日高川という名の大蛇に抱かれて【怒りの炎で光宗センセを火あぶりの刑にしちゃうもん!】

spell breaker!

文字の大きさ
上 下
2 / 13

2.「特別に君なら教師のままでいてあげよう」

しおりを挟む
「今日から産休を取られた担任の吉住よしずみ先生にかわり、ピンチヒッターの光宗みつむね  臣吾しんごです。光りと、徳川とくがわ 吉宗よしむねの宗と書いて光宗。吉宗と言えば、しくも和歌山城を居城とし、某時代劇で有名ですね。年齢は三十二歳。独身。どうかよろしく」と言って、教壇に手をついた男は白い歯を見せた。たちまちクラスはざわついた。

 笑顔は南アルプスに吹きわたる涼風のようであり、その口調は詩人のように韻を踏んでいた。メガネの奥の眼は切れ長で、知性と慈しみが同居しているように見えた。
 その第一印象が由海ゆみの胸に突き刺さってしまった。

 見えざる矢は抜きがたい。
 すぐに由海のなかで破傷風にも似た恋の病が広がり、取り返しのつかないほど重篤な症状にまで陥ってしまった。

 御坊市にある県立日高学園。十七歳になったばかりの由海。夏休み明けのホームルームでのできごとだった。
 ひと目で光宗を見初めてしまった。
 思い込んだら突っ走る由海だった。なんとか先生と二人きりになれるチャンスはないかと狙っていた。



 一週間経ったある日。
 下校時、御坊駅のホームで電車を待っていると、向かいのホームで光宗が立っているのを見かけた。由海とは反対方向に家があるらしい。
 すらりとしたシルエット。かばんを小脇に抱えたままスマートフォンに夢中になっている。
 対岸のホームへ渡り、忍び足で近づいた。声をかけずにはいられない。

 光宗はおどけて驚く様子を見せるどころか、

「庄司はいけない子だな」と、バツが悪そうな顔で言った。「僕はね、定時をすぎれば赤の他人って主義なんだ。ほんとうだったら、学校を出た時点で教師の仮面をぬぎ、町で生徒を見かけても声すらかけない。不可抗力的に声をかけられたら、それなりに対応するが、少なくともこちらからは声をかけない。見て見ぬふりをする。じゃないと、きりがないからな。線引きはキッチリしないと」

「お忙しい最中に声をかけて、すみません」勇み足をした由海はあわてて頭をさげた。

「でも、許す」と、光宗は顔をほころばせた。手のなかでスマホをくるりと回転させ、胸ポケットにおさめた。「庄司は可愛い。特別に君なら教師のままでいてあげよう。――どうだ、これからいっしょに飯でも食いに行くか?」

 いきなりの砕けた返事に由海は戸惑った。
 さすがに二人きりで外食していたところを誰かに目撃されたら、よけいな誤解を招くのではないか。思わず一歩うしろへさがったところに、

「心配すんな。僕がいま住んでる由良町ゆらちょうに、うまいお好み焼きを出してくれる店があるんだ。あんがい庶民派だろ? たまたま由良の友人の家へ遊びにいったら、偶然先生と出くわした。思いきって学校のことで悩みがあり相談しようとしたら、立ち話もなんだから、近くの店でお好み焼きを食べながら話そうということになった。――そういうことにしておこう。しっかり口裏合わせるんだぞ」と、言った。

「なら、いっしょに行きます!」

 由海の胸は期待で高鳴った。
 二人は紀勢本線のJRに揺られた。車中ではおたがい、離れた対面式ロングシートに座った。由海はずっと光宗の姿を見つめていた。光宗はいちども眼さえ合わさなかった。
 御坊市をすぎ、日高町に入り、お隣りの由良町に着いた。わずか八分の距離だった。



 紀伊由良駅からバスで乗り継ぎ、おりてすぐが目的の軽食店だった。こじんまりした佇まいだった。
 光宗のすすめもあって、まずはスジコン、、、、を頼み、二人で分けあって舌鼓を打った。そのあと、店主が慣れた手つきでイカ玉と豚玉を焼いてくれるのを眺めた。

 たしかに、すじ肉とコンニャクを煮込んだものは絶品だった。甘辛い味付けが染みわたり、さぞかし酒と合うだろう。日本酒党の由海の父なら膝を打つにちがいない。
 はじめ、光宗は我慢していたが、こらえきれず焼酎のロックを注文してしまった。
 喉に流し込むうちに、眼つきが変わっていった。言葉づかいまで、やけに馴れ馴れしくなった。

 由海はイカ玉に箸をつけた。
 これもフワフワの生地に香ばしいソースがからみ、大ぶりに切られたイカの食感が楽しい。
 勘定は光宗が支払った。二人は店を出て、県道二十四号線づたいに港へ散歩することにした。
 民家やマンションの棟も建ち並んでいるものの、山が近く、閑散とした住宅街。日が暮れれば、墓場のように寂しいだろう。

 岬をまわり込むと、巨大なドックが見えた。
 赤白のタワークレーンが屹立し、見あげるばかりのタンカーが横付けされており、由海は圧倒された。 
 日が暮れた港で、二人は他愛もない会話を重ねた。

 やがておかしなムードにねじれていった。
 由海はいきなり抱き寄せられ、唇を奪われた。
 唇を割って軟体動物のような物体が入ってきて、こねくりまわされた。せっかくウーロン茶で洗い流したはずなのに、口のなかはソースと青のりの味でけがされた。

 光宗を突き飛ばして、走って逃げた。
 鋭い声とともに追ってきたが、相手はロックを二杯、引っかけているのだ。ふりきるのはわけなかった。

 どこをどうほっつき歩いて駅までたどり着き、家に帰ったのか記憶がない。
 見ず知らずの人の善意にも助けられ、どうにか日高川町まで帰ることができた。夜の九時にさしかかろうとした時間だった。ただいまの挨拶もかけず、風呂場に飛び込んだ。

 熱いシャワーを浴びていると、脱衣所から母が声をかけてきた。
 由海はシャワーの蛇口をゆるめ、明るい声で、

「夏休み明け早々、いきなり文化祭の課題で居残らされたのよ。いまさら日本野鳥の会、委託調査の件でディスカッションしてたら遅くなっちゃった。こんなお粗末な課題を発表していいものかと」

 生物部に所属している由海は、とっさにうそをついた。すでに課題は夏休みのあいだに終えていた。出来もまんざらではなかった。

「お母さん、ハラハラしちゃったわ。てっきり素行のよくない子たちに連れまわされ、おかしな遊びをしてるんじゃないかと思ったのよ。遅くなるなら、せめてLINEぐらいよこしてよね」

「ごめん。ちょっと人間関係でトラブって、気が滅入ってた。次はそうする」

「きっとよ」



 ベッドに入っても、悶々と寝返りを打った。
 心は傷ついたはずなのに、裏腹、光宗のことが忘れられなかった。酔ってはいたが、悪気はなかったのだと思おうとした。彼もしょせん人の子にすぎない。職場でのストレスから酒に飲まれることだってあるだろう。
 ちゃんと話しあえば、港でのあやまちは謝ってくれ、もしかしたら誠実な交際ができるのではないか。
 だから由海は忘れることにした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

バベル病院の怪

中岡 始
ホラー
地方都市の市街地に、70年前に建設された円柱形の奇妙な廃病院がある。かつては最先端のモダンなデザインとして話題になったが、今では心霊スポットとして知られ、地元の若者が肝試しに訪れる場所となっていた。 大学生の 森川悠斗 は都市伝説をテーマにした卒業研究のため、この病院の調査を始める。そして、彼はX(旧Twitter)アカウント @babel_report を開設し、廃病院での探索をリアルタイムで投稿しながらフォロワーと情報を共有していった。 最初は何の変哲もない探索だったが、次第に不審な現象が彼の投稿に現れ始める。「背景に知らない人が写っている」「投稿の時間が巻き戻っている」「彼が知らないはずの情報を、誰かが先に投稿している」。フォロワーたちは不安を募らせるが、悠斗本人は気づかない。 そして、ある日を境に @babel_report の投稿が途絶える。 その後、彼のフォロワーの元に、不気味なメッセージが届き始める—— 「次は、君の番だよ」

ゾンビと片腕少女はどのように死んだのか特殊部隊員は語る

leon
ホラー
元特殊作戦群の隊員が親友の娘「詩織」を連れてゾンビが蔓延する世界でどのように生き、どのように死んでいくかを語る

絶海の孤島! 猿の群れに遺体を食べさせる葬儀島【猿噛み島】

spell breaker!
ホラー
交野 直哉(かたの なおや)の恋人、咲希(さき)の父親が不慮の事故死を遂げた。 急きょ、彼女の故郷である鹿児島のトカラ列島のひとつ、『悉平島(しっぺいとう)』に二人してかけつけることになった。 実は悉平島での葬送儀礼は、特殊な自然葬がおこなわれているのだという。 その方法とは、悉平島から沖合3キロのところに浮かぶ無人島『猿噛み島(さるがみじま)』に遺体を運び、そこで野ざらしにし、驚くべきことに島に棲息するニホンザルの群れに食べさせるという野蛮なやり方なのだ。ちょうどチベットの鳥葬の猿版といったところだ。 島で咲希の父親の遺体を食べさせ、事の成り行きを見守る交野。あまりの凄惨な現場に言葉を失う。 やがて猿噛み島にはニホンザル以外のモノが住んでいることに気がつく。 日をあらため再度、島に上陸し、猿葬を取り仕切る職人、平泉(ひらいずみ)に真相を聞き出すため迫った。 いったい島にどんな秘密を隠しているのかと――。 猿噛み島は恐るべきタブーを隠した場所だったのだ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

心霊都市の大学生

はるさめ☀️
ホラー
心霊現象が多発し、人々が恐れを抱く都市――うらめ市。 不吉な噂だらけのこの街にある大学に、受験に失敗した脳筋・銀崎誠二は晴れて入学することに。 銀崎は仲間たちと共にホラーなキャンパスライフを満喫する。

たまご

蒼河颯人
ホラー
──ひっそりと静かに眺め続けているものとは?── 雨の日も風の日も晴れの日も どんな日でも 眺め続けているモノがいる あなたのお家の中にもいるかもしれませんね 表紙画像はかんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html) で作成しました。

4の結び目-8(エン結び)-

不和カプリ
ホラー
男女の4人の数奇な物語。 悪夢に悩まされる主人公。 恋人同士のような兄妹。 夢に出た美女。 彼らの物語はまだ始まったばかり。

サイコさんの噂

長谷川
ホラー
 最近ネットで大流行している都市伝説『サイコさん』。田舎町の高校に通う宙夜(ひろや)の周囲でもその噂は拡散しつつあった。LIME、Tmitter、5ちゃんねる……あらゆる場所に出没し、質問者のいかなる問いにも答えてくれる『サイコさん』。ところが『サイコさん』の儀式を実践した人々の周囲では、次第に奇怪な出来事が起こるようになっていた。そしてその恐怖はじわじわと宙夜の日常を侵食し始める……。  アルファポリス様主催第9回ホラー小説大賞受賞作。  ※4話以降はレンタル配信です。

処理中です...