
正確には熊野三山の祭神である神々をいい、とくに主祭神である家津美御子(スサノオノミコト)・速玉(イザナギノミコト)・牟須美(イザナミノミコト)のみを指して熊野三所権現とされている。熊野三所権現以外の神々も含めて熊野十二所権現ともいう。
熊野といえば神仏習合の発祥の地。
神仏習合とは、日本固有の神道と外来の仏教信仰とを融合・調和するために唱えられた教説である。
その教えに則るところによれば、熊野権現の三神であるイザナミは、なんと千手観音菩薩と同一視され、アマテラスオオミカミは十一面観音菩薩(のちに大日如来)と同義とされている。スサノオは阿弥陀如来、イザナギに至っては薬師如来と割り当てられたのだ。
安珍清姫をいまに伝える道成寺の本尊には、まさに千手観音が祀られている。
これはイザナミを意味し、そのまま清姫に当てはめることができるのではないか。道成寺の住職の夢枕に現れたとき、安珍は熊野権現、清姫は観音菩薩の化身だと言ったので、そう考えるのが自然であろう。
とするならば、熊野権現の化身である安珍はと言うと――。
熊野には十二の神が祀られており、当然のことながらイザナギノミコトも含まれている。すなわち安珍はイザナギの化身だとも言いきることができるのだ。
イザナギとイザナミと来れば、国産みの話を避けて通ることはできない。
妻、イザナミは数多くの神を産むが、最後に生まれた火の神カグツチ自身の炎によって、陰部を火傷し命を落とす。こうしてイザナミは黄泉の国へ旅立ってしまう。
イザナギは妻と会いたいがために、黄泉へ行くべく黄泉平坂を進む。かつて、神の国では生と死の世界は地続きだったのだ。
やがて妻が眠っている玄室のまえに着いた。扉の向こうに問いかける夫、イザナギ。
妻に見るなと言われた部屋をのぞいてしまうと、そこには――。
イザナミは見るも無残な姿をしていた。身体じゅうウジをまとわりつかせ、腐乱した状態だったのだ。
あまりの汚らわしさに息を飲む夫。
醜い姿を見られ、恥をかいたと激怒したイザナミだった。黄泉の国の化け物を総動員させ、イザナギを追いかける。
どうにかイザナギは命からがら逃げきり、黄泉平坂の境に大岩で道をふさぎ、妻との永遠の別れを告げるのだった……。
おたがいの話の細かな筋こそちがえど、骨格はほぼ同じである。
二つの物語に共通するのは、かつては愛し合った仲であるにもかかわらず、女は男に辱められたと感じ、負の感情をもって追跡するのだ。しかも醜い姿に化けている部分までよく似ている。
したがって安珍清姫のそれとは、日本神話の国産み物語を下敷きにし、アレンジした伝説と言っても過言ではあるまい。誰が創作したかは不明だが……。
ちなみに古事記では、イザナミが埋葬された土地は出雲であり、生と死の境である黄泉平坂は出雲国の伊賦夜坂であるとされている。
日本書紀によると、黄泉の国は『根の国』となっており、イザナミの御陵は三重県熊野市有馬の花の窟(花の窟神社)だとしている(平成十六年年七月、花の窟を含む『紀伊山地の霊場と参詣道』が世界遺産に登録)。
熊野は根の国と同義であった。かつて熊野も出雲と並び、黄泉の国に近い地域とされていたのだ。
したがって、熊野地方を清姫に追われ、逃げまわった安珍はイザナギのイメージと重なるわけだ。
ただし結末はイザナギが逃げおおせたのに、安珍は追いつめられ命を落とすのが対照的である。せめて独自性を出そうとしたのかもしれない。
では、なぜ清姫は大蛇(あるいは龍)に姿を変えたのか?
安珍清姫伝説といえば、切っても切れない『日高川』というキーワードがある。
この伝説にかぎらず、古来より日本では河川や湖沼、あるいは滝に、大蛇や龍伝説がつきまとった。日本各地には関連した話が枚挙に暇がないほど、いくらでも見つかるのだ。
かつて民俗社会で暮らす人々は、川が氾濫して流域に被害をもたらす様子から、あたかも大蛇が暴れまわっていると想像した。
土石流となって蛇行する暴れ川は、まさしく人をも丸飲みにする大蛇や龍に見えたことだろう。
日本における龍は、もともと中国から伝えられた龍神のことを指し、土着の大蛇伝説と混じりあい結びつき、バリエーションの多い伝説へと伝播していった。やはり龍の伝承も川や滝などの水辺にまつわる話が多い。
ふだんは人々に恵みを与えてくれる、生活にはなくてはならない川。
だが、ときおり怒り狂ったかのごとく災いをもたらした。
恵みと災い。慈しみと憎しみ――その両義性。この要素を併せ持つ日高川こそが大蛇の正体であり、清姫の性格にも表れているではないか。つまり、イザナミ=清姫=大蛇=日高川にまで飛躍させることができるのだ。
それは由海の性格にも同じことが言えた。……いや、由海にかぎらず、人間誰しもそんな両義性を大なり小なりそなえているものではないだろうか?
他にもこんな諸説がある――。
そもそもイザナギとイザナミの日本神話の人類開闢はどこから来たのか?
じつはインドのヒンドゥー教の蛇信仰から伝播したのではないかと言われているのだ。
上半身が人間で、下半身が蛇の姿をしたオスの神を『ナーガ』、メスの神を『ナーギィ』と呼んだ。蛇神は交合することでエネルギーを発生させ、生命を作り出し、さらに不老不死の象徴として、古代から現代に至るまで、ヒンドゥー教における、なくてはならない要素として役割を担ってきた。
ナーガとナーギィは中国大陸にまで伝わり、中国神話のアダムとイヴである伏羲・女カへとアレンジされるほどである。
メスの神のナーギィ。この言葉こそインドでは川を意味している。
それこそ蛇のごとく蛇行しながら大地を下る様子から、こう名が冠されたにちがいない。
日本にもナーガが伝えられた名残りがあるという。
蛇の古語は『カガ』『カカ』などが知られる。他方、『ナガ』『ナギ』も一部に存在し、そこから『ナダ』『ニギ』に転訛されたらしいのだ。
『長い』という言葉も、おそらく『ナガ』から派生したものだと考えられる。
これらの蛇を意味する言葉は、日本神話のなかにも散見される。例えば、ナガスネヒコやオキナガタラシヒメ(神功皇后)といった、伝説上の人物の祖先も蛇であったのかもしれない。
極めつけはイザナギとイザナミであろう。
我が国の国産みの神は、伏羲と女カ、さらにはナーガとナーギィに共通する性質をそろえているのは言うまでもない。
民俗学の権威、柳田国男などがかかげた説によると、蛇と類似する動物は総じて『ナギ』と名付けられているという。たしかに現在も『ウナギ』や『アナゴ』などに、その片鱗が見られる。
このように、イザナギとイザナミのモデルがナーガとナーギィであるとするならば、古代日本もかつては蛇を崇めてきた時代があったのだ。ただし、いつごろインドから伝播したのか、時代までは不明である。
余談だが、清姫が変化した大蛇はなぜ炎を吐くことができ、釣り鐘に浴びせても自身の蛇体を焼くことはなかったのか?
神道の神イザナミは、熊野権現においては、『牟須美神』と同一視されたと述べた。この『牟須美』は、別名『奇火』とも表現され、すなわち火の神ではないかと言及されているのだ。
なるほど、カグツチに比肩し得る火の神ならば、火炎を吐くのも道理。
よってイザナミの分身である清姫だったら、なんらふしぎではないということだ。
このように釣り鐘に巻きつき、安珍を蒸し焼きにしながら、自身が火傷しないのは火の神ゆえの耐久力があるからだとわかる。
じつはこの悲恋伝説には後日談がある。
死んだ二人の霊魂は、道成寺の住職の夢枕に立ち、供養を頼むくだりがあるのだ。
そこで住職は法華経を唱え、その功徳によって二人はようやく成仏する。
ふたたび二人は礼を言いに夢に現れるのだった。
安珍たちは口をそろえてこう言う。――自身は熊野権現の化身であり、清姫は観世音菩薩のそれであったと。その後、法華経のありがたさを称えて物語は幕を閉じる。
世間に広く知れ渡っている部分も、道成寺の釣り鐘ごと焼き殺された安珍と、あとを追うように入水自殺する清姫が、悲劇的にクローズアップされるだけで、この二人こそ神仏の化身であったというオチはあまり知られていない。法華経のありがたさを称える部分といい、いささか蛇足な(蛇だけに)印象が否めない。後付けしたエピソードにも思える。
ちなみに熊野権現とは、熊野の地に住まう神々を指す。
正確には熊野三山の祭神である神々をいい、とくに主祭神である家津美御子(スサノオノミコト)・速玉(イザナギノミコト)・牟須美(イザナミノミコト)のみを指して熊野三所権現とされている。熊野三所権現以外の神々も含めて熊野十二所権現ともいう。
熊野といえば神仏習合の発祥の地。
神仏習合とは、日本固有の神道と外来の仏教信仰とを融合・調和するために唱えられた教説である。
その教えに則るところによれば、熊野権現の三神であるイザナミは、なんと千手観音菩薩と同一視され、アマテラスオオミカミは十一面観音菩薩(のちに大日如来)と同義とされている。スサノオは阿弥陀如来、イザナギに至っては薬師如来と割り当てられたのだ。
安珍清姫をいまに伝える道成寺の本尊には、まさに千手観音が祀られている。
これはイザナミを意味し、そのまま清姫に当てはめることができるのではないか。道成寺の住職の夢枕に現れたとき、安珍は熊野権現、清姫は観音菩薩の化身だと言ったので、そう考えるのが自然であろう。
とするならば、熊野権現の化身である安珍はと言うと――。
熊野には十二の神が祀られており、当然のことながらイザナギノミコトも含まれている。すなわち安珍はイザナギの化身だとも言いきることができるのだ。
イザナギとイザナミと来れば、国産みの話を避けて通ることはできない。
妻、イザナミは数多くの神を産むが、最後に生まれた火の神カグツチ自身の炎によって、陰部を火傷し命を落とす。こうしてイザナミは黄泉の国へ旅立ってしまう。
イザナギは妻と会いたいがために、黄泉へ行くべく黄泉平坂を進む。かつて、神の国では生と死の世界は地続きだったのだ。
やがて妻が眠っている玄室のまえに着いた。扉の向こうに問いかける夫、イザナギ。
妻に見るなと言われた部屋をのぞいてしまうと、そこには――。
イザナミは見るも無残な姿をしていた。身体じゅうウジをまとわりつかせ、腐乱した状態だったのだ。
あまりの汚らわしさに息を飲む夫。
醜い姿を見られ、恥をかいたと激怒したイザナミだった。黄泉の国の化け物を総動員させ、イザナギを追いかける。
どうにかイザナギは命からがら逃げきり、黄泉平坂の境に大岩で道をふさぎ、妻との永遠の別れを告げるのだった……。
おたがいの話の細かな筋こそちがえど、骨格はほぼ同じである。
二つの物語に共通するのは、かつては愛し合った仲であるにもかかわらず、女は男に辱められたと感じ、負の感情をもって追跡するのだ。しかも醜い姿に化けている部分までよく似ている。
したがって安珍清姫のそれとは、日本神話の国産み物語を下敷きにし、アレンジした伝説と言っても過言ではあるまい。誰が創作したかは不明だが……。
ちなみに古事記では、イザナミが埋葬された土地は出雲であり、生と死の境である黄泉平坂は出雲国の伊賦夜坂であるとされている。
日本書紀によると、黄泉の国は『根の国』となっており、イザナミの御陵は三重県熊野市有馬の花の窟(花の窟神社)だとしている(平成十六年年七月、花の窟を含む『紀伊山地の霊場と参詣道』が世界遺産に登録)。
熊野は根の国と同義であった。かつて熊野も出雲と並び、黄泉の国に近い地域とされていたのだ。
したがって、熊野地方を清姫に追われ、逃げまわった安珍はイザナギのイメージと重なるわけだ。
ただし結末はイザナギが逃げおおせたのに、安珍は追いつめられ命を落とすのが対照的である。せめて独自性を出そうとしたのかもしれない。
では、なぜ清姫は大蛇(あるいは龍)に姿を変えたのか?
安珍清姫伝説といえば、切っても切れない『日高川』というキーワードがある。
この伝説にかぎらず、古来より日本では河川や湖沼、あるいは滝に、大蛇や龍伝説がつきまとった。日本各地には関連した話が枚挙に暇がないほど、いくらでも見つかるのだ。
かつて民俗社会で暮らす人々は、川が氾濫して流域に被害をもたらす様子から、あたかも大蛇が暴れまわっていると想像した。
土石流となって蛇行する暴れ川は、まさしく人をも丸飲みにする大蛇や龍に見えたことだろう。
日本における龍は、もともと中国から伝えられた龍神のことを指し、土着の大蛇伝説と混じりあい結びつき、バリエーションの多い伝説へと伝播していった。やはり龍の伝承も川や滝などの水辺にまつわる話が多い。
ふだんは人々に恵みを与えてくれる、生活にはなくてはならない川。
だが、ときおり怒り狂ったかのごとく災いをもたらした。
恵みと災い。慈しみと憎しみ――その両義性。この要素を併せ持つ日高川こそが大蛇の正体であり、清姫の性格にも表れているではないか。つまり、イザナミ=清姫=大蛇=日高川にまで飛躍させることができるのだ。
それは由海の性格にも同じことが言えた。……いや、由海にかぎらず、人間誰しもそんな両義性を大なり小なりそなえているものではないだろうか?
他にもこんな諸説がある――。
そもそもイザナギとイザナミの日本神話の人類開闢はどこから来たのか?
じつはインドのヒンドゥー教の蛇信仰から伝播したのではないかと言われているのだ。
上半身が人間で、下半身が蛇の姿をしたオスの神を『ナーガ』、メスの神を『ナーギィ』と呼んだ。蛇神は交合することでエネルギーを発生させ、生命を作り出し、さらに不老不死の象徴として、古代から現代に至るまで、ヒンドゥー教における、なくてはならない要素として役割を担ってきた。
ナーガとナーギィは中国大陸にまで伝わり、中国神話のアダムとイヴである伏羲・女カへとアレンジされるほどである。
メスの神のナーギィ。この言葉こそインドでは川を意味している。
それこそ蛇のごとく蛇行しながら大地を下る様子から、こう名が冠されたにちがいない。
日本にもナーガが伝えられた名残りがあるという。
蛇の古語は『カガ』『カカ』などが知られる。他方、『ナガ』『ナギ』も一部に存在し、そこから『ナダ』『ニギ』に転訛されたらしいのだ。
『長い』という言葉も、おそらく『ナガ』から派生したものだと考えられる。
これらの蛇を意味する言葉は、日本神話のなかにも散見される。例えば、ナガスネヒコやオキナガタラシヒメ(神功皇后)といった、伝説上の人物の祖先も蛇であったのかもしれない。
極めつけはイザナギとイザナミであろう。
我が国の国産みの神は、伏羲と女カ、さらにはナーガとナーギィに共通する性質をそろえているのは言うまでもない。
民俗学の権威、柳田国男などがかかげた説によると、蛇と類似する動物は総じて『ナギ』と名付けられているという。たしかに現在も『ウナギ』や『アナゴ』などに、その片鱗が見られる。
このように、イザナギとイザナミのモデルがナーガとナーギィであるとするならば、古代日本もかつては蛇を崇めてきた時代があったのだ。ただし、いつごろインドから伝播したのか、時代までは不明である。
余談だが、清姫が変化した大蛇はなぜ炎を吐くことができ、釣り鐘に浴びせても自身の蛇体を焼くことはなかったのか?
神道の神イザナミは、熊野権現においては、『牟須美神』と同一視されたと述べた。この『牟須美』は、別名『奇火』とも表現され、すなわち火の神ではないかと言及されているのだ。
なるほど、カグツチに比肩し得る火の神ならば、火炎を吐くのも道理。
よってイザナミの分身である清姫だったら、なんらふしぎではないということだ。
このように釣り鐘に巻きつき、安珍を蒸し焼きにしながら、自身が火傷しないのは火の神ゆえの耐久力があるからだとわかる。
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